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日本で働いている外国人に日本語を教えています。
縁あってこのお仕事をしていて、
学校などで日本語教育学的なものは学んでいません。

1クラス5~6名で、若干の増減があるものの、
3年間同じ顔ぶれの生徒、教師は私1人です。
今後も変更はない予定です。

飽きないようにいろいろな材料を取り入れていますが、
3年間同じ先生だと、他の人の日本語がわかりにくくなったり、
私の癖がうつってしまったりと弊害が出てくるのではと
考えています。

日本語教育、外国語教育に携わっている方に質問したいのですが
長い間同じ先生に習うことは、やはり弊害が大きいのでしょうか。

教えてください。よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

こんにちは。


同業者です。

「日本で働いている外国人」ならば、同じ先生でも問題ないと思います。
これが例えば、「アメリカに住んでいるアメリカ人」「ブラジルに住んでいるブラジル人」に日本語を教えていて、
先生があなただけ、となると、ちょっと問題です。

何が問題かというと、例えばあなたが女性なら、「女性っぽい日本語」や、あなたが大阪人なら「大阪弁」がうつるということです。
うちの3歳の息子は、最近まで日本語は私からしか聞かない環境にあったので(夫は外国人です)、
「いやよ~」とか「だめよ~」とか、女の子みたいな日本語を話していましたが(笑)、
保育園に通いだして、男の子っぽい日本語も使えるようになってきました。

日本で働いているということは、職場でいろいろな世代の、男女問わずの日本語を聞ける環境にその人たちはある、ということですから、上記のような心配は全くありません。
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すいません、No.2ですが補足です。



実際オーディオビジュアルで映画などを使う授業は上級(場合によって中級)だけにした方が生徒の混乱は避けられるかと思います。
実際私が日本語教育の現場にいた時、ベテランの先生でもそうされていましたし、そのようにプログラムが組み込まれていました。初級だと、???だらけになって、生徒が混乱する可能性大ですね。(^_^)
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日本語教育や英語教育に関わったことのあるものです。

どちらも専門的に学びました。

私の考えでは、3年間同じ先生でも、さほど問題ではないと思います。ただし、その先生がものすごく訛りがあったり、教え方自体に問題がある場合を除いて。

日本語教育で学ぶ言葉って基本的に日常会話とちょっと違う部分ってありますよね。丁寧語中心だったりしますし、若者が使う口語もなく、実際テストで完璧で教科書の内容を全て覚えていても、実践として日本人と話すと分からなかったりすることはよくあります。それは英語を勉強している日本人にも言えることです。

ですからあくまであなたが日本語の基礎、核の部分を教えると考えていればよいと思います。日本語では社会での位置づけによってもかなり話し方が変わったりしますよね。例えばおじさん、おばさん、若い人、子供、など全て話し方は違います。そういった「生の現場」は映画やテレビ番組などビジュアルで見せてあげると良いと思います。

生徒さんがあなたの授業を信頼している限り、心配はご無用ですよ。逆にコロコロ先生が変わって、自分に合わなかったり、教授法の違いから不満を抱いたりして、学習が進まない生徒もいます。

あなたが一生懸命、生徒のことを思いやって授業をしている姿はこの質問だけで充分伝わってきますので、それだけでも生徒は幸せだと思います。頑張ってください。
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この回答へのお礼

immさん、あたたかいご回答ありがとうございます。
もっといい信頼関係を築くために日々ブラッシュアップしようと
思いました。

確かにレッスンで学ぶ言葉は日本語の基礎で、フランクな話し言葉は実践で学んでもらうしかありません。「勉強した言葉を使ったら変だといわれた!」という文句も受けたことがあり、このことも悩みの一つではありました。彼らには「まず基礎をきちんと。レッスンでは基礎をやります」と繰り返し言ってきたのですが、同じご意見を頂いて自信がもてました。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/27 15:25

アメリカに38年半住んでいる者です。

 私なりに書かせてくださいね。

もっと自分に自信を持ってください。 もし、自分の癖が気になるのであれば、教育者・指導員として「自分にどんな癖があり、その癖が教える事に弊害であるかどうか」この2点について考えてみてください。 いい癖と悪い癖があるとは思いませんか? 悪いのであればそこを「その生徒のために変える」だけです。

「飽きないように」ではなく「より効率よく身につけてもらうように」と考えるようにしてください。 そうでないと表面だけのものになってしまいます。 

また、生徒によっては、自分には必要がなかった点、も教える事になるでしょうし、自分には大変だった事はその生徒には問題ないものである可能性を考えずに教える事はできません。 学校のように何十人も前にして「教えるべきことを示すだけ」でははんこ人的に教えると言う事はメリットがなくなるのです。

教える事のできる先生になればいい、と言う事なのです。 自分の知っていることを見せるだけではお金を払ってでも日本語を習いたい問い生徒にはもったいないわけです。

教える事のできる先生には一生教えられる事を持っているともいえます。何を知りたいのか、何を身につけたいのかを見抜く実力は非常に大切なものなのです。 そして、生徒が実感していないのであればそれを見つけるのが先生なんだとも知ってください。 生徒一人一人の弱点を見つける事に今日から6週間くらい「仕事の一部」として見直してみてください。 この6週間で必ず「教える事のできる自分」の土台が作り上げられてきている、と言う事を実感できるはずです。

彼らが一生懸命知らないことをあなたから習っているのであればそれと同時に「自分も知らないことを習う」と言う姿勢を持ち続ける事であなたがどんなに長い間でも弊害なく教えていく事ができ、あなたの下で習ってきてよかった、と必ず感じてもらえると思います。

生徒の向上はすなわち自分の向上も「伴わなくてはいけない」と言う事なのです。

言葉を教える立場にはいませんが、「生徒に絶対身につけさせることのできる」指導員を養成する事に私の人生の一ページとして生きてきたものとしての回答とさせてもらいますね。

これでいかがでしょうか? 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。 
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この回答へのお礼

Ganbatteruyoさん
早速のご回答ありがとうございました。
頂いたアドバイスすべて、今の私に必要なものでした。

幸いにもレッスン内容や進め方は自分で決めることができる環境にあります。生徒一人一人の弱点、自分の弱点を洗い出してみようと思います。

1人の先生であること自体が問題なのではなくて、
先生側の新陳代謝を怠っていることが問題の本質かなと思いました。

「生徒に絶対身につけさせることのできる」・・
難しくて深い言葉ですが、これが求める究極の姿だと思います。
貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/27 15:17

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