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徳川大尉と共に日本で最初に飛行したとされる日野熊蔵大尉ですが、

「20歳で陸士を卒業」(普通どおり)
「12年後に歩兵大尉」(普通どおり)
「1931年に歩兵少佐、これが最終階級」(普通ではない)

と、「初飛行の後で少佐になる前に予備役となり、1930年頃に召集されて進級した」と推定される経歴です。

陸士出の正規将校であった日野大尉がなぜ大尉で予備役編入となったのでしょう?

A 回答 (1件)

日野大尉は小さい時から機械少年だったそうです



軍人になりましたが飛行機の重要性を説き、ドイツに留学してグラーデ式飛行機を持って帰りフアルマン式の徳川大尉と一緒に代々木の錬兵場で日本で始めての飛行機を飛ばせました

その後も飛行機や新兵器の重要性を軍に熱心に説きましたが精神主義の陸軍に煙たがられ昭和の初めの軍縮時代に病気を理由に陸軍を辞めさせられました

その後も民間人のコンサルタントとして軍用飛行機の性能向上に努め隼などの名戦闘機の開発に貢献しました

徳川大尉の方は徳川家の一員として軍の出世コースを歩き陸軍中将になりました

この回答への補足

陸軍は、皇族以外は誰でも「平等」に扱いました。華族出身であっても、出世コースに乗る要件がなければそのように扱われています。例えば、男爵位を持っていた西竹一大佐(戦死後)は、騎兵科で陸大を出ていませんので昇進速度は「無天」組のそれです。華族であるから昇進面で優遇された形跡はありません。

徳川大尉は、初飛行で有名になる前に砲兵・工兵将校のエリートコースである砲工学校高等科を出ています。その上で海外留学ですから、陸大卒と同等に扱われて将官コースに乗り、かつ航空兵創設の功労を認められて中将に昇進し、男爵を賜ったと思われます。

補足日時:2006/12/03 15:19
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。日野大尉は、陸軍内部で異端視されて、冷や飯を食わされた挙句に現役を追われてしまったのですか。今の日本社会でも多くありそうな話ですね。日野大尉についての有益な文献などご教示頂ければ幸いです。

お礼日時:2006/12/03 15:32

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