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http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3214060.html
で、すごく勉強になりましたが、
英国では、なぜ車が左側通行なのでしょうか?
(諸外国が右側、日本が左側というのは理解できました。
 英国に影響を受けた国が英国に倣ったというのもわかるのですが、
 そもそも、英国がなぜ左側通行なのかが、理解できませんでした。)

A 回答 (3件)

 ANo.2の話を要約(解説)すると、次のようになります。

多少、原文を読んだ私の見解も入れておきます。

 ローマ帝国時代は断片的ながら左側通行をしていたことが判明した。馬が交通機関になると、道路の左寄りを走った。それは人は右利きが多いためで、左手で手綱を操りながら右手はフリーにし、向こうからやってくる相手と握手などの挨拶をしたり、場合によっては相手の剣から身を守るのに必要だったからだ。馬が交通機関のときは、左側通行が都合が良かったわけだ。日本でも侍同士が道路で交差するときは、とっさの場合に備えて、相手を右側にしたほうが良かったはず。右手で刀を抜いてすぐに臨戦できるためにも。

 やがて馬車が発達すると、御者は利き腕の右手で長い鞭を打つのが便利である(後ろの貨車に鞭が絡まないためにも)ことから右側の席に座るようになる。そうすると、追い上げてくる馬車に道を譲り接触事故を起こさないように安全確保するために、やはり左寄りに走り、後ろの相手には右側を追い抜かせるのが良かったわけ。
 広野の多い米国などでは、多頭立ての大型貨物馬車が流行り始め、御者は一番後ろ左側の馬にまたがって走らせた。後ろから追い上げてくる馬車は、その左側を追い抜くようになる。それは道を譲り、接触事故を起こさないように注意するのは追い抜かれる馬車の役目で、その結果、米国の馬車は道路の右寄りを走るようになる。
 狭い英国は小型の馬車のままであったから、左側通行が続いた。
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 Wikipedia(英語)に、左側通行/右側通行の非常に詳しい説明が延々とあります。

ほんの「さわり」だけ(歴史を書いた一部です)紹介しておきます。日本語として読みやすいように、若干書き直しました。

 1998年のこと、英国のスインドン近くで古代ローマ人が採石場に通っていた旧い道が良好な状態で残っているのが発見されました。その轍(わだち)を調べて見たところ、一方の側の轍がもう一方の轍よりも深く刻まれていることが判明したのです。これは採石場に向かうのは空の荷車で、帰りは石を満載していたからだったのでしょう。この轍から、古代ローマ人は、少なくともこの地域では、左側通行であったと見られます。
 実際、古代の人は馬に乗って旅をするときは左側通行をしていた、と見ている人たちがいます。多くの人は右利きですから、馬乗りは左手で手綱を握って右手はフリーにしておき、通りすがる馬乗りに挨拶をしたり、場合によっては相手の剣から身を守らねばなりません。男性の上着やシャツのボタンが右側についているのも、このことから説明がつきます。右利きにとって、外套の中にある武器に手が届くのには重要なことで、上着の右前の上に左前が来るようにし、右手で容易に武器に手が届いて握られるようにしなければなりません。
 英国で左側通行の交通ルールを最初に定めたのは、ロンドン橋が出来たのにあわせた1756年です。英国の高速道路法1773には乗馬交通は左側通行を推奨しており、高速道路法1835では第78節で正式に規定されました。
 1700年代の終わり近くになると、米国その他の国々で左側通行から右側通行への変遷が出てきました。何頭もの馬を駆って大型貨物馬車を引っ張る運送業者たちが出てきた頃のことです。この貨物馬車には御者(馬丁)席はなく、御者(馬丁)は左後方の馬にまたがって右手で鞭を持ったのです。左側に座ると、別の馬車が追い越して来るときは自然と左側に来ます。それは追い上げられる御者(馬丁)が、そのほうがお互いの車輪の間隔をしっかり保てるように注意できるからです。それで馬車は道路の右側を走るようになったのです。
 英国では左側通行が続きます。それは馬車が小型で、御者(馬丁)は通常は前方の右側にあった馬車の席に座ったからです。このほうが後ろにある貨車に絡まずに長い鞭を右手で操ることができるわけです。また右側に座ることで、御者(馬丁)は道路の左側寄りを走り、追い越しには間隙の余裕をとった安全上の判断ができたからです。
(以下、省略。原文はまだまだ続きます)

 なお「世界の人口の34%が左側通行で、残りが右側通行です。道路の長さで見れば、左側通行の道路が28%で右側通行の道路が72%を占めます」のだそうです。
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下記のような説があります。




http://www.ne.jp/asahi/vip/home/trafic.htm

英国では、1722年ロバート・ウォルポール首相の時、ロンドン・ブリッジの左側通行に関する規則が初めて出された。その後、1735年に全国の左側通行が立法化された。だが法律が出来る前から馬車は左側を走っていた。英国人も右利きだったからだ。
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この回答へのお礼

 左側通行が基本で、
「(ナポレオンは、)敵の左翼を集中攻撃する戦法で連勝した。騎兵も歩兵も軍隊全体が右寄りに動いて勝利をもたらした結果、戦闘以外の時も右側を歩くようになった。かくして、ナポレオンが制圧した大陸各国は右側通行に変わってしまった」
ということですね。よくわかりました。

お礼日時:2007/08/04 21:53

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