No.1ベストアンサー
- 回答日時:
私は仏教の専門家ではないので、私なりの解釈ですが、まず仏教というのは基本的に「あらゆる煩悩を振り払って悟りを開く」ことに、最終目的があります。
また仏様は、そのための手助けをしてくれるのです。ですから、過去の悪事も、それを悔い改める気持ちがあれば、あとは教えに従って、自分や物事への執着心をなくすことで、悟りに近づき、救われることができるわけです。
しかし、自分の行った悪事に気づかず、また自分が悪いことをしているとも思っていなければ、悔い改めるということにつながりませんし、また地獄に落ちるという警告も効果がありませんから救いを求めようとも思いません。したがって、仏教として望ましい状態=煩悩がなく悟りを開いた状態、とは程遠く、こちらのほうがより良くないということになるのだろうと思います。
No.5
- 回答日時:
「善人なおもて往生とぐ、いわんや悪人をや」親鸞の言葉ですね。
自分が善人だと思っている人は、自分が知らずにやった悪事に気が付かず、阿弥陀様におすがりしようとはいません。悪人は知ってて悪いことをしたので、自分がとるに足りない者であることを認識しており、阿弥陀様におすがりすることが出来ます。
善悪の判断について人間は常に間違いをして来ました。己を知る事ができないで自分を善人だと思ってる者の傲慢さを、お坊さんは諭しているのだと思います。
No.4
- 回答日時:
例えば、毒があるのを知らずにフグなどの毒のあるものを食べて、死んでしまったり、草の痛い棘にうっかり触ってしまったりすることが、罪といえるでしょうか。
又、自分の為したことが知らない内に人を不幸にしてしまう(自分も他人も悲しい)結果を招いたなら、それも罪であったというのかもしれません。知って犯す悪と言うのは、例えば自分の悪い癖などを悪いと識ることなくそれを続けてしまう怠惰と言うようなことかもしれませんし、また、自制などが働かず、わざと昂ぶってしまったりすることが、悪いことのように思えます。
常に心が晴れていて、また晴れていることに気をつけ、存して、心の清さを護っている人、そのような人は、不幸の素(無明)から離れていて、安心を分け与えるようなすがすがしい人であると思います。
たとえ罪や悪に塗れていても、そのような人を見て、安心する理由を識ったなら、やはりそれを見たその人も、すがすがしい所を弊害なく望み、そこに至ることができます。
自分の欲を馳せ、それのままに愚鈍に生きると、苦い結果を生みます。
また、他人を思いやる心を忘れると、後悔することになります。
欲望に囚われず、欲の求める所(快感)は人生の求める所ではなく、肝心のものが、人生に相応しいものが本当はあるのだと心に知って、生存の苦しみを除けて、人は、その真実をこそ平らかに望むべきです。
この回答へのお礼
お礼日時:2007/11/02 23:46
回答ありがとうございます
最近では、他人からもらった、きのこを食べて、
危険な目にあった人とかいるので、
あげた人は、どういうつもりなのかな?と
想像しています。
No.3
- 回答日時:
すでに良き回答がでていますので参考程度に
「知って犯す罪と」「知らないで犯す罪」は心の罪としては「知らないで犯す罪」が何倍も大きい。これは犯した罪に対する反省のよすががないからですね。つまり「反省できないゆえに罪が重いのですね。」
ここで論じている罪は、法律で裁かれ刑に服すれば消えるという物理的な罪の意味ではないのですね。人間の心としての罪の意味ですね。心にある罪は自身で気づいて反省という消しゴムで消さない限り消えないという意味なんですね。死ねば物理的な肉体はなくなりますね。刑法で罪を償ったとしてもそれは肉体の拘束でしかないですね。たとえ極刑の死刑になっても心までは死刑にならないからね。
心を裁くのは「あの世で有名な閻魔大王」であって裁判官じゃないということを言っているんですね。
詐欺師なんかは「うそ」が商売ですから「知って犯す罪」でしょうね。一方、おばさんがあの世にいったら本名じゃなくて戒名で呼ばれるなどと信じきっていってましたが。あの世では「おおうそ」ですね。これは「知らないで犯す罪」なんですね。進化論なんかにも「知らないで犯す罪」がありますね。「知らないで犯す罪」はわりとおおいんですね。有名な閻魔大王におこられる人、いや死人は意外と多いんですね。
No.2
- 回答日時:
「知らないで悪いことをした」方が、「知らなかったんだからしょうがない」と思えて、比較的悪くないような印象を受けるのですが、仏教を学んだ時に聞いた話では、以下のような説明でした。
「知ってて悪いことをした人」は、「悪いこと」を知っているから、「悪いことをするな」と教えればいいから、比較的マシなのだ、と。
「知らないで悪いことをした人」には、「それが悪いことである」ということから教えなくてはならず、それがとても難しい、と。
最近よく、「何故、人を殺してはいけないか」ということが問題になりますが、「殺人はよくないこと」と知ってて殺人をした人には、「何故、人を殺してはいけないか」を教える必要はないわけです。けれど、「殺人が悪いこととは知らなかった」という人には、「何故、人を殺してはいけないか」を説明するところから始めなくてはならないのです。
そう言われてみれば、「悪」を説明することは、改心させることよりも難しいことだとも思えます。
このようなことは、どこか経典に典拠があったはずですが、失念してしまいました。
この回答へのお礼
お礼日時:2007/11/02 23:44
回答ありがとうございます
ここで質問して、皆さんのをさっと読んだら、
私はこれに気付かなかったです。
経典に典拠があるんですか。
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