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江戸幕府は藩の様に参勤交代や江戸藩邸で金が掛からない代わりにその浮く分の多くを大奥の掛かりに金を費やしたのですか?

A 回答 (4件)

幕府の収入は天領からの年貢と金銀鉱山の産出が主なものです。


江戸中期の享保15年の収入は
年貢の米85万4000石、 鉱山の産出は金59万5000両、銀を合わせ約80万両その他となっています。
享保期の天領は約450万石といわれ、4公6民として年貢は約180万石の筈ですが、差は旗本、御家人などの、役職料を含めた給与です。  蔵米取りもありますが、知行に換算して約300万石、したがって給与は約120万石になり食い違いありますが、年貢の実収が多かったのでしょうか。
要するに人件費が高いということで、不安定な金銀鉱山に頼る予算でした。   この年度収支は相当な黒字でした。   先に備えて勤倹に努めたようです。   大奥も緊縮予算です。
もっともそのあと放漫予算の時代もありましたが。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/20 21:10

幕府の財政ですけど、日本のルイ14世(太陽王)とも言うべき、5代将軍徳川綱吉によって破綻しました。


元々、幕府財政は年貢、鉱山、貿易などの収入があり、家康の頃は他の大名を凌駕する豊かさでしたが、4代将軍家綱の治世、1657年明暦の大火で江戸市中が焼け再建の為に支出が多く、5代将軍徳川綱吉の治世になると、上野寛永寺根の再建など、フランスのルイ太陽王(ベルサイユ宮殿を建築)も顔負けの公共事業を行い、紀文・奈良茂といった豪商がそれを引き受け、空前の元禄バブルが出現します。
最初に書いたように、幕府の財政は直接の支配地からの年貢、鉱山の収入、長崎貿易で、商業活動には税をかけないので、これだけで中央政府が派手な公共サービスをやれば、財政破綻は目に見えています。
収入が固定されているのに、生活が向上して支出が増えるのですから、どうしようも無いです。
幕府領は旗本領を除くと400万石、4公6民なので、160万石が実収入。
1石が1両なので、160万両が年間予算。
大奥は年間予算20万両、残りで橋を建替えたり、城を修理したり、道を直したり、苦しいですね。
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この回答へのお礼

公共支出をよくやってたと言うことですね、ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/20 21:08

大奥の歳費もある程度はありましたが、大店の援助金が半分を占めていました。

将軍家・御三家の普段着も八丈紬といった質素なものでした。米が獲れない代わりに紬を年貢としたわけです。幕府の支出は江戸城の修復と当時火事の多かった江戸の町の復興費が大半を占めていたようです。TVで見るような豪華絢爛な生活はしていませんでした。
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この回答へのお礼

火事場手当てに金かかったと言うことですね、ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/20 21:05

確かに大奥にもかなりの費用を費やしていましたが、幕府の支出はそればかりではありません。


ただ外様藩のように天文学的な借金を抱えるほどには収入と支出のバランスが崩れることはありませんでしたが。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/20 21:04

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