電子書籍の厳選無料作品が豊富!

名にしおわば いざ事問はむ 都鳥 わが想う人は 在りや亡しやと・・・・・在原業平
閑さや岩にしみ入蝉の声・・・・・松尾芭蕉

 何故この二つが並んでいるか?

 業平の「都鳥」に関して、ミヤコドリ科のミヤコドリなのか、通称都鳥と呼ばれるカモメ科のユリカモメの事なのか、色々論争が繰り広げられたと云う事です。
 芭蕉さんの蝉についても、ミンミンゼミかアブラゼミか、こちらも同様だったようです。

 バカバカしいですね、どっちだって良いじゃないですか。
 それに確認のし様が無いので、いくら議論したって何の意味も無いですね。

 しかし、そう云う事を私はどう受け止めるか?答えは、大好きですね。
 そういうどうでも良い事、バカバカしい事を一生懸命議論する、そう云う所が人間臭くて良いと思います。生きる為に必要な事以外すべきではない、そんな世の中嫌ですよ、「欲しがりません、勝つ迄は」みたいにね。
 中学校の生活指導の教師が良く云っていました。「それが本当に必要か?」「何の必要があってそんな事を…」、私は思っていました、「必要一点張りに凝り固まる必要がありますか?」「それより先生よ、必要必要って、じゃあアンタ、何の必要あって生きてんの?」ちょいちょい、話がそれ過ぎた。
 上述のミヤコドリかユリカモメか?アブラゼミかミンミンゼミか?そんな事を大真面目に議論する、そう云う事が出来るというのは、平和な世の中であると云う事、人間が人間らしく生きている世の中だと思います(ちょいと大袈裟かいな?)。
 ついでに芭蕉さんの句の蝉は、アブラゼミでもミンミンゼミでもないと私は思います。
 一匹のミンミンゼミかアブラゼミが鳴いている場合、近くに、少なくともその蝉の声が届く範囲に必ず別の個体(ミンミンゼミかアブラゼミ)がいて鳴いている筈である。ミンミンゼミかアブラゼミ一匹の蝉の声だけが響いていると云う事はありえず、一帯が蝉だらけになっていてうるさい筈である。決して「閑かさや」と云う上句に相応しい情景は現出しない。ヒグラシかツクツクボウシだと思います。

 又脱線した、質問は以下の如くです。

 上述の都鳥や蝉のように、有名な俳句や和歌に関して、同様な一見バカバカしい論争が繰り広げられた例、他にございましたら紹介してください。

 宜しくお願いいたします。
 以上

A 回答 (3件)

大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は



鴎はユリカモメだと言うもの。
そんなのあり得ない。万葉学者は伊勢物語を読んだことが無い。
白き鳥の嘴と脚と赤き鴫の大きさなる水の上に遊びつつ魚を食ふ。京には見えぬ鳥なれば、皆人見知らず。
隅田川にいるこんな鳥はユリカモメだな。
ちなみに昭和43年以前はユリカモメは居なかったが、今は鴨川にもいる。

蛇足だが、鹿の子斑の富士を見てから隅田川で冬鳥のユリカモメまでどこをほっつき歩きいたのか?
どうでも良いことだが。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

ありがとうございます、更におもしろいですね。
 私は、伊勢物語の「名にしおわば・・・」の前に、「白き鳥の嘴と脚と赤き鴫の大きさなる・・・」の一節がある事を知りませんでした。それから判断するとユリカモメと特定できそうですが、論争があった理由が更に疑問になります。

 私は、鳥類図鑑のユリカモメの説明から当該論争の事を知りました。よって伊勢物語に関する知識は皆無であったので、 hanatsukikaze さんから頂いたご回答を読んで慌てて伊勢物語の事を調べました。

 更に「蛇足だが、・・・」と書かれている内容も面白過ぎます。
 駿河の国で夏、富士山を眺めての事を述べた直後に、「なほ行き行きて・・・」となって、隅田川の都鳥の一節に移っていて、あたかも2~3日後みたいな感じですが、季節が夏から冬に変わっていますね。
 後々なら鎌倉や横浜で遊んでから江戸に入って、江戸市中で暫く遊んでから、隅田川にたどり着いたか???とも考えられますが、当時は江戸も鎌倉もど田舎で何も無い。現在の横浜の中心部が陸地になるのはその千年後くらいであるので、本当にどこをほっつき歩きいたのか?
 
 頂いたご回答によって色々調べ、視野が広まりました。
 有難うございました。

お礼日時:2016/02/13 23:54

回答ではないですが。


ミヤコドリがなぜミヤコドリと呼ばれていたか。ちょっとネットを見回しても載っていないのですが、私がどこかで読んだ説によると。
このミヤコドリとはウミネコのことである。ウミネコはその名の通り、ネコのような鳴き声を出す。
「ニャーコ、ニャーコ」と。
それを、東人はミヤーコ、ミヤーコと聞いたので、ミヤコドリと呼んだのだと。
この説を私は信じていました。
よって、ミヤコドリの正体は、ユリカモメでもミヤコドリでもなく、ウミネコなのです。
ウミネコとユリカモメは外見が似ているので、その後混同されるようになったのでしょう。
ついでに言うと、芭蕉の句にセミはいない、というのが私の持論です。
『奥の細道』を読むと、山寺のふもとに着いたのは、もう夕方に近い時間です。
そこから、山寺に登ったと考えると、到着したときはすでに夕闇迫っていたのではないでしょうか。
だから、ヒグラシかなとも考えました。
しかし、もうセミは鳴いていなかったのではないでしょうか。
「静かだなあ。さっきまでやかましく鳴いていたセミの声は、岩にしみこんでしまったのだろうか」
というのがこの句の解釈だ、と考えます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

tun55 さん、書き込み有難うございます。
ウミネコがミヤコドリ!?それも新説ですね。

それとセミは鳴いていない、新しい解釈ですね。
確かに古池の句についても、かえるは飛び込んでないという解釈もあるそうです。

話は飛びますが、芭蕉さんの「旅に病んで・・・」の句について、あれは亡くなる直前芭蕉さんが幽体離脱を起こして実際に枯野を駆け巡っていた、正気に帰ったとき、その事を芭蕉さんは夢の中の出来事と解釈し、その句が生まれた、と云う可能性もあるな、と私は想像しています。

その事を若い頃、大学時代の先輩二人と呑んでいるときに話しました。二人とも文学好きな方です。一人は「そんな事無い、旅というのは人生の事であって・・・」と否定しましたが、もう一人は、「うーーん、それは新説だぞ」と深く何度もうなづいていました。

お礼日時:2016/02/22 23:13

同じく万葉集に


大君の 任きのまにまに 取り持ちて 仕ふる国の 年の内の 事かたね持ち 玉桙の 道に出で立ち 岩根踏み 山越え野行き 都辺に 参ゐし我が背を あらたまの 年行き返り 月重ね 見ぬ日さまねみ 恋ふるそら 安くしあらねば 霍公鳥 来鳴く五月の あやめぐさ 蓬かづらき 酒みづき 遊びなぐれど 射水川 雪消溢りて 行く水の いや増しにのみ 【鶴が鳴く】 奈呉江の菅の ねもころに 思ひ結ぼれ 嘆きつつ 我が待つ君が 事終り 帰り罷りて 夏の野の さ百合の花の 花笑みに にふぶに笑みて 逢はしたる 今日を始めて 鏡なす かくし常見む 面変りせず
詞書きにも「天平感寶元年閏五月廿七日」と夏なのだが、渡り鳥の鶴は夏には居ない。
鶴をコウノトリだと云う者もいるが、コウノトリは鳴かない。葦辺をさしてたづ鳴き渡る事が無い。
白鳥もしかり。
富山湾に居るのは、アオサギくらいか。ギャーギャー鳴く。

隅田川で鳴いていたユリカモメを船頭が、「お前ら都人のように鳴いてうるさいから都鳥だ!」と適当な事を言ったのであろう。
いざこととはむと云って、東京の幹線道路の言問い通りの名前に残っている。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

再び有難うございます。
 鶴についてですが、確かに、生物分類学の詳しい知識の無い方が、というより誰もが専門知識を持っているわけではないので、間違いが作品にあらわれても仕方ない事でしょうね。
 アオサギを鶴と誤認したか?この推測もおもしろいですね。
 本物の鶴を見た事無い人が、首を伸ばした状態の鷺を遠くから見て鶴と思っても不自然ではありませんね。

> 「お前ら都人のように鳴いてうるさいから都鳥だ!」と適当な事を言ったのであろう。
 ユリカモメが通称「都鳥」と云われるのは、この歌からなのでしょうか?

> 東京の幹線道路の言問い通りの名前に残っている。

 そうですね、これと「言問い橋」その近くの「言問い団子」。
 私の妻は言問い団子が美味しかったと喜んでいました。お土産に持って帰れる仕様の商品がなかったことを、残念がっていました。

お礼日時:2016/02/15 16:50

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!