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大名家と同じ名前だけど大名家とは関係ない上杉さん、武田さん、前田さんなどは沢山いらっしゃいますが、家康から続く徳川家とは何の関係も無い「徳川さん」っていらっしゃるのでしょうか?
また、豊臣家は滅亡したのでいらっしゃらないと思いますが、織田さんはいらっしゃるのでしょうか?
いらっしゃらないのであれば、理由は何でしょう? 庶民にまで氏名が与えられたのは明治に入ってからですよね? 「時の最大権力者に遠慮した」というわけではないと思うのですが。
徳川さん、織田さん、いらっしゃるようでしたら、申し訳ございません。

A 回答 (12件中1~10件)

まず根本を勘違いされています。


本百姓・名主・郷士(本百姓)・商家など武家以外も苗字を持っていますし刀も下げています。
家康流徳川家以外も存在しています。無論、織田も同様です。
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この回答へのお礼

大地主など裕福な家は苗字を持っていたようですね。
江戸時代にも将軍家以外の徳川家、織田家が存在していたとは、ちょっと驚きです。
回答して頂きありがとうございました。

お礼日時:2006/10/18 20:51

徳川という苗字は、家康が創始した物で、家康個人の姓です。


その為、永禄9年(1566年)当初は家康の親戚・子供でも徳川を名乗るものは、本人以外は嫡子の秀忠のみ、偶然の一致を除けば日本では徳川を名乗る人間は家康(と秀忠)のみとなります。
先祖と称するのも「得川」ですから、後にも先にも家康以前に徳川はいません。
従って、明治以降に姓を作ったか家系以外は、徳川氏は全て家康の関係者といえるのではないでしょうか。
織田さんは、越前織田庄からとった苗字ですから、ここに所縁の方なら信長と無関係の織田さんがいてもおかしくないし、上杉は上杉庄(京都府綾部市)、武田は山梨県韮崎市の武田八幡神社、前田もありふれた名前なのでありそう。
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この回答へのお礼

その「偶然の一致」による徳川さん、「明治以降に姓を作った家系」の徳川さんはいらっしゃるかどうかはご存知ないでしょうか?
織田、上杉などのように地名から取った名前の場合は、「織田家」が将来大名になるかどうかは分からないのですから「織田」「上杉」という家系が複数あっても不思議じゃありませんね。
「前田」は・・・確かにありふれてるので明治以降に作った姓の家系の方も多いと思います。
回答して頂きありがとうございました。

お礼日時:2006/10/18 21:19

某業界に徳川さんがいますが、その方はれっきとした徳川家の末裔です。


NHKの松平定知アナウンサーは桑名藩松平定勝の末裔。
http://www.nhk.or.jp/a-room/ana500/ana/00074.html

徳川家と直接関係のない得川さんや徳河さんはいますが、上野国新田郡得川郷(群馬県太田市徳川町)に縁のある人なら、遠く新田義重つながりという可能性もあります。

それ以外で、徳川姓の人がいるという話を何かで読んだことがありますが、具体的なことは忘れました。たしか、わざわざ徳川家の関係者に連絡して申し訳ないと伝えたとか何とかの話だったような気がします。

織田信長の末裔としては、最近ではフィギュアスケートの織田信成選手(大阪府出身)が有名ですね。
昔のオリンピック三段跳びの金メダリスト織田幹雄選手(広島県出身)は、戦国大名織田家とは無関係なはず。

番外ですが、青森県に羽柴秀吉を名乗る人がいます。東京都知事選挙や大阪府知事選挙、国政選挙などにも立候補して全国的に有名になりました。この人は豊臣家とは無関係です。
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この回答へのお礼

徳川(将軍)家に関係ない徳川さんって存在するのですか!
織田信成選手はテレビで知っておりますが、織田幹雄選手は知りませんでした。やはり戦国大名の織田家とは関係の無い織田家も存在するのですね。
青森の羽柴秀吉さん・・・テレビで見たことあります。この人は勝手に名乗ってるだけで本名ではないですよね? 

回答して頂きありがとうございました。

お礼日時:2006/10/18 21:24

徳川は家康のオリジナルである、というのは先の回答の通りです。



織田家は越前国織田庄(現在の福井県越前町織田)の織田剣神社の神官の家であるとされています。
室町時代に入り、幕府の管領家で越前守護兼尾張守護斯波氏に仕え、斯波氏の所領の一つ尾張へ移り住んだのが、織田信長の先祖です。
現存する織田さんのご先祖は、その多くが織田信長の家系も含めて越前海岸に結びつくと思われます。

ちなみにNo.1の方もおっしゃってますが、庶民に氏名が与えられた、というのは間違いです。
姓はそもそも出自、現住所、職業、身分などを表したもので、戦国時代まではみんな姓を持っていました。
江戸時代に幕府は身分制を確立するために、武士以外にこれを名乗ることを許さなかっただけで、みんな「隠し姓」という形で姓を隠し持っていました。
 
 
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この回答へのお礼

つまり織田家に関しては、越前織田庄では複数の家系が存在している事は十分考えられ、よって信長の織田家とは関係ない織田さんがいらっしゃっても何の不思議もないという事ですね?

>戦国時代まではみんな姓を持っていました。
完全に間違って認識しておりました。てっきり日本建国から江戸時代までずっと庶民は「田吾作」とか「権兵衛」といった名前だけで、姓が付くのは特別な人だけと考えておりました。
戦国以前、室町、平安時代に偶然「徳川」や「織田」という隠し姓を持っていた可能性があるとは、初めて知りました。

ほんと知らないことばかり、教えて頂きありがとうございました。

お礼日時:2006/10/18 21:41

 No.3さんのおっしゃる某業界とは、金融関係じゃないかな。

その方であれば私も知ってます。たしか水戸ですね。あの会社には大田道灌の末裔もいました。
 徳川と名乗られている方は本当に少ないです。No.2さんがおっしゃるとおりですね。徳川氏の出自が本当に源氏かどうか怪しいと歴史家の方がいわれていますが、徳川家はとにかく祖先にあたると思われる新田源氏の末裔を大事に保護していたことは事実のようです。
 No.3さんの>わざわざ徳川家の関係者に連絡して申し訳ないと伝えたとか・・・という人は「徳川夢声」じゃないかと思います。活弁士上がりの声優というか、いまでいう大物タレントですね。徳川というのは芸名です。この人が地方の旅館へ泊まったとき、旅館の関係者が徳川様ということで、へへーっと地面にはいつくばって出迎えたことがあるといってました。本物の徳川さんに謝ったということであれば、夢声であるような気がします。本物の徳川さんは、笑って「どうぞどうぞ」と答えたんでしょうな。
 維新後庶民も苗字をつけることになりましたが、江戸時代でも庶民は結構「隠れ苗字」を持っていました。今はこんなに落ちぶれているけど、先祖は○○という侍だったという言い伝えを持っていた庶民は、維新後その隠れ苗字を表に出しました。また在所の地名を名乗ったり、遠い縁を頼ってその人の苗字を貰ったり、また全くの思いつきで苗字を作った人もいるでしょう。
 しかし豊臣とか徳川を新たに名乗る人はほとんどいなかったようですね。仮に、はねっかえりのバカが徳川にすると役所に届け出たとしても、明治初期の役人は受け付けなかったんではないでしょうか。
 豊臣というのは秀吉が朝廷から貰った新たな姓、そして完全に滅亡、徳川氏も家康が創り御三家、御三卿しか名乗れなかったということで、今の日本にはこの姓の人はほとんどいないということになります。
 上杉、武田、前田、織田さんはいっぱいいます。
 うちは前田だが加賀百万石のお殿様とは全く関係がないと思っている人でも、隠れ苗字の関係でつながりがあるかも知れません。お殿様の御子孫の前田さんのDNAと、庶民の前田さんのDNAを調べ、ルーツをたどれば、前田利家の200年前の先祖でルーツが一緒だったといことがあるかも。
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この回答へのお礼

>しかし豊臣とか徳川を新たに名乗る人はほとんどいなかったようですね。
豊臣については滅亡したのだから「お家の繁栄・存続」を考えると、名付けるには抵抗があるのでは?と思います。
徳川は・・・確かにお役人が拒否したかもしれませんね。

>うちは前田だが・・(以下、略)
確かに明治以前から隠れ苗字として「前田」を名乗っている人であれば、利家以降の前田家とは関係なくても前田利家の更に遡った先祖とは繋がっている可能性は考えられますね。しかしそこまで遡ろうとしても難しいし、そこまで行くと・・・って話しですね。

お礼日時:2006/10/18 22:04

タレント僧の織田無道さんは織田総本家とは無縁だそうです。


スケートの織田信成さんという正真正銘の織田信長直系が有名になったので
織田無道さんは信長の末裔というギャグを使えなくなってしまいましたね。
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この回答へのお礼

最近見かけないのですっかり忘れてましたが、織田無道さんって信長とは無縁だったのですか?
という事は、やはり「信長とは無関係の織田家」の人はいるって事ですね。
回答して頂きありがとうございました。

お礼日時:2006/10/18 22:10

 東北で寺の住職をしております。



 先日、檀家さんの法事で徳川さんという方に会いました。亡くなったおばあさんの娘さんのご主人だそうです。
 「徳川将軍家と何か関係あるのですか?」と伺いましたが、違うとのことです。「よく同じような質問をされます。」と苦笑いしていました。現在東京にお住まいですが、実家は富山県とのことでした。具体的な出身地も聞きましたが、忘れました。(すみません。)郷や字の地名が徳川ではないそうです。名字の由来についても、良く分からないとのことでした。明治以前からの名字なのか明治以降の名字なのかはっきりしませんが、将軍家の徳川さんとは別の「徳川さん」はおられます。富山県の方で詳しい方の回答があれば良いのですが。
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この回答へのお礼

やはり、将軍家とは関係ない「徳川さん」もいらっしゃるのですね。
是非とも由来を知りたいとこですが、当人もご存知ないのであれば仕方ありません。
>「よく同じような質問をされます。」と苦笑いしていました。
たぶん、当人にとっては歓迎しない質問なのでしょうけど、どうしても訊きたい質問ですよね。

回答して頂きありがとうございました。

お礼日時:2006/10/18 22:17

まず申し上げておくと,「豊臣」というのは,「源」「平」「藤原」などと同じように「氏(うじ)」であって,「徳川」「織田」などの「名字」とは性質の異なるものです。

ですから,「豊臣秀吉」は厳密には「とよとみ‐の‐ひでよし」と読むべきです。ちなみに秀吉の「名字」は,「豊臣」という「氏」を賜った後も「羽柴」ですね。

……閑話休題。

徳川将軍家の流れを引かない徳川氏もいらっしゃるにはいらっしゃります。たしか佐賀県だったと思います。

織田さんは……。スケートやってますよね。イケメンが(笑)

最後に,「庶民に名字が与えられたのは明治以降」というのは違うと思います。公に出したりはしないものの,私的な名字は持っていたようです。

追伸:家康公の本来的な名前は「徳川(名字)次郎三郎(字<あざな>)源(氏)朝臣(姓)家康(諱<いみな>)」です。関係ありませんけど(笑)
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この回答へのお礼

>「氏(うじ)」と「苗字」は性質の異なるもの
言われてみるとそんな話を聞いた事あるような・・・と思い、ウィキペディアで早速調べてみました。
「氏」は天皇から賜るもの、「苗字」は勝手に名乗るもの。
今は「氏=苗字」という扱いのようですね。

佐賀県にも徳川さんがいらっしゃるのですか!

>最後に,「庶民に名字が与えられたのは明治以降」というのは違うと思います。
はい、#1さん、#4さんにも指摘されましたが、私が完全に勘違いしていました。明治以前も苗字は持っていたんですね。

回答して頂きありがとうございました。

お礼日時:2006/10/18 22:34

No.5です。


 お礼の>しかしそこまで遡ろうとしても難しいし、そこまで行くと・・・って話しですね。

 これについては、遺伝子の研究が進んできた現在、そう難しい話ではないと思うんです。
 人体の細胞の中に存在しているミトコンドリアを分析することにより、現在の人類の共通の祖先が○○万年前(数字を忘れました)の一人の女性に突き当たるという有名な研究結果があります。その女性はイブ(ミトコンドリア・イブ)と名付けられました。場所はアフリカらしいです。この研究は決して荒唐無稽なものではありません。
 いずれこの手法が簡便化され、一般人がやれるようになると、庶民の前田さんが殿様の前田さんと室町時代に兄弟であったり、源氏と称している徳川氏の言い分が真っ赤なウソでであったり、また質問者さんが古墳時代で天皇家に結びついたり!!ということが起こるかもしれません。しかし、これをやるとミモフタモなくなって、よくないかもね(笑)。
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この回答へのお礼

再度の回答有難うございます。
「ミトコンドリア・イヴ」という言葉は初耳だったので、いくつかのホームページを見て回りました。
「日本人の95%は9人のイヴの娘の子孫」とありますので、大半の人はお互いどこかで繋がっていると言えますね。
http://www.geocities.jp/hakodatereports/mitoibu. …
何処で誰と繋がっているのか、知りたいような、知りたくないような・・・。

お礼日時:2006/10/19 21:07

徳川宗家(将軍家の家系)の現在の当主に


18代目の徳川恒孝(つねなり)さんが居ます。
http://www.nikkei.co.jp/weekend/news/20030320s16 …
彼のエピソードについては次のページが詳しいです。
http://www.uraken.net/rekishi/reki-tokugawa17.html

徳川という名字は、群馬県の太田市にある徳川町の
地名に由来します(昔は得川と呼ばれていた)。
家康の先祖が新田義貞の親族に当たるためだから
でした。
そのため、家康以外にもその土地の出身の侍が徳川
姓を名乗っていた事もあったようですが、
徳川幕府成立後は畏れ多いという事で、「得川」
「禿川」と読みを変えずに漢字だけ変えてそのまま
の定着してしまった子孫も居ますよ。
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この回答へのお礼

現当主は普通のサラリーマンをされてたとは意外です。こういう人達は華族として天皇に関わるような仕事をされてると思ってました。(これも、また自分の勝手な勘違い?)

恒孝さんの名前に「家」が付いてないなあと思ったら、養子なんですね。しかも松平容保の子孫とは・・・。何か歴史の因縁というか不思議さを感じます。
徳川家当主と前田家当主の上司・・・う~ん、自分だったらご満悦というより気後れしてしまいそうです。

徳川町というのがあるならば名前を変えていない「徳川さん」がいらっしゃっても不思議じゃないですね。

回答して頂きありがとうございました。

お礼日時:2006/10/19 21:42

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