No.2
- 回答日時:
はい、おっしゃる通り、日本史で言う「藩」は、江戸時代に1万石以上の領土を保有する封建領主である大名が支配した領域と、その支配機構を指す「歴史用語」です。
これは江戸時代の儒学者が中国の制度を真似て呼んだ漢語に由来するものです。そのため、当時、藩という呼称の使用例はごく一部に限られ、新井白石の『藩翰譜』、『徳川実紀』など、元禄以降に散見される程度です。しかし、これが明治維新後に公式の名称となり、一般的に使用されるようになったものです。
つまり、江戸時代には「藩」という言葉は儒学文献上の名称であって、公式の制度上「藩」と称されたことは無く、例えば「伊達家」、「前田家」、「津軽家」などのように呼ばれていました。
江戸時代には、たとえば「仙台藩士」とは言わず、公的には伊達陸奥守家来または伊達家中と称されました。
また「藩主」も、封地に侯をつけて呼びあらわされることが多く、例えば仙台侯、尾張侯、姫路侯というような呼称のようです。
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
藩の字は中国から伝わり、室町時代には使われましたが、現在の盛岡藩のような使われ方はしませんでした。
徳川幕府は大名は将軍から領地、住民を貸与されている形をとりましたので、土地につながる藩の字を避けたのでしょう。
徳島藩内といわず、松平阿波守領内といいます。
徳島藩士でなく松平阿波守家臣(家来、家中)です。 徳島藩邸でなく松平阿波守(様、御)屋敷です。 松平阿波守邸ともいわれました。
ただ非公式には一般名として、藩主、藩士、主藩、支藩は使われることも少しはあったようです。
これが崩れたのは江戸末期になり、藩士が大名の家来の意識が薄れ、土地の侍の意識が高まったからです。
幕末になり長州藩士桂小五郎などと名乗る人がふえ、藩、藩士の言葉が普及し、明治維新で大名領を藩名、のちに県名に変えることになりました。
以上は武士の話で庶民の間では、公式名でない、水戸様、加賀様というようなことも普通でした。
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