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コーヒーを中国語では口偏の「咖啡」ですが、日本語ではなぜか王偏の「珈琲」です。

なぜ日本語では偏をそっくりそのまま取り替えたのでしょうか?取り替えた意味がわかりません。

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A 回答 (3件)

#2です。

すみません。下の回答はやはり正確ではありませんでした。

コーヒーに対しては日中両国で様々な漢字が当てられてきたようです。

中国では清代より、モリソンが編んだ辞書『五車韻府』(1819)にあるように、[口加口非]と口偏で書かれてきました。
この旁の「加非」は英語やオランダ語に由来するコーヒーではなく、「カフェ」に当てた中国南方の表記であると言われています。
口偏なのは、旁の意味を消して、表音文字として使っていることを表すためのものです。つまり「口から出る音」くらいの意味です。

日本では、明治時代から[口加口非]と珈琲(初出は江戸時代の宇田川榕庵『博物語彙』)が並んで用いられました。
因みに森鴎外は口偏の方を好んだようです。
それが次第に中国とは異なって玉偏の方が選ばれ、定着しました。
この玉偏は、コーヒー豆を玉に擬えたものとも言われています。
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中国ではコーヒーは口で飲むから、そのままストレートに口偏にした。


日本人はストレートに口偏にすることを嫌って王偏にした。
・・・と聞いたことがあります。
日中両国で、口偏・王偏両方が使われいて、一方が淘汰されたんだったかな。

自信はありません。
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>なぜ日本語では偏をそっくりそのまま取り替えたのでしょうか?取り替えた意味がわかりません。



どちらも単なる当て字です
この熟語自体は日本から中国への逆輸入のようです。
http://freett.com/nandon/lunwen1.htm
中国語のコーヒーの字は日本にはありません。

あちらではUCCが人気です。
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この回答へのお礼

中国側が字画を減らすために王へんから口へんに変えたというのが真実かもしれませんね。
ありがとうございました!

お礼日時:2006/12/26 17:54

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Q中国語の「都」を見たとき、どう訳せばいいですか?

「都」を使うかどうかは、主語の人数の多さではなく、
対象がその母集団で占める比率の大きさに拠ります。
と教えてもらいました。では、下の文を見たとき、

(1)この「都」は、全て日本に行かない。と訳すのか?

(2)比率が多いので、「都」をいれているなら、全員行かない訳ではないと、どう見抜くのですか?

(3)比率が多いので、「都」を使っているとしても、日本語に訳すとき、その「都」は
  とりあえず、ほぼ日本に行かない。と「ほぼ」という言葉にしてしまって訳すのですか?
 「ほぼ」や「大体」なら、別の単語があります。

他们都不去日本。

この彼らの人数しだいで、勝手に厳密には、全員でないので、「全て」と訳さないパターンだろうと、
こちら側で適当に、全員ではない事にしたり、全員にしたりしていいのですか?

仮に、この彼らが、中国人全員のことを言っているとするなら、
厳密には、全員ではないだろうと、勝手に判断して、本当に全員日本に行かない。
と言っているのに、
都合よく「全て」という意味の「都」ではないと判断してもいいのですか?

それに、「全て」という意味でなかったとしても、
この「都」は、無視して訳さないのですか?
それとも、「ほぼ」や「大体」という意味に変えて訳すのですか?

「都」を使うかどうかは、主語の人数の多さではなく、
対象がその母集団で占める比率の大きさに拠ります。
と教えてもらいました。では、下の文を見たとき、

(1)この「都」は、全て日本に行かない。と訳すのか?

(2)比率が多いので、「都」をいれているなら、全員行かない訳ではないと、どう見抜くのですか?

(3)比率が多いので、「都」を使っているとしても、日本語に訳すとき、その「都」は
  とりあえず、ほぼ日本に行かない。と「ほぼ」という言葉にしてしまって訳すのですか?
 「ほぼ」や「大体」なら...続きを読む

Aベストアンサー

> 他们都不去日本。

「ずべて」と訳します。
比率の問題ではなく、「すべて」です。

「彼らはみんな日本には行かない。」と「話者が決めている」のです。
もしかしたら例外がいるかもしれないが、話者の知っている限り全員です。
あるいは実際には行くつもりの人が何人かいたとしても、話者にとってはそんなことはどうでもよいのです。(問題外、あるいは眼中にないのです。)

前回のご質問でお答えしたように、事実を述べている文章や正確さが必要な記事の場合は、「論理的に全部」であり、もしも例外があったとすれば「ほぼ全部」「大多数」という表現をする方が「適切」でしょう。
しかしながら、会話の文章などでは、話者がどう思っているのかということがすべてです。
聞いた側は話者の言うことをすべて信用するとすれば、「全部」であると理解するほかはありません。

> (1)都は、「すべて」「みんな」と言う意味の副詞です。
> 全てと言わないなら、入れてはいけない。まずこれが基本である。

前回のご質問で上記のようにお書きになられた通りです。
どう考えても「すべて」ではないと聞く側がわかっていたとしてもですね。

これは中国語という言語、言葉、文法の規則の問題ではなく、その背後にある文化、考え方の問題と言ってもいいでしょう。
日本語(日本)では、なるべく相手の側に立って話をするという一種の美徳があります。
間違っているかもしれないこと、例外があることに関して、相手が誤解しないように言葉を加えることはごく当たり前に行われます。
しかしながら、外国語(外国)では、自分の意見や主張を表現することが第一であり、他人から見て間違っていようが、自分の意見や主張を表現する場合に遠慮はしません。

まあ、日本でも「みんな(そうしているよ)」などと言い切ってしまうことはありますが。(笑)
このように「みんな(そうだよ)」と言われたことはありますよね?
本当に「みんな」でしょうか?違うこともありますよね。でも、「みんな」と言うのです。
中国語では、特にこの種の言い切りだとか、強調が多いのです。
そういう場合には「都」、「也」、「就」などが頻繁に使われますが、時に日本語には訳しにくくなります。

前回のお答えでは、「都を使っていても、必ずしも論理的に全部を意味しない」ということであって、「都をすべてとは訳さない」とは申しておりません。
ほかには「ほぼ」「大体」については、そのように訳するとも申しておりませんし、回答内に使用しておりません。
似たような語を使っているのは、「都を使うときの気持ち」を説明している部分で、

「ほっとんど、みんな、そうしているんだよ」、「いつでも(どこでも)そうなんだよ」、あるいは「みんな、もうそうしているよ」「とっくだよ」という気持ちで語る場合には、「都」はあるのが当たり前

という部分です。

話者が仮に頭の中で感じているのが「アバウト」であったとしても、ひとたび言葉で「都」と言った時点で「すべて」だと言い切っているのですから、聞いた側は「すべて」と訳すしかありません。

他には人数にこだわっておられるようですが、二人でも三人でも「みんな」であれば「都」は用います。

ということで、前回と今回のお答えが疑問点とずれていて、単純に文法的な回答をお求めの場合は、「都=すべて」とだけご記憶になられて学習を進めていただいた方がよいでしょう。
いつか、中国語の言葉の裏だとか、表現の特性を知りたくなったり、単純に文法規則で解釈できなくなった場合に思い出してください。

> 他们都不去日本。

「ずべて」と訳します。
比率の問題ではなく、「すべて」です。

「彼らはみんな日本には行かない。」と「話者が決めている」のです。
もしかしたら例外がいるかもしれないが、話者の知っている限り全員です。
あるいは実際には行くつもりの人が何人かいたとしても、話者にとってはそんなことはどうでもよいのです。(問題外、あるいは眼中にないのです。)

前回のご質問でお答えしたように、事実を述べている文章や正確さが必要な記事の場合は、「論理的に全部」であり、もしも例外があった...続きを読む


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