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私は、洗礼を受けていませんがキリスト教の影響を受けています。母は無宗教、父は神道を信仰しているようです。カトリック系の本に死者のうち天国に行くのは5%、煉獄に行くのは15%、地獄に堕ちるのは80%と書いてあります。天国にいくのは、罪を犯す暇もなく死んだ子供が多いと言うのがどこかのホームページに書いてありました。私は、モーセの十戒さえも守れないので死んだら地獄行きだと思っています。小さいうちに死ねば良かったよかったと思っています。死ぬ間際に聖書の帰ってきた放蕩息子のように悔い改めて死ねればいいと思うのですが、私はうつ病で自殺願望があります。私は地獄に堕ちるのしかないのでしょうか。また、こんなに多くの人が地獄に堕ちると言うことは人は地獄に堕ちるため生まれてくるのでしょうか。
 カトリック教会では、煉獄について教えているでしょうか。浄土真宗みたいに自殺しても極楽浄土にいけるのはうらやましいのですが、神様はそんなに甘くないでしょう。カトリックの方教えてください。

A 回答 (9件)

ちょっと待って下さい。

カトリック教系の本にそんないい加減な事が書かれているのですか?

近年カトリックでは、あまり煉獄に触れる事はありません。しかし私が洗礼を受けた頃は普通に習いました。
煉獄とは、全くの無垢ではないが、天国に行く資格が十分にある人が、残りの小罪を消化するために一時的に行く所です。それは地獄の業火に次ぐ業火ではありますが、短時間で、その後は天国に迎えられます。
従って煉獄へ行くのが15%なら、天国に行くのは5%+15%です。
 それに、罪を犯した者が全て地獄に行くなら、天国に入れるのは水子だけでしょう。そんな事が本当なら、カトリックは宗教として成り立ちませんね。
 私の堅信名であるペトロは3回も「彼(キリスト)を知らない」と言いましたが、今は地獄にいるのでしょうか?でも彼は初代ローマ教皇ですけど。

 罪を犯すということは特別な事ではありません。天国への旅の途中にある繁華街や観光地みたいなものです。「いいじゃないか」で寄り道すれば怒られるでしょうが、土産物を買うのは天国にいるヒトのため。小言は言われても、入れてくれない事はないと思います。
 私達は弱いから、この世に生まれているのです。目的地さえ見失わなければ大丈夫ですよ。

むしろ、魂は自分のものですが、身体は借り物ですから、粗末に扱わないようにしましょう。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%85%89%E7%8D%84
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/06 08:18

私はどちらかと言うと、いわゆる神道に近いと自分では思っています。


付物神という言葉に代表されるように、どんなものにも命は宿っていると思っています。
ただ、地獄・天国というのは、観念的なものであり、宗教の言うそれらとは違うと思っています。
この世界の中で、輪廻転生を繰り返しているのだと思います。
自殺して、地獄へ行くか、天国へ行くか、それはわかりません。
昔読んだ本の中で、中国奥地に、そこで謝罪すると全ての罪は許されるという遺跡があり、馬賊や盗賊等がそこで謝罪し、許されたとしていると書いてありました。
臨死体験談等を見聞きすると、色々なことが書いてあります。
しかし、結局は他人事です。
一例を挙げれば、東京など、震災・空襲等で何千万人もの突然の、しかも苦しんで死んでいった人がいます。
また、孤独死する人も、引き取り手のない死体も毎年出るそうです。
しかし、その割には「化けて出てきた」という話はあまり聞きません。
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は、大元をたどれば一つだそうです。
宗教なんて、そんなものです。
一つのことを深く考えすぎて、他のことを考える余裕が無くなると、鬱になり、死にたくなるのだと思います。
死にたくなくても死ななければならない人は大勢います。
そういう人たちのことも考えてみてくださいな。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2007/03/05 23:46

信じれば救われます。

どんな悪い人でも
罪人=悪いことをした人ではありません。
イエスを信じない人=罪人です

どうか 神様に天国にいけるように祈ってください

すべてを開放してくださる神様にうつ病から開放してくださるように祈りましょう。

一度教会に行きましょうね。そして神様に告白してください。

そして本当の神様の愛に触れてください。
放蕩息子も神様の元に戻りましょうと心から願った だからそれから祝福された人になりました。
娼婦の女性はどうしたのかな?「あなたを信じます」と告白して
「心配しないでよい。あなたの信仰が救った」とイエスが言ったんだよね。イエス様は今も生きてます。そして聖書の奇跡は信じる人に今も行われてます

自分を好きになってください。神様はstorm50さんを愛してますよ

どうして神様に興味をもったの?神様の本当の教えをしってほしいから
(僕も実は自殺願望でしたけど、「神様は私を愛して あなたに罪はないとおっしゃいました。」)

一緒に祈りましょうね
昔のことを忘れ ただ心を開き「どうか、今までのことを忘れ新しく
してください。どうか私を癒し新しい者 あなたを信じることのできる人にしてください。私はあなたを愛し天国に行きたいです。
「イエスの名前で祈ります」と・・・・・・ 

誰でも新しくなります。そしてイエス様を信じてください
信じる人には奇跡があります。神様は愛の神様 昔の事を忘れひざを伸ばし 夢 愛を持ってください。
信仰を持ってください。神様はstorm50様を信じてますよ~
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2007/03/05 23:48

> 浄土真宗みたいに自殺しても極楽浄土にいけるのはうらやましいのですが、


> 神様はそんなに甘くないでしょう。
浄土真宗とキリスト教では、そもそも機能や役割が全く違います。
キリスト教と仏教(それも浄土真宗)をそのように比較するのは
おかしいと感じます。
旧約聖書の世界の中心概念は「契約」という考え方です。
ここでの宗教は絶対神との契約によって成り立っています。
契約とは「守らなければならないもの」ですから
人間に対しては「法律」として機能します。
キリスト教の前身であるユダヤ教とは基本的に「法律」です。

> モーセの十戒さえも守れないので死んだら地獄行き
それはユダヤ教の考え方です。
ただし、ユダヤ教は民族宗教なので個人個人の救済はありません。
契約に逆らった民族は滅ぼされるだけです。

キリスト教にあってユダヤ教にないのが個人救済の考え方ですが
この前提として「原罪」という大事な概念があります。
人間は原罪を背負う以上、もともと神に逆らうように出来ています。
だから自己努力では救われません。
多くの日本人には「救われるには善行を積めばよい」という感覚がありますが
それは日本仏教や神道の教えが混ざってしまっています。
キリスト教は一神教であり神は絶対存在です。
「私は善行を積みました、だから救ってください」というような
矮小な人間の思惑が通じる存在ではないのです。
どんなに善行を積もうと、神がダメといったらダメなのです。
それを理解した上で神の愛を信じて、初めてキリスト信仰が成立します。
(だからキリスト教圏では無宗教=神に見放された人になるのです。)

話しだせば限りがなくなりそうです。
もう少し、きちんと体系的に宗教を学ばれた方がイイように感じます。
> 人は地獄に堕ちるため生まれてくるのでしょうか。
そういう人を救済するために考え出されたのが浄土真宗です。
> 浄土真宗みたいに自殺しても極楽浄土にいけるのはうらやましい
それなら浄土真宗に入ればイイ、と私などは思ってしまうのですが
それではダメなのでしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/05 19:31

一応カトリックです。


しかし哲学の徒なので、教義からは逸脱していることは前もって釘を刺しておきます。

「救われる人は少ないのでしょうか?」という弟子の問いにイエズスが答えている箇所があります。この時イエズスは直接に多い少ないとは答えず「狭い戸口から入りなさい」という風に説いています。これは普通に考えると、少ないということになるでしょう。他にも例がありますが、こうしたことなどのイメージがあり、地獄や煉獄や天国の配分は大体こんなもの、という風に数値化されたものと思われます。

しかし、数値や割合など、問題ではないのです。私に言わせれば、カトリックを信じているから救われる、などと思うことはとんでもない。カトリックだって十分広い戸口です。
よく「信じる者は救われる」などという文句がありますが、これは騙す、あるいは誘惑する人の言いそうなことで、現実には、信じたとしても救われるとは限らないのだと思います。逆に信じなくとも救われる人もありうると私は考えます。ならば信じることなど無意味ではないかと思われるかもしれませんが、そういうことではありません。信じる信じないという問題を自分が救われるか救われないかという問題と結びつけるのは間違いだ、ということなのです。
ですから、救われないかもしれないがそれでも信じる、くらいなら立派な信仰だと申せましょう。自分が救われるか救われないかで信じるものを決めるというのは、信仰よりも自分の方が大切だということになってしまいます。

おそらくstorm50さんのうつ病は、「自分の救いを強く願う反面、駄目な自分に嫌悪を抱いている」ことによるものだと思われます。その自覚は実は大事なことなのです。
「駄目な自分」というのは変わらないとしたら、変えられるのは「救いを願う」という部分です。「救われないかもしれない、でもそれでも仕方ないさ」と諦めに近く開き直ることができた時、救いはそこにあることになるでしょう。

カトリック自体は自殺に否定的な教義を持っています。しかし、心配することはありません。守ることのできない掟を並べ立てる人間よりも、「重荷を負う人は私のところに来て休むといい。私の荷は軽い」と招いてくれるイエズスの方がよほど穏やかな顔をしていると考えます。私の見方では、イエズスとは「掟から解放する者」です。現実問題として、自殺してはいけないという掟には根拠がなく、また自殺していいという許可にも根拠はないのです。その時自殺はなんら問題でもなくなります。ですから安心していいのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2007/03/05 15:50

私は、クリスチャンではありませんが、キリスト教にかなり興味を持っている者です。


カトリックの方であるのであれば、神父さんの話をよく聞き、疑問があれば相談してみましょう。

神は、「人間が罪を犯さずにはいられない」と言う事をよく理解しておられます。
人の罪は、罪を犯す事ではなく、悔い改めない事なのです。
罪を犯した事を、真に悔い改めたのであれば、神はその事を必ず見ています。
真に罪を悔い改める事で、その罪が無かった事になるのです。
神が罰を与えるのは、いつまでも罪を悔い改めない場合や、偽りの懺悔を行う場合です。
自殺の場合、決定的に不利である事は、自殺してしまうと、自殺の罪を悔い改める機会が無いという事です。
天国に行くか地獄に落ちるかは、生前の行為の一つ一つを神が判断し決めるのです。
生前から善行を積んでおき、それが罪を上回れば天国へ行けるのです。
死後を心配するのではなく、毎日祈りを欠かさず善行に励めば、神様は、必ず答えてくれます。

ちなみに、
>グノーシス派の運命に象徴されるように「異端」としてカトリック信者たちにより皆殺しにされました。

これは、グノーシス派ではなく、カタリ派の事です。
キリスト教諸派の中で、輪廻転生の考え方を持った唯一の教派が末期カタリ派です。
カタリ派は、当初グノーシス派的二元論を教義としていましたが、カタリ派への弾圧が激しくなるにつれ、グノーイス的教義から輪廻転生的教義へと移行してゆきます。
カタリ派は、グノーシス的二元論を教義としたため弾圧されたのであり、輪廻転生の考え方は、弾圧された中で生まれてきたのです。
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私はカトリックではありません。



キリスト教は、死後の世界について明確な答えを持っていません。イエスは若い時、エジプトで修行したので、転生輪廻のことは理解していたわけですが、教会という組織ができて統治手段となっていく過程で、死後の世界に関する霊的な教えは、支配階級に反抗する危険な思想犯とされ、グノーシス派の運命に象徴されるように「異端」としてカトリック信者たちにより皆殺しにされました。(ダビンチコード等参照してください)
なお、キリスト教は「転生輪廻」を否定しますが、聖書にはしっかりとイエスの言葉でそれを認める発言が書かれています。(編集の過程で聖書から削除し忘れたのでしょうね)

ですので、No2.の回答者が書かれたように、死後の行き先について無知であるカトリック系の本の記述した内容はでたらめです。気にしないでいいと思いますよ。

また、自殺したら、浄土真宗の信徒であろうと、とりあえずは地獄行きでしょう。そこはどの宗派の信徒でも平等に扱われます。

>>こんなに多くの人が地獄に堕ちると言うことは人は地獄に堕ちるため生まれてくるのでしょうか。

地獄行きの比率は80%まで大きくはないようですが50%程度にはなるようですね。もちろん地獄に堕ちるために生まれてくるのではないですよね。たとえ、「退屈だった農耕文明を脱皮した科学技術の発展した現代文明を謳歌して楽しむぞ!」という意気込みで生まれたとしても、地獄行きまでは予定していないと思いますよ。

でも、学生時代の夏休みの宿題が予定どうりに完了しないのと同様に、さまざまな誘惑に負けてしまって、誕生前に計画していた「理想コース」ではなく、「最悪コース」に進んでしまう人たちが多いんだと思えます。

ところで、最近は、労働環境が悪くなり、うつ病の人が増えているようですね。たぶんそういう精神状態で自殺などすると、「いくらPCで仕事をやっても、同僚の前で上司に怒られるシーンが続くオフィス地獄」なんてところに行っちゃうかな?(こんなのあるかどうか知らんが・・・)

「ノルマや責任があって、でもいくら頑張っても、ちっとも出来ない」って状態が続くと、鬱になりやすいです。人間として生まれてきて、(会社や学校などから要求される)過大な課題を絶対やらないとダメか?っていうと、全然そんなことないんです。マイペースでやっていけばいいんです。ノルマが達成できなくても、成績が悪くても、できなくても、現代では、殺されることありません。派遣の大前さんではありませんが、「できませんが、それが何か?」って開き直ってしまえば、心は楽になりますよ。

いくら頑張っても、できないことはあります。「すいませんが、できません」と素直に言っちゃえばいいんです。

(私もシステム開発やっているとき、全然できなくて、一瞬自殺を考えたことあるので、よくわかります)

田舎に行って、満天の星空を眺めたりすると、宇宙からみたちっぽけな自分の悩みがバカバカしくなってきますよ。
それから、鬱の方には、荘子・老子の(なまけもの?)思想がお勧めです。がんばらないでいきましょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2007/03/04 21:50

[カトリック系の本に死者のうち天国に行くのは5%、煉獄に行くのは15%、地獄に堕ちるのは80%と書いてあります。

]
どう書いてあろうとまったくのでたらめ。ですね。
実際に煉獄に行っているのはヒットラーほかごくわずかですね。ほとんどの人は多少の反省期間はある人もいるけど必ず天国に戻ります。天国からしか生まれてくることができないというのが事実だから、もし本にあることが事実なら世界の人口が増えるわけがないですしね。信じる信じないは自由だけど「でたらめ=大嘘」ですね。

この回答への補足

人は天国から生まれてくるのですか。天国は永遠の救いの世界なのでずっと天国にいればいいのに。

補足日時:2007/03/04 21:11
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/04 21:13

質問者さんが言う天国、煉獄、地獄に行く割合の元ネタは、ある聖人の幻視だと思います。

私もその話を聞いたことがあります。
しかし、聖人の言った事=カトリック教会の教えではありません。カトリック教会の神学の根本部分を作った聖アウグスティノでさえ、その予定説はカトリック教会の教えから外されています。(後にカルバンが取り入れましたが)
というわけで、どのくらいの割合で天国、煉獄、地獄に行くのかは神のみぞ知るというのが答えです。
せっかくですので、御質問の話と正反対の話を教えましょう。
ある聖人のもとに顔見知りの婦人が来て、次のような相談を受けました。「夫が飛び降り自殺をしてしまいました。夫は今地獄にいるのでしょうか?」これを聞いた聖人は御主人は今天国にいますと即答しました。
でも自殺は地獄行きでしょうといぶかる婦人に、御主人は生前、大変熱心に聖母信心をしておられました。このような方をマリア様が見捨てるわけがありません。飛び降りてから死ぬまでの間にマリア様の祈りによって完全な痛悔をしたので、今天国にいるのです。と聖人は答えたとのことです。
私はこちらの話の方が好きですが、いかがでしょう。

この回答への補足

とても良い話ですね。

補足日時:2007/03/04 19:28
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2007/03/04 19:27

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