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子供の昔の写真を見たら、
『以前見た時に認識した』顔と、
『今見た』顔が全然違っていて、とても恐怖を覚えました。
学生の頃も、例えば15歳の時に描いて申し分なく大満足した絵を、
20歳の時に見たら全くヘタでどうしようもなくて、
逃げ出したくなった時がありました。
絵も、写真も、対象は同じなのに、以前見た時と今で全く違うのは、
脳のどのような変化によるものなのでしょうか。
それとも頭の中で美化されているだけなのでしょうか。
あまりにも違いすぎて、本当に恐いです。
どんな意見でも良いのでご意見をお願いします。

A 回答 (4件)

こんにちは。


頭の中で美化されているというのが最も近いと思います。
我々の価値観といいますのは時間、年齢によって幾らでも変化します。ですから、質問者さんの脳内に何か特別な変化が起きているということでは決してありません。そしてこの場合は、絵も、お子さんの写真も、「新たな比較対象の獲得」、もしくは「比較規準の向上」によって現れた価値観の変化だと思います。

「良い・悪い」といいますのは、知覚入力に対する大脳辺縁系の情動反応です。基本的には、この情動反応の結果は学習・記憶されますので、過去と同じ刺激入力に対しては同じ反応を示すはずです。では、ここで価値観の変化が発生するということは、大脳辺縁系に新たな反応規準が学習獲得されるということですが、ですが、幾ら何でもご自分の絵、ご自分の努力、ご自分のお子さんに対する情動反応がそんなに簡単に変更されてしまうということはありません。誰だって自分が大事で、子供が一番可愛いと思うのは、これは学習行動よりも本能行動の比率の方が高いのですから、このようなものは一生変わらないと思って間違いないです。ではこの場合、質問者さんの「過去と異なる情動反応」というのは、自分やお子さんという対象に対する直接の価値観の変化ではなく、新たな比較対象が獲得されたことによって、その「比較結果」に対して発生しているということになります。

ただひとつ気になりますのは、昔の絵に対する反応は現在の質問者さんの「客観的な評価」ということで全く問題はないのですが、お子さんの写真に対して発生する情動の方は、これはどちらかと言いますならば「主観的な部分」がかなり強いと思います。
絵の技術というのは向上するものですから、こちらは「現実との比較」に基づく冷静かつ客観的な評価です。では、子供の写真の方はいったい何と比較をされたのでしょうか。質問者さんがお子さんの写真と比較したのは、それは恐らく脳内で作られた「架空の対象」だと思います。これは実際の知覚情報に基づくものではなく、記憶情報によって組み立てられたものです。ですから、それは現実の対象との客観的な比較ではなく、ご自分の「理想との主観的な比較」ということになります。そして、そのギャップが激しいということは、質問者さんの理想が高いということですね。脳内で美化されるというのは、このようなことだと思います。
これは自分の子供を可愛く思い、大切に育てようとすることですから、親であるならば当たり前のことです。ですが、それ故に子供に対しては、親の理想だけではなく、きちんとした現実に基づく客観的な評価が常に必要です。可愛い可愛いだけでは済まされませんよね。そしてその上で、できますならば、それが一年くらいでコロコロと変わってしまわないように、質問者さんはもっと幅の広い理想を持ち、お子さんをどんどん育てゆくべきだと思います。
余計なお世話でした。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
返事が遅くなり申し訳ございませんでした。
貴重なご意見をありがとうございました。

私が子供と比較したのは、『現在の子』である可能性が高いように思います。
昨年はまだ産まれて数ヶ月の太っててコロコロの顔つき。
今は1歳半を過ぎ、それなりに引き締まって人間らしくなった
顔・体。それに見慣れてしまって、久々に昨年の写真を見たら愕然と
してしまったのか・・・本当のところはどうか分かりませんが、
>理想が高い
そういうことかもしれませんね。わが子なのに目の前の真実を見ず、
頭の中で作り上げられたものを通してみていたのか・・・
いささか恥ずかしいように思います。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/03/26 15:02

記憶という物は、過去のある物を取り出しているのではなく、断片的に保管されている物を、懐古している現在に再構成している、と見なす意見があります(この領域の科学的な研究は倫理の問題もあり、なかなか進まないようです)。



脳細胞の「使い方」も、脳の機能発達の過程の中でかわるようですし、われわれが無邪気に期待しているほど脳の記憶の一貫性はないのかもしれませんね。「思い出す、確かな真実」が、本当の真実であるとは限りません。「過去の記憶がある」ということをすべて事実と証明できる人がいるでしょう? でもわれわれはそう信じ、普通に日常生活を営んでいます。その意味では怖いかもしれませんが、あらゆる人間の記憶ってそんな物と思えば、許せませんか? みんないっぱい「ウソ」を覚えて生きている。

一方、恐怖という物も、われわれが根源的にもつ物で、これも正常な反応。

つまり、つじつまの合わない記憶があっても、決して異常ではない、というか、あたりまえ、ということです。「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」。 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
知らず知らずのうちに真実を元に自分の頭の中で作り上げてしまった
世界があって、久々に取り出してみたら真実と異なっている・・・ということは、
おっしゃる通り証明できるはずもなく曖昧なもので、
どうしても自分の頭の中だけが真実だと思い込んでしまう自分にも
問題があるということですね・・・。

脳って不思議ですね。自分が理解できないだけなのですが。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/03/28 13:18

記憶という物は、過去のある物を取り出しているのではなく、断片的に保管されている物を、懐古している現在に再構成している、と見なす意見があります(この領域の科学的な研究は倫理の問題もあり、なかなか進まないようです)。



脳細胞の「使い方」も、脳の機能発達の過程の中でかわるようですし、われわれが無邪気に期待しているほど脳の記憶の一貫性はないのかもしれませんね。「思い出す、確かな真実」が、本当の真実であるとは限りません。「過去の記憶がある」ということをすべて事実と科学的に説明できる人がどれだけいるでしょう? でもわれわれは普通に日常生活を営んでいます。その意味では怖いかもしれませんが、あらゆる人間の記憶ってそんな物と思えば、許せませんか? みんないっぱい「ウソ」を覚えて生きている。

一方、恐怖という物も、われわれが根源的にもつ物で、これも正常な反応。

つまり、つじつまの合わない記憶があっても、決して異常ではない、というか、あたりまえ、ということです。「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」。 
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時間がたって経験が増え、世界が広がることで、認識はかわりますよ。


あまりに違う=あなたが成長した ということです。
また、世の中も移り変わり、善し悪しも変わりますよね。
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この回答へのお礼

すばやい回答をありがとうございます。
そうですね・・・確かに例に出した『絵』の方は、
年齢と共にそれなりに技術があがったとも考えられますが、
『子供の写真』は一体・・・ これも私の成長によるもの
なのでしょうか。
ハッキリ言うと、昔見たときより可愛くなかったのです。
もっと、もっと最高に可愛い顔だと思って毎日見てました。
そして一年ぶりに見たら、全然違うのです。
ショックでした・・・

お礼日時:2007/03/23 15:15

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