捏造事件発覚前までは、宮城県の上高森遺跡によって日本の旧石器時代は60万年前ぐらいまで確認できるとしていた。
現在のところ確実にさかのぼれるのは何万年前なんでしょうか?その遺跡はどこでしょう?
また、前期、中期、後期旧石器時代の年代区分はどうなっているのでしょうか?

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A 回答 (2件)

日本の考古学史上悲しい事件となった捏造事件で現在見直し・検証がひとつひとつ行われている段階であり、定説はないと思います。

はっきりしているのは弥生時代の前に約1万年続いた縄文時代(土器文化)があったこと、それ以前は無土器時代と呼ばれ、西欧の石器時代の後期にあたることぐらいではないでしょうか。遺跡としては宮城県の座散乱木遺跡(3万年前)あたりが考古学者が一致して認めるところではないでしょうか。もっと古い遺跡もあるようですが、認知されるまでには時間がかかるようです。従って前期、中期石器時代はあったのかどうか、万人が認める「日本」の時代区分としては今後の発掘と研究に待たざるを得ないと思います。
考古学の世界では明らかに存在したと想定されても遺跡、遺物が確認されるまでは
「なかった」とされるので他の学問と違い理論的推定は出来ないようです。
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この回答へのお礼

丁寧な説明、ありがとうございました。大変参考になりました。

お礼日時:2002/04/20 15:26

広く合意される日本最古の旧石器文化の基準は、南関東の立川ロームX層相当の文


化層です。X層にも上下2枚あり、下位のXb相当が最古になります。年代ですが、
年代測定の精度と分解能の関係から、3万年よりは確かに古く、4万年よりは新し
いくらいとしか言えない状況です。この辺が、いわゆる、後期旧石器時代の初源と
して確実なところです。
さて、前期・中期・後期の時代区分は、捏造遺跡を基準に提案されていたもので
あったため、基本的に区分自体が瓦解した状態です。現在、後期の初源期の遺跡を
中期に入れるかどうかが、争われているところです。しかしそうした遺跡は、南関
東にはなく、堆積が薄かったりして、年代がはっきりしない遺跡ばかりです。上述
した4万年を遡るかどうかも、微妙なところです。
なお世界的な状況ですが、前期(下部)・中期(中部)の区分は、研究上区分する
意味がないとして、撤廃される傾向にあります。
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旧石器時代から飛鳥、奈良時代などを経て現代まで、日本列島の人々には大まかにどのような変化が起きたのでしょう?使用する道具の素材の変化や、稲作の発展、食文化の変化など、とても興味があります。自分でも調べていますが、他の人の知恵をお借りしたいです。

Aベストアンサー

今から3~2万年前のヴュルム氷期、日本列島も大陸とつながっていた時代にスンダランドからやってきた人々(縄文人の祖先)は、約1万2500年前の間氷期に日本列島が海によって大陸と分断された後、島国となった日本で縄文時代を形成していきます。縄文時代前期から集住した人々は、中期には大規模集落を形成し……
というところから説明すると、例え大雑把であっても旧石器時代から現代までの変遷をここで説明することはできないと思います。ましてや概要だけでなく、道具や食文化にまで触れると、膨大な文字量になります。
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もう少しテーマを絞ってお題をいただけると助かります。

Q旧石器時代研究の進展

過去20年くらいの間で日本における旧石器時代の研究はどのような進展を見せたでしょうか?今読んでいる本がちょうど20年くらい前の物でして、現在の旧石器時代研究がどれほど進んだのかとても気になりました。とても大雑把な質問で申し訳ないですが回答お待ちしております。
具体的な遺跡名や旧石器時代の研究史について書かれた書籍名などもありましたら教えていただけるとありがたいです。

Aベストアンサー

岩手県金取遺跡については、一次調査での調査成果を確認するために行われた二次調査以降では芳しい成果は上がっていません。また、金取遺跡の出土遺物は石器とはいえないという意見も出ています。

また、長崎県平戸市の入口遺跡も、ATよりも古いということは意見が一致しているのですが、光ルミネッセンス法の年代測定は、検知棒埋設期間が短かったために、一般的な測定値(6ヶ月以上検知棒を埋設していた場合)よりも誤差が非常に大きいと考えられます。その上、平戸地域は非常に段丘発達の悪い(安定的に段丘が発達しない)地域ですから年代の確定はかなり難しい地域といえます。

長野県の竹佐中原遺跡においても、ATよりは古そうだということで一致しているのですが、なかなか年代を確定できていない状況です。この遺跡の場合は、地層の発達が非常に悪く、地層だけでは年代の特定が難しい状況です。ただし、中期旧石器とするか後期旧石器初期とするかで意見は分かれているものの、相当な年代のものだということでは意見が一致しています。

大分県早水台(そうずだい)遺跡では、久住第1降下軽石辺りで石器に見えるものが確認されていますが、礫の総数に対する石器と判断されたものの数的割合もしくは重量比が不明な点や(要するに調査者により石器と判断されたものだけ取り上げている状態です)この遺跡についても、石器の評価が分かれています。

今のところ、どの研究者も確実に評価している遺跡の年代は、4万年前まで行くか行かないかといった状況です。

現在否定的な見解が出ている遺跡でも、今後の調査によって遺跡の評価がより確実なものになる遺跡もあるでしょうし、新たな遺跡の発見があるかも知れません。

私は西日本なので、東日本の遺跡の詳細はあまり知りませんが、西日本では九州地方で古い年代の遺跡が見つかっています。

長崎県では、福井洞穴・入口遺跡など
熊本県では、石の本遺跡・沈目遺跡・曲野遺跡・人吉市の大野遺跡群など
大分県では、早水台遺跡(最近の調査遺物は東北大にあります)など
宮崎県・鹿児島県では、No2のjuntさんの回答に含まれているもの意外では、東九州道関連遺跡で後期旧石器の早い段階のものが見つかっています。

詳しいことは、各県の埋蔵文化財センターや歴史学系の県立博物館に問い合わせて見ると良いかも知れません。

No1のjoy-netさんの回答に対するレス
>結論としてこの二十年の間に旧石器時代研究の進展は全くといっていいほど無かったということでよろしいでしょうか?
ということについてですが、私が挙げた竹佐中原遺跡や九州の遺跡は、藤村氏とは全く関係のない遺跡ですし、華々しい「○○万年前の遺跡発見」という報道発表を横目で睨みながら地道に調査されていたものです。

国内の研究史については、後期旧石器に関するものはまだしも、藤村氏の捏造された成果によらなければ語れなかったものが全てですから、残念ながら全滅の状態です。

岩手県金取遺跡については、一次調査での調査成果を確認するために行われた二次調査以降では芳しい成果は上がっていません。また、金取遺跡の出土遺物は石器とはいえないという意見も出ています。

また、長崎県平戸市の入口遺跡も、ATよりも古いということは意見が一致しているのですが、光ルミネッセンス法の年代測定は、検知棒埋設期間が短かったために、一般的な測定値(6ヶ月以上検知棒を埋設していた場合)よりも誤差が非常に大きいと考えられます。その上、平戸地域は非常に段丘発達の悪い(安定的に段...続きを読む

Q局部磨製石器が、何故旧石器なのか?

石器というものは「旧石器から新石器へと進歩した」と言われており、その新石器というのは、「磨製加工が施されたもの」となっています。
とすると局部であっても、とにかく磨製加工がされたものは、新石器というべきなのに、岩宿遺跡の局部磨製石器は旧石器といわれています。
これでは素人の私には何のことだかわけが解らなくなっているのですが、この考古学会の不思議な言葉使いについて誰か説明してもらえないでしょうか?


質問の背景

現生人類は、約20万年前にアフリカで発生し、それが約4万年前に世界中に散らばって、その地で独自に発展して行った、とされています。

日本では約3万年前の局部磨製石器が全国で多数発見されています。
新石器が使われ始めたのは、世界の他の地域では、約1万年前と言われていますので、3万年前の日本は石器技術では世界の最先端を走っていた、と言えます。
そしてその遺跡からは、同時に黒曜石が発見されることが多く、この黒曜石というものは日本の一部(例;和田峠)でしか産出されないものですので、遠方交易の可能性が伺え、これは当時の日本の文明が、世界のレベルから見て、高い水準にあったことを示しています。

日本を愛する私としては、こういう考古学上の事実をどんどん世界に向けて発信してほしいと思うのですが、それなのにその局部磨製石器を「旧石器」などと言われては、その先進性が台無しになってしまいます。
日本の考古学者はどうしてこういう日本の歴史を誇りに思わないのか?不思議に思います。

また新石器(磨製石器)が地球上のどの地域で、それぞれ何時ごろ使われるようになったか?ということが確定していけば、人類共通の世界史を作ることができるに違いないと思うのですが、そういう動きは無いのでしょうか?

石器というものは「旧石器から新石器へと進歩した」と言われており、その新石器というのは、「磨製加工が施されたもの」となっています。
とすると局部であっても、とにかく磨製加工がされたものは、新石器というべきなのに、岩宿遺跡の局部磨製石器は旧石器といわれています。
これでは素人の私には何のことだかわけが解らなくなっているのですが、この考古学会の不思議な言葉使いについて誰か説明してもらえないでしょうか?


質問の背景

現生人類は、約20万年前にアフリカで発生し、それが約4万年前に世界...続きを読む

Aベストアンサー

●3万年前の世界で、どこで局部磨製が使われていたか?また黒曜石の遠方運搬が行われていたのは、どの地域か?という比較研究の成果はどうなっているのか?を教えていただきたい、という質問です。
○私は旧石器研究を専門としていないので考古学としての一般教養しかありません。残念ながらその質問に正確に答えられるだけの知識は持ち合わせていませんが、黒曜石について言えば黒曜石が産出する地域であればほとんど使用されていたと思われます。
 私が知る範囲ではアフリカ中部、ロシアなど黒曜石製の石器は使われていました。
 ネット検索だと局部磨製石器は日本以外ではオーストラリアで確認されているだけのようです。

●3万年前の日本は、世界の中では、比較的先進の方に違いないと思ったのですが、間違っていますか?
○「局部磨製石器」だけでそう言っておられるなら「間違っている」と言えます。
 ごく一部の石器で研磨が見られることを「先進地域」とするのは無理があります。
 そもそも後期旧石器の段階で先進・後進ということ自体無意味です。それほどの差はありません。

●中国文明は文明と言う点では、日本より進んでいるが、石器技術の方では、日本はそんなに遅れていなかった、というようなことを知りたいと思ったのですが、如何でしょうか?
○比較すること自体があまり意味をなしませんし、「ひとつの技術」が優れているからと言って「遅れていない」とも言えません。
 例えば江戸時代の細工技術や算術は西洋に比肩できるものでありましたが、日本では産業革命は起きず、結果として近代化が遅れました。
 また、「文明」とするには「都市」が必要です。日本で都市と言えるほどのものが出現するのは7世紀になってからです。三内丸山遺跡や吉野ヶ里遺跡を「都市」とする人もいますが「巨大な集落」と「都市」の区別がされていませんので意味がありません。

 そもそもにおいて文化・文明というのはその地域にとって重要な遺産であり、歴史でありますから他と比較し、「遅れている、進んでいる」というのは無意味ですし、かつ傲慢です。ちょうど大航海時代に「邪教から人々を救う」としてその地域の宗教を否定し、文化遺産を破壊した行為と似ています。
 歴史や文化を正当に評価するには「ナショナリズム」というのは一番の大敵です。

 いずれにせよ書店で考古学の入門書を読まれることをお勧めします。
 基礎知識なしに偏った情報で思考することは危険です。

●3万年前の世界で、どこで局部磨製が使われていたか?また黒曜石の遠方運搬が行われていたのは、どの地域か?という比較研究の成果はどうなっているのか?を教えていただきたい、という質問です。
○私は旧石器研究を専門としていないので考古学としての一般教養しかありません。残念ながらその質問に正確に答えられるだけの知識は持ち合わせていませんが、黒曜石について言えば黒曜石が産出する地域であればほとんど使用されていたと思われます。
 私が知る範囲ではアフリカ中部、ロシアなど黒曜石製の石器は使...続きを読む

Q旧石器時代の人々の住居

旧石器時代の人々の住居は明確ではないと思いますが、簡単な屋根をかけたテントのような小屋や岩かげ・洞穴などのテント式住居に住んでいたと推測されているのですか?
大阪府のはさみ山遺跡での竪穴の住居跡や仙台市の富沢遺跡などはそれを示す有力な手掛かりでしょうか?

Aベストアンサー

民族事例や例示された遺跡、石器の出土状況からそのように推定されています。

旧石器時代の住居例としては「田名向原遺跡」(神奈川県相模原市http://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/shisetsu/library_etc/013288.html)もあります。
富沢遺跡は旧石器時代の自然環境とキャンプ地の状況がわかるという例で住居例ではないです。

Q石器時代の打製石器は何故当時のものと分かる?

例えば今日、誰かが面白がって黒曜石を割って打製石器のような形にして土に埋めておいたとします。それを後日考古学者が発見した場合、どうして石器時代のものではないと分かるのでしょうか。

Aベストアンサー

黒曜石を使った石器の場合、黒曜石水和法(黒曜石は劈開面が露出して水和が始まり、この水和速度で年代を判定する)で直接年代測定が可能です。同様の原理で他の鉱物で構成された石器への適用方法が考案される可能性はありますが、今のところは、黒曜石だけです。
http://ao.jpn.org/kuroshio/kenkyudoko.htm

黒曜石以外の打製石器、磨製石器に対しては有効な年代測定法がありません(おそらく今後も無理でしょう)。これらの年代を推定する場合、通常は出土した層の地質学的年代、または、同時に発掘された土器や人骨、獣骨、貝殻などを考古学的年代測定法(C14や熱ルミネッセンスなど)で得られた年代を適用します。

なお、C14法は生物起源のものにしか使えませんから、石器には適用不可能です。


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