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小さい頃からの素朴な疑問です。卑弥呼によって明に遣わされた難升米は中国語が喋れたのでしょうか。喋れたとしたら どういう方法で中国語を勉強したのでしょうか。

A 回答 (2件)

資料がないので、はっきりとしたことはわかりませんが、だいたい4つのことが考えられます。


1.半島や大陸からの帰化人もしくはその帰化人の子孫。
2.交流のある中間地域に住み、交易や漂流などで中国が話せるようになった人。
3.1.2.の人に習った(江戸時代の通訳はだいたいそう)。
4.上記1.2.を通訳とした。(遣隋使時には通訳がいたことがわかっています)。
要するに、もともと中国語を話せる人(カタコトかもしれません)だったか、なんらかの理由で中国語を覚えた倭人、もしくはそいう人に習った人かそう人が通訳をしていた、ということです。
おそらく、これはどんな論文を読んでも同じでしょう。

ちなみに、難升米は田道間守だったという研究があります。少し古いのですが、京都大学の内藤虎次郎の説です。ちょっと、このあたりも調べてみてください。↓

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%82% …
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この回答へのお礼

早速のご回答をありがとうございました。
難升米 は「たじま」と読むということも初めて知りました。
実はなんと読むのかわからなかったのです。

遣隋使の小野妹子は中国語が話せたのか ということも疑問だったのですが 通訳がいたのですね。
これですっきりしました。
学校で習う時はそういうことをスキップしてしまい 質問をすれば良かったのでしょうが どうやってコミュニケーションをとったのかがずっと疑問でした。

ペリーの来航の時は ジョン万次郎がいたということが後年わかり納得したのですが。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/09/19 17:29

丁寧なお礼ありがとうございます。



>難升米 は「たじま」と読むということも初めて知りました。

あ、いえ、この字を何と読むかははっきしていないと思います。
一般的には(歴史学のならわしとしては)「なしめ」と読まれているようです。ただそれが「たじま」とも読めるため、内藤虎次郎のような説も主張可能だということです。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

「なしめ」ですか。
これなら私でもなんとか ふむふむ と音が出ます。

以前テレビの番組で「万葉集」が書かれた時代の日本語はこんなだったというのを見たことがあります。まるで外国語でした。母音の発音がビミョーに違っていた記憶があります。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/09/19 22:38

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