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疑問があります。
よくスポーツなどみていると、アフリカ出身とかかれていても顔は白人ぽいひととか結構見ます。
アフリカ大陸の人なのになぜ黒人ではないのかかんがえました。
今は混血がおおいといわれればそれまでですが、結論的には、黒人が船にのせられてアメリカやヨーロッパへつれていくときに
アフリカ大陸側でその奴隷のうけわたしの仕事をしていたヨーロッパ人がいたから今現在アフリカにもまるっきり白人のひとがいるんですかね? でももしそれならヨーロッパに近いアフリカにならいるのはわかりますが、南アフリカ出身という白人とかいましたが、南アフリカはしたのほうですよね?

文章まとまらずすみません。何か分かることなどありましたら教えてください

A 回答 (7件)

南アフリカ共和国はご存知ですか?


アパルトヘイトは?

せっかくのインターネットですから
是非検索してみましょう!

いまどきアフリカ=黒人ではあんまりですよw

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E3%82%A2% …
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アフリカに移住したヨーロッパ人もいたという事だと思います。



南アフリカに関して言えば17世紀にオランダ人が移住して定住しました。
これがボーア人と呼ばれる人たちで、現地のアフリカ人と衝突しながら力で南アフリカを開拓していきます。
そして19世紀にはイギリスが植民地化に乗り出した結果、ボーア人と衝突して戦争まで起きます。

それ以降はオランダ人とイギリス人が組んで、悪名高いアパルトヘイトの国「南アフリカ連邦」を作り上げます。1990年代にアパルトヘイトがようやく撤廃されて、黒人大統領のマンデラ氏が登場します。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E3%82%A2% …
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植民地だった国は現在でも本国とのつながりが深いです。

移住先としてはうってつけで、その子孫だって沢山いることでしょう。


南アフリカは、アパルトヘイトでぐぐるといいよ。
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アフリカ人と言いましても、黒人ばかりではありません。


北アフリカの人達は、コーカソイドで、ヨーロッパ人と基本的に同じ人種になります。
モロッコ、アルジェリア、チェニジア、リビアエジプト、スーダンなどの人々です。
また、この地域は、ギリシヤ人やローマ人も沢山移住していますし、ゲルマン民族(ドイツ人やイギリス人などがゲルマン民族)のうちの、バンダル族が移住していますから、ヨーロッパ人の血もかなり入っていることでしょう。

サハラ以南のブラックアフリカの場合、西欧諸国の植民地時代に移住したり、混血したりした人もたくさんいます。

その他に、スポーツなどの場合、有望選手を帰化させて出場している場合もあるようです。
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親が帰化していて日本で生まれたのなら黒人でも白人でもアラビア人でも「埼玉県出身」とか「兵庫県出身」とか普通に日本人として扱われますよ。

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質問者さんは若い人なのかな?


一昔前は南アフリカというと白人が黒人を支配していたことで
やや批判的に教科書にも書かれていたものなんですが。
それから北アフリカに多いベルベル人なんか西アフリカ・ガーナ系の
諸民族やケニア人ともヨーロッパ人とも肌の色も顔立ちも全く違いますよ。
やや色が濃いですがエチオピア人もまた全然ちがいますし。
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ご質問者様が考えられたのはネイティブなのでしょう。


遥か昔、異国の支配を受ける事無く過ごしていた土着の先住民のことを想像なされたのだと思います。

時が経ちアフリカは白人の移住や植民地化、果ては謂れのない略奪が進み彼らの支配を受けざるを得ない土地となります。

No.2の方が仰っているように南アフリカにおいてはオランダ系白人の移住が顕著で後々には人種隔離政策、俗に言うアパルトヘイトを実現させてゆきます。
人種を4種に分け、居住・施設・伴い仕事、挙句の果ては婚姻や恋愛等という個人的思想までもが法によって制限される事となります。

19世紀の半ば過ぎアメリカにおいて南北戦争が終結し奴隷制度が廃止されたことを南アフリカ政府が知っていたかどうかは私には判りませんが、南アフリカの白人支配者たちは20世紀を半世紀も過ぎようとする頃にアパルトヘイトを強化します。正に政府としては世界情勢に反する動きだったのではないかと思います。

その直後、同じように南北戦争後それ以前に増して黒人差別が顕著になった南部アメリカにおいては黒人女性R.バークスのバス事件(ネットで調べるとすぐわかります)が勃発し以降公民権運動が盛んになります。

この表現は正確ではなく極めて乱暴なのですが、その後日本でも同じような現象が起こります。学生運動です。
まだ洋の西が是で東が非となる時代です。
是非でなくとも、先進国後進国の言葉が疑問をもたれなかった時代です。
国際情勢はその方向(公民権運動に端を発す)に動きつつありました。

激動の20世紀です。が、その世紀が特別だったわけではありません。戦争がなかった世紀を私個人は知りません。
国際的激動が20世紀前半だとしたら国内的激動は後半です。その後半時代の出来事です。

この事態を嫌悪した国際社会は南アフリカに対し経済的援助を拒むようになります。
その中で積極的に援助をし続けた日本人はかの国から「名誉白人」の称号を受け、見かけ上は白人と同等の扱いを、かの国だけで受ける栄誉を授かる事となるのですが、果たしてこれは栄誉だったのでしょうか?アパルトヘイトを承認する事に屈せざるを得なかった日本!素敵です!!!
このことについての個人的意見を誰も私に聞きませんでした。ので、述べることも控えます。

短い時が経ち40年50年。
アパルトヘイトはその形骸を放棄しました。
国際社会上その理念を消し去りました。
どれほどの差別主義者がどの様に解釈しようが生き残れる思想ではありませんでした。
形の上では今は存在しません。
でも、暮らしの上ではその影を残しています。
以前より深刻なのかもしれません、逆差別です。
興味がおありでしたらお調べください。ネットで探せると思います。
逆差別、アパルトヘイト或いは南アフリカあたりでね。

限って言えば南アフリカに住む人たち、それにどの地域に暮らしている人たちでも特定の人種で括る事は難しいです。
傾向を調査するのは別としてもです。
ネイティブの黒人、先の移民白人、途中で移住した黄色人種、混血のカラード・・・・・・
個人にあってはただの国籍であってそれ以外のものではありません。理念や先祖は別物です。出身と種族は同じではありません。肌の色は関係ありません。それに思想もルーツも。それらはアイディンティティーであり出身ではないのです。

私は北海道民で道産子ですが、悔しい事に私の血にはアイヌ人の遺伝子はかけらもありません。在るのは白虎隊員の一人に流れていたのと同じ遺伝子です。ここを御覧になっている多くの人と同じ倭人の血です。生まれたときからこの蝦夷地に暮らしこの地を愛していてもこの私には略奪者としての異民族である倭人の血しか流れていません。

アメリカ大陸における各国の国籍を持つ人のほとんどはヨーロッパ及びアフリカからの移住民です。ネイティブが住んでいたことはご存知ですよね?でもアーリア人種としか見えない人がアメリカ出身と言っても奇異に感じないでしょう?

ネイティブは略奪され生存権を奪われ、残ったものは同化を止むを得ずとし、或いは水面下で起死回生を企み、そうでなければ混血等の道を選び・・・・・・
いずれにせよ、彼らが今出来る最善のことをその時点で優先したわけです。
結果がどうであれ。

だから、誰のイメージがどうあるのか判りませんが、見かけだけで判断することは危険です。
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