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沖縄戦の「集団自決」の教科書が検定で直されていて、それを又直さないといけないそうですね。福田総理も文部大臣も、やってくれそう。でも家で読んでる新聞は違う、事実を曲げるな政治介入だって書いてある、一応日本で一番多い新聞のはずなんです。

よくわからない、事実って関与があったんでしょ、そのように直すのはいけないの?うちの新聞(読売ね)がいう事実って何?みなが言ってるように正しく直すのがどうしていけないの?もうよくわかんない。
誰か説明してください。

A 回答 (17件中11~17件)

その新聞が言いたいことは、集団自決を修正する云々の問題ではなく、


教科書の内容に政府が介入することへの問題点です。

教科書は、政治的に独立した立場の組織で検定を受けるのが
民主主義の基本です。
教科書の内容に政治的立場を持った人が介入できるようになると、
国の都合のいい教育しか実施できなくなってしまいます。
だから、福田総理や文部大臣が教科書の内容について
直接介入することは、たとえそれが事実だったとしても、
民主主義に反していることになります。

社民党や共産党などの野党がこの問題について深く追求しないのも、
同じ理由です。

読売は特に教科書の政治介入について敏感な記事を書いてますね。
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既に議論されてますけど、「事実」とは何か?ですよね。

個人的には論理的な正確さを追及することだけが事実だとは思いません。
表現としてのニュアンスが極めて問題だと思います。

その意味で、教科書の実際の記述はどうなっていて、それが具体的にどう検定で修正されたのかは非常に重要な事項の筈なのですが、不思議にその詳細がマスコミの中であまり出てこない。一番具体的な記載をしていたのが産経新聞と言うのが、これまた興味深いところです。

産経新聞によれば、検定による修正は以下のようだったそうです。
検定前:「日本軍のくばった手榴弾(しゆりゆうだん)で集団自害と殺しあいをさせ~」
検定後:「日本軍のくばった手榴弾(しゆりゆうだん)で集団自害と殺しあいがおこり~」

これを重大な事実歪曲と見るかどうか。私の意見としては、後者の方が客観性はあるかもしれませんが、実際に沖縄戦を体験された方がこのニュアンスに容認できないと言うことであれば、検定前の記述で差し支えないように思います。
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こんにちわ。

状況としてはいろいろあったことが推察されます。
何が事実で、何が事実でなかったかは、他者は判りません。

読売はどちらかと言えば右寄り。
つまりあの戦争は侵略ではなかった、間違ってはいなかったんだと
いうような人たちが支える新聞だということです。
間違ってたらごめんなさいね。私が勝手にそう思っているだけです。
(売れてるとか、どのような人が読んでいるかは別問題)

だから、軍部はそのようなことは言わなかったし、教科書検定は
間違っていなかったのに、変更するのは政治家が悪いと言ってるわけです。

試しに、ネットで(試すなら購入した方がいいですが)朝日、毎日、産経などを読んでみましょう。
朝日はリベラルというか、ちょいと左よりで、戦争は悪かった、日本は悪いことをしたというほう。
で、ついでに赤旗(こりゃ共産党の機関紙ではっきり左)あたりも読んでみるといいです。

個人的には、民間人が手りゅう弾で自決するなんて、軍部の介入が
なければありえないし、文部省がそのようなことがなかったと検定で
押し通そうとしたことは、日本の右傾化、再軍備化を進めようとする
勢力がうごめいてきたことを意味するものだと思っています。

まあ軍備はすでにあるので、他国での自衛隊の戦争参加を容認し、
その先に望んでいるのは、徴兵制の復活でしょうね。
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私は戦後生まれで、戦時中のことはわかりませんが。



そのとき、住民の方も兵隊もたくさんいたのでしょう。当然一つの防空壕には入りきれません。集落も点々としていますから、防空壕もあちこちにあったのです。
その防空壕には住民も兵隊も利用していたのです。

防空壕ごとに状況が違っていたと思います。
ある防空壕では、部隊長が「生きて恥をさらすな」と、自決を促したかもしれませんし、ある防空壕では「死ぬな」と、降伏を勧めた隊長もいたでしょう。

それをもって、一律に「集団自決を促した、いやそんなことは無かった」と沖縄戦の全体を決め付けることは出来ません。

ですから、私は「自決を促したところもあった」と解釈しています。
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>事実って関与があったんでしょ、


「生きて虜囚の辱めを受ける位なら死ね!」
と自決を強要した現地指揮官もいれば、
「君達はまだ若いから死んではいけない」
と、看護隊の少女などを逃がした隊長もいます
(逃がしてもらったおかげで助かった女性が実際に証言しています)。
教科書に軍部全体が集団自決を強いたと明記してしまうと
後者の人まで自決強要に加担したことになってしまうため
ひとくくりには出来ないというのが検定側の主張です。

>みなが言ってるように正しく直すのがどうしていけないの?
沖縄戦に参加した兵士の中には
「自分は死ねなんて言った覚えはない」
「住人を守るために必死に戦ったのになんでそんなことを言われなきゃならないんだ!」
と主張している方もおられます。
みんながみんな集団自決の関与を認めているわけではないのです。
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難しいですね。


兎に角戦争状態と言うのは何から何まで常軌を逸している訳ですから、平時にそれを裁こう(結論を出そう)というのは非常に困難なことだと思います。
勿論沖縄の人々の気持ちはよく分かります。
私も流れとしてはそうだったのだと思います(そういう空気が醸成されていったのは確かだと思います)が、直接そういう指示命令がどういう経緯でなされたのか(或いはなかったのか)はよく分からないのです。
つまりそれを歴史的な事実として認定するにはもう少し研究が必要なのではと思います。
一部裁判ではそういう事実はなかったとの判決も出ていますし。
本当に難しいです。
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とても難しい問題だと思います


手榴弾とか持たされて自爆している人がいるわけですから、関与が全く無かったはずはありませんが、問題は関与の度合いです
末端兵士の独断なのか、現場指揮官の判断なのか、軍上層からの命令に基づくものか、などなど…
今までの教科書に記述されていた関与の度合いと、証拠のある範囲で分かっている関与の度合い、今回の検定を支持する人たちが主張する関与の度合いはそれぞれ違いますし、記述復活を求める人たちが主張する関与の度合いですら、もともとの記述での関与の度合いとは違うようです
証拠に裏付けられた関与の存在は「正しい」かもしれませんが、証拠の残ってない関与もあったかも知れませんから、あくまで最低限の線です
全体としてどの程度の関与があったと記述するのが「正しい」のか、あるいは記述すべき程の関与ではなかったのか、現時点で断言するのは本当に難しいことだろうと思います
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