No.1
- 回答日時:
誤解があったらすみません。
もし子供の頃聞いたアキレスが亀に追いつけない話ならひどく簡単なものです。アキレスが亀がもといたところまでたどり着くまでにかかる時間は等比級数的に短くなるので、これを無限個足し合わせても無限になりません。たとえばアキレスが亀の倍の速度だったとして、亀はアキレスの出発点から1時間ぶん先にいたとします。アキレスがそのところへ行ったときには亀は30分ぶん先に行っています。つぎにアキレスがそこまでいくと亀は15分ぶん先にいっています。
時間の単位で計ってこれの繰り返しの合計は
1+0.5+0.25+0.125+...
です。これの合計は2(時間)に収束します。つまり2時間で追いつきます。小学校の算数の旅人算の結果と同じです。
この回答への補足
私も調べていろいろな追いつけるという論証を見てきました。
私が知りたいのはなぜそのような論証があるにもかかわらず未だに論議されているのかという点です。
No.2
- 回答日時:
人間の認識機構がそれほど分かっていないからではないでしょうか。
脳の外側の問題のようでいて脳の中で起こっていることでもあるとすれば論議は尽きないと思います。相対論や量子力学だって認識の問題が問題になっているようです。時間の問題、微小の空間で生じる現象など。No.3
- 回答日時:
ご質問自体が間違っていませんか?
いわゆる「ゼノンのパラドックス」(「運動」に関するもの)は4個ほどあるそうですが、「亀とアキレス」は「いまだに論議されて」いるでしょうか? 確かに、ゼノンのパラドックスについて述べた文章には、必ず出てきます。しかし、それは「亀とアキレス」が4個の中で最もポピュラーだからであって、未解決だからというわけではないのでは? 今日なお論議対象のパラドックスがあるとすれば、「飛んでいる矢は停止している」の方ではないでしょうか。失礼な言い方かも知れませんが、ご質問者の知識で解決できるのが「亀とアキレス」なので、「解決済みの問題がなぜ未解決とされているのだろう」と誤解していらっしゃるのかも知れません。
私は素人ですが、歴史をざっと振り返ってみることにします。ゼノンの時代の人は解析学を知らなかったので、「亀とアキレス」という、いわば「手の込んだ屁理屈」に反駁するのが困難でした。
その後、解析学の成立によって「亀とアキレス」は解決されます。しかし、解析学は最初から完全な形で成立したのではありませんね。しばらくの間、厳密な基礎付けがなおざりにされていました。その間も、計算のテクニックとしてはずいぶん高度に発達したのですが。ところが、「連続だがいたるところ微分不可能」、あるいは「いたるところ不連続」というような奇妙な関数が知られるようになり、解析学の基礎は深刻な挑戦にさらされました。いや、書いている私も意味が分かってないので、「連続だがいたるところ微分不可能」な関数が解析学の基礎を揺るがしたかどうかは、よく知らないのですが、例えばの話として、歴史の流れはそのようになっています。
こうした挑戦を、数学者らは受けて立ち、やがて解析学は厳密な基礎の上に築き直されました。その分、以前にも増して抽象的なものになりました。
また、例えば量子力学が適用される極微の世界では、奇妙な事態が起こることが知られています。「アリバイ」という考え方が成り立たないことがあり、粒子 P が時刻 t に A 地点にあったからと言って、B 地点になかったことの証明にはなりません。いや、「時刻 t に A 地点にあった」ということすら簡単ではないようです。「確率の雲」の状態で存在するとか、観測した瞬間にその雲が収縮する(?)とか、はたまたプランク時間より短い時間には分割できないとか、もう何が何だか……。
もっとも、私たちは(専門的なことは分からなくても)量子力学とその標準的解釈を受け容れています。観測事実によく合致することが知られているからです。なお、ここで言っているのは、量子力学が奇妙な関数だということではなく、常識からは信じ難いような異常な関数や奇妙な物理学が、まともな学問として確立しているということです。
さて、「飛んでいる矢」のパラドックスに話を戻すと、「矢」というのは物のたとえですね。それが、ある種の未知の存在だとしたら? 異常な関数や、奇妙な物理学に従う存在だったとしたら、このパラドックスは解決済みとは言えなくなってくると思います。「実際の矢で考えれば分かるでしょ」などという意見は、遁辞でしかありません。
「飛んでいる『何者か』は、瞬間には止まっている。『何者か』は動くことができない。その『瞬間』というのは、時間を無限に分割することによってのみ得られるとは限らない」と、哲学者が根源的に居直ったならば、これに完全に反駁するのは困難ではないでしょうか。
それに対し、「亀とアキレス」のパラドックスは、「無限に分割できる」とか「亀は常にアキレスよりも先の地点にいる」というような性質を利用して組み立てられています。つまり、「性格の良い関数・物理学」を既に利用済みなわけです。よって、解決する際にも、「奇妙な物理学」などのことは考えなくてよいことになるでしょう。
瞬間に幅はあるか(吉田伸夫、科学哲学、大学講師)
http://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/P6_05.htm
(引用開始)
4つのゼノンのパラドクスの中で、こんにちなお科学的な議論に値するのは、第3の飛ぶ矢のパラドクスのみである。(引用終り)
なお、私の拙い回答は吉田氏の論述と一致するものではありません。というか、恥ずかしながら私には吉田氏の論述を理解する頭脳がないのです……。
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
いくつか理由が考えられます。
1)扱っている内容が時間と空間、無限大や無限小、分割にかんすることであり、これらのことが人間の直感ではとらえきれない。
論理的に問題を解決しても、直感で受け入れられないこともあり、心からの解決が難しい。
2)哲学、数学、物理学など様々な側面からパラドックスにアプローチすることで違った見解が得られる。
その際、議論の中心が同一とは限らない。
つまり、様々な問題を含み様々なとらえ方が出来るパラドックスである。
3)パラドックス自体がジレンマを含む。
たとえば、「飛んでいる矢は止まっている」と「競技場」をかんがえると、空間の最小単位について全く逆の結論が導かれています。
一つのパラドックスだけでもややこしいのに、そのパラドックス同士がジレンマを引き起こすので、それぞれの解釈について議論がつきない。
4)問題をとらえる個人の世界観や宗教観に依るところも多く、それこそ世代が違えばそれぞれ別の議論がなされる可能性がある。
などかなと思います。
たとえば#1の方が1+0.5+0.25+0.125+...が2に収束するということで解決をなされていますが、数学的に言えば
1+0.5+0.25+0.125+...
は次々足していくことで限りなく2に近づけることが出来るが、有限の項を足しても決して2にはならないのです。
(1/nはn→∞で0に限りなく近づきますが、決して1/n=0とはならないのと一緒です)
次々足していったとき近づく値という意味で、極限という言い方をし2という値になりますが、足し算の結果が2に等しくなることはないのです。
しかし、アキレスの競争に関して言えばアキレスが亀を追い越す瞬間にはアキレスと亀の位置は正確に等しくなります。極限の結果としてではなくです。
有限個だけでなく無限に足せば2に等しくなるようにも思えますが、それでも実際問題無限に足すことって可能?という疑問が残ります。
そこから、アキレスが亀に追いつくまでには無限の点を通過する必要があるという考えが浮かび、無限の点を通過することは可能か?という疑問が派生します。
それについて言っているのが、「二分法」の項目です。
「二分法」について考えていると空間の無限分割は可能なのか?という疑問がまた派生して来ます。
それについて言っているのが「飛んでいる矢は止まっている」の項目で、もし空間が無限分割可能であれば(幅が0の空間や、0秒間という時間が存在すれば)飛んでいる矢は運動不可能になり、止まってしまいます。
そこで、空間には最小単位があり無限には分割できない?と考えたくなります。
まさに量子力学のような話です。
しかし、「競技場」の項目によれば、空間の最小単位を仮定してもそれよりもさらに微少な幅が存在し、最小単位は存在しないことになります。
ここからがジレンマで、二つの結論が相対するものでどちらにも決着のつけようがないのです。
けっきょくゼノンのパラドックスは全体が絡み合い、4つで大きなパラドックスを構成するという複雑なものなので、なかなか議論に決着がつかないのです。
No.6
- 回答日時:
>私が知りたいのはなぜそのような論証があるにもかかわらず未だに論議されているのかという点です。
>パラドックスを論破するのに十分な論証がすでに山ほど出されているの
に
忘れてはならないのは、ゼノンのパラドックスは、
★証明としては依然として正しい!という事です。
ただ、「アキレスが亀を追い越す地点までは・・・」
という前提条件が抜けているので、アキレスは
亀より早いという「命題」に対して矛盾が生じて
いるだけなんです。
アキレスが亀のいた地点についたとき・・・という
状態を、「アキレスが亀を追い越す地点までは・・・」
という前提条件のもと、「帰納法」を使って、
アキレスが亀を追い越せないことを証明しているんです。
つまり、論理学的に正しい証明が、本当は間違って
いるという非常にいい例なので、この問題を
深く考えることが、もっと複雑な問題を証明する
ときの参考になるんです。
帰納法という証明方法の限界を示している、
非常にいい例なんです。
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