両漢の時代に中国文学は儒教からどんな影響を受けたのですか。
その時代の中国文学は儒教と或いはその時期に流行っていた哲学とはどんな関係がるのでしょうか。
どうかお助けください。よろしくお願いします。

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A 回答 (1件)

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Q文学や哲学や倫理等に造詣が深く読書家である、とか言う意味での知的な人は、どうも、 文学や倫理学や心

文学や哲学や倫理等に造詣が深く読書家である、とか言う意味での知的な人は、どうも、

文学や倫理学や心理学等に関しては幾らでも難解な本を読み、その分野についての知識や教養、また、洞察力や分析力、裏読み等には秀でてはいても、

何か仕事をする時で、特に雑用や、単純な細かい作業を行う時に、咄嗟に機転を利かせたりパッと仕事を覚えるのが得意ではなかったり、要領はあまり良くなかったり、
簡単な工夫すら思い付かず、

「もうちょっと頭を使えよ。」、「それぐらい、考えりゃ分かるだろう。」等と、普通の人から言われて諭されたり等しますね。

やはり、得手不得手があり、賢さにも幾つか類型はあり、100%全ての面において賢くなるのは無理でしょうし、機知と英知はまた違いますし、
人から何を言われたからと言って、気にする事はないですよね?

また、文武両道であるからと言って、すんなり人生がうまく行くとも限りませんし、
人間は、頭脳や身体能力が全てでも無く、大切なのは心であって、
他に、感受性や素直さや芸術的センス等、誰でも何かしらの得意な分野も苦手な分野もあるものですね?

Aベストアンサー

質問文を一読したときは何がご質問なのか分かりませんでしたが、プロフィールから回答履歴を拝見させていただいて、介護福祉士を忍耐強くやっていらっしゃると分かりました。そうなると、事によったらこれ、ご自身のことじゃなくて、身の回りにそういう方がいて、落ち込んでいるのを見かねたということではないでしょうか。

その叱られている方は状況適応が出来ていないんですね。そして学があることが周囲にも分かっているから、周囲はことさらつらく当たるのでしょうね。出る杭は打たれる、です。学問を続けていて思うんです。No6の猪突先生のおっしゃることはごもっとも。人間、左程変わりません。だからその悩んでいる人には、お書きのように、言ってあげたらいいと思います。100%の人はいません。

ただ人間、環境が伴わない限り、幸福にはならないのです。仮に職場の部下にサルトルがいたと想像してみてください。誰も使いこなせないでしょう。話もあわないでしょう。職場環境をぶっ壊す可能性大です。彼みたいな人はフリーの物書きでないと生きていけません。

しかしもし仮に、こういう人が諸事情で、普通の職場に入ってしまったら、どうなのか。環境に溶け込むか。当人の思うままに追求するか。リチャード・バックの『かもめのジョナサン』がちょうどこのテーマですね。

質問文を一読したときは何がご質問なのか分かりませんでしたが、プロフィールから回答履歴を拝見させていただいて、介護福祉士を忍耐強くやっていらっしゃると分かりました。そうなると、事によったらこれ、ご自身のことじゃなくて、身の回りにそういう方がいて、落ち込んでいるのを見かねたということではないでしょうか。

その叱られている方は状況適応が出来ていないんですね。そして学があることが周囲にも分かっているから、周囲はことさらつらく当たるのでしょうね。出る杭は打たれる、です。学問を続けて...続きを読む

Q中国の哲学者、哲学書教えてください

そのまんまです。

西洋哲学はいろいろ名前が出てきますがなかなか中国のは出てきません。
代表的な人物、書籍をお教え下さい

Aベストアンサー

哲学と言うより思想書ですが、有名どころでは

論語、孟子....儒教思想の古典。
大学.....修己治人の学と言われる儒教の政治思想の教育理念をまとめたもの。
老子、荘子....老荘と言われる道家思想の古典。
孫子.....軍事学の視点を思想まで高めた古典。
韓非子....法家思想の代表的な古典。
墨子.....兼愛、非攻を唱えた墨家思想の古典。

 読んでおもしろいのは、韓非子、論語、老子でしょうか。孫子は前半はかなり思想的ですが、後半は軍事技術論です。荘子はかなり難解。読まれる場合、余りクドクドと解説めいたことを書いた本は避けたほうが良いです。単なる解説者の人生訓を述べただけになっている本が多い。原漢文をそのまま読むのが一番のお勧めですが.....

 西洋的な意味での哲学と言う意味では論衡あたりが近いかもしれません。いずれにせよ東洋思想の産物で、西洋的な哲学とは違ったものと考えた方が良いでしょうね。

Q哲学の考察-その1:哲学における検証とは

 
科学や工学では理論を実験、観察を通して検証する。
科学や工学ではこれが当たり前であり、必須のプロセスである。

では哲学においてはどーか。
哲学では真理の検証はなされるのか、
哲学では真理の検証は可能か、
哲学では真理の検証はどのよーになされるか、
哲学における真理の検証は独立した考察対象なのか、
 

 

Aベストアンサー

科学も、必ずしも実験による検証を必須としません。
天体や進化など、実験のしようのないものも多いからです。
理論の正しさは;
1.その理論自身の中に、矛盾がないこと。
2.その理論が、知りえる限りの現実を説明すること。
が基本です。
たとえば物理学でも、超弦理論は、まだ実証できないですが、
他の理論では量子的無限発散に悩まされていたのを解決
すると同時に、プランク定数という基本的定数のみから、
あらゆる物理定数を導くという奇跡を起こしたがゆえに、
今では理論物理の中核に据えられています。

そもそも、この世界に「物理学」や「生物学」、「数学」といった
分離された情報がある訳ではなく、人の能力の限界により、
分けて扱わざるを得ないからで、実際には1つの存在であり、
人の側においても、“もの事を深く理解する”というただ1つの
行為に過ぎないのです。
検証でも実験でもなく、「それによってこの現実がよく分かる」
が肝心なのです。

Q哲学の考察-その2:哲学における方法論とは

 
建築や土木では様々な工法が考えられ、実際に試されている。
工法は建築や土木における言わば方法論であり、最も重要な技術であり、生命線である。

では哲学においてはどーか。
哲学における方法論とは何か、
哲学に方法論は確立されていると言えるか、
どのよーな哲学の方法論があるか、
哲学において方法論は独立した考察対象なのか、
未来の哲学に新たな方法論が出現すると言えるか。
 

Aベストアンサー

「哲学における方法論」は、まさにプログラミングです!
良い例は、万能ではありませんけど、オブジェクト指向です。「オブジェクト指向 哲学」でも検索してみてください。

自分が考えていることをプログラミングして、実行して実際に確かめることで、自分が考え尽くせていなかったことに気付ける場合もが在ります。コンピュータの厳密性に耐えられることが、大切です。
また、自分が考えていることの全てを常に把握し続けることが要らないようになることもが、プログラミングすることの良さです。プログラムを変更した部分だけの影響を確かめることも出来ます。

「哲学において方法論は独立した考察対象なのか」については、プログラミングでは自己出力やインタプリタやメタプログラミングなどが当てはまると思います。面白いです。

ということで、プログラミングという既に確立している哲学の方法論が在ると私は思っています。お薦めです。

Q主張、或いは表現に哲学が在ると云う時、それが何であるのかを知りたい。

週刊誌、サンデー毎日の連載コラムに五木寛之のボケない名言、と云うのがあります。
今週は、羽生結弦(はにゅうゆずる)《フイギュアスケート選手》の名言

『努力はむくわれない』・・・です。

五木寛之氏はこの言葉を取り上げて、そのタイトルに「真の努力家にのみ許される発言」とし、続けて誤解をまねきやすい発言だが、この発言の後には「しかし努力には意味がある」と云っていると付け加えています。

普通には、努力すれば報われるものであると云う考えが一般だと思うので、羽生結弦選手のこの意外な発言に対して五木寛之氏は「ここまで徹底して醒めた目を持っていることに驚かない人はいないだろう」
と述べて、冷徹な人生(報われるとは限らないと云う)を見すえた哲学である、としています。

ここに"哲学"を感じているらしい。

ここで五木寛之氏が指摘する羽生結弦選手の"哲学"に付いて、分かりやすい説明が欲しいので質問としました。
よろしくお願いいたします。

五木氏は、人生は厳しい。この若さで、それを見切る視線の強さに、あらためて驚嘆せずにはいられない。と、結んでいます。

☆ 単なる考えとそれが哲学になると云うあたりの境界線、のようなものが見えてくる事を期待しています。

週刊誌、サンデー毎日の連載コラムに五木寛之のボケない名言、と云うのがあります。
今週は、羽生結弦(はにゅうゆずる)《フイギュアスケート選手》の名言

『努力はむくわれない』・・・です。

五木寛之氏はこの言葉を取り上げて、そのタイトルに「真の努力家にのみ許される発言」とし、続けて誤解をまねきやすい発言だが、この発言の後には「しかし努力には意味がある」と云っていると付け加えています。

普通には、努力すれば報われるものであると云う考えが一般だと思うので、羽生結弦選手のこの意...続きを読む

Aベストアンサー

yy8yy8az様、はじめまして。
 あんこころ。と申します。
 当方、「教えて!goo」を利用するのは今回が初めてなものでして、何かしら失礼があるかもしれませんがご容赦願います。

 件のサンデー毎日における五木寛之氏のコラム記事に引っかかりを覚え、それについて調べておりましたところ、偶然こちらの質問ページを目に致しました。
 ご質問の意図に適うものとなるかは判りませんが、ご思索の参考になればと思い書き込ませて頂きます。

 No.3の回答者様も触れておられますが、羽生選手の発言についてもう少し詳しく具体的に書かせて頂きますと……

(1)そもそもこの「五木寛之のボケない名言」というコラムにて用いられている「努力はむくわれない」「しかし努力には意味がある」という言葉は、世間一般に出回っている範囲における「羽生結弦選手の言葉」ではありません。
 私なりに色々と調べてみましたが、少なくとも羽生選手がこれと同様の発言をしたという「原典」を見つけることは出来ませんでした。

(2)ただし、類似の発言はあります。それが、CosmoToy様も書いておられる以下の言葉です。
 「努力はウソをつく。でも 無駄にはならない。」
 これは、2016年10月2日(日)にフジテレビ系列で放送された「Mr.サンデー×HERO'S 合体SP」という番組内で取り上げられたもので、インタビュ—映像にて羽生選手自身がフリップに書いた言葉です。
 http://dai.ly/x4vohh6
 (05:44以降のコーナーにて紹介。フリップとそれを説明する一連の言葉は動画終盤にて登場。)
 実際の番組を見ると、上記の言葉以外にも「努力の正解を見つける事が大切」など補足となる言葉が添えられており、羽生選手自身の考え方が色々と述べられています。
 今回の五木氏のコラムを紹介した羽生選手のファンサイトは数多ありますが、その中で「言葉そのものの出典」を示したものは、私が確認した限り全てこの番組での「努力はウソをつく。でも 無駄にはならない。」という言葉をもって、五木氏の文章の原典としていました。

 つまり、
(1)五木氏のコラムは「羽生選手の名言」としながら実際には典拠不明の言葉を軸に展開されており、
(2)事情通の読み手は既知の羽生選手の発言に読み替えているものの、それらは似て非なるものである、
 ということです。

 複数のファンブログが特に推測という断りもなく断定形で書いていましたが、実際には出典が示されていない以上、五木氏が本当にこの番組を下地として文章を書いたのかは判りません。
 もしかすると又聞きや孫引きによる執筆なのかもしれませんし、TV番組だけに後から記憶を頼りに書いた結果の変化かもしれません。
 或いは、私もコアなファンも検索エンジンも知らない羽生選手の言葉を、元々フィギュアスケートがお好きだという五木氏がご存知だったという可能性もあります。
 ただ、もしも本当に「努力はウソをつく。でも 無駄にはならない。」という言葉こそが五木氏の文章の本来の原典なのだとしたら、コラムの文章は羽生選手の本来の発言の意図を曲げていることになります。
 たとえば、CosmoToy様も言及されていますが、野球のダルビッシュ有投手のtwitterにある「練習は嘘をつかないって言葉があるけど、頭を使って練習しないと普通に嘘つくよ。」(2010年6月10日)という言葉などと同じく、アスリートがしばしば述べる「練習(努力)の仕方」についての指摘を、羽生選手の「努力はウソをつく。」に始まる一連の発言は含んでいると思います。
 しかし、五木氏の書いた「努力はむくわれない」「しかし努力には意味がある」という言葉では、その要素は消えてしまいます。
 動画をご覧頂ければわかりますが、本来この言葉は後輩スケーターたち(或いはもっと広範な未来のアスリートたち)に向けたメッセージであり、助言の意図を持ったものです。
 ですから、アスリートとして極めて重要な指摘であるこの点を抜いてしまったのでは、「彼の真意」や「哲学」を酌み切れていないことになるかと思われます。
 ただし、五木氏の書かれた文章が、まるっきり的外れなものだとも私は思いません。
「努力がむくわれるとは限らない現実を受け入れ、それでも努力し続ける信念と精神力を持つ。」
 五木氏の指摘されたことも、羽生選手の一連の言葉が持つ意味の一側面には違いないと感じるからです。
 あくまでも五木氏が羽生選手の言葉や在り方から汲み取ったものを綴った文章だと思って読めば、充分に含蓄に富んだ読み応えのあるコラムだと思います。
 もしも五木氏の文章というフィルターを通さない、生の羽生選手自身の考えや哲学といったものに興味をお持ちでしたら、お時間のある時に出典(であろうと思われる)動画を直接ご覧になることをお勧め致します。
 ただし、この番組もまた、羽生選手の言葉や彼に関する事実関係を、少しずつ変えたり伏せたりするという編集を行っているものではあります。
 自分自身がある程度詳しい分野についての報道を見ていると、しばしば情報が伏せられたり片寄せられたりしていることに気付かされます。
 世の中に情報は溢れていますが、それらは常に誰かの視点というフィルターを通った後のものであるということを意識しておかないと、気付かぬ内に見えなくなってしまっている部分もあるのだと実感させられます。

 最後になりますが、質問主様の仰る「単なる考えとそれが哲学になると云うあたりの境界線」についての私見を述べさせて頂きます。
 私は「考え」と「哲学」の差は「矛盾するものを同時に持ち得るか」ということではないかと思います。
 単なる「考え」であれば「Aである」「Aではない」「Bである」「AでもBでもある」といった相反していたり食い違っていたりするものを同時に己の内に持つことが出来ます。
 一つの事象や命題に対し、一人の人間が幾つもの意見や視点(=考え)を持ち得る、と言い換えても良いかもしれません。
 究極、自分自身の本来の意見とは正反対のものであっても、そういう「考え」を持つことは出来ます。
 そして、その「考え」は必ずしもその持ち主の言動にまでは反映されません。
 対して、ここで言う「哲学」とは自らの経験に則って培われた人生観であり、否応なく常に自身の言動へとフィードバックされていく、より本質的・根源的なものだと思います。
 謂わば「生き方・生き様」そのものであり、これに矛盾を抱えることは大きな葛藤を伴い、ときに不可能ですらあります。
 五木寛之氏は元々フィギュアスケートを好んでいらっしゃる方らしいですので、羽生選手の言葉から汲み取ったものに普段から見ているその生き様に通じるものを見出され、「考え」ではなく「哲学」と書かれたのではないでしょうか。
 何だか小難しい言い回しでまとまりが悪くなってしまいましたが、個人的には他の回答者様や質問主様ご自身のご意見とも近いところのある答えかと思います。

 以上、ご質問の件に対し、思うところを述べさせて頂きました。
 長文乱文となってしまい、大変失礼致しました。

yy8yy8az様、はじめまして。
 あんこころ。と申します。
 当方、「教えて!goo」を利用するのは今回が初めてなものでして、何かしら失礼があるかもしれませんがご容赦願います。

 件のサンデー毎日における五木寛之氏のコラム記事に引っかかりを覚え、それについて調べておりましたところ、偶然こちらの質問ページを目に致しました。
 ご質問の意図に適うものとなるかは判りませんが、ご思索の参考になればと思い書き込ませて頂きます。

 No.3の回答者様も触れておられますが、羽生選手の発言についてもう...続きを読む


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