【コナン30周年】嘘でしょ!?と思った○○周年を教えて【ハルヒ20周年】

今、問題となっている「体罰」について、これからどうしていくべきだと思いますか?このままでは、悪い教師が弱い生徒を追い詰め、また生徒は法律を利用し教師を追い詰め、悪いほうへ行く一方だと思います。

また、皆さんは体罰に対しては反対ですか、賛成ですか??

A 回答 (13件中1~10件)

No.11です。

ANo.12さんのように、「やかましい~、黙れー」ですが、これでは黙らなくて当然だと思います。親が騒ぐ子供に「静かにー!」と注意して、子供がちっとも言うことを聞かない注意の仕方と同じですから。もしも、機会がありましたら、ぜひとも読んでみて欲しい本があります。それは「自己開示」の大切さを書かれた本で、No.12さんのように、>話してわかってくれる生徒や親ばかりなら、いくらでも話をします。一部の非常識な親や問題生徒はそもそも話が通じません。(~_~;)

と、お思いなら是非おすすめしたい本があります。どうか機会がございましたら、お手にとって見てください。私の言わんとしていることが詳しく書かれております。(文才がないため上手く伝えられる自信がなく申し訳ございません)この本の中に、実際の例として、言うことを全く聞いてくれない生徒と先生のお話(実話)が書かれています。

「心時代の夜明け」衛藤信之著|PHP研究所|
アマゾンのマーケットプレイスだと、定価よりお安く購入できるかもしれません。また、読んだ方のレビューも見ることができますので、一度ご覧になってみてください。
http://www.amazon.co.jp/

>教師はスーパーマンではありません。
ごもっともです(笑)私も欠点の多い、完璧とはほど遠い人間で自己嫌悪することが度々あります…(笑)生徒は立派な教師や親を求めてなんていません。人間としての教師や親を求めています。というか、人間である自分の経験(失敗談なども含め)などを話して聞かせてくれる人、人生の先輩としての人間を求めていると思います。教師である「立場」親である「立場」で、話している人が多くありますが、そうではなく、親だって教師だって人間なのですから、そういう人間の気持ちの部分を話してあげることが大切だと思います。

>会社でも頻繁に遅刻をすれば許されないのと同様に、学校でも頻繁に遅刻をする生徒に居残りの掃除などの罰を与えることまでが体罰となる状態で(最近、見直されたようですが)、教師に何ができるのでしょうか。
体罰=楽な方向に逃げてると思います。
許されないというより、迷惑がかかりますよね?それを説明し、生徒自信に考えさせ、意見を出し合うといいと思います。罰を与えることで一時的に改善したとしても、生徒自ら遅刻はいけないと理解していなければ、真の改善とは言えません。

人は、ルールや常識では変われません。だからこそ「自己開示」が大切なんだそうです。

生徒が騒いで、黙れと言う以外に、騒いだことに対して貴方が「どう思ったか?」「どんな気持ちになったか?」などの自分の気持ちを生徒に話して聞かせたことはありますか?簡単に言うと、自己開示とはそういうことなのですが、やはり私だと上手く説明する自信がなく・・・ごめんなさい。上司と部下、生徒と教師、親と子供の関係で、人間対人間で接していく上で役立てられると、自信をもっておすすめできる本です。(生徒と教師のお話の部分では感動して号泣しました)本の真ん中あたりのページに書かれていますので、その生徒と教師の部分だけでもお読みいただければと思います。

長々申し訳ないと思いつつ、再度投稿してしまいましたこと本当に申し訳ございませんでした。
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公立高校で英語を教えています。



殴る、蹴るといった体罰は絶対に反対です。ですが、どんなに注意しても授業中騒いでいる生徒に「やかましい~、黙れー」と大声で叫んでも、「生徒が威圧されるように感じるときは体罰だ」と言われると、何もできません。「おもしろい授業なら生徒は真剣に聞くはずだ」という人もいますが、やる気もない生徒に、やらなくても何も罰もない状態で、そんな授業ができるのなら、学校の先生はしていません。

#11の方が言うように問題のある生徒でも「101回目を信じてやることが子供を救う」というのは理解できますが、現実はそんなことをしていれば大多数のまじめな生徒を放っておくことになるでしょう。教師はスーパーマンではありません。話してわかってくれる生徒や親ばかりなら、いくらでも話をします。一部の非常識な親や問題生徒はそもそも話が通じません。(~_~;)

ルールを守ることをきちんと説明することも重要ですが、すべてを説明する必要もないしできません。「授業料払っているんだから、好きな時間に行って何が悪い」と開き直る親や生徒に遅刻がなぜいけないかなど説明して遅刻がなくなることはありません。

会社でも頻繁に遅刻をすれば許されないのと同様に、学校でも頻繁に遅刻をする生徒に居残りの掃除などの罰を与えることまでが体罰となる状態で(最近、見直されたようですが)、教師に何ができるのでしょうか。
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いかなる理由があろうと反対です。


体罰は、法律で禁止されており、立派な犯罪、暴力です。

私の学校に、体罰をする先生と、体罰をしない先生がいました。体罰をしない先生は、体罰をする先生から生徒を守っていました。体罰をしない先生は、生徒達に信頼され、尊敬されていました。また生徒たちは、体罰をしない先生の言うことを素直に聞いていましたが、体罰をする先生には反感しか感じていませんでした。体罰をしない先生の家には、度々生徒が遊びに行きました。卒業後、何年たっても生徒達は年賀状を出しています。

生徒が家に遊びに来てくれる教師、生徒から親しまれ尊敬されて年賀状をもらえる教師は、とても少なくなっているように感じます。

いくら子供といえど、話せばわかります。もちろん話し方にもよりますが、たとえ時間がかかったとしても愛情をもってすればわかってくれます。子供がウソをついても、信じてやるのが教師のあるべき姿だと思います。100回ウソついても、今度こそはと、101回目を信じてやることが子供を救うのだと思います。

体罰が賛成な方や、体罰をする現役教員の方に聞きたいです。

貴方が会社や学校を寝坊して遅刻したとして、罰として、会社の廊下に立たされたら、どういう気持ちがしますか?社員全員の前で、竹刀で頭を叩かれたら、どういう思いをしますか?恥ずかしいとか、罰を強いた上司に反感を覚えたりしませんか?体罰によって、心から遅刻を反省することができますか?罰を与えなくても、話し合いによって心から反省できればそれでよいと思いませんか?社会に出れば、竹刀で他人の頭を叩くなどの行為は、れっきとした傷害罪ですよね?社会に出て違法なことが、なぜ教師による学校内での体罰(暴力)が許されるのでしょうか?

体罰とは、なんのためでしょうか?自尊心を傷つけ、辱めるためでしょうか?社会で、社員にしろパートにしろ、みんなの前で竹刀で叩かれたり、廊下に立たされたら、とても屈辱的ですよね?自分が屈辱的だと感じることが、どうして生徒達は屈辱的に感じないなどと思うのでしょうか?生徒達にしたって屈辱的です。(廊下に立たせることやトイレに行かせないなども体罰です。身体的精神的に苦痛と感じられるものは体罰といいます)

学校は刑務所ではないですが、信じてやることが大切なのに、頭から疑ってかかる教師達を見ると、生徒を受刑者のようにしかみていないおゆな気さえしてきます。

中学校では、眉の形を整えることが禁止されています。でも、テレビタレントの影響で、女生徒たちに多いです。眉毛を毛抜きやカミソリで手入れしたからといって、拳骨で女性との顔を殴った教師が居ました。この場合、教師は、殴れば言うことを聞くと思ったからです。なんと無能な教師なんだろうかと思いました。

教師なら、例えばですが、「先生は、お前(生徒)が素直で真面目ないい奴だとわかっている。だけど世の中には眉を加工していることで、見た目で判断する奴もいるから、眉を加工していることで悪い男の人たちに連れて行かれたりする可能性もあるんだぞ?もしもお前がそんな連中に連れて行かれたらと考えたら、先生は心配で心配で夜も眠れないぞ。頼む!お願いだから、次の検査のときまでに、1本でも多く生やしておいてくれ!じゃなきゃ先生は不眠症になっちまう!(笑)」なんて生徒に話したら、生徒は、こんなにも自分のことを心配してくれているんだと、先生のためにと改善してくれるかもしれません。生徒に暴力を振るうやり方より、ずっと生徒の心に響くと思います。(即興ですのでお許しください。心に響く指導といいたかったのです)

また、今の教師は、眉の件もそうですが、遅刻にしても、それがなぜイケナイのかを生徒にちゃんと説明できる人は殆どいません。生徒が聞くと、「校則だから!」とか「生徒手帳に書いてあるから!」としか答えられない先生が多いです。こんなことでは、生徒に自分の無能さをアピールしているだけに思います。なぜ、生徒の問いに対して真剣に向き合って答えてあげられないのかと思ってしまいます。

特に公務員である教員は、売り上げなど気にすることもないですから、授業すれば、だまってボーナスだってもらえます。だから、授業中に居眠りする生徒がいても、自分の授業の仕方に疑問を持つことをせず、居眠りする生徒が悪いと思うのです。教師なら、居眠りするのは、自分の授業がつまらないから?もしかして退屈すぎるから?と、生徒を非難する前に、自分のやり方に疑問を持ち、自分自身の授業風景をビデオ撮影し、自宅に帰ってからその授業を見るくらいの「ヤル気」があってもいいと思うのですが。(恐らく教師自身が見ても眠ってしまうでしょう)
教師自ら生徒達にヤル気を示さずして、どうして生徒にヤル気を出させるのでしょうか。

生徒達の好奇心や興味を引き出す授業のやり方を研究して欲しいと思います。「どうすれば、生徒達は自分の授業を食い入るように聞いてくれるか?」など、生徒達に挑戦するような、それこそが教師冥利につきるのではないでしょうか?(実際に上記のことを実行している熱血先生がいました)

>また生徒は法律を利用し教師を追い詰め、
と、ありますが、教師自ら生徒に尊敬されるような教師(人間)を目指せば、そんなことはなくなると思います。
教師自身が、「自分が生徒だったら、どのような先生を尊敬できるか?どのような指導であれば素直に聞くことができるか?」などを自問いし、自分が生徒だったらと置き換えて考えるとわかりやすいと思います。

(長くまとまりのない文章になり申し訳ございませんでした)
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こんな時間ですが、お礼ありがとうございます。



子供が行ってる塾のおじいちゃん先生は謙虚でユーモアがある人
なんです。けど怒ったら怖いです。
げんこつや竹の物差しで「ピシッ」と(禅寺のごとく)叩きます。
親の私は子供の為にしてくれていると感謝していますよ。
謙虚が出来るのは自信の在る方だからです。

普段から偉そうにしているのは負い目を隠そうと必死で虚勢を張
って苦労を強いられたまだ不器用な人なんだと思います。

学校の先生(公務員)より塾の先生の方が真剣に教えてくれ、こ
ちらの主張を喜んで聞いてくれる柔軟性がありますね。
公務員はこちらの話を聞け!って感じ。
家庭と社会の結びつきは深い感があるし、学ぶ態度や励ましたり
慰めてくれたり色んな心の在り方について学ばされることが多い
です。
先生も色々で幸運だったようですが、指導者選びは自助努力より
大切かもしれませんね。何かの一考になれば幸いです。
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>皆さんは体罰に対しては反対ですか、賛成ですか??



基本的には賛成です。一方的にであればそれは暴力です。ですが体罰というからには、そこに原因があり、その原因が善悪を伴う行為で本人に
反省の自覚がないと判断できた場合は已む無き事と思います。
学校の体罰問題云々の原因にも親の教育のありかたに問題があると思いますが・・・
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わたしは反対です


理由は、悪い教師、非常識な教師が少なくないからです

わたしの出身校では、体育教師が飛び蹴りをしたり、部活が終わった後に飲酒運転をした教師が、そのことを生徒に指摘されて怒って頭をたたいたりしていました

なぜこの世に体罰に賛成する人がこんなに多いのか、まったく不思議でたまりません

先生方は生徒を批判するまえに、まず自分たちのえりを正してほしいです
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そんな人がいるんですね;そんな教師初めて聞きました。
賛成派の人はたぶん、そんな教師に出会わなかったんじゃないでしょうか。

お礼日時:2007/05/16 23:17

正当な理由があれば体罰も許されるべきだと思います。

もともと学校というところは善悪を学ぶ場所でもあるはずなので、悪いことをすればその報いがあるということは教えるべきで、言葉で伝わらなければ体に教えなければならないと思います。(あくまでもそれが、本当に相手の事を思っての愛の鞭だった場合に限ってですが。)
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よく子供の行動を諭すのに「ほら、あの怖い人に(お店の人とかに)怒られ


るからやめなさい」と言ってしまうことがあります。
これでは怒られる理由の説明になってないですよね。それに怖い人(関係
者)に見付からなければ気にしなくてもいいような都合のいい知恵を覚える
かもしれない。

逆に自分が悪い事をした自覚から怒られたい時もあります。
怒られたい相手は誰でもいいというものではなく、自分を嫌ってる人よりは
助けようとしてくれている人、信頼関係を築けている人がいいはずです。

昔の先生が体罰をしても問題にならなかったのは「逆恨みされても反撃され
ても後悔しない」というぐらい生徒を可愛がって、その後のフォローとか面
倒見が良かったのかもしれませんね。

指導する立場の先生と従うべき生徒であっても、互いの認識の上では自己責
任の有り方は対等で、行動は制しても存在の全てを否定してはいなかったの
だと思います。

昔は人間関係を抜きにして楽しみも無く生きていけなかったのですから善悪
だけで人の才能の判断基準にしていなかったと思います。

ということで、質問の答えになりませんが、
『体罰を受けても好きで居させてくれる。感謝できるぐらいの先生が居て欲
しい』です。
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この回答へのお礼

確かにそぉいう人はたぶんいるでしょうね。
そぉいう感情を持つときが私もありました…。
でもお互いの気持ちが合えばいいかもしれませんが…言葉にしないと分かり合えないことって沢山あると思うんです。
ここで教師の判断能力が問われますね。
回答ありがとうございます。改めて考えさせられました。

お礼日時:2007/05/16 23:26

私は基本的に体罰には反対です。


と言っても、No.1さんの指摘する

>基本的には体罰(昔のもの。立たせるとか、げんこつする
>(殴るではない)とかいったもの

程度は、あって当然だと思います。が実際、法律・規則で「生徒を殴るような体罰は禁止」と明文化しておかないと。トンデモ教師が後を絶ちません。
実体験で私はある私立学校だったので、体罰への歯止めが全くなく、些細な理由で生徒にケガをさせるまで殴る教師に悩まされました。

ただし。体罰を原則、禁止するからには、その代わり。

学校のルールを守れない生徒は出席停止。
生徒が教師を殴れば、傷害で警察へ。

というのが当然だと思います。そういった子どもへのしつけは親の責任です。
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 今の教育行政の基軸が、子供と父兄に気を遣っている限り、「体罰」の賛否を論じても余り意味がないと思います。


 何故なら、子供や父兄が気に入らない教育は、全て「体罰教育」で括られてしまい、学校側が謝罪しない限り収まらないし、マスコミも騒ぎ立てますので、益々事の本質が分らなくなるからです。
 私自身は、教育上の「体罰」は大賛成です。
 なぜなら、子供は精神的にも肉体的にも、未成熟な生き物なんです。
 ですから、一人前の生き物に成れるように教育が必要で、口頭で教育する事もあれば、体罰で教育する事もあります。
 子供に対する考え方、扱い方を根本的に考え直さない限り、萎縮した教師に教育される不幸な子供たちが、大量生産されるだけです。
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