藤田東湖の回天詩死 藤田の詩における死の概念についてお教えくだ

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A 回答 (1件)

「回天詩史」です。

藤田東湖の死生観というよりも藩政の歴史等が記された、自叙伝的詩になっています。下のURLに全文が載ってますので、確認なさってみたらいかがでしょうか。

参考URL:http://www.konan-wu.ac.jp/~kikuchi/jpn/toko/kait …
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Q茨城県の歴史上重要人物、または重要出来事について

茨城県の歴史上、重要な人物と出来事を教えてください。
藤田東湖、水戸光圀‥など。

Aベストアンサー

茨城県ですか…一度しか行ったことがないなあ。思いつくのは水戸泉。

 それはともかく、茨城県のことを研究しようとする場合、貴重な史料があります。茨城県の大部分を占める常陸国には『常陸国風土記』が残っています。5つしか残っていない風土記の一つです。岩波書店『日本古典文学大系』に入っていますから、あなたが本気で研究する気なら、是非購入し、お読みください。

 因みに、薀蓄を一つ。「ヒタチ」は「ヒタシモ」の略だとする説があります。というのは「日高見」(ヒタカミ)と名称が史料に残っているからです。「ヒタ上」・「ヒタ下」というわけです。

 あなたがどの時代のことを中心に研究しようとしているのかがよく分かりませんが、古代史では、私が記すように『風土記』がまず出発点になります。その他は既に回答がありますが、平安時代では平将門の乱(歴史物語『将門記』があります。フィクションの部分もあるかとおもいますが)。中世では古河公方。近世では水戸藩。幕末では水戸学と尊王攘夷運動が中心になるでしょう。幕末の水戸学では、藤田一族の研究が一つのテーマになるでしょうね(藤田幽谷・東湖・小四郎の三代)。

茨城県ですか…一度しか行ったことがないなあ。思いつくのは水戸泉。

 それはともかく、茨城県のことを研究しようとする場合、貴重な史料があります。茨城県の大部分を占める常陸国には『常陸国風土記』が残っています。5つしか残っていない風土記の一つです。岩波書店『日本古典文学大系』に入っていますから、あなたが本気で研究する気なら、是非購入し、お読みください。

 因みに、薀蓄を一つ。「ヒタチ」は「ヒタシモ」の略だとする説があります。というのは「日高見」(ヒタカミ)と名称が史料に残っ...続きを読む

Q最近 死などが怖くて 死んだら別の宇宙に行って 何かに生まれ変わって それが続いていくんだと 思って

最近 死などが怖くて 死んだら別の宇宙に行って 何かに生まれ変わって それが続いていくんだと 思って気持ちを落ち着かせているのですが やっぱり都合のいい考え方でしょうか?

Aベストアンサー

本当にすばらしい疑問だと思います
現在 この最大の疑問を考える人が少ないのです
 学校の先生に聞いたら「そんな事考えるのやめなさい」
なんていわれそうです
この大問題を避けているのです
いや 答えられないのです
だから エセ宗教にだまされるのです
 
死は必ず訪れる自分の大問題でもあるのです
関係の無い人等いません 例外なく 必ず訪れるのです
 いかに財産を残そうが どんなに名声を高めようが 
どれ程多くの知識も体験も 死を目前にした時 
何の意味も無くなるのです 
 すべてを捨てて この世の舞台から去るのです

ビクリルユゴーは
(人間は 生まれながらにして 
すでに死刑の宣告を受けた存在なのである)
と言っています
ハイデッガー(実存主義者)
(人間は死への存在である) 等など

 この最も大事な問題を抜きにして 
この世の幸せなどあるはずがありません
演繹的に申し上げます
「生きると死ぬ」→「求める」→「幸せの法則」→「演ずる」→「歓喜」と結論します
    
 死の問題と真の幸福の問題はイコール同じなのです
生の問題と真の幸福の問題はイコール同じなのです

その答えは透徹した哲学者 詩人 文学者に
そのヒントを求めなければなりません
シラー ・・・・・(汝の運命の星は汝の胸中にあり)
ソクラテス・・・・(汝自身を知れ)
デカルト・・・(我思うゆえに我あり)
釈迦・・・・・・(汝自身を省みたずねるが良い)
カント・・・・・(・・・我が上なる星と 我が内なる道徳法則とである)
ユゴー・・・・(・・・空よりも大きな眺めがある それは魂の内部である)
ルソー・・・・(私が語らなければならないのは人間についてである)
カーライル・・・(理想は我々自身の中にある)
等々 世界的な文学者 哲学者 詩人は 口をそろえたように
 (一番大事答えは貴方の中にる)と言っています
 あくまで科学的に 道理をわきまえ 科学者 心理学者(ユング  フロイト等)
の学説を交えながら たとえ話を交えて 分かり易く ご説明したいのですが
長くなるので できればこちらへお願いします

http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage17.htm

本当にすばらしい疑問だと思います
現在 この最大の疑問を考える人が少ないのです
 学校の先生に聞いたら「そんな事考えるのやめなさい」
なんていわれそうです
この大問題を避けているのです
いや 答えられないのです
だから エセ宗教にだまされるのです
 
死は必ず訪れる自分の大問題でもあるのです
関係の無い人等いません 例外なく 必ず訪れるのです
 いかに財産を残そうが どんなに名声を高めようが 
どれ程多くの知識も体験も 死を目前にした時 
何の意味も無くなるのです 
 すべてを捨てて ...続きを読む

Q幕末のたられば

幕末は激動の歴史ですが、「もし○○が~~しなかったなら」という
考察はどれくらいあるのでしょうか?
できるだけ教えてください

もし○○が死ななかったなら、、
井伊大老、孝明天皇、家茂、島津斉彬、佐久間象山、松陰、高杉晋作、龍馬
などなど

Aベストアンサー

井伊直弼、佐久間象山、吉田松陰、高杉晋作、坂本竜馬はあのとき死ななくても、どのみち誰かになんらかの形で殺されていた可能性が高いのではないかと思います。松陰先生はある意味破滅に向かって一直線に向かって突撃していったようなものですからね。「たとえ私が斃れようと、後の若者が続いてくれるだろう」というような言葉を残していますが、そのとおりの生き様でしたからね。佐久間象山も、あんなイヤミな人柄なら、誰かが暗殺したでしょう。
高杉晋作は病死ですが、いずれ誰かと袂を分かって死に追いやられたような気がします。この人も世間に自分を合わせられない人ですからね。
坂本竜馬は、長生きしてれば政商となっていたんじゃないかと思います。天寿を全うしていたら、むしろ人気がない人物になっていたのではないかな。志半ばで斃れたからこそ、カリスマとなったのでしょう。
孝明天皇は明らかに毒殺ですからどうしようもない。

旗を持った誰かが斃れても、別の誰かがその旗を拾って次に進みます。よく「歴史にIFはない」っていうのは、そういうことなんですよ。

Q主体という概念と主権という概念はどういう相互関係にあるのですか?

主体という概念と主権という概念はどういう相互関係にあるのですか?

Aベストアンサー

主体と主権は主が存在すること、主体は体がメイン主権は権利がメイン
ただ主権を実行しようと思えば必然と主軸が存在する主軸が人であればそれは主権と合一化し客観的にみて主体と合一しているように見える、主体も同じように思い込んでいれば主体と主権が合一していると言えなくは無い。

Q吉田松陰と松下村塾

吉田松陰はなぜ尊攘派のリーダー的存在だったのですか?
彼は佐久間象山から色々と学び開国の重要性を知ったはずなのになぜ尊攘を唱えていたのですか?
そして、そんな吉田松陰の松下村塾の塾生だった桂小五郎や高杉晋作、久坂玄瑞もまた開国の重要さを学んだはずなのに長州の尊攘派のトップとしていたのですか?
特に高杉晋作、久坂玄瑞に限っては実際に攘夷を実行していますし、いまいち分からないことだらけなので教えてください。

Aベストアンサー

彼らは単なる攘夷派ではありませんでした。
香港やインドが植民地化したこともよく知っていましたし、松陰はアメリカ船で密出国しようとして捉えられたくらいですから攘夷など実行不可能ということはわかっていましたが、列強のいいなりに開国したのでは中国やインドの二の舞になるとおもっていたので攘夷を実行したりしたのです。
しかし高杉等は馬関戦争を戦って列強の実力が身にしみてわかり攘夷はとうてい無理と悟ったのです。

Q「人は死ねば消滅し無になる」という概念を信仰する人が

「人は死ねば消滅し無になる」という概念を信仰する人が
殺戮者に対して「殺戮をしてはいけない理由」を説き納得させることは可能でしょうか?

※このとき「人は死ねば消滅し無になる」という概念を信仰する人は、その「人は死ねば消滅し無になる」という概念は壊さないように語る。

Aベストアンサー

>説き納得させることは可能でしょうか?

不可能だと思います。

「死ねば無になる」という理由で人を殺すことは無いと思います。

たとえその人は殺人理由をそのように言ったとしても、本人は自分がどうして人を殺したいのかよくわかっておらず、ひとまずの理由として自分の行為の正当性を表現しているのだと思います。

人は誰しも死ぬと考え、生きていることに価値が無いと思うのなら、当の本人が自殺するはずです。
当の本人は生きながら他人を殺すってのは、生きているから快楽を感じるので、楽しみのための殺人ですよね。

騙されちゃ駄目です。

自分への破壊衝動を自分にではなく、他人に向けることで、代わりに破壊されてもらうってのは、卑怯です。
そして自分自身が終わってはいないので、何度も自分を破壊する衝動が起こったとき、身代わりを立て続ける。
それで他人を殺すわけですよね。
それで再生を果たした気になっている。
ひとまず自分を破壊したいという欲求は身代わりの他人を殺すことで収まったが、また首をもたげて自分を破壊したくなり、身代わりを立てる。
死刑になるまで続きます。

ということで、その人の言い訳は通用しません。
だって嘘だから。

>説き納得させることは可能でしょうか?

不可能だと思います。

「死ねば無になる」という理由で人を殺すことは無いと思います。

たとえその人は殺人理由をそのように言ったとしても、本人は自分がどうして人を殺したいのかよくわかっておらず、ひとまずの理由として自分の行為の正当性を表現しているのだと思います。

人は誰しも死ぬと考え、生きていることに価値が無いと思うのなら、当の本人が自殺するはずです。
当の本人は生きながら他人を殺すってのは、生きているから快楽を感じるので、楽しみのための...続きを読む

Q儒学、朱子学、国学を学ぶ上でのお勧めの本を教えてください

江戸時代から敗戦までの歴史や考え方を学ぶ上で、儒学、朱子学、国学を学ばなければ本質がわからないことに気づきました。
原本で読むのは中々時間がかかってしまうため、意訳ではなく単に現代語訳された本をお教え頂けますと幸いです。
また併せて、学ぶ上で有用な傍用教本があればお教え下さい。

さらに藤田東湖の書などを学ぶにあたっては陽明学も抑えておく必要がありますでしょうか?

Aベストアンサー

私の場合、
論語は白川静の『孔子伝』(中公新書)から入りました。ちょっとくせがありますが良書だと思います。『論語』そのものはそれから取り掛かって、岩波文庫の金谷治訳を読んでいます。今でもトイレに常備してよく読んでます。同じ金谷さんでNHKブックス『論語の世界』 も良かったです。
それから岩波新書で島田虎治の『朱子学と陽明学』と取っ組みましたが難しくてなかなか今でも理解できていません。でも、これは必読でしょう。
その合間に四書や五経をちょっこっと読んでました。孟子や大学・中庸は岩波文庫を、五経は全く手付かずで、…
陽明学は中江藤樹を『日本の名著 中江藤樹・熊沢蕃山』(伊東多三郎責任編集)で。でも、陽明学はちょっとやっかいです。無責任ですがそれはやっていく内にわかると思います。
『方法としての江戸―日本思想史と批判的視座』(子安 宣邦著)や、『諸子百家』(浅野祐一著)なんかにも目を通しましたが、なかなか思うように勉強できていません。あと、田中彰の明治維新周辺の著書。丸山真男の『日本の思想』(岩波新書)をめぐる論争も非常に重要なのではないでしょうか。
明治以降の陽明学に対する著書は小島毅『近代日本の陽明学』(講談社叢書メチエ)なんかも面白かったです。

私の場合、
論語は白川静の『孔子伝』(中公新書)から入りました。ちょっとくせがありますが良書だと思います。『論語』そのものはそれから取り掛かって、岩波文庫の金谷治訳を読んでいます。今でもトイレに常備してよく読んでます。同じ金谷さんでNHKブックス『論語の世界』 も良かったです。
それから岩波新書で島田虎治の『朱子学と陽明学』と取っ組みましたが難しくてなかなか今でも理解できていません。でも、これは必読でしょう。
その合間に四書や五経をちょっこっと読んでました。孟子や大学・中庸...続きを読む

Q死の概念は二分すべきではないのか

一度この場でお披露目していますが怖い怪談です。
非業の死の解釈です。
死後があり、彼岸にわたるならば、そこでは誰もが業因がないことを悟り苦もないであろうと考えます。この非業が判るゆえに安らかな死を迎えるならば、それが非業の死です。
念を押して説明しますが、非業の苦痛でなく、業そのものの苦痛です。良性の業をあるようですが、ならばそのような業を失う苦痛でもあります。
ところが未だ現代にでも業がまかり通っているゆえに、苦痛に満ちた死を想起して実際にそのような死を迎える人もいます。
非業の死に苦の響きがあるのは「死」の一言で生得的に、この世に生を受けたものなら誰でも、本来の死が直感できるゆえに、業があげる痛みです。死が苦痛でなく業が苦痛です。
現代の死の(観念でなく)イメージではこの死を知らない業の痛みが死のイメージに二重写しになっています。そして本来の死は宗教的な言葉で「往生」と表現されています。
本来の死がないがしろにされ違う解釈がなされています。
ならば、苦痛を伴う恐怖の死は「死」ではなく別の解釈をすべきではないでしょうか。
その偽者の死は生きている間だけの幻であり、死を知らぬまま生きる生き様です。
むしろその生き様をもって「屍」の字を当てて解釈するのもいいかも知れません。ゾンビのことです。
宗教論争をするよりも概念を二分するほうが簡単ですっきりします。
いかがでしょうか。

一度この場でお披露目していますが怖い怪談です。
非業の死の解釈です。
死後があり、彼岸にわたるならば、そこでは誰もが業因がないことを悟り苦もないであろうと考えます。この非業が判るゆえに安らかな死を迎えるならば、それが非業の死です。
念を押して説明しますが、非業の苦痛でなく、業そのものの苦痛です。良性の業をあるようですが、ならばそのような業を失う苦痛でもあります。
ところが未だ現代にでも業がまかり通っているゆえに、苦痛に満ちた死を想起して実際にそのような死を迎える人もいます...続きを読む

Aベストアンサー

補足お礼と、質問文読んだのですが、
表現方法はずいぶん違うものの、おそらくほとんど同じことみたいです。
少なくとも僕が理解した部分については、なんも違和感を感じないので。
ただ一部表現が、独特で、理解できないところについては、よく分からないんですが。
言葉の定義とかは実に微妙で、難しいなーと思いました。

概念の2分については、普通こんなこと考えたことがない人にはさっぱりわからないし、宗教や哲学をする人の間だけであれこれ定義するのはいいんですが、
言われてる本来の死がないがしろにされ、というのは世間一般を対象にした話なので、難しいだろうなーと、ぼんやり思います。

Q性風俗の西洋の倫理って高い低い?

昔の理想が自由恋愛で理想的に西洋的なものがいいとされましたと思います。

現在、性の西洋化していると思いますが、未婚や離婚や性をめぐる犯罪などいろいろ乱れていると言えばそのようにも思えます。

佐久間象山の「東洋の道徳、西洋の芸術(技術)」ではないですが、はたして性倫理で西洋って高い地域なんでしょうか。はたしてそれが進んでいると言えるのでしょうか。

確かに東洋の男尊女卑の地域は疑問がありますが、現在の乱れた自由恋愛って快楽的だと思いますが倫理的にはどうなのでしょうか。

Aベストアンサー

あなたは大きな西洋と東洋の性倫理に対して大きな誤解を
されています。 
おそらく日本のマスメディアに氾濫する米西海岸的フリーセックス
観と北欧フリーセックス観の奨励=フェミニズム賛美、対して日本
(アジア)の家族制度=封建的、因習的で卑下という間違った
常識を刷り込まれたものだと思われます。

2011年にアメリカの調査機関ギャラップの調査では、92パーセント
のアメリカ人が神を信じていると回答したほどキリスト教国である
米国の一面だけで判断してはいけません。

キリスト教ではセックスを罪としてとらえる見方が強く禁欲を重視する
のが一般的で、東部エスタブリッシュメント(エリート層)は結婚前の
性交渉を認めません。
共和党の支持母体になっている保守的なキリスト教徒、福音派や
原理主義と呼ばれる人たちも、妊娠中絶手術を施す医師を絞首刑
にせよと言うほど過激な集団です。

1999年にデビューしたシンガーソングライターのジェシカ・シンプソン
が「結婚するまで純潔を守る」発言で話題になり、その後を追うように
「純潔宣言」して、アメリカ国内で空前の純潔運動がありました。
大半のアメリカ人は、セックスに対して保守的ですが、その抑圧が
あるが故に猟奇連続殺人など恐ろしい性犯罪を生みだすとも言われ
ています。
アメリカのほうがセックスに対して解放的というイメージが日本人の
なかにあるかもしれないが、それは、キリスト教の信仰が弱く人種の
雑多な西海岸や一時のヒッピー文化の影響に過ぎない。

>現在、性の西洋化していると思いますが、未婚や離婚や性をめぐる
>犯罪などいろいろ乱れていると言えばそのようにも思えます。

では犯罪は増加したとお考えですか? 乱れているとはいつと比べて
など比較対象の時期がおありです。マスコミの印象操作に騙されては
いけません。 確かに昨今ストーカー殺人や通り魔、JKおルフレなど
ニュースを見ていますと、そのように思うかも知れませんが、終戦直後
の混乱期を最大に凶悪犯罪は戦後一貫して減少傾向であり、近年に
犯罪により微増したものも、ありますがそれでも他国に比べれば圧倒的
に少ないのです、

ニュースとなるのは滅多に無い出来事だからニュース性があるのです。
交通事故や火事、自殺などよほど多数の犠牲者でもない限り、ニュース
にさえなりません。

日本は元々性に対してはおおらかな考えの地域なんです。
日本の仏教は「在家仏教」の傾向が強く、世俗の社会に生活するなかで
仏道を実践することを評価するため僧侶が妻帯者でも問題はなく、神道でも
、性に対する戒めはない。
神主が祭を行う際には精進潔斎が求められるが、神主も基本的に俗人で
あり、普段の生活では禁欲を求められない。

江戸の町民文化では陰間(ゲイの娼婦)もあり、村では夜這いなどの風習も
あったのですが、明治維新そして戦後民主主義により壊滅しちゃいましたね。

明治から戦前までの近代化を推し進めた時期だけ西洋から野蛮と言われる
ような文化を次々と削ぎ落とした時代です。
そして一般家庭にまで武家式の道徳観念や貞操観念を押し付け普及しました。
戦後は民主主義による個人の権利の拡大が道徳教育を端へ押しやりました。

>確かに東洋の男尊女卑の地域は疑問がありますが、現在の乱れた自由恋愛
>って快楽的だと思いますが倫理的にはどうなのでしょうか。

自由恋愛主義(じゆうれんあいしゅぎ)またはフリー・ラブは結婚を社会的・経済
的束縛とみなし、拒否する社会運動である。
自由恋愛運動の当初の目的は、結婚や避妊、姦通といった性に関する問題へ
の国家の介入を排除することであった。

自由恋愛主義者は、これらの問題は当事者の私的な問題であると主張した。
主にアナキズムから派生したもので、恋愛に関する国家や教会からの自由を求める
リバタリアニズムを反映している。
成人のフリー・ユニオンは第三者から尊重されるべき正当な関係である。
ヴィクトリア朝の自由恋愛運動では、当時としては過激な思想であったが、
男女には性的快楽を得る権利が同等にあるという主張も見られた。

国家や権威を望まない社会主義的なアナキズムと、市場原理主義のリバタリ
アニズムが融合って何だか最悪の組み合わせのような気が…。

マスコミが喜ぶだわ。倫理は時代や社会背景により影響を受けるもの。

戦後の個人の権利の拡大は見合い結婚よりも恋愛結婚の絶対的肯定を生み
、それは経済格差とともに恋愛格差を生みだします。
思春期になると恋愛相手がいないということが負担や不安を生み、焦りから
つまらぬ相手との性愛を高尚なものと錯覚させるこもあります。

そして女性の権利拡大がますます自由恋愛主義を推し進めた究極の
状態が現代の日本と言えるでしょう。
しかし、それで男性も女性も昔に比べて幸せそうに見えないのは何故でしょう。

マスコミの情報を鵜呑みにせず、流行に疑問を感じて立ち止まる勇気を
持ちたいものです。

あなたは大きな西洋と東洋の性倫理に対して大きな誤解を
されています。 
おそらく日本のマスメディアに氾濫する米西海岸的フリーセックス
観と北欧フリーセックス観の奨励=フェミニズム賛美、対して日本
(アジア)の家族制度=封建的、因習的で卑下という間違った
常識を刷り込まれたものだと思われます。

2011年にアメリカの調査機関ギャラップの調査では、92パーセント
のアメリカ人が神を信じていると回答したほどキリスト教国である
米国の一面だけで判断してはいけません。

キリスト教ではセックスを罪...続きを読む

Qエントロピーは増大する一方ですが、最大という概念はあるのでしょうか?あるとすれば、それは宇宙の死と同

エントロピーは増大する一方ですが、最大という概念はあるのでしょうか?あるとすれば、それは宇宙の死と同じ事でしょうか?

Aベストアンサー

この問題は、多くの物理学の教科書で熱力学の成り立つ条件をそれほど深く考えずに書かれているので、多くの人に誤解を生じさせているようです。

この質問の回答のために、始めにエントロピー増大の法則を物理学として正確に表現して置きましょう。

先ず、この法則が成り立つための条件で、普通の教科書に明から様に語られない重要な条件があります。それは、

1)熱力学的記述がその物理学的系の記述に意味がある系に限る

と言う条件です。

そして、その条件の下に、エントロピー増大の法則は

2)孤立系のエントロピーは時間と共に増大するか同じ値に留まる

と表現されます。これを熱力学第2法則と呼ぶこともあります。そして、エントロピーが一定値をとり続ける系が熱平衡状態です。非平衡状態にいる系はエントロピーが増え続け、漸近的に熱平衡状態に近づいて行きます。ですから、系の大きさが有限だろうが無限大だろうが、エントロピーが変わらなくなったら熱平衡状態です。この熱平衡状態のことを、熱死状態とも言います。

この法則は、古典力学のニュートンの法則、古典的電磁気学のマクスウェル方程式、シュレディンガーとハイゼンベルグの量子力学の基本方程式方程式、一般相対性理論のアインシュタイン方程式などの僅かな方程式で構成されている物理学の全ての基本方程式と一見矛盾しております。したがって、熱力学第2法則は基本的な法則であるにもかかわらず、そして、この法則に反する現象に人類がお目にかかったことがないにもかかわらず、今の段階ではこれを基本法則とは呼ばれず、現象論的法則と呼ばれています。

さて、系は無限大だったらエントロピーの値はいくつなのか。そのことが、上の1)の条件と関わり合うのです。実は1)が成り立つためには、その系を特徴付ける物理量に、次の大変きつい条件が必要なのです。それは、

3)系の大きさをN倍すると、その物理量もNの1乗に、すなわち、Nに比例して大きくなるような量が存在する

と言う必要条件です。後で例示しますように、このような物理量が存在するかどうかは自明ではありません。そして、重力の場合には存在しないのです。

物理学では、「系の大きさ」をもっと正確に、「自由度の数の大きさ」と表現します。このような性質を持った物理量のことを「示量変数」と呼びます。そして、示量変数をその系の自由度の数で割ったものを、「示強変数」と呼びます。そのその結果、示強変数は自由度の数をN倍しても、Nに依存しなくなります。

ところで、エントロピーは示量変数です。したがって、系の大きさが無限大になるとエントロピーも無限大になります。しかし、エントロピーを系の自由度の数で割った量は示強変数となり、系が有限だろうが無限だろうが、その示強変数は有限の値をとれます。だから熱死状態でもこの示強変数の値は有限です。

いよいよ本論です。結論から言うと、重力が無視できない重要な役割を演じるときには、示量変数が存在できません。だから、熱力学をこの宇宙全体に適用できなくなり、

「系がエントロピー増大の法則に従って、行く行くは熱死状態に到達する」

という言葉に意味が無くなってしまいます。しかし、始めに述べましたように、多くの物理学の教科書では、上記1)の条件の存在をそれほど深く考えずに書かれているので、多くの人に誤解が生じているようです。

何故、重力には熱力学が適用できないかを説明しましょう。

この宇宙の粒子は個々の粒子が運動エネルギーを持ち、また粒子同士が互いの距離に依存した位置エネルギーを持っています。最も簡単な位置エネルギーは、各々2個の粒子間の距離だけに依存する位置エネルギーで、これを2体力による位置エネルギーと言います。重力は2体力です。もっと複雑な3体力、4体力、、、も重力以外には在りますが、それはほとんど例外的な力です。

さて、粒子の運動エネルギーは粒子の数をN倍するとその総和のエネルギーもN倍される。だから全系の運動エネルギーの総和は示量変数です。しかし、2体力では粒子の数がN倍に増えると、位置エネルギーの総和はN個から2個選ぶ場合の数に比例するので、Nが大きくなるとNの1乗ではなく、Nの2乗に比例大きくなってしまう。だから、一般には位置エネルギーの総和は示量変数ではない。

ところが、力の届く範囲が本質的に有限の場合、一つの粒子に力の働く粒子の数は有限になります。その結果、位置エネルギーも総和もNが大きい極限でNに比例して大きくなることが示せます。このような力を短距離力と呼びます。重力でなく通常の分子間力は皆短距離力です。だから、この場合、位置エネルギーの総和は示量変数となり、熱力学が適用可能となります。

しかし、重力はどんなに粒子間の距離を離しても有意義にその影響力が残るのです。このような力を長距離力と言います。したがって、重力では位置エネルギーの総和は示量変数ではない。だから、熱力学の論理も演算も使えないのです。

実際、分子間力で相互作用し合っている通常の気体では、ボルツマン方程式と言う基本的な方程式が存在するのですが、銀河系を構成している星の集団を記述するボルツマン方程式は存在しません。

だから、この宇宙が閉じていようが、開いていようが、ブラックホールがあろうがなかろうが、この宇宙が熱死状態になることを重力が妨げてくれているのです。

この問題は、多くの物理学の教科書で熱力学の成り立つ条件をそれほど深く考えずに書かれているので、多くの人に誤解を生じさせているようです。

この質問の回答のために、始めにエントロピー増大の法則を物理学として正確に表現して置きましょう。

先ず、この法則が成り立つための条件で、普通の教科書に明から様に語られない重要な条件があります。それは、

1)熱力学的記述がその物理学的系の記述に意味がある系に限る

と言う条件です。

そして、その条件の下に、エントロピー増大の法則は

2)孤立系の...続きを読む


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