ネットサーフィンをしていたら、韓国の教科書には、むかし植民地統治時代の日本がおこなった「米の略奪」の量の、年次別グラフなども出ているそうです。
「買う」んじゃなくて、「略奪」なんて……。むかしの日本は、ほんとうにそんなことをしたのでしょうか?

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (5件)

ちょっと2番の回答は修正します。



とりあえず自分で調べた分をまとめますと、
韓国の教科書では以下のように記載されているようです。
---------------
〔植民統治政策の変化〕 日帝は食糧の不足を解決するため、韓国から米を略奪した。そのため、農民は多くの米を生産しながらも飢えるようになった。
---------------
まず第一に戦争中の食糧難の折り、内地におけると同様、強権をもって朝鮮の農民から米を供出させた事実はある
そうです。
また、日帝36年の統治時代において人口が倍増した割には食料生産が追いついておらず、一人あたりの摂取量は減少しているというデータもあります。ただこれは餓死者が出る(李氏朝鮮時代の農民はもっと悲惨な暮らしをしています。今の北朝鮮のようなレベルです)ようなレベルではありません。しかしその結果、日本国内では朝鮮からの米の流入により米価が4割も下がり、農民の生活レベルが落ちたというデータがあります。

日本政府の将来を見据えない食糧増産計画、移出入の無管理ぶりなど、これらは日本の失策と言えることでしょうが、このシステムを略奪というのはやはり疑問です。

他にも色々な意見があるようですので、独自に調べてみるといいかもです。キーワードは「飢餓輸出」です。

参考URL:http://www.google.co.jp/search?q=%8BQ%89%EC%97A% …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 重ねてのご回答、たいへんありがとうございました。

お礼日時:2002/04/08 19:17

私は教科書ではありませんが、学者が書いた本でこの記述とグラフを見たことがあります。

1910年に日本と併合してから農業の生産量は飛躍的に増大しています。そのうち日本にも輸出するまでになりました。安い朝鮮の米が大量に本土に入ってくるので、本土の農家は困ったようです。今でいう貿易摩擦みたいなものですね。「奪った」というのは韓国の政治的姿勢の現れであり、実際には本土に送って売っていたというものです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答頂きまして、たいへんありがとうございました。

お礼日時:2002/04/08 19:14

 韓国(朝鮮)では、気候的に日本より、北であったので、南部の一部分をのぞいて米は作られていませんでした。

主食はあわ、麦、とうもろこし、コーリャンが主なものでした。日本で品種改良が進み、寒さに強い品種が出来たので、北部でも栽培される様になりました。米は日本内地に他の作物より高く売れたため、盛んに移出されました。金持ちでない農家にとって見れば、米を売って、今までどおりの安いあわやコウリャンで生活した方が楽だったわけです。単に、米の日本内地への移出入の量を図示して、反日教育の手段に使っているのに過ぎません。同じ「大日本帝国臣民」ですので「略奪」などすれば犯罪です。
 たとえば、青森県の農家の人が農閑期、東京に出稼ぎにいったり、沖縄県の若者が地元に給与の高い勤務先がないので、内地に就職するのをやむをえずするから「強制連行」というようなものです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答頂きまして、たいへんありがとうございました。

お礼日時:2002/04/08 19:17

歴史事実は一つですけれども、歴史観は多様です。



例えばよく言われる日本統治時代の善政の一つとして、教育の普及というものがありますが、日本人が朝鮮で教育を普及させたことを認めたとしても、その教有の
目的は「愚民教育」にあると主張する人も少なくありません。

具体的に米の略奪云々の話は今調べているところですので詳細は不明ですが、一種の買占めということらしいです。これは日本の方が購買力が高いので、韓国の地主は日本に米を売って大もうけ、しかし地元では食料価格が上昇し、小作など低層農民は困窮したという現象です。これに時の政府がどのように関わっていたかは不明です。

ただ、これは現代でも起きていることで、例えば、エビやらマグロやら世界の水揚げ量の数十%を日本が買占めている食品がありますが、結果、地元ではそういうモノは食べられなくなっています。
後世になれば日本人は、金にあかせて世界中の食料を買い占め、地元の食料事情を悪化させたなどと評されるかもしれません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答頂きまして、たいへんありがとうございました。

お礼日時:2002/04/08 19:18

植民地統治時代であれば当然ありえる話でしょう(-_-;)


「米の略奪」なんて生やさしいものだけではなく「強姦」「虐殺」なんて事も当たり前にあった事でしょう

日本では先人が行った悪行を認めたくないと言う気持ちからか日本が韓国(朝鮮)を植民地にしていた事は教科書には載っていますが如何なる事をしたかは一切記載されてないはずです。

しかし逆の立場の韓国では当時の日本の悪行を事細かく教育し、または博物館(日本で言う原爆ドームの様な物)までありす。

やはり上記の様な事柄から韓国人が日本・日本人に良くない感情を持つのも納得出来ると個人的には思います。

但し、歴史的に言うと強い国が弱い国を支配し植民地や奴隷にする事はよく有る事で「一人殺したら殺人であるが千人殺したら英雄だ」と言われた時代なので仕方が無い事かも・・・
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答頂きまして、たいへんありがとうございました。

お礼日時:2002/04/08 19:19

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q戦争や植民地統治下での略奪品の返還義務は?

随分前のニュースですが、大航海時代に大英帝国が様々な文化遺産をエジプトから持ち帰ったのに対し、エジプト政府が公式に返還を求めたことがありました。そのときにはイギリス政府はにべもなく断ったそうです。
これで思ったのですが、戦争や植民地化で本国に持ち帰られた文化遺産などは、戦争が終結したり植民地支配が終わったりした段階で、元あった国に返却しなければならない、というような国際法はあるのでしょうか。
身近な例ですが、第2次大戦後進駐した米軍が日本の文化財を大量に持ち帰ったそうですが、後に日本の政府がそれらの返却を米国政府に要求したという話は聞いたことがありません。
同様に、大戦中中国に進駐した日本軍も件の駐留米軍と同じことをしたようですが、中国から返還要求があったという話も聞いたことがありません。
実際には上述のような国際法があり、要求もしているが当事国が応じない、というだけなのでしょうか。
それとも、戦争や植民地統治下で略奪したものは「略奪した者勝ち」というのが国際間の暗黙のルールででもあるのでしょうか。

Aベストアンサー

お尋ねのようなことは、現代社会では
「講和条約等の締結をもって最終解決します」
というのが答です。

例えば、

「身近な例ですが、第2次大戦後進駐した米軍が日本の文化財を大量に持ち帰ったそうですが、後に日本の政府がそれらの返却を米国政府に要求したという話は聞いたことがありません」

日本国との平和条約(通称 サンフランシスコ平和条約)
http://www.geocities.jp/nakanolib/joyaku/js27-5.htm
「第十九条(a) 日本国は、戦争から生じ、または戦争状態が存在したためにとられた行動から生じた連合国及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権を放棄し、且つ、この条約の効力発生の前に日本国領域におけるいずれかの連合国の軍隊又は当局の存在、職務遂行又は行動から生じたすべての請求権を放棄する」

という形で敗戦国である日本国が戦勝国であるアメリカなどへの請求権を放棄しています。

日本が他の国と結んだ講和条約等(日華平和条約、日ソ共同宣言など)にも上記と同じような文言が入っていますので条文を読んで下さい。
条文はネット上で容易に読めます。但し、外交文書は非常に回りくどい言い方をしますので文意を掴むのが用意でない場合がありますが。

お尋ねのようなことは、現代社会では
「講和条約等の締結をもって最終解決します」
というのが答です。

例えば、

「身近な例ですが、第2次大戦後進駐した米軍が日本の文化財を大量に持ち帰ったそうですが、後に日本の政府がそれらの返却を米国政府に要求したという話は聞いたことがありません」

日本国との平和条約(通称 サンフランシスコ平和条約)
http://www.geocities.jp/nakanolib/joyaku/js27-5.htm
「第十九条(a) 日本国は、戦争から生じ、または戦争状態が存在したためにとられた行動から生...続きを読む

Q日本と西欧列強の植民地統治の違いについて

第2次世界大戦前の西欧列強の植民地統治についてお尋ねいたします。日本の朝鮮・台湾の統治と比較した場合の特徴的な違いなどありますか?

Aベストアンサー

植民地化には、3つの方式があります。
1つは、本当の殖民地
本国人を入植させ本国に統合、または本国と同一の文化を持った地区を作ってゆく方法
代表的なのは、ロシアのシベリアへの殖民、イギリスのアメリカへの殖民、スペインによるラテンアメリカへの殖民、ドイツ東方殖民などです。
植民地の人口が少ない場合によく行われます。
日本では、満州への殖民、台湾がこれに近い状況にあります。

2つ目は、本格的殖民は行わず、経済的支配のみを目的に行われた植民地
植民地をあくまで本国の利益を得るだけの存在として認識し、本国で必要とされる物資の供給と本国生産物資の市場としての機能のみを追及した植民地です。
特に植民地の文化が著しく本国とかけ離れており本国への統合が不可能の場合に行われます。
欧米のアフリカの植民地や東南アジアの植民地がこれにあたります。
ほとんどの場合、植民地が独立しても植民地化されている間に経済状態が本国依存の状態にされてしまっているため、本国依存からなかなか抜け出せません。

3つ目は、一定の文化を持った国や地域を占領という形で支配した植民地です。
この場合、ほとんどが軍事的支配を必要とします。
この手の植民地は、現在では無くなっています。
独立後は、旧本国と敵対関係になっている場合が多くなっています。
ロシアのカフカス地区・中央アジア地区、イギリスのインド、フランスの北アフリカ地区、アメリカのキューバ、中国のウイグル・チベット地区、日本の朝鮮・韓国などがこれにあたります。
最近のラテンアメリカの反米化もこれに近いものがあります。

日本では、2つ目のタイプの植民地を持ちませんでした。
また1つ目のタイプの満州は、3つ目のタイプを兼ねているもので、スペインのマヤ、インカ地区への殖民化と似た関係にあります。
いずれにしましても、日本の植民地化していた期間が、欧米に比べ短期間であった事が、特徴的な違いになっています。

植民地化には、3つの方式があります。
1つは、本当の殖民地
本国人を入植させ本国に統合、または本国と同一の文化を持った地区を作ってゆく方法
代表的なのは、ロシアのシベリアへの殖民、イギリスのアメリカへの殖民、スペインによるラテンアメリカへの殖民、ドイツ東方殖民などです。
植民地の人口が少ない場合によく行われます。
日本では、満州への殖民、台湾がこれに近い状況にあります。

2つ目は、本格的殖民は行わず、経済的支配のみを目的に行われた植民地
植民地をあくまで本国の利益を得る...続きを読む

Q第二次大戦中、日本統治下のインドネシアで民間人の死者が300~400万人って、どうしてそんなことに?

日本語ウィキペディアによると、第二次大戦中の日本の民間人の死者は50~100万人です。 ものすごい数とは思いますが、じゅうたん爆撃や原爆で理解可能です。 しかし、インドネシアの300~400万人という数字はみな民間人で(軍人の欄は死者なしです)ちょっと訳が分かりません。 日本軍がインドネシア人をじゅうたん爆撃したはずはないし。

Aベストアンサー

まず、インドネシアの犠牲者が400万人という説の元記事があれば
提示していただけれれば幸いです。
おそらく、インド350万人、ベトナム200万人、ビルマ15万人、
中国は1000万人、ニュージーランドやシンガポールなども
それなりの数字かもしれません。
そうそうたる数字が並んでいるなら、注意が必要です。



・インドネシア

インドネシアの場合、開戦初頭に戦闘はありましたが、
ほとんど戦死者は無く、その後は連合軍の戦略で取り残され、
終戦まで大きな戦闘はありませんでした。
では、この数字はどこから来たかというと戦時徴用による
労務者の数字が大部分と思われます。

少し古いのですが、インドネシアの教科書から引用します。

「全訳 世界の歴史教科書シリーズ32 インドネシア/その人々の歴史」
(帝国書院 1983年 原本は1977年)P134-135
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3...

 数百万《一説に30万》人のわが青年が捕らえられて,タイ・ビルマ
 といった外国で労務者(苦力)としてこき使われた。わが青年の
 大部分《一説に23万人》は再び祖国を見ることがなかった
 《後日,これらの人的被害は賠償請求の算定基準となる》。
 日本は残忍でその行動は横暴であったけれども,占領時代は
 われわれにとって利点もあった。

(以前の私の回答から一部抜粋しています。興味があれば回答履歴から
「大東亜戦争における東南アジアの人への対応」を参照してください)

この中にある労務者として使役されたのが一説で400万人です。
戦時中は過酷な使役でそれなりの犠牲者が出ましたが、
当たり前ですが使役された労務者が全員死亡した訳ではありません。
ところが、以前に日本の戦争犯罪を追及する方々が最大数として
提示して、それが流布されたものです。
ちなみに、戦後の賠償交渉で日本が主張した動員数は14~16万人で、
犠牲者数になるとさらに少なくなります。
実数の研究は未見ですので不明ですが、400万人説は誤りです。



本来の回答はここまでなのですが、参考意見も追記しておきます。

・ベトナム

ベトナムは開戦前に、宗主国であるフランスがドイツに降伏して
その関係で日本が無血で進駐したので本格的な戦闘すらありません。
200万人は餓死者で、ベトナムの独立宣言で主張されたものですが、
その根拠は不明で、一節には当時の人口(700万人)に最大の
被害を出した村の餓死した割合をあてはめたもの。
これも、賠償交渉時の数は20~30万人です。
実際に独立宣言で引用された時期は「昨年(1944年)末から
今年(1945年)はじめ」なので、この期間はフランス植民地政府が
統治していました。飢饉も政策も日本は関与していません。



・インド

有名なベンガル飢饉で350万人が餓死したとされていますが、
日本はインドまで到達すらしていません。



・ニュージーランド

最近のものには記載がなくなりましたが、
約1.2万人の戦死者が出ました。
ただし、これは第二次大戦を通じての数字で、
その大部分は欧州・中東戦線での数字です。



・フィリピン

現在は100万人が定説となっていますが、その根拠は不明です。
東京裁判の公式統計は軍人27258人、民間人91184人ですが、
いつのまにか10倍になりました。
公式統計は少なすぎると思いますが、日本より少ない人口で
日本の惨状と同等規模の大きな被害がまかり通っています。
フィリピンは、戦前は当時として希少なアメリカの海外領で、
開戦時に住民を巻き込んで抵抗し、多くの犠牲者をだしました。
その後もフィリピン奪還に傾注したので、大量の砲爆撃をしました。
市民の犠牲者の多くはその犠牲者とされているので、
日本軍だけの責任にするのはいかがなものでしょうか。



・中国

東京裁判で出された何応欽報告では軍人の死者が132万人、
1978年9月9日、台湾が終戦33周年式典で述べられたのが
「民間人の死者578万人」でした
 「1950年代までは六百数十万人、1991年に2100万人、
  1995年に3500万人、こういうふうに増えてきている」
(季刊戦争責任研究 9号(孫引きです))
というように、どんどん増えています。
まともな根拠は見ませんので、個人的にはあり得ない数字です。


日本が悪い事をしていないという説ではありません。
日本の戦争責任を追及するのに、根拠の無いものを
日本が悪いからと言ってすべて受け入れる必要はありません。

まず、インドネシアの犠牲者が400万人という説の元記事があれば
提示していただけれれば幸いです。
おそらく、インド350万人、ベトナム200万人、ビルマ15万人、
中国は1000万人、ニュージーランドやシンガポールなども
それなりの数字かもしれません。
そうそうたる数字が並んでいるなら、注意が必要です。



・インドネシア

インドネシアの場合、開戦初頭に戦闘はありましたが、
ほとんど戦死者は無く、その後は連合軍の戦略で取り残され、
終戦まで大きな戦闘はありませんでした。
では、この数字はどこから来...続きを読む

Qローマ帝国元老院統治と他国の国王統治の違いは何ですか?

ローマ帝国元老院統治と他国の国王統治の違いは何ですか?

Aベストアンサー

#2です。おれいありがとうございます。

すいません。「ローマ帝国」元老院統治でしたね。。
間違って共和政時代の元老院の統治形式を書いてしまいました。以下が「帝国時代」つまり皇帝制になってからの違いです。

まず皇帝と国王の統治の違いですが、一人の人が決済するという点においてはまったく同じです。

違うのは「その権限の依拠する正当性」と「決済に至るシステム」です。

正当性について
国王でも公君でもいいのですが、君主というものは「その人またはその先祖が権力や武力で国を統治し、それを世襲または世襲に準じた方法で統治権を移譲した人」ということになります。
つまり、誰かが「おれが王様になってこの国を治めるぜ」と言いだし、そのリーダーシップにみんなが協力すれば君主国の誕生、ということになります。

決済に至るシステム
君主は国のオーナーですので、すべてを決める権限を有します。もちろん、ある程度は学者や貴族、または大臣などと相談はしたわけですが、最終決定をするのは君主であり、その決定は君主の考え方によったわけです。ようするに独裁であるわけで、君主が裁断した以上その通りに実行される、ということになります。君主=法だったわけです。


ローマの元老院は以下のように違いがあります。

皇帝の正当性について
ローマ皇帝は以下の権限を同時に有している個人ということになります。
・執政官権限 2人いる執政官のうち、必ずその一人として選出される(後述あり)
・独裁官権限 共和時代、非常大権(ほぼ戒厳令に匹敵)で任期が短かった特例権限である独裁官に終身で就任、独裁官は同時に軍事統制権を掌握するので、この軍事指揮者のエンぺラトールがエンペラーの語源になった。
・護民官特権 護民官には拒否権があり、これに終身で選出された(後述あり)
・最高司祭  ローマは司祭も民主的な選挙で選ばれた、この役職は選出されると終身

本来は別々な人がそれぞれ就く役職であり、特に独裁官は非常時にしか設定されない特殊な役職だったのですが、独裁官しか軍事統制権を持てる唯一の役職だったので国王と同等の機能をもつためには絶対に必要なものであったといえます。

執政官は元老院において議題の方向性をリードする実質的なリーダーでした。総理大臣に近いものがあるのですが、2人制だったため、その一人に選出されるものとしていました。しかし、元老院の多数の中には「これは独裁である」と不満をもつ(というより皇帝の独裁制に気がつく)人もいて、その場合は執政官にならない時期もあったとされています。しかし、それでは議題をリードできないのでプリンケプス・セナートゥース(Prīnceps Senātūs 、元老院の第一人者の意」という元老院の名誉職にも就任しており、元老院での討議で最初に発言し最後に締める役割を得て、元老院を掌握した。ただしこれは権限ではなく名誉称号であったが、元老院またはローマ市民の多くは「皇帝とはプリンケプスのようなもの」という認識であり、実質的な君主であることにほとんどだれも気がつかなかった。

皇帝制をデザインしたのはユリウス・カエサルでありましたが、カエサルは自分の100年前のグラックス兄弟が「王を指向した」という濡れ衣で当時の元老院から排除(実質的には暗殺)された事実から、ローマ人は独裁的個人を伝統的に嫌う、ということを見抜いており、皇帝が実際には君主と同等な権限がある、ということを巧妙に隠しつつ、手続きとしては民主的な手続きで皇帝が選ばれるように枠組みを作りました。
 カエサルは途中で暗殺されますが、その後を継いだ初代皇帝アウグストスはカエサルの理想を良く理解しており、強固な皇帝制を作りだすことに成功します。

皇帝は「共和政の手続きの中で独裁を実行する方法」というのが本来の趣旨であり、そこが国王などの君主と全く違うところです。16世紀のフランスでナポレオンが皇帝を称したのは、すでに王政が廃止されていたからで、王政じゃないのに独裁をする、ために皇帝を名乗ったわけです。

さて、ローマ時代、皇帝としての機能を有するためには様々な役職を民主的な手続きで備える必要がありました。また、それを備えた後、引きずり降ろされないようにもしないと行けませんでした。なぜなら君主がもつ「君主としての正当性」がなかったからです。

そのために利用されたのが、終身特権である最高司祭、これで権威を身に着けることができ、さらに護民官特権により「法からの保護」を得ることができました。護民官は今の現役議員などと同様の不逮捕特権を持っていたからです。さらに護民官は元老院の決定に対抗できる「VETO」つまり拒否権をもっていたため、常に元老院よりも強い立場を維持しました。実はこの護民官は終身ではないのですが、アウグストスが元老院と取引して執政官を毎年はしない代わりに、護民官の特権(VETOと不逮捕特権)を終身で得られるようにしたのです。

これらを組み合わせることで、事実上国王と同様の独裁的な国家運営ができるようになったのが皇帝:インペラトールです。

#2です。おれいありがとうございます。

すいません。「ローマ帝国」元老院統治でしたね。。
間違って共和政時代の元老院の統治形式を書いてしまいました。以下が「帝国時代」つまり皇帝制になってからの違いです。

まず皇帝と国王の統治の違いですが、一人の人が決済するという点においてはまったく同じです。

違うのは「その権限の依拠する正当性」と「決済に至るシステム」です。

正当性について
国王でも公君でもいいのですが、君主というものは「その人またはその先祖が権力や武力で国を統治し、それを...続きを読む

Q【政治と宗教】エジプト文明が滅びたのは統治者が神の力を借りたから。民衆は神を讃え、統治者より神が

【政治と宗教】エジプト文明が滅びたのは統治者が神の力を借りたから。

民衆は神を讃え、統治者より神が偉くなり、統治者が神を制御出来なくなり、神を頂点とする世界に統治者は不要となった。

エジプト文明が滅びたのは神の力に頼ったから滅びたのですが、なぜこの世は過去に世界統一に失敗した神の力を未だに頼っているのでしょう。

エジプト文明は国民が統治者より神が偉いと思ったから国を統治者が統制出来なくなり滅びた。

違いますか?

Aベストアンサー

統治者が、神の名を借りて統治していたようですよ。
アレクサンダー大王の時に、王の家系がギリシャ出身者になっても、太陽神の名を借りて統治し続けていました。
結局ローマの覇権争いを利用しようとしたクレオパトラが自滅を招いたということらしいです。
神は信じる人の心にあります。
鰯の頭も信心から(いわしのあたまもしんじんから)
亡くなった祖母は何にでも手を合わせていました。口癖は「守ってくれよる」でした。今も、祖母が守ってくれていると感じる私もきっと有神論者に入るのでしょうね。


人気Q&Aランキング

おすすめ情報