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啄木の有名な歌、
東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる
が詠われた場所はどこでしょうか?
東海地方に遊びにいったときに詠んだ歌でしょうか?


よろしくお願いします。

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A 回答 (2件)

中国・インド・韓国からみた日本をさした意味で「東海地方」ではないとの解釈があります。


以前自伝小説を読んだときの記憶では、北海道のある市で詠まれたのでは?


「東海の小島」の在りか

参考URL:http://www.page.sannet.ne.jp/yu_iwata/hakodate.h …
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啄木は、岩手県盛岡の出身です。

しかし「東海の・・・」を作した時は、東京で活動していたはず。私は「東海」を「東の海」と考えました。東京からほど近い逗子や鎌倉の海が「東海」ではなかったかと考えています。または、何処にもない啄木が創った場所、と考えても面白いですね。
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Q石川啄木のこの3首を教えてください

(1)この歌において、作者はなぜ泣いてるんでしょうか? 何があったのでしょうか?
東海の 小島の磯の 白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる

(2)この歌でもなぜ泣いてるんでしょうか? そして、「一握の砂を示しし人」というのは誰で、何のために砂を指差しているのですか?
頬につたふ
なみだのごはず
一握の 砂を示しし 人を忘れず

(3)この歌で、作者がさらさらと砂の感触を確かめているのはなぜでしょうか?
いのちなき 砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指の あひだより落つ

3首とも同じ背景の下に書かれたものだと思うので、答えは同じかもしれません。つまり(1)(2)(3)それぞれ別々に答えを頂く必要はないかもしれません。

回答者さんの中には、「受け取り方は読者の自由だから、こんな質問は愚問である」という方もいらっしゃることと思います。
しかし私はその意見に対し、次のような考えを持っています。

私は、文学にせよ美術にせよ、鑑賞の仕方は2通りあると思います。

A:その作品の中だけで完結した世界だと思って、その世界を楽しむ方法。
B:作者の生涯や、作品が生まれた背景などを理解し、その上で鑑賞する方法

Bの鑑賞法のほうが優れている、と考えているわけではありません。むしろAの面白さが好きです。
でもこれら3首については、既にいろいろ想像をめぐらしてAの鑑賞法を楽しみましたので、今度は是非Bの鑑賞法で鑑賞したいのです。だから作品の背景を知りたいのです。
しかしいろいろ検索をかけてみたのですが、この3首の解説が見当たりません。
どうかお願いいたします。

(1)この歌において、作者はなぜ泣いてるんでしょうか? 何があったのでしょうか?
東海の 小島の磯の 白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる

(2)この歌でもなぜ泣いてるんでしょうか? そして、「一握の砂を示しし人」というのは誰で、何のために砂を指差しているのですか?
頬につたふ
なみだのごはず
一握の 砂を示しし 人を忘れず

(3)この歌で、作者がさらさらと砂の感触を確かめているのはなぜでしょうか?
いのちなき 砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指の あひだより落つ

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Aベストアンサー

質問者様は出来れば文献をお求めなのはわかっているのですが、
No.1様と同様、私も特にその必要はないのではないかと思っています。
いろいろな鑑賞法があっていいし、またいろいろに読めるからこそ作品に広がりが出てくる、
ということもわきまえた上で申しますが、Bのような鑑賞法に必ずしもこだわらなくてもいいのかなと。

以下、徒手空拳で私見を述べます。参考に資するところがあればお慰みです。

「東海の」は、やはり世界地図を広げての小島=日本。
その名もない磯のわずかばかりの白砂(少なくとも、広い砂浜の砂ではない)。
あるいは浅薄、未熟という意味での磯。
白砂は純白、高邁な志のアナロジーかもしれません。

啄木の時代は立身出世の時代、高い理想を抱いた時代だと思うのですが、
それだけに挫折感もはなはだしい。
ちっぽけな日本の名もない一角で、文学者として名を上げるどころか、いまだ日々の生活に苦しんでいる。
そういう心の背景のうちに歌われたのではないでしょうか。

ところで先日、「蟹」は横文字、英語のことであるという意見を聞いて面白いと思いました。
正岡子規にも、若き夏目君(のちの漱石)を戯れに、
「鴃舌を学び蟹文を草す」げきぜつをまなびかいぶんをそうす
と評したと高島俊男氏の「漱石の夏やすみ(房総紀行 木屑録)」に出てきます。

啄木の「飛行機」という詩は、
肺病やみの母親と二人で暮す給仕づとめの少年が、たまさかの休日に、
「ひとりせっせとリイダアの独学をする眼の疲れ……」とうたわれ、
それが青空を高く飛ぶ飛行機と対照されています。
(飛行機は当時の最新テクノロジーでしょう。また、よく落ちたと聞きます)

さて、なぜ泣くか、なんですが、
少しきびしい言い方かもしれませんが、これが啄木の弱さだと思うんです。文学としての弱さ。
だってこれはセンチメンタルに過ぎません。自分を額縁に入れて憐れみ、ひとの同情を引く涙なんです。
本当のかなしみ、存在をかけたようなかなしみではないと思うんです。
当時は今よりはよほど感情の起伏が激しく、人はやたらに泣いた、ということはあるかもしれませんが。
そして涙することへの共感、「大衆性」によって読み次がれてきたということもあるでしょうが。

長くなりました。先を急ぎます。
砂、さらさらとした砂はそれだけで「かなしい」ですね。
指のあいだからさらさら流れ落ちる砂は、皮膚感覚としての快さと、心のないむなしさを感じさせます。
そしてそれは何かの暗示、連想へ結びつくかもしれないし、そうしないでもいいのかもしれません。
ただ、これは「一握の砂」巻頭の連作(たぶん)10首の一つですから、その読みあわせによって、
編者は読者に想起することを希望しているのかもしれません。

以上、管見を書き散らしてしまいました。ご寛恕願えればと思います。

質問者様は出来れば文献をお求めなのはわかっているのですが、
No.1様と同様、私も特にその必要はないのではないかと思っています。
いろいろな鑑賞法があっていいし、またいろいろに読めるからこそ作品に広がりが出てくる、
ということもわきまえた上で申しますが、Bのような鑑賞法に必ずしもこだわらなくてもいいのかなと。

以下、徒手空拳で私見を述べます。参考に資するところがあればお慰みです。

「東海の」は、やはり世界地図を広げての小島=日本。
その名もない磯のわずかばかりの白砂(少な...続きを読む

Q石川啄木の『たはむれに母を背負いてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず』について。

石川啄木の
「たはむれに母を背負いてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず」
という短歌の意味と背景?について詳しく教えてください。

おねがいします!!

Aベストアンサー

そのままです。
軽い気持ちで(あるいは、ふざけて)お母さんをおんぶしてみたら、あまりにもお母さんが軽いので、泣いてしまって三歩も歩けなかった

ただしこれは創作です。
啄木の性格はほかに譲るとして、有名な
「働けど働けどなほわが暮らし楽にならざりじっと手を見る」
なども「あんたが節約すればこんなことには~!」と私などは思ってしまいます。
また啄木から借金をされた金田一家の故・春彦氏(国語学者)は、彼について「石川というのは石川五右衛門の子孫かなにかと思っていた」というエピソードが残っています。

Q目処(めど)と目途(もくと)

目処と目途の使い分けについて教えてください。
送り仮名に違いがありますか。
PC辞書で「めど」の変換を探すと目途が入っているのもありますね。
これは明らかに誤用ですよね。

Aベストアンサー

めどはやまと言葉ではないでしょうか。もしそうなら漢字は当て字であり、どちらが正しいというものでもなく、世間で一般的にどう使い分けされているかということに過ぎないと思います。

広辞苑ではめど(目処)もくと(目途)と分けて記載されているだけで説明がなく
不親切です。朝日新聞社の漢字用語辞典では、めど(目処、目途)とあり、私のPCでも、めどで両方が転換できます。

解決のめどがつくとか、目標達成のめどが立ったなどと使われるので、
ものごとがその完成、実現にちかずいたということを意味し、目標とは若干ニュアンスが異なると思います。目標は高くとは言いますが、目途(目処)は高くとはいいませんね(この部分は蛇足です)

Q「立ち振る舞い」と「立ち居振舞い」

「立ち振る舞い」と「立ち居振舞い」。
どうやら、「立ち振る舞い」は間違ってて「立ち居振舞い」が正しいらしいのですが、
数々の辞書を調べてみると「立ち振る舞いは立ち居振舞いと同意」とされている辞書がかなり多い。

なのに、やはり「立ち居振舞い」のほうが正しいようです。

なぜ「立ち居振舞い」だけが正しいのか、知っている方はいませんか?

Aベストアンサー

「立ち居振舞い」とは、立ったり座ったりの身のこなし、日常の動作のことです。
立ったり座ったりだから「立ち居」なのです。「立ち振舞い」だと座ることが抜けてしまいます。(笑)

では、なぜ「立ち振舞い」が、同義語として載っている辞書があるのか?
、言葉は生き物です。正しくなくとも使う人が大勢いると誤りもやがては誤りではなくなってしまうのです。
今、試しに完全一致で検索したところ、
「立ち居振る舞い」&、「立ち居振舞い」が121,100件+27,000件
「立ち振る舞い」&、「立ち振舞い」が73,100件+841件

わたしは辞書の編集者ではないのであくまで推測ですが、これは、「立ち振る舞い」も市民権を得た言葉として認めたということではないでしょうか?


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