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イヴァン・イリイチのジェンダーに対する考え方と通論(フェミニズム的な)との違いとはどのようなところにあるのでしょうか、どなたか知っていたら少しでも良いので教えてください。お願いします。

A 回答 (4件)

  先に回答されたお二方の意見についても補足しておきます。



イリイチの議論の弱点として

>出産・育児という「(種)の再生産」に触れようとしないところです。

が挙げられています。これは現在でも有効です。そして、この議論は多くのフェミニズム・ジェンダー研究が知識を蓄積してきたところです。

しかし、

>「前近代社会の活動」を理想とする
>近代社会に対して批判を行ないつつも、その拠り所が前近代社会のありかたにあった

ことが共に挙げられていますが、これは端的にいえば誤解です。

  たしかに当時もここが攻めどころになっていましたが、これはイリイチ独自の議論ではなくて、当時のいわば「新興フェミニズムVSバックラッシュ的男女本質論」の中で形成されていったひとつの読み方です。

  イリイチ自身が前近代社会をどのように用いていたかは、前近代社会を理想とすることは間違っていると自ら明言している『ジェンダ』ーの最終章を一読いただければと思います。イマドキの「本格的な」言い方をすれば、ニーチェ・フーコーの系譜学です。

  よくもわるくもイリイチは詩人でアジテイターなので、読み手しだいでどうにでも読めてしまうところがあります。学術文献としては困りますが、思想としては魅力的です。他人の評価に惑わされずに、ただし自分自身で批判を行いながら、じっくり読んでみる価値はあると思います。
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  もう7年も前の質問ですが、イリイチ・上野で検索するとここが出てくるのでイリイチと上野千鶴子(敬称略)のことについて補足しておきます。



  イリイチが日本で広く読まれていた当時、かなり曲解された形でイリイチの思想は「男は男らしく、女は女らしく」という考えの持ち主に援用されてしまいました。これについて激しい批判を加えたのが、上の回答者も紹介しています上野千鶴子の『女は世界を救えるか 』(勁草書房、1986年)です。また、同様に紹介されている江原由美子他『ジェンダーの社会学』(新曜社)もこの上野の批判を踏まえて書かれています。

  上野がその後フェミニズムにおいて最大の発言力を持つようになると、イリイチを全面批判した『女は世界を救えるか 』の影響もあって日本のフェミニズム界ではイリイチがある種のタブーになりました。当時フェミニズム界の世界的権威だったカルフォルニア大学バークレー校でもイリイチ弾劾があり、上野もそれを引用して自説を根拠付けています。こうしてイリイチ=本質主義者の誤解がある程度定着しました。

  上野が「曲解されたイリイチ」をイリイチ本人ごと否定しなくてはならなかったのは、当時それだけフェミニズムに逆風が吹いていたことが背景にあります。そうでもしなければ、ようやく日本に芽生えたフェミニズムの芽が摘まれてしまうという危機感はあったでしょう。

  その後、フェミニズムが安全に声を発せるようになり、さらにはクィア理論やポスト植民地主義関係の言葉が蓄積されることで、単純な男/女間の利益分配論争ではない、込み入った議論ができる環境が整ってきました。今の言語環境から読めば、イリイチが本質主義者でないことは誰の目にも明らかで、読者はそこに豊かな議論を発見するでしょう。

  そうした流れの中で、2000年前後以降の上野の議論は、直接的言及は避けるものの、イリイチとほぼ重なるものになってきました。『生き延びるための思想 ―― ジェンダー平等の罠(岩波書店、2006年)』の問題意識は、かつて上野が戦闘的レトリックで徹底的に批判したイリイチの『ジェンダー』とまったく同じものと言ってもいいでしょう。

  こうしたイリイチをめぐる上野の推移を、私は決して中傷やあてつけのつもりで書いてはいません。思想というものはそれが実践される社会との政治的兼ね合いの中でなされるものですし、そうした社会性・政治性を否定した思想はただ研究室に閉じこもるだけのものでしょう。その意味で、上野の移り気にも見える思想の推移は、上野が社会と向き合ってきた思想家だということをむしろ根拠付けるものだと思います。

  2005年ごろからイリイチ関連の出版・再版が盛んになってきました。そうした中でイリイチの思想に興味をもたれる方がまた増えるかもしれませんので、一筆書かせていただきました。
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mamuku-さんのご指摘のとおり、彼が近代社会に対して批判を行ないつつも、その拠り所が前近代社会のありかたにあったというところが、問題であるといわれているからです。



ただ、「シャドー・ワーク」を始めとする一連の著作群が、論争を巻き起こし「ジェンダー」という概念に少なからず影響を及ぼし、「コップの中の水のさざめき」を「コップを割って少し世界へこの問題を広げた」ことは認めざるを得ないと思います。
ですから、本格的なフェミニズムからすれば、叩くべきところは多いでしょうが、一定の評価は与えるべきだと思います。
確かに、考え方およびその根底にある思想がかなり古いんですが・・・。
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 イリイチのジェンダーの考え方は、フェミニズム(といってもフェミニズムの中にも様々な考え方があるのはご存じと思われますが)から賛否両論あるのです。

というのは、イリイチの考え方は、『脱学校の社会』などで、近代社会批判の論客として、有名ですが、『シャドー・ワーク』では、「支払われない労働」について、論じています。そして、ジェンダー論からすると「不払い労働」=「家事労働」
などの考え方として(フェミニズムの流れの中にもあったものだが。というよりも、内輪話的なことまで言ってしまえば、フェミニストの考えを盗んだという意見さえある)受け入れられて魅力的に感じられるからです。
 しかし、イリイチのジェンダーに関する考え方には、フェミニズムの中において
も賛否両論あると言ったのは、彼の近代社会批判には同意しても、「前近代社会の活動」を理想とする点に関して、対して異論が多いからです。彼の描く生活の自立のための活動が本当にあったのか?仮にあったとしてもそこに戻れるものなのか?というところがへ異論が多いのです。
 多くのフェミニストが受け入れられないのは、出産・育児という「(種)の再生産」労働に触れようとしないところです。

以下、参考文献をいくつかあげておきます。
 イリイチの議論を正面から受け止め、徹底的に批判しているものに、
上野千鶴子の『女は世界を救えるか』(けいそう書房)←「けいそう」漢字でません。があります、このなかで、一章をさいて、イリイチのジェンダー論に対して徹底的に批判しています。
 また、イリイチの議論はあまり載っていませんが、わかりやすいものに、
江原由美子他の『ジェンダーの社会学』(新曜社)があります。
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