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「森さんは産経も早稲田も試験を受けずに入ったわけね」五輪汚職だけじゃない…森喜朗85歳の“黒すぎる功績”
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https://news.yahoo.co.jp/articles/40b75a50dbe955 …

先週はKADOKAWAの会長・角川歴彦容疑者が贈賄容疑で逮捕された。

『角川の競合を排除「私は絶対認めない」森喜朗「天の声」音声』(週刊文春 9月15日号)

《組織委員会の会長だった森喜朗氏(85)が、KADOKAWAの競合相手だった講談社について「絶対認めない」などと発言していたことが、「週刊文春」の取材でわかった。取材に応じた音声データが残っていた。》(週刊文春スクープ速報9月7日)

 読んでみたら想像以上。自分のことを「週刊現代」「FRIDAY」などであれこれ書く講談社の五輪スポンサー入りは「絶対認めない」と確かに発言していた。「『俺はこんなものを認めるなら辞めようと思う』と言ったら、みんなビックリして」とも。

森喜朗の「功績」とは?
 完全に森喜朗の私怨ではないか。こういう権力の使い方ってアウトなんじゃないの? 

早稲田大学にコネ入学
もともと森喜朗青年は早稲田に入るには学力が足りなかった。

《父も学校に呼ばれ「あなたの息子さんは早稲田は無理ですよ」と言われて帰ってきた。父は反発した。「こうなったら仕方がない。意地でも喜朗を早稲田に入れてやる」と言い、早稲田ラグビー部監督・大西鐵之祐先生への紹介状を書いてくれた。》(『私の履歴書 森喜朗回顧録』日本経済新聞出版社)

 逆境をはね返す男・森喜朗。父・茂喜は町長であり早稲田のラグビー部出身だった。一般学生とは違う「縁」を利用した。こうしてまんまと早稲田に入ったが、わずか4カ月でラグビー部を退部。

 こんな経験があるのに『遺書 東京五輪への覚悟』(幻冬舎)では「途中で投げ出したらそれこそラグビーの敢闘精神に反する」と書いている。なりすまし……いや、なんと素晴らしい精神力でしょう。

産経新聞入社時にも…
 次は産経新聞入社について。森喜朗先生は大学の頃にすでに政治家になろうと決めていたのだが、そのステップとして新聞記者という職業に就くことを考えていたという。

《私は早稲田に入るときに父の力を借りたので、就職だけは自力で打開したいと考えたが、私の成績で新聞社に入るのは相当困難なことも事実であった。》(『私の履歴書 森喜朗回顧録』)

 もうイヤな予感しかしない。

 大学生時代の森喜朗は安保反対運動に対抗して安保賛成運動をしていた。そこで出会った自民党議員に「君はどこに就職したいのか」と聞かれ、新聞社だと答えると「それなら産経新聞の水野成夫君を紹介してあげよう」と言われる。水野氏は紹介状に目を通し、「わかった。担当者に話しておこう」と言った。

 これで入社は決まったと喜んだ森喜朗だが、卒業が近づいても産経新聞社からは何の連絡も来ない。人事担当者に「水野社長はそう言ったかもしれないが、うちは経営再建中で新人の採用予定はない」と言われる。しかし、へこたれない。

「試験は絶対に受けない」と白紙の答案を提出
《しばらくして「採用試験をやるから受けろ」と連絡があった。私は「試験をやって、その成績が悪いのを理由に採用しないつもりだな」と思ったので「試験は絶対に受けない。水野社長との約束を守ってほしい」と言い張った。》(同前)

 すごい。つまり、「さては試験をやって俺の頭の悪さを証明するつもりだな! その手には乗らん!」という作戦である。自分のことを知り尽くす森喜朗。しかし担当者が「試験を受けないと採用しない」と言うので、

《仕方なく試験は受けた。試験では白紙の答案を出し、最後に「天下の水野社長は前途有為な青年をつぶしてはならない」と書き加えた。》(同前)

 ここまでくると図々しさに感心してしまう。

 これらは自著である『私の履歴書 森喜朗回顧録』に普通に載っている。こんなことばかり言って、日経新聞での連載時には問題にならなかったのだろうか? すると2013年12月に出版されたある本で次の箇所をみつけた。

 対談相手が「こう言っちゃ悪いけど、森さんは産経も早稲田も試験を受けずに入ったわけね」と尋ねると、森喜朗は陽気にこう答えている。

《そら、ちゃんと試験を受けていますよ。多少は下駄を履かせてくれたと思うけどね。日経新聞の「私の履歴書」でも、ぼくが勉強もしないで入学したということになっていて、大学が大騒ぎした(爆笑)。》

「爆笑」してるのである。怪しい入学方法が持ちネタになっているのだ。なんという図太さ。

「講談社だけは相容れない」じゃなかったの?
 この対談が収録されているのは『日本政治のウラのウラ』という森喜朗の本で、聞き手が田原総一朗であった。講談社から出ている。

質問者からの補足コメント

  • 脇雅史・前参議院選挙制度協議会座長のような骨の有る議員は、もう自民党に居ませんね。

    脇雅史氏は、森喜朗から「もう君の椅子は無いよ」と言われて辞めさせられました。
    _______________
    https://www.nippon.com/ja/currents/d00192/

    「法治国家の屋台骨が揺らいだ」参院選挙制度改革
    2015.07.31

    参議院の選挙制度改革は、「鳥取・島根」「徳島・高知」を1つの選挙区に「合区」する「10増10減案」で決着した。一票の格差が2.97倍となるこの案を「違憲のおそれがある」とし、自民党会派を離脱した脇雅史・前参議院選挙制度協議会座長にインタビューした。


    脇 雅史 WAKI Masashi

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/09/20 18:15
  • 石川県の住人の数は114万人、石川2区は32万人に過ぎません。その32万人によって、1億3千万人の日本国民が滅び去る事に成るかもしれませんね。

    No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/09/21 04:40

A 回答 (7件)

そういうダメ人間をのうのうと担ぎ上げて当選させちゃう日本人がダメなんだと思います。

この回答への補足あり
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この回答へのお礼

脇雅史・前参議院選挙制度協議会座長のような骨の有る議員は、もう自民党に居ませんね。

脇雅史氏は、森喜朗から「もう君の椅子は無いよ」と言われて辞めさせられました。
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https://www.nippon.com/ja/currents/d00192/

「法治国家の屋台骨が揺らいだ」参院選挙制度改革
2015.07.31

参議院の選挙制度改革は、「鳥取・島根」「徳島・高知」を1つの選挙区に「合区」する「10増10減案」で決着した。一票の格差が2.97倍となるこの案を「違憲のおそれがある」とし、自民党会派を離脱した脇雅史・前参議院選挙制度協議会座長にインタビューした。


脇 雅史 WAKI Masashi

参議院議員(自民党、比例代表選出。当選3回)。1945年生まれ。東京都出身。東京大学工学部卒業。1967年建設省(現・国土交通省)に入り、河川計画課長、近畿地方建設局長などを歴任。97年に同省を退官。98年の参議院選挙で比例区・自民党から初当選。自民党参議院幹事長、参議院選挙制度協議会座長を務めた。2015年7月、参議院自民党会派を離脱、自民党と野党4会派が提出した「10増10減」の公職選挙法改正案に反対票を投じた。


「抜本改革」の義務果たせず
——参院幹事長、国対委員長などの要職を歴任した脇さんが、この選挙制度改革をめぐって会派離脱の決断までされて反対した。どのような信条、思いがありますか。

脇 雅史 まず、参議院が置かれていた状況について話したい。2度にわたって最高裁から「違憲状態」と言われていた。「違憲状態」というのは直す時間が限られていたということで、中身は違憲ということだ。合憲と言える状態に変えなければ選挙は出来ない。

それに加えて、私たちは3年前に「4増4減案」というものを通したのですが、その時に次回選挙までに「抜本改革をやります」と法律の附則に書いた。立法府にとってこれほど重たい義務はないだろう。私たちは法律をつくる立場で、その自分で言ったことを守れないほど無責任なことはない。今の時点までに、抜本改革をするしか道がない。そういう状況だった。

お礼日時:2022/09/20 18:11

石川2区の住民が困ったちゃんだったんですね。

この回答への補足あり
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この回答へのお礼

石川県の住人の数は114万人、石川2区は32万人に過ぎません。その32万人によって、1億3千万人の日本国民が滅び去る事に成るかもしれませんね。

お礼日時:2022/09/21 04:40

疑獄は森喜朗どころか、田中角栄以前からの問題ですよ。


それなのに自分達の身を律する法案を出した政党はおろか政治家すら、この70年間いません。

司法、行政、立法の国家構造に対して、それを取り締まる観察・監督機関が必要でしょう。
悪事の温床になっています。
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この回答へのお礼

脇雅史・前参議院選挙制度協議会座長のような骨の有る議員は、もう自民党に居ませんね。

脇雅史氏は、森喜朗から「もう君の椅子は無いよ」と言われて辞めさせられました。
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https://www.nippon.com/ja/currents/d00192/

「法治国家の屋台骨が揺らいだ」参院選挙制度改革
2015.07.31

参議院の選挙制度改革は、「鳥取・島根」「徳島・高知」を1つの選挙区に「合区」する「10増10減案」で決着した。一票の格差が2.97倍となるこの案を「違憲のおそれがある」とし、自民党会派を離脱した脇雅史・前参議院選挙制度協議会座長にインタビューした。


脇 雅史 WAKI Masashi

参議院議員(自民党、比例代表選出。当選3回)。1945年生まれ。東京都出身。東京大学工学部卒業。1967年建設省(現・国土交通省)に入り、河川計画課長、近畿地方建設局長などを歴任。97年に同省を退官。98年の参議院選挙で比例区・自民党から初当選。自民党参議院幹事長、参議院選挙制度協議会座長を務めた。2015年7月、参議院自民党会派を離脱、自民党と野党4会派が提出した「10増10減」の公職選挙法改正案に反対票を投じた。


「抜本改革」の義務果たせず
——参院幹事長、国対委員長などの要職を歴任した脇さんが、この選挙制度改革をめぐって会派離脱の決断までされて反対した。どのような信条、思いがありますか。

脇 雅史 まず、参議院が置かれていた状況について話したい。2度にわたって最高裁から「違憲状態」と言われていた。「違憲状態」というのは直す時間が限られていたということで、中身は違憲ということだ。合憲と言える状態に変えなければ選挙は出来ない。

それに加えて、私たちは3年前に「4増4減案」というものを通したのですが、その時に次回選挙までに「抜本改革をやります」と法律の附則に書いた。立法府にとってこれほど重たい義務はないだろう。私たちは法律をつくる立場で、その自分で言ったことを守れないほど無責任なことはない。今の時点までに、抜本改革をするしか道がない。そういう状況だった。

お礼日時:2022/09/21 04:34

ダメになってなんてないよ、最初から最後までずっとダメなんだから

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この回答へのお礼

脇雅史(わきまさし)・前参議院選挙制度協議会座長のような骨の有る議員は、もう自民党に居ませんね。

脇雅史氏は、森喜朗から「もう君の椅子は無いよ」と言われて辞めさせられました。
_______________
https://www.nippon.com/ja/currents/d00192/

「法治国家の屋台骨が揺らいだ」参院選挙制度改革
2015.07.31

参議院の選挙制度改革は、「鳥取・島根」「徳島・高知」を1つの選挙区に「合区」する「10増10減案」で決着した。一票の格差が2.97倍となるこの案を「違憲のおそれがある」とし、自民党会派を離脱した脇雅史・前参議院選挙制度協議会座長にインタビューした。


脇 雅史 WAKI Masashi

参議院議員(自民党、比例代表選出。当選3回)。1945年生まれ。東京都出身。東京大学工学部卒業。1967年建設省(現・国土交通省)に入り、河川計画課長、近畿地方建設局長などを歴任。97年に同省を退官。98年の参議院選挙で比例区・自民党から初当選。自民党参議院幹事長、参議院選挙制度協議会座長を務めた。2015年7月、参議院自民党会派を離脱、自民党と野党4会派が提出した「10増10減」の公職選挙法改正案に反対票を投じた。


「抜本改革」の義務果たせず
——参院幹事長、国対委員長などの要職を歴任した脇さんが、この選挙制度改革をめぐって会派離脱の決断までされて反対した。どのような信条、思いがありますか。

脇 雅史 まず、参議院が置かれていた状況について話したい。2度にわたって最高裁から「違憲状態」と言われていた。「違憲状態」というのは直す時間が限られていたということで、中身は違憲ということだ。合憲と言える状態に変えなければ選挙は出来ない。

それに加えて、私たちは3年前に「4増4減案」というものを通したのですが、その時に次回選挙までに「抜本改革をやります」と法律の附則に書いた。立法府にとってこれほど重たい義務はないだろう。私たちは法律をつくる立場で、その自分で言ったことを守れないほど無責任なことはない。今の時点までに、抜本改革をするしか道がない。そういう状況だった。

お礼日時:2022/09/21 10:09

森喜朗の時代は裏口入学は普通だった。


バカがのし上がるには別の才能がなければなりません。
人間の闇に取り入るがシッポを警察に掴ませない。
これを学習したのが社会。汚い奴が成功し紳士面、喜朗は悪びれないふてぶてしさ。同調する日本人、利用してきた日本人。
岸信介は言いました。「黒い金もろ過機通せば綺麗になる。」
下水飲んでろ過する。人間下水処理場、稀有の才能です。
一方真っ白な人間というのは何もしないのと同じです。沈香も焚かず屁もこかず。
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総理の座を得る時も、次は森さんの番だね の一言で勝手に総理の椅子を奪ってしまいました

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宮澤喜一「あなたどこの大学だっけ?」


竹下登「早稲田。」
宮澤喜一「あー、そーなの。あの頃早稲田って入試無かったよね?」
竹下登「(ムカッ!)」

その話を聞いた別の人
「酷いね、早稲田は入試あるのに」
竹下登「いや、あの頃は入試は無くて誰でも入れたんだよ・・・」
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