アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

 日本語を勉強中の中国人です。人の一生は四季に似ているような気がします。意外がなければ、春夏秋を経て冬で死を迎えます。

 しかし、周りの木を見たら、不思議な感じがします。年中ずっと緑のままの木もあれば、冬を越えて春になると、また芽吹く木もあります。ふと思ったのですが、天災人禍(天然の災害と人為的な災禍)に遭わなかったら、自然界の中では、木は死なない命でしょうか。羨ましいです。

 また、質問文に不自然な表現がありましたら、ご指摘いただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。

A 回答 (25件中11~20件)

すこし、変わった考えを、ご紹介します。


命と言いましても、二つ以上のものがあります。
木で言えば、幹と葉。人間で言えば細胞とひとりの人間の命
ご観察のように、木の一部としての、葉は、秋に使命を終えて散ります。
人間の白血球も細菌と戦い死にます。
この様に、全体としての個体の木は、部分の死と同居しながら生きます。全体も時が来れば死ぬことは事実ですが、

例えば「バラ」このバラの花ではなく、種としての「バラ」これは生き続けます。種を撒いて、別のバラの花として、生き続けます。
種としての「バラ」の死は、種の絶滅です。

人間も同じですよ。種としては生き続けます。
単細胞生物も植物も動物もみな「DNA」と言う一本の生命で繋がっています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。種としては生き続けるかどうかという前向きの考え方のご紹介に感謝いたします。大変参考になりました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2007/02/16 00:52

樹木は立体構造ですね。


ですが、樹木は自身の表面からでしか、呼吸や光合成が出来ません。
当然大きくなってゆくと自身の体の立体的な大きさに対し、表面積の割合が
小さくなって行き、成長するに十分な水分や栄養、光等を得られなく
なって行くと考えられます。
やがて成長出来なくなり、組織が弱っていって、やがて朽ちて死んでゆくのではないでしょうか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 ご丁寧に教えていただき誠にありがとうございます。「大きくなってゆくと自身の体の立体的な大きさに対し、表面積の割合が小さくなって行き」の中の「表面積の割合が小さくなって行き」がよくわかりません。それはどういうことでしょうか。木が大きくなってゆくのに伴って、表面積も大きくなるのではないでしょうか。もう少し教えていただければ嬉しく思います。本当にありがとうございました。大変参考になりました。

お礼日時:2007/02/16 01:11

我是NO7。



謝謝nin2修改我的中文句子、我非常高興。

>でも、木の死ぬ原因がまだよくわかりません。参考URLは外部要素しか教えてくれませんでした。

内部要素的一個原因応該是細胞的寿命。什ma決定細胞的寿命? 端粒(テロメア、telomere)決定細胞的寿命。
http://www.bjkp.gov.cn/gkjqy/smkx/k30416-02.htm
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%AF%E7%B2%92
一般来説、生物通過細胞分裂才能保持生命。不過細胞不能分裂無限次数。端粒限制最多分裂次数。結果細胞有寿命。sui1然対端粒的研究、現在関注動物(特別是人類)、対植物的知識還不太清楚、我覚得植物細胞也有寿命。

nin2也許覚得即使植物寿命是有限、也植物総体的寿命可能是無限。因為、如果新細胞和古老細胞継続替換、理論上植物総体的寿命可能是無限。這様想法是合理的。但是、太楽観。実際上継続新旧細胞的替換、維持植物総体構造越来越難。為什ma? 因為新細胞産生時候、古老細胞還在那里、新細胞不得不産生在古老細胞的外辺。這様、植物総体越来越大、越来越重。結果、到植物的所有部分継続施給養分、越来越難。

>「たとえ枯れている木でも、完璧な方法で新しい命を生み出している」とはどういう意味でしょうか。よく理解できません。

我覚得、「正在枯死」的意思不是「已経枯死」的意思。是不是? 下面是我的想法。

一般、植物枯死前、開花、受粉、産生種子。這個過程可以説是”完美的方法孕育其他新的生命”的。

>「根子」は何でしょうか。根ですか。

是、日文的「根」的意思。用中文、日文的「根」、zenme説?

>木は自分の体の一部分から新しい命を生み出すとはどういうことでしょうか

植物有”根茎”。従”根茎”可能産生新的芽。新的芽不久産生新的枝。這様植物、即使没有産生種子、也能産生新的植物。
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B9%E8%8C%8E

植物也可能通過”挿枝(挿し木)”的方法、産生新的枝。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%BF%E3%81%97% …
”挿枝”是用植物的一部分産生新植物個体的方法。比如、先切断植物的枝、然后将這個被切断的枝、挿在土壌中、不久従這個枝会産生新的植物個体。

>新しい命を生み出すことができれば、その木はまだ生きている証拠でしょう。死んでいないのではないでしょうか。

植物的話、”父母和子女関係”的定義比較難。比如、如果従”根茎”産生新枝的話、這個新枝是”子女”、還是 ”父母的一部分”? 或者、産生這個新枝后、父母植物枯死的話、這個新枝依然”父母的一部分”、還是「子女」? 又問、如果通過”挿枝”方法、産生新植物個体的話、這個新植物個体是”子女”、還是 ”父母的一部分”?

>木が自然に死んだ瞬間をご覧になったことがありますか。急に倒れるのでしょうか。

有hen3多次、看過。即使樹木枯死、ta1還維持其構造。所以不倒ta1。在日本、有hen3多木造房子。這些木材sui然都是枯死的樹木、還是堅牢的。


最后、在nin2的日文中、我発見有一点児不自然的表現、想在這里表示。

>木も自然に死ぬ【ものは】、今まで考えたことがありません。

【ものは】---> 【ものとは】有者【ものであるとは】

>「根子」【は】何でしょうか。
【は】--->【とは】

如果我的中文不自然的話、請修改、我非常高興。

この回答への補足

再びありがとうございます。いろいろな知識を学ぶことができ大変嬉しく思います。お礼文の添削にも心より感謝いたします。これから気をつけます。

テロメアは細胞の寿命を決めるのですね。勉強になりました。

植物が大きくなる、重くなるにつれて、植物各部分への養分伝送は難しくなるというご説明はとても理解しやすいと思いました。しかし、木は無限に大きくなる、重くなることはまずないように思います。私たち人間と同じように、木も大人になってある形に留まるのではないでしょうか。

>一般、植物枯死前、開花、受粉、産生種子。這個過程可以説是”完美的方法孕育其他新的生命”的。

植物ではなく、木に集中していただければ幸いです。すべての木は枯れた前、開花、受粉、種を成すなどの過程を経るのでしょうか。生物学の知識を持っていませんが、普段見た木の中では、花を咲かない、実が成らない木もあります。それらの木でも、「たとえ枯れている木でも、完璧な方法で新しい命を生み出している」とは言えるのでしょうか。

>植物有”根茎”。従”根茎”可能産生新的芽。新的芽不久産生新的枝。這様植物、即使没有産生種子、也能産生新的植物。

植物ではなく、木に集中していただければ幸いです。一本の木の中の芽と枝は新しい植物とは言えるのでしょうか。それは木自身の成長ではないでしょうか。

>用中文、日文的「根」、zenme説?

日本語と一緒です。「根」(gen1)と言います。

>植物的話、”父母和子女関係”的定義比較難。比如、如果従”根茎”産生新枝的話、這個新枝是”子女”、還是 ”父母的一部分”? 或者、産生這個新枝后、父母植物枯死的話、這個新枝依然”父母的一部分”、還是「子女」? 又問、如果通過”挿枝”方法、産生新植物個体的話、這個新植物個体是”子女”、還是 ”父母的一部分”?

植物にとっては、親子関係の定義が難しいとおっしゃっています。木という植物に集中していただければありがたく思います。

私は新しい枝は木自身だと思います。新しい枝がなるのは、木は大きくなる、木の一種の成長と言えると思います。枝と葉は木の子どもではないと思います。

新しい枝がなってから木が死んだら、その新しい枝は木自身のものだと思います。その木の子どもだとは思いません。

あっ、頭が痛くなりました。挿し木の方法で繁殖した新しい植物はやはり子どもだと思います。ちゃんとした新しい根もありますし。ただ、私はここで自然に成長する一本の木のことを討論したいです。挿し木の場合は、木自身ではなく、人間がやってあげるのでしょうね。

>有hen3多次、看過。即使樹木枯死、ta1還維持其構造。所以不倒ta1。

木が死んでも倒れないと何度もお目にかかったことがあるとおっしゃいましたね。それでは、お伺いしたいのですが、なぜその木は死んだと判断なさったのでしょうか。「この木は死んだ!」の判断の基準を教えていただけませんか。倒れないなら、立てる力をちゃんと持っており、命が残っているのではないでしょうか。中国語に「枯木逢春」(枯れ木に花が咲く。寿命を延ばす機会にめぐりあう)という言葉があります。もしかして、明日、もしかして、明日の明日、もしかして、明日の明日の明日、もしかして、私たち人間が死んだ次の日……いずれ「枯木逢春」になると私は思います。

補足日時:2007/02/16 23:51
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答文の添削です。少しでもご参考になれば幸いです。

>不過細胞不能分裂【無限次数】。
無限次数→無限多次

>端粒限制最多分裂次数。
この文の意味がよくわかりません。テロメアは分裂回数を制限するという意味でしょうか。その意味だったら、「端粒限制分裂次数」だと思います。

>【結果】細胞有寿命。
結果→所以

>nin2也許覚得即使植物寿命是【有限】、【也】植物総体的寿命可能是【無限】。
→nin2也許覚得即使植物寿命是有限的、植物総体的寿命也可能是無限的。
実は、この文の意味はよくわかりません。日本語で意味を書いていただければありがたく思います。

>因為、如果新細胞和【古老細胞】【継続替換】、理論上植物総体的寿命可能是【無限】。
古老細胞→旧細胞
継続替換→相継替換
無限→無限的

>【這様想法】是合理的。
這様想法→這様想(あるいは:這種想法)

>実際上【継続新旧細胞的替換】、【維持植物総体構造越来越難】。
→実際上新旧細胞的相継替換、使得維持植物総体構造越来越難。

>因為新細胞【産生時候】、【古老細胞】還在那里、新細胞不得不産生在【古老細胞】的外辺。
産生時候→産生的時候
古老細胞→旧細胞

>【結果、到植物的所有部分継続施給養分、越来越難。】
→結果使得要把養分持続伝送到植物的所有部分顕得越来越難。

>這些木材sui然都是枯死的樹木、【還是堅牢的】。
→這些木材sui然都是枯死的樹木、【dan4都還是牢固的】。

>最后、在nin2的日文中、我【発見】有一点児不自然的【表現】、【想在這里表示】。
発見→発現
表現→表達
想在這里表示→想給ni3修改一下

>如果我的中文不自然的話、請修改、【我非常高興】。
我非常高興→我会非常高興(あるいは:我将非常高興)

お礼日時:2007/02/17 00:33

No.4です。



木の中心部の話ですが、長い間立っている木は中心部が空洞になってしまいます。パイプのような感じです。輪切りにすると、ドーナッツみたいな形になってしまいます。これは、樹齢の高い木の輪切りの標本を見るとよくわかります。自然に関する展示のある博物館などで見ることが出来ます。
さて、内部が空洞になると、そこにカビなどが繁殖してしまうこともありますし、小動物が穴を開け、表面とつながってしまい、雨が入って内部から腐ってしまうこともあります。結果として木が非常に弱くなり、倒れやすくなってしまいます。この場合、風などをきっかけに倒れることになると思いますが、仮に風で倒れないようにしたとしても、いずれは木そのものの重さで倒れてしまうことと思います。

木が自然に死んだ瞬間。これは見たことはありません。ただ、木が倒れて世代交代すること。これは博物館などでも展示があります。
木が倒れたとき、発芽しにくい状況では、倒れた木が種を守るようにしてそこから発芽するそうです。その場合、倒れた木の形、つまり直線状に若い木が何本も立つそうです。枯れて倒れてもなお、発芽を助ける。いのちの引継ぎを感じました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 再びありがとうございます。パイプ、ドーナッツなどのわかりやすい比喩を使って説明していただき大変助かりました。とても理解しやすいと思いました。木も寿命を持つものだとわかりました。自然博物館へ樹齢の高い木の輪切りの標本を見にいきます。木が倒れた時、倒れた木が種を守るようにするお話に感動されました。なんと悲壮感が漂うシーンでしょう。倒れた時のその音は心の奥に響きつづけます。ただし、立っている限り、どんなに弱く醜く見えても、木はまだ死んでいないということでしょうか。倒れた時点で木は死んだと判断してよろしいでしょうか。本当にありがとうございました。大変参考になりました。

お礼日時:2007/02/17 17:33

NO.6です。

言葉の壁があるとなお説明がしにくいのですが、これは日本人にも説明が難しく、納得できないかもしれませんが、それは私の能力不足で、ご勘弁ください。

木には樹皮に近い部分に形成層という部分があってそこの部分のみが生きているのです。その内側は死んだ細胞で、いわゆる「木」といっている部分はほとんど死んだ部分です。例えば千年生きた木があるとしても、例えばそのうち999年分は寿命を全うして死んだ部分といっていいでしょう。その上の薄皮だけが生きている部分です。

あくまでもたとえで厳密ではないですが、動物の細胞で一番植物に近いものを考えると、ガン細胞が近いです。全体の調和がなく、増殖のみに特化し、本体が死んでもお構いなし、実験室では永遠に(あるいは半永久的に)生き続けることができます(ガン細胞はうらやましくはないでしょうけど)。

生物を細胞で見る人の立場からは、植物はたとえて言うなら、ガン細胞が、自分の死んだ細胞の上にのってどんどん大きくなっていっているようなものです。実際に一個一個の細胞が100年も1000年も生きるわけではありません。その意味で「永遠の命ではない。」といいました。


(1)細胞レベルで見れば、動物細胞よりも植物細胞が段違いに長寿命とは思ってません。

(2)個体レベルでは、一般には長寿命ではありますが、永遠の命ではありません。日本の花である桜「ソメイヨシノ」は寿命は数十年ですので、大方の人間は桜より長生きすることが可能です。

また、植物では動物と「個体」のなりたちそのものが違うことに留意する必要があります。

動物の場合は皮膚があり、筋肉があり、神経系があり、血管系があり、消化器があり、それら体全体を調和したものが一個体です。植物は細胞そのものの構成も単純ですし、全体が調和している必要も無い。動物は体全体の細胞同士が高度に調和し、植物にはない発展をした代償として、一部が駄目になってしまうと、それが全体に影響します。それが「死」ということです。

動物であれば、死にも「脳死」や「心臓死」や「細胞死」があり、細胞に生きる力が残っていても、脳が機能停止し、心臓が止まれば、「死」んでしまいます。植物には脳や心臓がありません。木一本で見た場合の生死というのは動物とは明らかに違うものであることを知っておくべきかと思います。

参考URL:http://www.fukuoka-edu.ac.jp/~fukuhara/keitai/4- …

この回答への補足

1.
>木には樹皮に近い部分に形成層という部分があってそこの部分のみが生きているのです。

形成層という部分のみが生きていると拝見して驚きました。勉強になりました。それは幹のあたりをおっしゃっているのでしょうか。それでは、幹以上の部分の葉や枝はどうなるのでしょうか。死んだ部分でしょうか。それとも生きている部分でしょうか。私は生きている部分だと思います。葉や枝は形成層から発するのでしょうか。

2.
木の死んだ部分は木に危害を与えますか。結局、木を死なせる原因になるのでしょうか。死んだガン細胞は人間に危害を与えますか。結局、人間を死なせる原因になるのでしょうか。

3.
>全体の調和がなく、増殖のみに特化し、本体が死んでもお構いなし、実験室では永遠に(あるいは半永久的に)生き続けることができます(ガン細胞はうらやましくはないでしょうけど)。

「増殖のみに特化する」とはどういう意味でしょうか。「本体が死んでもお構いなし」とは人間が死んでいても人間の体の中ではガン細胞は生き続けることができるということでしょうか。カビというものを思い浮かべました。

上の例は木の生死のどこと似ているのかもう一度教えていただけないでしょうか。私は次のご説明がよく理解できません。木を人にたとえられたのでしょうか。それとも木をガン細胞にたとえられたのでしょうか。

>生物を細胞で見る人の立場からは、植物はたとえて言うなら、ガン細胞が、自分の死んだ細胞の上にのってどんどん大きくなっていっているようなものです。実際に一個一個の細胞が100年も1000年も生きるわけではありません。その意味で「永遠の命ではない。」といいました。

4.
>実際に一個一個の細胞が100年も1000年も生きるわけではありません。その意味で「永遠の命ではない。」といいました。

それは理解できます。人間の場合でも、死ぬまで一個一個の細胞はずっと生きているわけではないと思います。細胞の新陳代謝は必要ですからね。

木の細胞が死んだら、元のところについていて抜けないような感じがします。こんな感覚であっているでしょうか。

人間の体の中の死んだ細胞はどこに行くのでしょうか。ずっと体に残されるのでしょうか。体を出る可能性はあるでしょうか。

5.
>木は生きながら死んでいる生き物ともいえます。

どうも細胞と木を切り離して見るのは難しいような気がします。細胞は木に寄生するものではなく、木に属するものではないかと思います。「細胞は死ぬ」のはただ細胞の新陳代謝のではないでしょうか。木という生き物が絶えずに新細胞を提供する力があれば、旧細胞が死んでいても、木は死んでいない、生きていると思います。新細胞の補充は旧細胞の代わりに、木を引き続き支えるでしょう。

「木は生きながら死んでいる生き物ともいえる」という言い方が理解できないのは、たぶん人間の体の中のある細胞が死んだら、「人間は生きながら死んでいる生き物」というのと同じように妙な感じがするからです。

6.
>日本の花である桜「ソメイヨシノ」は寿命は数十年ですので、大方の人間は桜より長生きすることが可能です。

桜ではなく、桜木でしょう。桜という花ならあっという間に散ってしまいますね。「この桜木は死んだ!」と判断なさった理由を教えてください。

7.
>胞レベルで見れば、動物細胞よりも植物細胞が段違いに長寿命とは思ってません。

「人間と木との中では、どちらが長生きでしょうか」と聞かれたら、「人間が生まれてから死ぬまで」と「木が生まれてから死ぬまで」とこの二つの時間を比べるでしょう。そうしたら、「木が生まれてから死ぬまで」の「死ぬまで」はどの基準をとられるのでしょうか。「自然に倒れた時点まで」と考えておかしいと思われますか。

私はいま木が自然に倒れた時点で「木は死んだ」と思います。木が自然に倒れるのをさせるのは新細胞の補充がなくなって木の体が弱くなったのではないでしょうか。新細胞が生きていても、木は自然に倒れるのでしょうか。

補足日時:2007/02/19 20:00
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 再びありがとうございます。少しわかるようになりました。どんな「細胞」であっても、なぜか「細胞」という単語自体が苦手です。「血管」も同じように気持ち悪い単語です。昔、生物の授業で顕微鏡を通して細胞などを見るのも大変です……。参考URLをゆっくり見る勇気がありません(><)。出来るだけ文字だけに集中してざっと読みましたが、頭が悪いのでよくわからないと思います。申し訳ありません。本当にありがとうございました。大変参考になりました。

お礼日時:2007/02/19 20:32

#10です。

ご返事ありがとうござました。

1、「人や木の一日も四季に似ている」と言って過言ではない」
:一日の生体のリズムが春夏秋冬という四季のリズム、
さらには幼・若・老・死という一生のリズムと殆んど同じ、という意味です。

人が「朝」起きて精神が次第に活動し始め、草木の葉が日光を感じ出すのは「目覚めの春」。
人が「日中」活発に活動し、草木が盛んに光合成を行なって栄養分を作るのは「活動の夏」。
人の活動や草木の光合成が次第に緩やかになる「夕方」は、「静かな秋」。
人が寝、草木が光合成をしなくなる「夜」は、「沈黙の冬」。
大雑把に言うと、このように対比できると思います。

人の一生が朝・昼・晩に譬えられることも多いでしょう。
エディプスコンプレックスで有名なギリシアの伝説「エディプス王」の中にも出てきます。
怪獣スフインクスがエディプスに出した問題で、
「朝は4本足、昼は2本足、晩は3本足で歩く者は何か」というものです。
朝は幼年期(手と足で這う)、昼は青年期(歩く)、夜は老年期(杖を使って歩く)と考えて、エディプスは「人間」という正解を出しました。

2、>人はどのようなに最小単位の元素に分解されますか
a.人体の構成元素は29種類あるようです。
私も見たことはありませんが。(^^;)
主要元素は以下のとおりです。
   水素(H) :60.3%
   酸素(O) :25.5%
   炭素(C) :10.5%
   窒素(N) : 2.4%
   リン(P) : 0.1%
   イオウ(S): 0.1%
さらに詳しく調べたければこちらをどうぞ。
http://www.geocities.co.jp/Beautycare-Venus/3423 …

b.骨もいずれは元素に分解されると考えて良いと思います。
ミイラは保存状態が非常に良いので長く分解されていないのでしょうが、いずれは元素にかえると思います。

c.下記URLでは、
「一般の樹木は、水ストレス(葉での蒸散にともなう根からの吸水の遅れ)、純生産量(総生産量から呼吸を差し引いた量)の低下や病虫害等によって枯死するが、同じ樹種でも生育環境によって寿命に個体差がある。」と書かれています。
http://elekitel.jp/elekitel/nature/2003/nt_16_mi …
下記では、世界最長寿の木「ブリッスルコーンパイン」が紹介されています。
4700年というのはすごいですね。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~hama-fuj/inyo.htm

3、「人が死ぬということは、肉体と精神の拮抗が完全に崩れるということです。」
「逆に言うと、生きているということは肉体と精神がお互いに拮抗している状態です。」
:人(=個)は、無(=死)の状態から生まれてきます。
そしてある程度は生きますが、やがて再び無(=死)の状態に戻ります。
受精したばかりの卵子は確かに生きてはいますが、限りなく死に近い状態と言えます。
つまり、死へ引き戻す力に対抗して生のエネルギーが必死で頑張っている状態です。
死へ向かおうとする力は、その後も存在し続けます。
フロイトはこれを「死の本能」と名付けました。
死へ向かう力は、根源的な安定に人を導くものです。
なぜなら、死(=無)は、自分が生まれてきた元々の状態だからです。

しかし、人が生まれる、生きる、ということは、この安定を拒否して自分を保存しようとするエネルギーの表象です。
この場合、死へ向かうエネルギーが全て無くなっているわけではありません。
これは、生のエネルギーが死のエネルギーより多い状態で拮抗している、と考えることができます。
面白いページがあったので、気が向いたら目を通してみてください。
http://www.lifence.ac.jp/goto/weblifence/spe/spe …

いずれにしても、殆んどは一凡人としての私見ですからそのおつもりで受け止めてください。
 

この回答への補足

1.
>骨もいずれは元素に分解されると考えて良いと思います。

そうですね。私の考え方は甘かったです。ミイラもいつか分解されるんですね。

前世と来世のようなものはあるでしょうか。なんかあるように思いはじめました。なぜ木を見た時ものすごく懐かしい感じがするのでしょうか。もしかして私の前世と関係があるでしょうか。

人が死んだら、元素に分解されて、いつか再度の組み合わせによって、また何か(物質か生き物)になると不思議に感じております。「来世があれば、あなたは何になりたいか」などの質問はばかばかしいと思っていましたが、来世は本当にあるように思いはじめました。また、人の前世もあったように思いはじめました。前世の何かが死んで、元素に分解されて、再度の組み合わせによって、偶然に今世の人という生き物になりました。人間は両親から命をもらいます。自然界に散らばっている元素は、どのように父親と母親の体に入ったのでしょうか。

2.
>一般の樹木は、水ストレス(葉での蒸散にともなう根からの吸水の遅れ)、純生産量(総生産量から呼吸を差し引いた量)の低下や病虫害等によって枯死するが、同じ樹種でも生育環境によって寿命に個体差がある。

水ストレス(葉での蒸散にともなう根からの吸水の遅れ)、純生産量の低下は木自体の問題なので、嬉しくいただきます。

ただ、病虫害は天災人禍に属しますね。「天災人禍に遭わなかったら、自然界の中では、木は死なない命」は、天災人禍によって木は死ぬと認めたと思います。

「倒れて死ぬ」は理解できますが、「枯死する」という考え方がよく理解できません。枯れ木は死んだと言い切った理由がよくわかりません。倒れていないのは、土に根を深く下ろし、立てる力をちゃんと持ち、命が残っている証拠だと思います。

中国語に「枯木逢春」(枯れ木に花が咲く。寿命を延ばす機会にめぐりあう)という言葉があります。もしかして、明日、もしかして、明日の明日、もしかして、明日の明日の明日、もしかして、私たち人間が死んだ次の日……いつか「枯木逢春」になると私は思います。

今回教えていただいた「ブリッスルコーンパイン」の参考ページに「生長している木をリビングツリー、枯れてはいるが立っている木はデッドツリー、枯れて倒れてしまった木はデッドウッドとよんでいます」という言い方があります。「デッドツリー」の写真をご覧になってください。死んだと思われますか。「枯れてなお数100年をもたち続けるという」と書かれていますが、その木は死んでいない、ものすごく強い命が残っていると私は思います。

補足日時:2007/02/20 17:59
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 再びありがとうございます。「目覚めの春」、「活動の夏」、「静かな秋」、「沈黙の冬」というまとめはすばらしいです。万物に対する適切のように思います。「人や木の一日も四季に似ている」という言い方は理解できるようになりました。「朝は4本足、昼は2本足、晩は3本足で歩く者は何か」は小さい時、なぞなぞの本で読んだことがあります。文字のとなりに絵がついているネタばれのおかげで、答えは「人間」だとすぐわかりました。怪獣スフインクスがエディプスに出した問題なんですね。

 参考ページによると、樹木の生きている細胞は、「葉肉細胞、師部、形成層、細根」だとわかりました。

 「死の本能」は勉強になりました。3のご説明はありがとうございます。言葉の意味はわかるようになりました。『こころ』の中の先生の話、「あなたは死という事実をまだ真面目に考えた事がありませんね」はまるで私に言ったのだと思います。参考ページの死についての三つのとらえ方も大変参考になりました。いま二人称の死ばかり心配しており、一人称としての私の死はまだ考えたことがありません。まだ修業不足だと思います。いつか悟るできるようにしたいです。参考ページのフロイトの話は私にとって難しいです。「お気に入り」に入れ、ゆっくり読んでみたいと思います。本当にありがとうございました。いろいろ考えさせていただきました。参考ページも大変助かりました。

お礼日時:2007/02/20 19:14

No.9です。



>「榊」という字は日本の方の苗字の中でも見たことがあります。すごい苗字ですね^^。

確か本来は 左が木という字ではなく、示 みたいな字だったらしいです。
この字の意味は神。
つまり 右も左も神 という字なわけです。
恐らくこの家系は普通の家ではなく、祖先を辿ると宗教関連の仕事に従事していた家系だと思われます。



>人間、天災が木を壊さないと、木は死なないものだと思っています。

屋久島にいくと樹齢何百年とかザラにあるそうです。
人間が切り倒さない限り、木は永遠に生きるのかもしれないですね。
酸性雨や伐採のし過ぎによる地すべりなどで、命が消えてしまうのかもしれない。
ただ、これは一種の自然の仕返し という捕らえ方をする人もいます。
自然を馬鹿にして、切って開拓しすぎたツケが、水不足など人間に及んでいる。

日本のほとんどの森林は戦後植林されたものだそうです。
なので自然の木じゃなく人口的に作られた山や森だそうです。



>木を眺めると、安らぎが心に訪れ、すごく懐かしい感じがします。

生命を育む機能がありますからね。
そこからちょっとだけ貰えばよかったのに、根こそぎもらっていったので、自然が人間に復讐しはじめているような気がします。



>流れる景色の中で、廃墟だらけの工事現場のたった二三本の木が生きている姿は、強いインパクトを与えてくれます。人間はなぜこのたった二三本の木を残したのでしょうか。

日本は家やビルを建てるとき、必ずお祓いをしてもらいますよね。
現代でも、方角や鬼門などは避けてビルを建てるらしいです。
どうしても避けられないときは、鬼門になにかを設置して、防御するそうです。

昔、呪術か陰陽かで、切り倒してはいけない木を切り倒したところ、工事の段階でたくさんの死者が出たそうです。
あわてて調べて抜いてはいけない木だったとわかり、元に戻したら、事故がなくなったそうです。

東京のビルとビルの間に「何故?」とぽつんと一角だけ木がそのまま残っているのは、そういう理由だそうです。



最先端の建築をやる場合も、そこだけはちゃんと専門家にみてもらい、神社の神主を招いて、お祓いの儀式をやったあと、工事を始めているそうですね。

迷信としては片付けられほど、実際に何か起こってきたようです。


ただ、私が思うには樹齢何百年でも、いつか水や養分を吸い上げる力が衰えて、養分がいかなくなった部分は朽ち果てると思います。
でも、根元の部分は若枝が生えていたりします。
人間と同じですね。
人間はたかだか100年でこの世を去りますが、人間からすると永遠と思えるほど長い年月を木はいきつづけている。
もはや 永遠といってもいいくらいです。
しかし、ほかの生命体を養っているところが、決定的に人間とは違うところ。
木はもはや神みたいなものかもしれません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 再びありがとうございます。

 「榊」という苗字の方はたぶん祖先を辿ると宗教関連の仕事に従事していた家系なのですね。そうらしいです。大変参考になりました。

 高層ビルやコンクリートに囲まれた人たちはかわいそうだと思います。蛇のように木に絡みついた電線や電球は醜いものです。人間は人間の誇りに思った製品によって自然との間に仕切りを作りました。心はそうならないようにしたいです。木を前にして、オリジナルの澄んだ心境に戻ったような気がします。

 東京のビルとビルの間にぽつんと一角だけ木がそのまま残っている理由は面白いです。「お祓い」は始めて知りました。自然が人間に与えた処罰、人間に対する復讐だと思っています。

>ただ、私が思うには樹齢何百年でも、いつか水や養分を吸い上げる力が衰えて、養分がいかなくなった部分は朽ち果てると思います。

 木も人間と同じように老化してある日死を迎えるものだとわかりました。ただ、倒れていなければ、その木は死んだとは思いません。ご親切に回答していただき本当にありがとうございました。大変参考になりました。

お礼日時:2007/02/20 22:25

科学的に見てしまうと自然界の中では木の命は有限です


ほぼ全ての生物に致死遺伝子が含まれています故

でも
周りの木を見て不思議に感じた心
「木の命が永遠」と思う心は捨てたらダメな気がします
大切な何かがその気持ちに入っている気がするです

科学を否定するわけではありませんが
科学的な思考であなたが感じた大切なものを捨てないでください
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。全ての生物に致死遺伝子が含まれているのですね。科学的なご説明は大変参考になりました。木の生命力に素直に感心する気持ちもあれば、大切な何かが木に移入している気持ちもあるかもしれません。心の中で普段目にしている木のように永遠を願っている、あるいは、そう信じたいかもしれません。感じた大切なものを捨てないようにします。本当にありがとうございました。大変助かりました。

お礼日時:2007/02/20 23:08

我是NO13。



非常感謝nin2教我自然的中文表現。我hen3高興。

>しかし、木は無限に大きくなる、重くなることはまずないように思います。私たち人間と同じように、木も大人になってある形に留まるのではないでしょうか。

nin2説的是”実際上”正確的。譲我付加一下。
人類由hen3多細胞組成。樹木也由hen3多細胞組成。但是、両者的成長結構不一様。人類的話、成人后新細胞経常取代旧細胞。就是、旧細胞消滅。所以、人類身体大小軽重是有限的。不過、樹木的話、成長后新細胞不取代旧細胞。就是、旧細胞残留。所以、樹木身体大小軽重都是理論上無限的。sui1然理論上無限、実際上有限。意思是、由yu2像強風、雪、雷、地震、火災等外圧、樹木的旧部分常常会被破壊、所以実際上樹木的大小軽重是有限的。

>普段見た木の中では、花を咲かない、実が成らない木もあります。

如果nin2知道不産生種子的樹木、請告訴我其名字。我不知道不産生種子的樹木。比如、除了hen3明顕的ping2果、桃子、梅樹、桜花樹、銀杏、葡萄以外、還有、杉、松、楓樹等都産生種子。在春天hen3多人得花粉症、這是杉花粉的。

>一本の木の中の芽と枝は新しい植物とは言えるのでしょうか。それは木自身の成長ではないでしょうか。

nin2説的是正確的。一ke1樹木的芽和枝也是其ke1樹木的一部分。上次我回答的時候、我以為在毎個芽和枝中的所有的細胞、在端粒的限制下、都不能分裂無限多次、所以、樹木也不能持続永遠的生命。然爾、后来、我発現了下面的両個新的事実。

(1)関yu2樹木、只有樹木的一部分才有細胞分裂能力。就是、只有枝和根的頂端以及樹干的周囲、才有細胞分裂能力。其他的部分、都没有細胞分裂能力。比如、樹干的中心没有細胞分裂的能力。所以、樹干的中心一段時間后枯死。只有樹干中心的外辺、才能有細胞分裂的能力。

(2)有的細胞含有停止端粒効果的物質、這個物質的名字是”端粒酵素(端粒mei2)(テロメラーゼ)”。具体地説、関yu2動物、生殖細胞含有端粒酵素、所以、理論上、生殖細胞能分裂無限多次。生殖細胞以外的一般体細胞不含有端粒酵素、所以、体細胞不能分裂無限多次。関yu2樹木、在上面(1)説明的有分裂能力的細胞(称成長細胞)含有端粒酵素。這意味着、理論上、樹木的成長細胞持続永遠的生命。

http://www.biotechworld.cn/content.aspx?id=4014
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AD% …

所以、nin2覚得樹木有永遠的生命是理論上hen3可能正確的。不過、”実際上”有問題。因為実際上有像下面的hen3多障ai4。這就是nin2説的”天災人禍”。

(1)強風、地震、洪水、雷、雪等物理上的破壊力。
(2)養分、水分、和太陽光等不十分。
(3)由yu2紫外線等在細胞里的遺伝基因被破壊。
(4)其他化学物質也可能破壊遺伝基因。

我反爾覚得為譲樹木有永遠的生命、最好的方法是在人類的管理下培育樹木。否則、hen3難避開上面的障ai4。

>私は新しい枝は木自身だと思います。新しい枝がなるのは、木は大きくなる、木の一種の成長と言えると思います。枝と葉は木の子どもではないと思います。

nin2説的是正確的。但、関yu2下面的問題nin2zen3me想。我hen3有興趣。

問題1: 差不多所有的樹木、即使其枝被切断后落下土壌、ta1也hen3可能産生新的根和新的枝。這ke1新的小樹木是不是元来的樹木的一部分?
問題2: 母親懐孕hai2子的時候、母親和hai2子之間由臍帯連接。這個時候、hai2子是不是母親的一部分?
問題3: 母親和hai2子之間的臍帯被切断后、這個hai2子還是母親的一部分me?
問題4: 人的単卵双胎児出生后、還是、同一人ma? 這個時候両個人的遺伝基因是一様的。情況上、和問題1一様、是不是?

>ただ、私はここで自然に成長する一本の木のことを討論したいです。

樹木的枝被切断、原因不一定是人類的行為。雷、雪、大風也可能切断樹木的枝、然后、在土壌中也産生新的根和枝。

>「この木は死んだ!」の判断の基準を教えていただけませんか。

一般、枯死的樹木是没有任何生命的証拠。生命的証拠是長大、経常有水分、産生新芽、産生新枝、産生葉、産生花等。但、像上面我説明、樹木的有部分、有無限多次的細胞分裂能力。如果正在枯死的樹木的hen3小一部分還没枯死的話、我hen3可能忽略。

>中国語に「枯木逢春」(枯れ木に花が咲く。寿命を延ばす機会にめぐりあう)という言葉があります。

如果用最多的注意力看的話、也許可能発現生命的痕跡。所以不応該放棄。在日本有「譲枯木開花的翁翁」的童話。
http://www.gakko.edu.mie-u.ac.jp/comp_ed/2001/sa …

最后、譲我幇助nin2学自然的日語。

>すべての木は【枯れた前】、開花、受粉、種を【成す】などの過程を経るのでしょうか。
すべての木は【枯れる前に】、開花、受粉、種を【作る】などの過程を経るのでしょうか。

>普段見た木の中【で】は、花【を】咲かない、
普段見た木の中【に或者で】は、花【が】咲かない、

>「たとえ枯れている木でも、完璧な方法で新しい命を生み出している」と【は】言えるのでしょうか。
「たとえ枯れている木でも、完璧な方法で新しい命を生み出している」と【】言えるのでしょうか。

>一本の木の中の芽と枝は新しい植物と【は】言えるのでしょうか。
一本の木の中の芽と枝は新しい植物と【】言えるのでしょうか。

>新しい枝が【なる】のは、木【は】大きくなる、木の【一種の成長】と言えると思います。
新しい枝が【伸びる】のは、木【が】大きくなる、(あるいは)、木の【成長の一種】と言えると思います。

>新しい枝が【なって】から木が死んだら、
新しい枝が【はえて或者伸びて】から木が死んだら、

>木が死んでも倒れない【と】何度も【お目にかかった】ことがあるとおっしゃいましたね。
木が死んでも倒れない【のを】何度も【見た】ことがあるとおっしゃいましたね。
関yu2【見た】、如果nin2想用敬語的話、用【ご覧になった】。如果nin2用【お目にかかった】的話、那意味着我対枯死的樹木表示敬意的意思。

>倒れないなら、【立てる】力をちゃんと持っており
倒れないなら、【立っている】力をちゃんと持っており

一般地説来、nin2的日文表現非常自然、我hen3難発現不自然的地方。只有看hen3多次、才能発現微小不自然的地方。

=====================================================================================
>nin2也許覚得即使植物寿命是【有限】、【也】植物総体的寿命可能是【無限】。
→nin2也許覚得即使植物寿命是有限的、植物総体的寿命也可能是無限的。
実は、この文の意味はよくわかりません。日本語で意味を書いていただければありがたく思います。
======================================================================================
対不起。我写錯了。

>nin2也許覚得即使植物寿命是有限、也植物総体的寿命可能是無限。
応該是---> nin2也許覚得即使植物【的細胞】的寿命有限、植物総体的寿命可能無限。

この回答への補足

返事が遅くなり申し訳ありませんでした。丁寧なご回答とご添削に感謝いたします。無知の自分が見えて汗をいっぱいかきました;;;;;。

人の細胞と木の細胞の違いはわかりました。なぜ人と木の大きさと重さがだいたい決まっているのかもわかりました。とても理解しやすく説明していただきありがとうございました。

木の枝と根のトップ及び幹の外側の細胞(成長細胞)しか分裂能力を持っていないのですね。細胞の分裂回数を制限する「テロメア」の敵、成長細胞にある「テロメラーゼ」の知識を教えていただき助かりました。理論上、成長細胞は永遠の命を持つのですね。

>如果nin2知道不産生種子的樹木、請告訴我其名字。

次の話はぜんぶ小学生(いいえ、幼稚園子)の話と聞き流していただければ幸いです。

松の花を見たことがないような気がします。松の実とはリスがよく収集するあれでしょうか。柳の花と実は見たことがないような気がします。桜木は花が散ったら、実はあるでしょうか。

木というと、葉、枝、幹をすぐイメージできます。「木に花が咲く」より、「木に葉が咲く」、「木に実がなる」より、「果樹に実がなる」のような言い方のほうがしっくりくるような気がします。たぶん私の潜在意識の中で、果樹と木は違うものだと思ってしまいました。実どころか、花さえも木とは関係がないと思いました。木に花を見かけても、ただの飾り物で、いつか葉と同じように散ってしまうと思いました。木に実を見かけても、どこから来たのかと不思議に思ったことがあります。木を再認識する必要があると思います。

私のいる町で「法国梧桐」(日本の方はそれを「プラタナス」と呼んでいる)という木は街路樹としてあちこちで見かけます。プラタナスにれいしのような果物がついています。でも、その果物は食べられません。中身は毛だらけです。冬のプラタナスを遠くから眺めたら、枝にコーヒー豆のようにかかっています。なぜプラタナスはそんな果物と一緒に生活しているのかとばかみたいに思ったことがあります。私はプラタナスの花を見たことがありません。でも、それは無知の私は気づいていなかっただけです。ネットで調べたらプラタナスは花が咲くとわかりました。これから気をつけるようにします。

プラタナスのほかに、もう一つの常緑の木もこちらで街路樹としてよく見かけます。名前はわかりません。周りの人に聞いてもわからないと言っていました。この木は一年中緑で、葉の形はかんらんのようで、大きさは小さいですが、かんらんよりやや大きいです。花と実もたぶんあるでしょうが、緑だけ集中するせいか、花と実に気づいたことはありません。これから気をつけるようにします。

大変恥ずかしいですが、すべての木は花が咲き、実を作るのでしょうか。種はどこにあるでしょうか。花粉の中にありますか。私は実の中にあるゴマのような粒だと思いました;;;;;。木の一生の使命は何だと思われますか。

>我反爾覚得為譲樹木有永遠的生命、最好的方法是在人類的管理下培育樹木。否則、hen3難避開上面的障ai4。

そうですね。周りの目に見える措置としては、木の幹は白く塗られるとか(防病虫害)、若い木の隣に石の棒を作って、ひもで木に結ぶとか。木にも寿命があるとわかりました。いずれにしても、木の寿命を延ばすことは人間ができることですね。

>問題1: 差不多所有的樹木、即使其枝被切断后落下土壌、ta1也hen3可能産生新的根和新的枝。這ke1新的小樹木是不是元来的樹木的一部分?

切れた枝そのものは木の一部分だけだと思います。新しい木になったら、元の木の子どもになると思います。新しい命の誕生はやはり子どものように感じました。

>問題2: 母親懐孕hai2子的時候、母親和hai2子之間由臍帯連接。這個時候、hai2子是不是母親的一部分?

はい、そう思います。臍帯で繋がっている時の子どもは母親の一部分だと思います。

>問題3: 母親和hai2子之間的臍帯被切断后、這個hai2子還是母親的一部分me?

臍帯を切られたら、その子どもは体に母親の血が流れているただの子どもだと思います。母親の一部分だとは思いません。

>問題4: 人的単卵双胎児出生后、還是、同一人ma? 這個時候両個人的遺伝基因是一様的。情況上、和問題1一様、是不是?

申しわけありませんが、この質問の意味がよくわかりません。「単卵双胎児」とは双子のことでしょうか。「両個人」は誰のことを指すでしょうか。私は人の遺伝基因のことがぜんぜんわかりません。双子の遺伝基因は同じですか。問題1と同じだとおっしゃる理由は何でしょうか。

補足日時:2007/02/23 03:39
    • good
    • 0
この回答へのお礼

添削は字数オーバーになったので、文面の並び方が悪くて申し訳ありません。『はなさかじいさん』の童話はちょっと悲しい感じがしますが、悪人はやはり「悪有悪報」と知って嬉しいです。
>非常感謝nin2教我自然的中文【表現】。
【表現】→【表達】
>nin2説的是【”実際上”正確的】。譲我【付加一下】。
nin2説的是【”実際情況上”的正確】。譲我【再補充幾句】。
>就是、旧細胞【消滅】。
【消滅】→【消亡】
>比如、除了hen3明顕的【ping2果】、【桃子】、梅樹、桜花樹、銀杏、【葡萄】以外、還有、杉、松、楓樹等都産生種子。在春天hen3多人得花粉症、這是【杉花粉的】。
比如、除了hen3明顕的【ping2果樹】、【桃樹】、梅樹、桜花樹、銀杏、【葡萄樹】以外、還有、杉、松、楓樹等都産生種子。在春天hen3多人得花粉症、這是【杉的花粉的原因】。
>這意味着、理論上、樹木的【成長細胞持続永遠的生命】。
這意味着、理論上、樹木的【成長細胞将保持永遠的生命】
>所以、nin2覚得樹木有永遠的生命【是理論上hen3可能正確的」。不過、【”実際上”有問題】。
所以、nin2覚得樹木有永遠的生命【理論上是hen3可能正確的」。不過、【”実際情況上”是有問題的】。
>養分、水分、和太陽光等不【十分】。
【十分】→【充分】
>【母親懐孕hai2子】的時候、
【母親懐孕hai2子】→【母親懐孕】あるいは【母親懐了hai2子】
>人的【単卵双胎児】出生后、還是、同一人ma? 這個時候両個人的遺伝基因是一様的。情況上、和問題1一様、是不是?
【単卵双胎児】は「双子」の意味でしょうか。この文の意味がよくわかりません。「双子」は「双胞胎」と言います。
>但、【像上面我説明】、樹木的【有部分】、
但、【像上面我説明的一様】、樹木的【有些部分】、
>如果用【最多的】注意力看的話、
如果用【最大的】注意力看的話、
>「譲枯木開花的翁翁」
「譲枯木開花的老爺爺」
>一般地説来、nin2的日文【表現】非常自然、我hen3難発現不自然的地方。只有看hen3多次、才能発現【微小】不自然的地方。
【表現】→【表達】、【微小】→【細微】

お礼日時:2007/02/23 04:54

no12です。



>大きくなってゆくと自身の体の立体的な大きさに対し、
>表面積の割合が小さくなって行き」の中の
>「表面積の割合が小さくなって行き」がよくわかりません。



例えば立方体の形をした樹木があったとして、その木の1辺1だったとします。
その時、表面積は1^2×6=6、その木の体積は1^3=1です。 表面積/体積6/1=6

その樹木が生長して1辺の長さが2になったとしますと、
表面積は2^2×6=24、体積は2^3=8 表面積/体積=24/8=3

その樹木が生長して1辺の長さが3になったとしますと、
表面積は3^2×6=54、体積は3^3=27 表面積/体積=54/27=2


その樹木が生長して1辺の長さが4になったとしますと、
表面積は4^2×6=96、体積は4^3=64 表面積/体積=96/64=3/2


その樹木が生長して1辺の長さが6になったとしますと、
表面積は6^2×6=204、体積は6^3=204 表面積/体積=204/204=1

その樹木が生長して1辺の長さが9になったとしますと、
表面積は 9^2×6=486 体積は9^3=729  表面積/体積=486/729=2/3


と、単純に考えればこのように成長に伴い単位体積当たりにに割り当てられる表面積の割合は
成長すればするほど小さくなって行きます。 そしていつか自分の生命を維持できほどの
表面積を得る事ができなくなる大きさに達する時が来るのではないでしょうか?

もちろん樹木の内部はほとんど死んだ細胞なので、上記の計算を単純に当てはめる事は
出来ないと思いますが、寿命を決めるひとつのファクターだと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 再びありがとうございます。今回はよくわかりました。大変理解しやすく説明していただき心より感謝いたします。大変参考になりました。

お礼日時:2007/02/23 13:32

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!