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No.1
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明治から大正にかけての東大の教授だった本多静六先生が『改正日本森林植物帯論』(1928年)の中で唱えた、国の未来への一種の警告です。
今でこそ松枯病の影響などもあり減少が危惧されているアカマツ林ですが、かつては日本の国土のかなり広い面積をアカマツが覆っていた時期があったようです。
そもそもアカマツは、乾燥気味でやせた(土壌中の栄養分の少ない)土地に生える植物であるため、低山の尾根などの限られた場所にしか分布していないはずでした。一方、国土の大半を覆う一般の森林は、落ち葉や枯れ枝などが林床に堆積し、それらが分解して土を肥やし、新たに育つ樹木がそれを利用する、と云う物質の循環を繰り返していました。こういった循環が成り立っている森林の中は、有機質(肥料分)に富み、水分が保たれることからアカマツが大面積の林を作ることはできません。
ところが、長期にわたり人間が農耕のための肥料として落ち葉や下草など、あるいは燃料としての木材などの有機物を過度に収奪して(持ち出して)しまったために、一部の森林では土がやせ、アカマツばかりが優勢となっていったようです。花粉分析の結果からは、稲作の始まりとマツ林の始まりの時期は見事に一致するそうです。さらに収奪の激しい入会地などではマツさえ生育できずにハゲ山になることも多く、江戸末期から明治にかけての里山とは現在とはかなり様相が異なっていたといいます。
明治の終わりといえば、日露戦争・第一次世界大戦と相次いだ戦争のためにこれまで以上に林野から燃料や資材が収奪され、国土は疲弊していたことでしょう。本田先生は「日本国土にこれほどアカマツが多いと云うことは、山野の土壌がやせて生産性が落ちていることを示しているのだから、このままでは国が滅ぶぞ」と警告を鳴らしたようです。これが一般に「赤松亡国論」と呼ばれるものです。
その後についてはよく知らないのですが、昭和30年代から始まる燃料革命、化学肥料の多用により、人々の暮らしは森林から得られる資材に頼ることはなくなりました。現在ではむしろ、無秩序な土地開発や造成こそが国を亡ぼす元凶なのかもしれませんね。
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