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高校の歴史や地理は文系の学部へいった場合、どんな場面で役立つのかがわかりません。どの学部でどのような場面でその知識が役立つのかをご存知の方、ぜひ教えてください。

A 回答 (7件)

 


高校で学ぶことは、現代の文明・文化の水準を理解するための基本的前提となる「基礎教養」を学ぶということです。

つまり、現代人として生きるには、理数系の学科の教養も、人文社会系の学科の教養も、たとえ,後に忘れたとしても、一通り、基本部分を学び、「教養」としてできるなら身に付ける、あるいは忘れても、昔、そういうことを高校の授業でやっていたでもいいのですが、そういう知識・教養の世界が「ある」ということを、知るだけで重要なのです。

「ある」ということを知るには、基礎教養を学ぶのが一番で、実際,高校の授業で学ぶので、「ある」ということが分かるのです。文科系の大学学部に進学すると、数学などは、まったく必要なく、社会に出ても、微積分など知らなくても生きて行けるというのは事実でしょうが、「微積分など知らなくても」といえるには、まず、それらを、朧にせよ、学んだ経験が前提になります。

まったく何も知らないで、数学など、生きる上で大して関係しないというのと、一度でも、基礎を学んで、その上で、関係ないと思うのでは、全然違うのです。

知識の世界は、どんどん広がっているので、高校程度では、追いつかないというか、扱うことも言及もできない色々なことが出てくるというのも仕方ないですが、これは、色々な学問や技術や、社会の機構の基本の基礎だというものを、高校で学んでいるのです。

文科系で、物理や数学など知らなくても、別に困らない人というのもいますが、しかし、物理や数学も扱えると、実は、その専門分野でも、違う視点から、同じ問題を眺めることができるし、物理や数学のモデルが適用できるということに気づくことがあります。これは、教養として知っていると可能なので、教養として、そもそも知らなければ、どうも関係ありませんし、端的に、「世界が狭く捉えられてしまいます」。

高校で学ぶ歴史や地理は、人類の文化的な活動の広がりと、人類の世界の広がりを教えるもので、これは基礎的な基本教養だとしても、人類というものは、どういうことをしてきたのか、人類というものの世界の広がりを把握するに必要なものです。

日本のなかにだけ、文化的世界はあって、日本の外では、例えば、アメリカなどでは、住民は裸で、洞窟に住んで、マンモスなどを狩って生活しているなどといえば、そんなナンセンスなと思うでしょうが、それは、情報が流布しているので、そんなことはないと分かるのです。

しかし、NHKの教育番組などはともかく、娯楽本位で作られているマスコミの情報などを見ていると、映画で、西欧の歴史映画を見ると、ローマ帝国が、どこか遠いところに、いま現在もあるようだなどという錯覚を抱きかねません。そんな馬鹿なことはないと、思うかも知れませんが、それは、「違う」ということを知っているからです。

どうして知っているかといえば、やはり、小学・中学・高校と、世界や人類の歴史について、色々な基本的な教養を学んできたからです。

半世紀ぐらい前だと、アメリカの教科書で、日本を紹介する挿絵で、ちょんまげを付けた男が刀を腰にしている絵だとか、飛脚の絵だとか載っていたケースがあるのですが、そんな馬鹿なと思っても、いまの日本人でも、例えば、アフリカの人は、槍を持って、裸で、ライオンなどと戦っているというような錯覚がある人がいるかも知れません。

あまり聞いたことのない国の民族衣装は、こういうものだと言われると、嘘でたらめであっても、本気にする可能性もあります。

最後の例は別として、現代を生きて行くにおいて、人類の文化のありようや、歴史、文化、人類の世界とは、どういう世界なのか、基本的な教養がないと、無知であるか、または、マスコミなどの流す情報の影響で、歪んだ認識になる可能性があります。

ましてや、大学の文科系の学部に行けば、世界の地理的な広がりや、それぞれの国や地域についての基本的な知識や、また、世界や日本の歴史や文化について知らないと、そういった基本的な文化基盤の上に学問が成立している以上、たとえ、明示的に出てこないとしても、どの学問でも、基本的に自明なこととして、前提になっている以上、本当に、正しく理解できないということが起こります。

言語学でも社会学でも、スウェーデンの誰誰が、このような学説を主張したというのが出てきた場合、スウェーデンとは何のことか知らないと、話がよく分からないということです。スウェーデンとは、そういう国の名ではないかというのは、マスコミから入った知識もありますが、やはり、高校までに、そういう基礎知識を学んでいるので、分かるのです。

マスコミなどの流す情報と違い、学校教育では、歴史も地理も、重要なものを選んで、系統的に学ぶようになっています。

つまり、重要度の似たものは、一通り学ぶということですし、断片のつぎはぎではなく、系統性があるので、元のクビライというと、そこから、モンゴル帝国のチンギス・ハーンとか、マルコ・ポーロとかが出てきて、マルコ・ポーロだとイタリア商人が出てきて、ヴェニスとかフィレンツェが連想され、ローマ教皇が出てきて……と、系統的な知識が、明確に思い出せなくとも、色々記憶に出てきて、世界史のなかでの位置付けが分かるのです。

大学では、そういう系統的知識は、すでに習得しているという前提なので、明示的に出てこないかも知れませんが、背景にあるものが、よく分かっていないと、何のことか理解できなくなるということがあります。

哲学だと、どういう時代背景のどこの国の哲学者かということは、重要な意味を持って来ます。プラトンのソクラテスについて書かれた著作を読む時、当時のアテーナイは、どういう政治状態にあったかが重要な問題になります。高校程度では、あまり詳しく学んでいませんが、この頃の歴史を学ぼうとすると、高校で学んだことの延長のもっと詳しい,細かい経緯ということで、高校の時に学んでいないと、全体の見とおしが付きにくくなります。

マックス・ヴェーバーの,文明とそのエートスについての世界史的ヴィジョンについて、ヴェーバーの本を読むにしても、その解説書を読むにしても、高校の世界史や地理の知識がないと、何を論じているのか、ほとんど分かりません。

高校の地理や歴史は、人類の歴史や文化や世界についての、大きな系統的な見取り図を提供するためにあるので、この「見取り図」がないと、断片的に理解が偏るということが起こりますし、場合によっては、全然、分からなくなる、また大きな誤解を起こす原因にもなります。

そういう意味で、どう実際に役立つか、というよりも、世界や文明の根本的な系統的把握の基礎として、それ以上の学問や知識学習にとって、必須な教養だということです。

目に見えて役立つことが分かる場合もありますが、意識しないだけで、実は、教養があるから理解できたので、教養がないと理解できなかったが、そのことに気づいていないだけという場合が、結構たくさんあるのです。
 
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この回答へのお礼

参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2002/07/18 17:11

専門バカになりたくても、最低限の横に広がる知識は必要で、学問というものは縦にばっさりと切れるものではありません。


話は違いますが縦割り行政の弊害とか(笑 ありますように、ここからここまではAの分野でそこからそこまでがB、このAとBは決して交わることがないと信じているのならそれは相当おめでたいかと思います。


私は社会学系でしたが、確かに歴史や地理そのものは使いませんが、女性史や文化人類学や社会心理学などを考えるとき、結局文化というものが重要になります。
歴史というのは文化そのものの現れですし、地理も同様に大きく影響するものです。地政学的な観点からでは、よく日本に対する批判に「島国根性」というのもありますし。気候的な観点からは日本特有の「四季折々」な季節とか。例えば特攻精神というものを解明するのにも散っていくサクラを美しいとする日本人の価値観も影響があるのではという指摘もあります。
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追伸。


あと、当然のことですが、法学・経済学系に限っても、法制史・経済史・ローマ法・各国法・国際法・政治学・国際関係論・国際経済学などなどは、もろに地理歴史が必要とされる分野です。
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この回答へのお礼

参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2002/07/18 17:26

 法学部でしたが、地理や歴史に限らず高校での勉強というものは、あからさまに「ここで役に立った」と気付くようなものではなく、無意識の常識レベルの知識として重要になります。



 簡単な例では、「ドイツは分裂国家であったため、統一的な法律を整備するにあたり、ローマ法を採用した。これに対しイギリスでは、アングロ・サクソン以来の慣習法が発展し、コモン・ローと呼ばれる判例法を形成した」という法学の基本的知識があります。
 歴史を知らなくても、これを覚えることはできます。しかし、ここで「ローマ帝国、ヴェルダン条約、ドイツ帝国、ノルマン・コンクエスト、イギリス王国・・・」といった歴史を思い出せれば、これを本当の意味で納得することができるのです。

 また、「譲渡担保の制度は物権法定主義を定めた民法175条に違反しないか」という議論があります。これに対する一般的な回答は、「民法175条は、封建制度下で認められた物的負担を整理し、公示の要請を満たす物権のみを・・・云々」というものです。
 ここでは、封建制度についての高校の教科書を超えた理解が要求されます。

 他にも、本権と請求権の関係だとか、行政裁量の存在根拠だとか、信託法理の正当化根拠だとか、その本質の理解の前提に地理歴史が要求されることは少なくありません。
 しかも、恐ろしいのは、表面的に理解するだけなら、歴史地理は不要だということです。

 経済に関しては、あまり詳しいことは知りませんが、例えば「発展途上国が経済発展するにはどうすれば良いか」という命題を考えるときには、「イギリスの産業革命以降の経済発展モデル」を分析することは古くから行われることです。
 ここで世界史の知識が必要になるのですが、今の高校レベルのイギリス史は、なお「大塚史学」と呼ばれる歴史観に多くを寄っています。ところが、大学レベルでは、この歴史観は多くの批判を受けています。したがって、高校世界史はそのままでは役に立ちません。しかし、それらの批判を理解する「土台」として、高校の知識が、当たり前の前提とされるのです。

 繰り返しになりますが、高校での勉強は、少なくとも大学においては、あえて言及されることのない当然の前提・教養として要求されますから、特に、自分の専門としないだろう分野に関する勉強はしっかりやっておいて損はないと思います。

 ※ところで、No.2の方は「年号を覚えるだけの歴史は、大学の歴史の授業とは全く違う」とおっしゃっていますが、もし質問者さんが「年号を覚えるだけの歴史」をなさっているとしたら、それは高校の歴史としても間違っていると思います。確かに暗記は重要であり、覚えられることは覚えておくに越したことはありません。しかし、暗記のための暗記は無用なのです。
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この回答へのお礼

参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2002/07/18 17:10

文系の学部に行った場合、高校の歴史や地理は、知らないと困る。

文学作品を読んで、地名が出てもなんの連想もできない。時代背景もわからない、では、分析も批評もできないし。それにわからないことを調べる手がかりも減ってきます。すぐれた探偵が博学であるように、きちんと研究するには最低の知識は必要です。
 海外の人たちと交流するときにも高校の勉強は大切ですよ。共通の話題だし。
だから地名も人名も外国に通じるもので勉強したかったです。毛沢東とかカエサルとか、ラマ三世とか言っても、「何だそれ?」って言われます。地名も変なの多いし。
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歴史学科卒です。


高校レベルの歴史は入試程度の知識だったなぁ、と思います。
年号を覚えるだけの歴史は、大学の歴史の授業とは全く違うと断言できます。
そんな年号だけ覚える事が歴史の勉強なのかと、悲しくもなります。
歴史を学ぶ事は、社会一般でも役に立つものとは言えないと思いますが、
学ぶ楽しさは、いま思い返してもいいもんだったなぁ、と思えます!!
あまり堅苦しく考えないほうがよろしいかもね。

アドバイスにならなくてスミマセン。
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文系とはいえ、特殊な「芸術学」を大学で学んでました。


作品・作家の時代背景とかも、理解の上で大切だったのですが
自分は、世界史が赤点のさっぱりさんだったので(苦笑)
人より飲み込みが遅かったです。
おそらく文学を専攻しても同じ状況だったと思います。

文系の学部って、時代背景や、地域背景などを調べるモノが多いと思いますよ。
文化を知る学問が多いですから。
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