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「去来抄」の、『行く春を近江の人と惜しみける』 についての文章について質問です。

「・・・・春を惜しむに便りあるべし。」の【便り】というのは、この場合どういう意味なんでしょうか?

また、近江は丹波にも置き換えられる という意味の言葉が出てきますが、何故「丹波」なのでしょうか?
都という意味でしょうか?

よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

便りあるべし・・・最もふさわしい情景であろう。

「便り」は、縁。ふさわしこと。
西谷元夫『注釈 近世俳文』より

この文章に「古人も此の国に春を愛すること、をさをさ都におとらざるものを」とあるところから「都という意味でしょうか?」と考えたのかと思いますが、丹波に都がおかれたことはありません。
なぜ「丹波」なのか分からないので以下は想像です。
京の都をはさんで、右に近江、左に丹波という地理的な位置関係から、また、近江が交通の要衝であったように、丹波も丹後や山陰に通ずる要地であり、都の出入り口として為政者に重視された地域という類似性から、口を衝いて出てきたのではないでしょうか。

以下参考までに

山本健吉『芭蕉三百句』
芭蕉は古来風雅の士はこの国の春を惜しむこと、おさおさ都の春に劣らなかったという。芭蕉の伝統論の展開である。芭蕉の詩嚢の中には、琵琶湖の春を詠んだ多くの古歌が存在していたらしい。それらとの中に開けていた詩的交通の道から、こういう句が生み出されたのである。

幸田露伴『評釈猿蓑』
此句、句中に何となく景気の浮ぶあるをもて宜しきなり、景気の浮べるあるところよりおのづと惜春の情にうつるが宜しきなり。
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