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私は最近遠藤周作さんの沈黙という有名な著書を読んだのですが、ここには実話が書かれていますよね??確か、そこで質問なのですが、昔の日本ではキリシタン弾圧がされていましたが、ちなみにここでも書かれていましたが、もしキリシタンだと判明したら踏み絵を踏ませてましたが、その後、キリシタンだった人々は特に司祭は、自分の国に帰らず、日本名をもらい生活していましたよね?これはなぜでしょうか?日本に留まらせておくのでしょうか??
また、ほかの彼の著書のキリスト教にそった、著書があればご存知なかたお願いします。

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A 回答 (4件)

江戸時代キリシタンは国禁を犯す者として追捕の対象でした。


捕らえた後、多くは改宗させる為、種々の拷問などに会わされました。

キリシタンの宗教を捨てて改宗した者についてはその棄教が本当かどうか監視下におかれました。

外国人の司祭や日本人の司祭は特に信仰が堅固な者でしたから特別の拷問などで棄教を迫り棄教した者はキリシタンの捜査や追跡に協力させました。  これは特別の用語や宗教上の習慣などを利用して摘発する必要があったからです。  彼らは「ころびキリシタン」とよばれました。

外人の「ころびキリシタン」は貴重な存在でしたから日本に帰化させ日本人名を与えて日本人として扱いました。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%8D% …
【30年を京都で過ごす中で織田信長や豊臣秀吉などの時の権力者とも知己となり、激動の戦国時代の目撃者となった。

1587年に最初の禁教令が出されると、京都の南蛮寺は打ち壊され、高山右近は明石の領地を捨てた。オルガンティノは高山右近とともに小豆島に逃れ、そこから京都の信徒を指導した。翌年、高山右近が加賀に招かれると、オルガンティノは九州に向かった。

1591年、天正遣欧少年使節の帰国後、彼らと共に秀吉に拝謁。前田玄以のとりなしによって再び京都在住をゆるされた。】



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%86% …
【吉利支丹を邪教とし、その布教を不法行為とみなし、宣教師の20日以内の国外退去、日本人奴隷の売買と領主の領民に対する入信の強制を禁じている。しかし、南蛮貿易の継続、宗教に関係のない南蛮人は商人以外でも来日を認めるといった内容のため、実際の効果は薄かったとされる。秀吉の狙いとしては、禁教令の効果よりも、日本人奴隷貿易の禁止と、キリシタン大名による南蛮貿易独占を打破することであったと考えられている。】

秀吉は宗教に関してくくるというより、不正な行為により日本を貶める行為を阻止しようとしたように思うのです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E9%9A%B7% …

【豊臣秀吉は大坂城へポルトガル人宣教師ガスパール・コエリョを呼び、日本人奴隷の売買を止め海外のすべての日本人を帰国させることなどを命じる。コエリョはスペイン艦隊を呼び戦争の準備を行うが、バテレン追放令発布、高山右近の失脚、長崎の拠点接収で未遂に終わる。】


なので、日本人を貶めようとたくらんでいない宣教師に対しては、害を与えなかったと思えます。
逆に日本人を奴隷として海外に売り飛ばして金儲けをしていたキリシタンに対しては冷酷だったと思います。
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参考までに日本追放になった日本人もいますよ。



参考URL:http://www1.ocn.ne.jp/~mtetuya/oharu.html
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遠藤周作氏の小説のなかでキリスト教は大きなテーマを占めていますので、挙げ始めるとかなりの分量になると思います。


その中で禁教の時代を描いた作品として以下の3点を上げさせて頂きます。
「銃と十字架」
「鉄の首枷」
「宿敵」
一番上はローマの神学校に学び帰国した後にあえて危険を承知で帰国して布教にあたったペドロ岐部、下の2点はキリシタン大名としての小西行長を題材にしています。個人的に好きなのは2番目の「鉄の首枷」です。高山右近のような「本当の」宗教者になりきれなかった行長の苦悩を扱っていますが、内外の彼に関する史料を良く集めていて、キリシタンに興味のないが戦国時代には興味があるという層にも読んで欲しい本です。朝鮮出兵や後の関ヶ原の西軍メンバーの人脈といった部分に新しい視点が得られると思います。
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