タイトルの通りです。人ってなんですか。誰か教えてください。

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A 回答 (21件中1~10件)

こんばんは、saruuさん。




10年ひと昔とはゆうけれど、あれよあれよという間に早10年。

もう、10年も経ってるんだ、あれから。

不思議だね。いまここ開いて読んでるけど、10年経った気がしない。

お返事くれてたんだ、いま気づいた。元気にしてますか?

「人間ってなんだろ?」この問い、年月を重ねるに連れ、更に「?」が膨らんでいく。

たぶん、ふと立ち止まって「人間ってなんだろ?」って、考えることが多くなるからかな。

で、答えはみつかったかときかれれば、「なんだろう?」と相変わらず疑問の言葉しかまだ出てこない。

答えにならない答え。ひさしぶりに送る返事がこんなのでごめんね。





いまベランダに出て空見上げたら、重たい雲がドンと空を覆って今夜は星が見えない。

けどね、闇夜に虫の音がやけに賑やかに鳴り響いているよ。 星がまたたくように。
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道具依存者達です。

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こういう疑問が浮上する場合は問うことをやめてしまうのが1つの手だと思います。


こんなこと思いもしなかったような顔をして日々生きていきましょう。
しかしながら考えていくにあたり「人間」という「言葉」をそもそもあなたが聞いたことのない代物とするならばどうでしょうか?
ヒントはこんなところにあると考えますがどうでしょうか?
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人間ってホントなんなんでしょうね?


五体満足な身体があるないに関らず、その一人一人の生きざまによって物の捉えかた、考え方、価値観の違い人それぞれ。それは、それで至極当たり前のことなんだけど・・・・初めて、生まれ育ったこの国を離れて他の国(外国)に訪れたときすっごく自分がちっぽけに感じた。そのときまで、日本という国におさまっていた自分は自分の知る範囲のことでしかものを見ることができなかった。これがすべてのように・・・・ちょっと、飛行機にのって何時間か飛べばその先には、いろんな文化がありその国々のまたその中の土地々の風習・習慣といったいままで自分がお目にかかったことのないような考え方にでくあす。カルチャ―ショックというのかなぁ~?日本の国内にも雄大な景色というのも目にしてきたが、スケ―ルのでかさが違うことに腰砕け・・・・目前にした青々と生い茂ったとてつもなくでかい山、ガイドさんの話を聞けばイギリス人がその昔、この地を訪れ一本ずつ木の苗を植え今ではこのように木が生い茂るようになったのです。こりゃまたすごいと・・・ため息一つ。自然のすごさと、人間の根気強さをそのとき強く感じた。人間ってなんなんでしょうね?大自然を前にするとものすごくちっぽけ。地球、更に宇宙からみればチリかホコリみたいにちっぽけ以下。そんな、ちっぽけ以下なのに・・・・・はげちょろぴの山を木が生い茂るほどの山にしてしまう力を持っている。宇宙から見れば、そんなことも何もできないのと等しいのかもしれない。それでも人間はあ~でもない、こ~でもないと日々考えあぐねながら生きている。人間は考える生き物なのかなぁ~????人間ってなんなんでしょうね?
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この回答へのお礼

自分はよく冷たい夜に外で夜空をみてました。自分がとても小さい存在であり、自然のでかさを感じました。ほんと人間ってなんだろ?でもそれがわかってしまったら、おもしろくないかもしれないな。とも思う2年後の今日この頃。。。

お礼日時:2003/01/25 03:31

teizさんへの反論というわけではないのですが、「究極の生物」と呼べる存在は人間の他にもあります。


人間以外に大規模な地球改造をやらかした生物として、藍藻類が挙げられます。本来はおとなしい還元的だった大気を、過激な反応性を持つ遊離酸素が20%も含まれる状態にしてしまったのは、おもにこいつらです。また藍藻類は高温・低温・乾燥・高圧・高酸素・低酸素・高放射能などに対して異常に強く、水爆実験に耐えたという報告もあるほどです(やや眉唾ですが)。それから、昆虫類の他に例を見ないほどの適応拡散と身体のシステム化も無視できません。百メートルを越える巨体と数千年の寿命を誇る針葉樹類も、一つの頂点と呼べる存在でしょう。

とまあ、上記は半分冗談ですが、こういった猛烈な生命力を持つ生物たちに比べたら、人間の肉体は非常に弱い存在です。他の生物はこうして、身体を改良する方向に進化することで生存競争を生き抜いてきたのですが、人間は知識・知恵あるいは文明と呼ばれるものを身につけて生存競争に勝ち残る方向を選びました。ハードウェアに対するソフトウェアの概念とも言えるでしょう。この選択が正しかったかどうかの回答はまだ出ていませんがとりあえず、ソフトウェア化の道を進んでいる生物は、いまのところ人間が唯一です。
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自然現象の一つです。

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多くの方が回答されてますが、私も一言。



※後ろ向き
「人間」ってサルです。
「人間」って地球史上初の地球のガン細胞です。

※前向き
「人間」って地球史上初の「地球そのものを変化させる事の出来る
究極生物で、今後も進化を続けます。」
「人間」ってひょっとしたら宇宙で一番考え事をしている生物です。

茶化している訳ではありません。念の為。
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俺の仮説ですが、人間は地球上の化け物です。



この概念から、どう捕らえるかは貴方の自由ですが、
悲観的になる必要もありません、無理に肯定する必要もありません。
ヒントになればと。
余計な意見で捉えるか、幅広く物事を捉えるか選択肢はもちろん貴方にあります。

基本的に人間は馬鹿で、悲しい生き物だと思いますが、とても面白く不思議な生き物だと思います。

この答えは宇宙人が公に現れてくれるならとも思ってしまいます。
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この回答へのお礼

すごくいい表現(^^化け物かあ~まったくその通りだとおもいます!でもいいところとかにくめないやつでもあるんですよね~。

お礼日時:2003/01/25 03:34

難しい質問ですね。

正解などないと思いますが、私なりの考えをひとつ。
人間というのは、単なるひとつの「存在」にすぎないものです。花や木、ワンコやニャンコと何も変わらない、ひとつの存在です。言い換えれば、あなたという存在が「人間」という役を演じているんです。私という存在が、たまたま人間を演じているんです。私が花や木、ニャンコ、ワンコであっても、フンコロガシであっても、何の不思議もないわけです。

ヘンテコな答えだと思われているでしょうね、間違いなく。そこで、私の勝手な説をぶってみます。
中学生だということですが、ビックバンセオリーというものを知っていますか? この宇宙は最初ひとつの小さな素粒子の塊だった、それが爆発して現在の宇宙がつくられていった、という説です。これは説というよりも、現代の科学者はほとんどすべて、この説を正しいとしています。
もう、原子の云々ということは習いましたか? 周期律表というものを、私も中学の頃に勉強したような気がします(高校だったかな)。一番軽くて小さくて、すべての原子の大本になっているのが水素原子です。この水素原子は、原子核のまわりに電子がひとつトラップされています。そして原子核は、陽子、中性子、中間子の三つから構成されています。さらにそれらを壊していくと、素粒子というものが飛び出してきます。これがすべての物質の大本で、この素粒子の塊が爆発して宇宙ができたと言われているんです。現在、数種類の素粒子が発見されていますが、もっともっと研究が進めば、それらもひとつの素粒子から生まれていたことが証明されるでしょう。
くどいようですが、簡単に宇宙の始まりから、現在に至るまでの話をしますね。素粒子が大爆発をしたショックで、素粒子同士がくっついて陽子、中性子、中間子をつくった。それらがまた一緒になって原子核をつくり、そこに電子がひとつトラップされて水素原子ができた。水素原子も結婚して、ひとつ重たいリチウムという原子ができた。そうして次々とくっついていき、周期律表にあるような原子たちが生まれていきました。やがて、いろんな原子たちが結婚をして、分子というものができます。分子たちもまた結婚して、高分子というものができます。高分子たちもさらに結婚して……、長い長い道のりの末、人間という生命体が生まれました。
てことは、人間もワンコも、ネズミもミジンコも、いやいや、今飲んでいるジュースのコップも、みんなひとつのもの(素粒子)からできていったわけです。

面白いことに、何千年も前に「山も川も、草も木も、人間も、みんなひとつのものからできているんですよ」と言った人がいました。お釈迦さまです。「山川草木悉皆成仏」という言葉がありますけれども、この意味は、万物はみんな仏から成り立っている、または、みんな仏さんですよということです。「仏」とは、キリスト教が言っている「神」という意味ではありません。般若心経で言われている「無」というものです。あなたも、ひょっとしたら、「すべては無なり」という言葉を聞いたことがあるかもしれませんね。さらにその数千年前、インドの古代哲学では「すべてのものはひとつの物質から成り立っている」と言っていたそうです。
では、「無」って何だろうというと、何にもないという意味ではありません。無という「存在」なんです。そして、すべてをつくり出した元になるものです。それが人間であり、鮒であり、カエルであり、水草なんです。いや、地球であり、月であり、宇宙であるわけです。同時に、それらはすべて、この宇宙という劇を演ずるのに必要な役だったんです。

今、日米欧、国家を挙げて究極の素粒子、すべての根本となるものを探しています。新聞にも、時々そのことが出ていますよ。
「無=素粒子」とまで言えば怒られそうですが、案外、科学というものは、宗教的なものを真っ向から否定しながらも、実は知らず知らずのうちに、宗教が説いているものを証明していこうとしているんですね。この場合の宗教とは、仏教的なものを言いますが。

中学生だそうですから、ひとつ、私の勝手なお願いがあります。
今言いましたように、素粒子が集まって陽子ができたり中性子ができたり、また、水素原子が集まっていろいろな原子ができたり、またそれが集まって分子になり、高分子になり、やがて人間になっていった。これは誰もが否定できない科学的事実だと思いますが、じゃあ、なぜ素粒子が集まって陽子にならなければならなかったのか。なぜ、水素原子が結婚してリチウムにならなければならなかったのか。いやいや、分子同士がひっついた理由は何だろうか。この「なぜ」を研究してくださいな。陽子、中性子、中間子、電子が集まって水素原子が生まれたのはわかるけれども、なぜこの四つがひっつかなければならなかったのか、ということです。

仏教には、一応その答えがあります。すべてのものを善い方向に、成長発展する方向へと促していく「意思」があったからだ、というものです。つまり、「慈悲」というものがあるからだと、お釈迦さんは言っておられます。
でも、人間というのは悲しいもので、それを明確に目にできなければ(理論的裏付け)、信じないんですよね。だからぜひ、それを科学的に研究して、私の言う「なぜ」を究明してくださいな。もし究明できたら、間違いなくあなたはノーベル賞学者になれるでしょうね、それも歴史上最も優れた学者として。
ちなみに、中間子の理論的解明をしたノーベル賞学者、湯川秀樹さんが中間子の存在に気付いた間接的きっかけになったのは何かということを調べてみると、案外面白いと思いますよ。
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この回答へのお礼

高3になったのでだいたい知ってます、がなんか知的好奇心が刺激される~。生物選択なんで、進化の根本を考えるような問いかけにびっくりです。なぜ、か気になるーー。でも医者が。。。。。。。

お礼日時:2003/01/25 03:41

 書こうかどうしようか迷ったんですが…いっちゃいましょう。


 実は人間の定義って、けっこう難しかったりします。というのは、「人間は言語を持つ」とか「人間は社会的動物である」とか「人間には理性・知性がある」とか「人間は労働・製作する存在である」とか「人間は遊ぶ存在である」とか「人間は死の観念を持つ」とか、もう数限りなく人間の定義があるのですが、実はこれらはすべて「近似的な」定義でしかないからです。
 このことを示すのは実に簡単です。例えば「人間は言語を持つ」でいきましょう。いったん「人間ならば言語を持つ」と書き換えます。意味は変わらない。で、対偶命題をとる(元の命題が真ならば、対偶命題も真である、という論理法則があります)。で、どうなるか。
  「言語を持たないならば、人間ではない」
と、なります。元の命題が真であれば、これも真であるはずです。はい、出産直後の赤ん坊は人間ではないことになりました。めでたしめでたし。
 んなアホなあぁぁぁぁ!!! バシッ! ビシッ! どごっ! …うう、痛い。
…えーと…つまり、元の命題「人間ならば言語を持つ」がまちがっているんです。厳密に言えば、ですが。
 他の「定義」も同様です。同じように対偶命題をとって検証すれば、まぎれもなく人間でありながら「人間であるかどうかテスト」に合格できない人というのは必ず出てくる。といっても、その人たちの責任じゃない。テストの方に問題がある。「定義」の方に不備があるのです。
 哲学の中にも数多くの人間観がありますが、それらはたいてい、このような「近似的な人間の定義」の上に立って論じられているのです。だからといって、それらが無意味だ、無価値だということにはなりませんよ、もちろん。ニュートン力学だって「近似的な」物理学ですが、相対性理論を持ち出すまでもない大抵の物理現象に関しては有効です。それと同じこと。
 ただ、このことは言っておきたい。
 「人間を定義する」とは、人間と動物、ないしは人間と自然との間に境界線を引く作業にほかなりません。ですから…
 まず一つ。その「人間と自然の間に線を引きたい」という欲望が、自然破壊の問題の根底にある、とも言えます。
 そして二つ。上の方で示したように、その線は「人間の範囲」の中に微妙に食い込んでくる場合がありえます。「人間が人間ではなくなる」場合。ここでは、二つの意味で「人間が人間でなくなる」ことが起こりえます。一つは「人間と見なされなくなってしまった人」、そしてもう一つは「人間を人間と見なさなくなってしまった人」です。後者は前者を殺すかもしれません。…実際、人類の歴史にはそういう場面がたくさんありました。
 つまり…「人間を定義すること」は意外と恐ろしいことでもあるのです。

 もちろん、あなたが抱いた疑問は大変有意義で価値のあるものです。是非考え続けていただきたい。でも、それと同時に、これから出会っていく一人一人の人間と関わり合い、大切にしていくなかで、「頭じゃないところで」人間のイメージを育んでいくことも大事にして下さいね。そうして将来の夢が実現できたら、素晴らしいことだと思います。
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この回答へのお礼

リンネやその他の学者が一義的に人間を定義したことには疑問が残ります。自分はこの質問に一つの答えをだそうとは思わないし、悩み続けようとも思わない。ただ、254さんのおっしゃった通りこれからの自分にとって有意義であると思うしときどき考えてみたいと思います。理屈屋のあたまでっかちにならないように(ならないけど)まわりの人を大切にし尽くしていきたいと思います

お礼日時:2003/01/25 03:49

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Q人間って何のために生きてるんだと思いますか?

人間って何のために生きているんだろうとか考える
事ありますか?食べるため?お金を稼ぐため?
恋をするため、子孫を残すため、遊ぶため、
仕事をするため、より良い人間になるため?
自分磨きをするため?
それぞれ違うのだろうけど。皆さんは
こういう事意識する事ありますか?

Aベストアンサー

こんにちは。
私の知る限り、その昔、この質問に明確な回答を出したひとがひとりいます。
それがお釈迦様ですね。

人間が何のために生きるのかは、そのひとの価値観によって決まります。
全ての生命にとって「行動の動機」とは「欲求の実現」です。そして、欲求というのは価値観によって産み出されるものです。つまり、何が欲求なのかはその価値観によって決まるわけですね。
我々は、そこに発生した欲求を実現するために行動の選択をします。ですから、当然、その行動選択は価値観に従ったものでなければなりません。従って、人間が何のために生きるのかは、価値観を持った時点で決定してしまうということになります。

価値観には、本能と理性のふたつがあります。
本能の価値観とは、遺伝子にプログラムされた「神経の反応基準」であり、自分の意思で変更することはできません。この価値観に従って食欲や性欲などの欲求が出現しますので、我々はその欲求を満たすための行動を選択しなければなりません。そして、このような価値観は遺伝子の中にプログラムとして組み込まれているものですから、全ての生物にとって、何のために生きるかは生まれる前から決まっていたということになります。
それに対して、理性の価値観というのは生まれる前から決まっていたものではなく、生後の生活環境の影響を受けてあとから作られるものです。こちらは変更が可能で、個人によって違いがあります。このようなものが、そのひとの体験に基づく「個人的価値観」であり、生まれた社会の慣習に従った「文化的価値観」ですね。
このような価値観によって、より豊か生活がしたいとか、有名になりたいとか、世の中の役に立ちたいなどといった、人間には様々な、また複雑な欲求が出現します。そして、我々はそのために生きることになります。
因みに、本能と理性、このふたつの価値観の食違いを、大脳を発達させてしまった人類の苦悩、即ち「悩み」と言います。

さて、ここで問題になるのは、ならば我々は、自分の意思で生きているのではなく、価値観によって生かされているだけではないかということです。
ひとたび価値観を持ったならば、それに対して欲求というものか決定されてしまいますので、我々はその欲求に対する行動しか選択できなくなります。まして、本能の方の価値観は自分の意思では決して変更できません。
もちろん、我々人間は論理的な思考によって複雑な行動の選択をすることができます。ですが、それが如何に論理的であろうとも、ひとたび価値観というものを持ってしまったならば、我々はそれに反する結果を選択するということはできませんよね。つまり、YESかNOかの内、常にYESしか選択できないというのですから、そこに自由意思はないということになります。
このように、人間は価値観に対して選択の自由を持っていません。何のために生きるのかは価値観によって決定されてしまうのですから、このメカニズムがある限り、人生に自分の意思が反映されることはありません。

では、行動選択に自由意思を反映させ、自分の意思で生きるためにはどうしたら良いかということになります。そのためには、価値観の持ち方を変えなければなりません。
我々は、価値観に対する判断をYESからNOに変更することはできません。ならば、価値観の方を自分の意思で変更すれば良いのです。本能の価値観は変更できませんが、理性の価値観は変更が可能です。自分の意思によって価値観を持てるのであれば、それに基く行動選択には自分の意思が反映されているということになります。我々が自分の意思で生きるためには、自分の意思で価値観を持ち替えなければなりません。
ということなのですが、さて、そんなことは当たり前だ、誰だってそうしている。
果たしてそうでしょうか。

個人的価値観というのは、そのひとの体験によって作られるものです。その体験とは、価値観によって選択された行動の結果の積み重ねに他なりません。そして、文化的価値観とは、自分がその社会に生まれ育つことによって、長い間に掏り込まれたものですよね。果たして、そこに自分の意思というものがあったのでしょうか。
人間が何のために生きるのかというならば、ひとつには、より高い価値観を持ち、自分を成長させるためだという考えもあるでしょう。ですが、より高い価値観、この「より高い」という判断基準はいったい何処にあるのでしょうか。それは自分にとってより高い人間なのでしょうか、それとも、その社会で認められている価値観なんでしょうか。
このように、価値観には絶対的な基準というものがありません。我々は自分の意思で価値観を選択しなければなりません。ですが、その選択にはまた基準が必要になります。それが個人的な評価や、その社会の慣習に従うものであるならば、我々は価値観を持つのではなく、持たされているということになってしまいます。
さて、何やら悲観的な話になってしまいましたが、ここで結論を申し上げますと、我々が持つべき価値観とは、より高い価値観ではなく、個人の考に捕らわれたり、周りの動きに惑わされることのない「客観的な価値観」である、ということになります。

この極めて客観的で、人間が持つべき究極の価値観とはいったい何かを論理的に追及したのがお釈迦様でした。
この世の全ての現象に拘らない客観的な価値観を「無我の境地」と言い、その絶対的な価値観を「平等の境地」と言います。このような価値観を持つことによって、初めて客観的な行動の選択というものが可能になります。これを、慈悲の動機に基く行動選択と言います。
先に申し上げましたが、欲求というのは価値観によって決定されるものであり、行動の動機とは、その欲求の実現です。そして、このような客観的な価値観によって産み出される客観的な欲求が「永遠の幸福」です。
価値観が主観的である限り、幸福という欲求はひとそれぞれで変わってしまいます。ひとによって幸福が異なるのであるならば、そこには争いが発生します。争いとは苦しみであり、苦しみがある限り永遠の幸福は実現しません。
永遠の幸福とは、この世の全ての生命にとって平等の欲求でなくてはなりません。そして我々は、その欲求を実現するために生きなければならないわけです。さもなくば、我々は自分の意思で生きているのではなく、主観的な欲求によって生かされているということになってしまいます。因みに仏教では、このような主観的欲求を煩悩と言います。

訳の分からない話を長々と済みませんでした。このようなことは誰でも考えますし、偉いひちたちも昔からたくさん考えていました。人間が何のために生きるかという問題を整理してゆくと、私は概ねこのようになるのではないかと思います。
とはいえ、我々は逆立ちしてもお釈迦様のようにはなれませんよね。価値観によって欲求が生まれ、欲求によって争いが起こるのが世の中です。ならばせめて、より多くの見識を持つことによって自分の価値観を広げ、周りの動きに無闇に惑わされることのない、おおらかな生き方をしたいものだと思います。

こんにちは。
私の知る限り、その昔、この質問に明確な回答を出したひとがひとりいます。
それがお釈迦様ですね。

人間が何のために生きるのかは、そのひとの価値観によって決まります。
全ての生命にとって「行動の動機」とは「欲求の実現」です。そして、欲求というのは価値観によって産み出されるものです。つまり、何が欲求なのかはその価値観によって決まるわけですね。
我々は、そこに発生した欲求を実現するために行動の選択をします。ですから、当然、その行動選択は価値観に従ったものでなければ...続きを読む

Q末期癌~死ぬまでの状況を教えてください。 

末期癌~死ぬまでの状況を教えてください。 
末期癌の母は現在ホスピスケアを受けています。
これから母の面倒を見るのは私の役目なのでこれからどうなるのか不安です。

母がすいぞう癌だと宣告されたのはおよそ1年前です。
肝臓にも転移しており既に手遅れでした。
今年の3月頃までは癌だと思えないほど元気な母でしたが
4月頃から急に階段を転げ落ちる様に容態が悪くなってしまいました。
あらゆる箇所の骨に転移し、強い痛みも出てきました。
肺へも転移し、咳がひどいです。
今ではほんの少し動いただけでも息切れがひどく、時々咳き込んで嘔吐してしまいます。
急に食欲もなくなりました。
一日、一日ごとにどんどん体力がなくなり弱くなっていきます。
母はこれからどうなっていくのでしょうか。
苦しみが増しますか? 
意識は最後まであるものですか?
自分でトイレにも行けなくなったらどうすればいいのですか?
この状態で、あとどのくらいと考えていればいいでしょうか。。。

文章がうまくまとまっていなくてすみません。
少しでも心の準備ができればと思います。
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

「人はがんでは死なない」という言葉があります。
がんが特別な毒素を出すわけではありません。
では、なぜ、人はがんで死ぬのか?
それは、がんが増殖することで、臓器に様々な障害が起き、
その障害が引き起こす様々な症状によって、死にいたるのです。

様々な症状の一つには、疼痛もあります。
これは、モルヒネなどによりかなりコントロールできるようになってきました。

気管支のがん細胞が増殖して気管支を塞げば、窒息の危険があります。
肝臓のがんが増殖して、肝臓の機能が低下すれば、体内の様々な化学作用
が止ることになり、肝性昏睡などの様々な症状を起こします。
大きな血管にがんができて、血管が破れるということも起きます。
腎臓の機能が低下すれば……
脳の機能が低下すれば……

つまり、がんがどこにあり、その臓器は、どんな仕事をしているのか、
ということです。
何が起きても不思議ではない、ということです。

「苦しみが増しますか?」
軽くなるということはないでしょう。
出てきた苦しみを押さえるということになります。

「意識は最後まであるものですか?」
わかりません。
先に昏睡状態になる場合もありますし、最後まで、意識がはっきりしている
場合もあります。

「自分でトイレにも行けなくなったらどうすればいいのですか?」
状況によりますが、オムツということも考えてください。
尿はカテーテルを留置することになります。

残酷な言い方ですが、何らかの理由で昏睡状態になった場合、
「それを治療して、昏睡から醒めさせて、延命をする」ということを
しないという選択肢もあります。

末期症状は、医師や看護師がよく知っています。
まずは、医師や看護師と相談してください。

「人はがんでは死なない」という言葉があります。
がんが特別な毒素を出すわけではありません。
では、なぜ、人はがんで死ぬのか?
それは、がんが増殖することで、臓器に様々な障害が起き、
その障害が引き起こす様々な症状によって、死にいたるのです。

様々な症状の一つには、疼痛もあります。
これは、モルヒネなどによりかなりコントロールできるようになってきました。

気管支のがん細胞が増殖して気管支を塞げば、窒息の危険があります。
肝臓のがんが増殖して、肝臓の機能が低下すれば、体内の様々な化...続きを読む

Q旦那が鬱です。私も限界。支える事に疲れました。

旦那は約5年前から鬱病を発症(それ以前からも怪しかったですが)。ずっと心療内科に通っています。2年前ぐらいがひどい時期(何度か自殺未遂、約1ヶ月休職も3回ぐらい)だったのですが、現在は「死にたい」と言う事も無く、以前と比べると落ち着いている感じです。クヨクヨと「自分はなんで(仕事が)出来ないんだ」等、ブツブツ言ってますが。

ちなみに・・・旦那の欝の原因は旦那の母親で、アダルトチルドレンです。今は距離を置いて実家との付き合いをしているので、大丈夫な感じです。

さて・・・今の旦那は「母親」という大きな呪縛からもちょっとは解かれ、鬱の回復期(?)だと思うのですが、私への依存が強く、自己中な考え方、幼少期に母親にかまってもらえなかったからか、私への
要求だらけでもううんざりです。

旦那の母親は、診療科の先生に言わせると、境界型パーソナリティ障害だと思われる人だそうです。旦那も少し(いや大分?)境界型の性格です。

「死ぬ」とほのめかしていた頃は、必死で死んでは駄目だと支え(その間3人の子供の精神安定をフォローするのも大変でした)、夜どこかへ行ってしまった旦那を必死で探したり、休職した際も、私がかなりハードに働き、それはもう、クタクタでへとへとで大変でした。

「しっかりしろよ!」と言いたいけど、旦那に言うと、「どうせ俺は出来ないんだ」と、また暗く落ち込むので本人に喝を入れるとか、本音でガンガントークが出来ません(また死ぬって言われたら嫌だし)

正直、旦那の愚痴を聞くのも嫌で、巻き込まないで欲しいと思っています。
愛は無いけど情はある。といった気持ちです。
子供がまだ中学生と小学生なので、大人になるまでは辛抱・・・と思っていましたが、こんな旦那、どうあしらったらいいか・・・私だけが我慢しているようで、「割に合わない」と考えてしまいます。

寝る前に暗い話(どうして俺はこうなんだろう・・・こんな僕はいや?等)をするので、隣で寝るのが嫌になり、今は一緒に寝ていません。(娘が旦那と寝ています)
それについても、今朝、「娘が僕と一緒に寝たいから替わったわけ?それとも僕と一緒に寝るのが嫌なん?」と聞いてきたので、正直に「娘はパパと寝たいって言ってる。私はそもそも1人で寝たいタイプだし、寝る前にグチグチ暗い話しないのなら、また一緒に寝てもいいけど。」と言ってやりました。
するともう・・・またキレて暗くなりはぶてた様子・・・

自分の思うようにならないと、すねたり、はぶてたり、暴言を吐いたりする旦那。
朝からため息ばかりつかれ、周りがどんなに気を使っているか、分かって無いんでしょうか?
よくキレていたので、正直ビクビクしています。
こんなの普通の夫婦関係じゃないですよね?とにかく毎日疲れます。
鬱だから・・・といって一番身近な妻である私に辛い思いをさせて平気なのでしょうか?

「どうしたらいい?」としょっちゅう職場からも電話があり、アドバイスしても結局は聞き入れてもらえず、勝手に落ち込んでいる旦那。
振り回すだけ振り回しといて、「僕の事嫌いになった?」などと甘えて聞いてくる神経がわけ分かりません。
私はひとつも旦那に(精神的に)支えてもらっておらず、心安らぐ事が無いです。顔を見るのも嫌になっています。

愚痴になってしまいました。すみません。
私のような方、他にもおられるのでしょうか?私が心療内科に相談した方がいいのでしょうか?
毎日が辛いです。

旦那は約5年前から鬱病を発症(それ以前からも怪しかったですが)。ずっと心療内科に通っています。2年前ぐらいがひどい時期(何度か自殺未遂、約1ヶ月休職も3回ぐらい)だったのですが、現在は「死にたい」と言う事も無く、以前と比べると落ち着いている感じです。クヨクヨと「自分はなんで(仕事が)出来ないんだ」等、ブツブツ言ってますが。

ちなみに・・・旦那の欝の原因は旦那の母親で、アダルトチルドレンです。今は距離を置いて実家との付き合いをしているので、大丈夫な感じです。

さて・・・今の旦...続きを読む

Aベストアンサー

うちの主人も7年間うつ病です。休職を1年半しました。まだまともに出勤できません。
私も最初の2年ほどは、暖かく見守り、支えてきましたが、
3年もすぎると自分の心がどんどんささくれてくるのがわかりました。

で、私の対策ですが、
・旦那に対する期待値を下げる(期待しなければ失望もしない)
・旦那は生きているだけでヨシとする。致命的な大病じゃなくって良かったと思いこむ。
・旦那の甘えは受け止めつつ、エスカレートしないように適度に受け流す。否定は絶対にしない。
・子供は無条件にパパが好きなのでそれは推奨する
・自分が旦那の近くにいるだけでイライラするような状況になったら
自分のキャパが減っていると言う事なので、自分のケアに専念して黒い気持ちの浄化に努める
・旦那の話が多い人からは距離を置く(ノロケ話満載のママ友は絶縁)
・できるだけ独身の友達と会う(違う世界だから気分展開になる)
・離婚するかどうか考えて、しないと決めたら腹をくくってこの状況を受け止める。
・心の処方箋になるような本を心の親友として持ち、時々ひもといて心の浄化につとめる
・同じことは二度考えないようにする
・鬱の人は自分のことで精一杯。思いやりや協力を求めない
・奥さんがしっかりしすぎていると旦那さんの立場がますますなくなるようなので、
自分もがんばらない
・旦那のプライドは傷つけない
・あまり気を使わない。

私も一時期は旦那の半径1メートル以内に近寄るのも嫌でした。
何か生理的に嫌になったんです。重荷としか思えなくなったこともあります。
進学も就職も順調だったのに、結婚が人生一番の失敗だったと愕然としたこともあります。

お子さんが3人もいてうらやましいです。
頑張っているママを誰よりも理解してくれる仲間がたくさんいるじゃないですか。うちは一人っ子です。
で・・・・私はカウンセリングには行ってますが、とても頼りになります。
質問者様は疲れているだけなので、心療内科は行かなくてもいいように私は思いました。
質問者様は私よりもずっとずっとがんばっていらっしゃって、
旦那様のグチも聞いて(私はだいたいスルーするほうが多いかも!)
働いて本当にすごいと思います。私だったら家出してます(私も1回家出しましたが。子供が泣いて家に帰りたいと言うので帰りました)。
とにかくうつ病は長いんです。重苦しいんです。いつ治るのか治らないのか先が見えないし、
努力しても看病しても、さっぱり手ごたえがなくむなしいのです。しかも世間には軽く見られるのです。
しかしこれも運命なのです。
どうかご自分の心のケアをして、いい人生を送られますよう。私もまだ希望を持ってます。

うちの主人も7年間うつ病です。休職を1年半しました。まだまともに出勤できません。
私も最初の2年ほどは、暖かく見守り、支えてきましたが、
3年もすぎると自分の心がどんどんささくれてくるのがわかりました。

で、私の対策ですが、
・旦那に対する期待値を下げる(期待しなければ失望もしない)
・旦那は生きているだけでヨシとする。致命的な大病じゃなくって良かったと思いこむ。
・旦那の甘えは受け止めつつ、エスカレートしないように適度に受け流す。否定は絶対にしない。
・子供は無条件にパパが好...続きを読む


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