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いつもお世話になります。江戸時代、農民が代官におさめるものは年貢と言っていたと思いますが、藩が幕府に納めるものも年貢と言っていたのですか。別の呼び方があったのですか。また、それは米、特産物など物納だったのですか、お金だったのですか。

A 回答 (3件)

具体的に何かを想定なさっておっしゃってるのかもしれませんが、基本的には藩から幕府へ納められるものはありません。

藩は現在の地方自治体とは異なり、幕府の地方統制機関ではなく、独自の政治体でした。

ただし、享保の改革時に行われた「上米の制」や、普請や軍役の奉仕などが、臨時で各大名に課されることはあったので、強いて言えばそれが年貢に相当するものになるかもしれません。
ただ、手伝普請などと言われる、普請工事は、割り当てられない大名もいましたし、毎年あるものでもありません。上米も非常に限られた環境の下で一時的に(将軍の言うところによると恥を忍んで)行われたので、基本的には幕府から大名への直接的な課金等はなかったと思われます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。思い違いをしていたようです。手伝い普請というと、薩摩藩をいじめる目的で藩外の治水工事をやらせたという話を「そのとき歴史」でやっていました。

お礼日時:2007/05/04 21:24

 江戸時代の税制について、他の回答者さんのおっしゃるとおりです。

ただ例外的に以下のような 藩→幕府 のようなケースがあったことを申し添えます。
 幕府も直轄地を全部自前で管理していたかといえば、例外的に近地の藩に委託しているところが各地にあったようです。
 下のURLの右側四角の囲みの上から三番目に、天領の18.2%は大名の預り地であったと書いています。こんなもんだと思います。
 ただ預り地は大名が悪政をしき、農民の叛乱が起こって、直轄に戻ったりするようなところもあって、結構いろいろあったと聞いています。
 http://www.viva-edo.com/daikan.html
 この場合は「年貢」ということでしょう。
 これを米の現物で江戸まで運んだか、お金で納めたかの点ですが、両方あったんじゃないでしょうか。遠方であったら輸送も大変でしょう。米の現物が必要でないときはお金、そして、そのお金も現金ではなく為替などを利用していたと想像します。↓ 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%82%BA%E6%9B%BF
 箱根の関所も幕府のものですが、管理を小田原藩に委託していましたし、幕府領の管理についても丸投げの委託管理ということで、今の役所のやることとよく似ています。上のようにお金の決済システムも出来ており、江戸時代も我々が想像するよりも、ずっと進んでいたと思っています。
 
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この回答へのお礼

とても詳しいご回答ありがとうございました。江戸時代に為替が発達していたとは面白いですね。代官が天領を支配する役人とは知りませんでした。勉強になりました。

お礼日時:2007/05/04 21:33

税の意味合いで藩が幕府に何かを納めることはなかったはずです。


幕府の収入は幕府直轄地から得ていました。

ですから、藩から幕府に納めたものがあるとすれば「献上品」と呼んでいたのでしょうか?まあ言ってみれば贈り物ですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。献上品をめぐる争いというのが、よく水戸黄門にでてきますね。

お礼日時:2007/05/04 21:21

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