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江戸時代の人はどのくらい旅をしていたのでしょうか?
先祖の墓参りの旅はあったでしょうし、お伊勢詣りなどが有名ですが、どのくらい移動の自由に制約があったのでしょうか。
身分によって旅が禁じられていたりしたのでしょうか。

松尾芭蕉のような旅人は結構いたのでしょうか。

A 回答 (3件)

 江戸時代の農民や町民は驚くほど旅をしていたようです。

家を空けて旅に出ている日数を計算すると、現代人よりも多いかも知れない程です。「趣味と贅沢と市場経済」をキーワードに検索すると、参考になるサイトがあります。
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この回答へのお礼

検索してみました。
現代人の海外旅行並みに当たり前のことだったのですね。

ありがとうございました!

お礼日時:2007/03/07 14:55

 NO.1です。

追加。
 大名の家族は人質の意味合いがありますので、江戸を出るのは大変だったと聞いています。
 それから、往来手形は発行する人の身元保証書的な性格がありますので、通常の庶民は概ねOKですが、書いてくれない人も存在したことは確かです。
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この回答へのお礼

箱根関所は小田原藩に委託されていたらしいですね。確か関所の頭は千五百石取りくらいの重職だったような気がします。
お寺が手形を発行するというのは意外な感じがしました。

ありがとうございました!

お礼日時:2007/03/07 14:57

 時代劇の関所改めのシーンなどを見ますと、旅行の制約は大きかったように思わされてしまいますが、実際はそれほどでもなかったと思います。


 当時は歩くしか方法はなかったわけですから、相応の体力も必要で、また長距離を移動するには多くの宿泊を要し費用も嵩みます。ですからそのような物理的条件により、旅行は自然に制限されていました。
 関所としては、箱根関所が有名ですが、幕府の委託を受けて小田原藩が管理し、手形改めがきびしく行われていたようです。
 手形(往来切手)は身分証明と旅行目的を紙に記載したものですが、武士については藩が、庶民のものは町役人、村役人、お寺などが発行します。
 藩によっては、入ってくる人に独自の添手形を交付し、出るときにそれを回収するという厳しいところもあったようです。
 庶民の楽しみはお参り旅行でしょう。お伊勢さんのほかにも多くの寺社参詣、宗教登山、巡礼などがありました。名目は宗教信心のためということであっても、実際は物見遊山の人も多かったと思います。
 芭蕉のように奥の細道とまでは行かずとも、文人、絵描き、学者は方々出歩いていたようで、地方の裕福な旧家やお寺には、その記録が多く残っています。
 まあ、しっかりとした手形(往来切手)を持っていれば、我々が想像するより自由であったと言う感じがしています。でも手形は現在のパスポートと違って、偽造はし易かったでしょうね (笑)。
 余談ですが、今の観光地で土産物として売っている将棋の駒の形をした通行手形は実際にあったようです。武士が公用で旅に出る場合は「○○○○守家中」と書いた将棋駒形の木製往来切手を持って出たということがあったようです(全ての藩でということではないと思いますが)。
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