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旧日本海軍の特に機動部隊の対空砲火について教えてください。

よく旧海軍機動部隊の対空砲火の威力というか弾幕密度が、アメリカのそれより貧弱で「米雷撃機が日本軍の凄まじいまでの対空弾幕に阻まれ・・・」という事は寡聞にして聞き(読み)ません。
しかし、太平洋戦争開戦頃ならまだしも、ミッドウエー海戦以降であれば日本軍も対空兵装を強化して、「これ以上はもう搭載するスキマが無い。」という位、全艦針鼠のような状態ではなかったのでしょうか?
それともアメリカは門数は1艦隊当たり日本と同等でも、単位時間内での発射弾数などが多いので密度が違うのでしょうか?
でも、それほど日本とアメリカで単位時間発射弾数が違うとも思えませんが。

ずっと気になっていたので質問させていただきました。
ご存知の方、よろしくお願いします。

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A 回答 (16件中1~10件)

まず対空砲の射程の問題があります。


雷撃機は高度2~3000メートルで接近し敵艦を発見し次第に高度を下げ高度を海面上10メートル前後までさげないと魚雷を投下できません。  これは海面での衝撃で魚雷の破壊や爆発を避けるためです。

この距離ないし接近中に早期に射撃して雷撃機を撃墜するには日本軍の対空機銃は射程が不足でした。
雷撃機は約2000メートルまで目標に接近すると魚雷を投下し離脱するものです。

従ってこれを撃退するには目標艦より距離2000メートルの海上に護衛艦を配置する必要があります。
日本軍は護衛艦が少数でしたから有効な弾幕を張ることは困難でした。

アメリカ海軍の輪形陣はこの点強力な防御体形でした。
射程の長い対空砲は射撃も種々の理由で制限があったことは他のご回答に示されています。

急降下爆撃機の場合は高度3000メートルくらいから急角度で降下しますから加速度もあり爆弾投下高度まで急速に接近します。
この間の対空射撃は対空砲が有効ですが発射弾数が少なく適当な距離での爆発を設定する事は困難です。
日本軍の対空射撃の有効射程を知っておればその圏外で爆弾を投下して離脱できます。

戦艦や空母は大型ですから至近弾でも損害を与えることが可能です。
これを迎え撃つ機銃座は暴露状態ですから死傷者が続出し対空能力が低下せざるをえません。

アメリカ軍のVT信管、40ミリ機関砲、20ミリ機関砲の組み合わせは極めて有効な弾幕射撃が可能でした。
しかも攻撃地点に近い場所に配置されていましたから雷撃、爆撃、特攻攻撃も困難ないし犠牲者を生むだけでした。
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この回答へのお礼

やはり対空機銃は射程が不足やレーダー性能など、ここでも基礎工業力などが影響しており、単に門数だけ揃えれば良い・・という訳ではないのですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/14 21:29

No9です。


まだご指摘がありませんので補足します。
高速で移動する艦艇が進路を変更すると艦体が傾斜する性質があります。

敵襲を受けて艦艇が避弾行動をとるとおおくはジグザグに進路の変更、円運動を行うものです。
特に雷撃を行けると円運動で回避します。  攻撃側はこれを見越して魚雷を未来位置に向けて投射するのです。

防御側は急激な艦体の傾斜のため照準が狂い、適確な射撃が出来ず眼くらう撃ちに近いか射撃を中断しなければなりません。 従って弾幕射撃で敵機の接近を妨げるか、照準を妨害するしかありません。
艦艇の対空砲火の命中率が低いのはこのせいです。  
さらに一方向だけに攻撃を集中されると反対側の砲火は開店休業の状態で、攻撃を終了して退避する敵機だけを追い打ちするしかありません。

アメリカ軍は戦闘経験を積み、編隊攻撃、2方向からの雷撃狭窄などの戦術をとる余裕があり、有効な打撃を加える事が出来ましたが、日本軍は戦力の低下、技量の低下もあり単機攻撃が多くなって犠牲のみが生じました。
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この回答へのお礼

大和に限らないでしょうが、大和搭乗員の手記に艦尾側の機銃は艦の回避運動で、敵機に対して逃げる?ような方向に向いてしまい射撃が難しかったというのを読んだ事があります。
単に門数の多寡に関わらず、攻撃側の数量にも差が出てそれが弾幕を集中出来たか、分散させられたなどが結果として出たという事ですね。
2度のご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/16 22:16

皆さんのすばらしい回答があるので、ほんの少しだけ説明します。



元々、日本海軍は思想として艦隊決戦ありきで設計された部隊です。
そのため、対戦艦戦を意識した艦隊になっていました。
巨艦巨砲主義の大和や武蔵がいい例ですね。

空母機動部隊はWW2が始まった時点でもまだどう運用していいかわからず、極端に言えば日本もアメリカも運用方法は手探りだったようです。
航空機が戦艦を撃沈するなどということは予想しなかったとも言われております。
マレー沖開戦(だったと思う)で日本陸軍機(一式陸攻)がイギリス戦艦プリンスオブウェールズや巡洋戦艦のレパルスを撃沈したときは世界が驚愕したそうです。
恐らくそれから空母の運用方法も変わってきたと考えられます。

しかし、日本海軍としてはとりあえず、空母部隊も艦隊決戦に運用することを基本前提にして設計されていますから、対空放火に対してはアメリカほど重要視されていませんでした。
対空母戦(空中戦)を意識していなかったということです。

全てではないですが、そういうようなことが一因として挙げられます。
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この回答へのお礼

他の回答者様が戦争末期にはそこそこ日本の対空砲火も充実したようですが、開戦してからも長い期間 艦隊決戦思想を抜け出せず、対空への防御も優先度が低かったのでしょうね。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/16 22:08

戦中通して一部の艦を除いて、防空能力が敵側に警戒されるくらいまで強まった話は見たことが無いです。


(大和型戦艦、秋月型等除く)

やはり基本的には、船の設計自体の相違もあると思います。
日本側は多くの艦が、水上戦闘想定の設計なので改装で対空火器を増やそうにも積む所が少ない、そもそも対空兵器が極端に増産できないという事情もあったかと。
(VT信管なども無いですが、そもそも対空火器数が少ないような。)

また思想的に一発必中傾向なので、米側のような弾幕思想が強くないことが兵器や運用に影響しているかと思います。

ということで
>門数
日本側が少ない艦が多い
>単位時間内での発射弾数
数が多いので射線が多く、さらに火器の連射速度が高い
(有名な40mm対空砲等、長射程で比較的高い高度まで届く)

さらに、レーダーなどで弾幕を張る米側に対し、目視見張りによる個別射撃傾向の日本の運用の差。

などで密度の差が出るのではないでしょうか。
上記の例外に上げた秋月型等は、対空力が警戒されたのか敵が避けた旨の話を見たことがあります。
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この回答へのお礼

機銃なら空きスペースにいくらでも積めるのでは?と思っていたのですが、設計が艦隊決戦用なので積める門数も少ない。
さらに発射速度なども関連してくるという事で、弾幕が米軍に比べて貧弱になるのですね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/16 22:03

迅速なとは戦闘の中止や航海の中止を伴うほどのという意味です。

確かに誤解を伴う表現でした。
もちろん、命数が着たら交換はしますが、それを恐れて対空砲火をやめたり減らしたりするほどの問題ではないという意味です。
管理は当然ですし、命数が着たら交換はしますが、対空砲火を減らしたり矢中止したりするのは即艦に撃沈の危険を負わせるものです。
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この回答へのお礼

海戦もそう何回もある訳ではないので、ケチらず射撃するんでしょうね。
補足ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/16 21:56

「命数がきても少し散布界が広くなるだけで撃てなくなるわけではありません。

迅速な交換が必要なほどの問題ではありません」

高角砲に「散布界」は関係ないですが。戦艦や巡洋艦の主砲と間違えてませんか?

それはさておき、命数が尽きた砲で撃ち続けると、砲弾が砲身内で止まって塘発を起こす恐れもあります。12.7センチ砲弾は炸薬を入れており、陸軍であれば「重砲」に分類される砲ですから塘発を起こしたら大変です。戦艦の主砲から高角砲、駆逐艦の砲に至るまで、砲身の命数は、砲身ごとの帳簿できちんと管理されていました。
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この回答へのお礼

砲身の寿命も帳簿までつけて厳重な管理が行われていたのですね。
砲身内爆発を起こして火薬庫に誘爆しようものなら・・・厳重な管理が必要なのでしょうね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/16 21:53

すでにいろいろ回答が浮いていますが、


 護衛艦の数の差、攻撃機が多いと相対的に一機あたりの弾幕は減る、といった点が主なものです。ちなみに損傷や勝因の志望によって対空砲火が弱まることはあっても、弾丸がない(もったいない)、砲身がもったいないといった理由で対空砲火をケチることありえません。攻撃を食らって船が沈めば弾丸も砲も持って帰れないので、ケチるのはナンセンスです。陸軍とは違って弾丸の使用量なんてたかが知れているので、弾丸不足はありませんし、(陸軍も弾そのものよりどう運ぶかのほうが問題です。)、砲身命数は主砲も高角砲も200発程度ですが、(長砲身高初速化すると短くなります)命数がきても少し散布界が広くなるだけで撃てなくなるわけではありません。迅速な交換が必要なほどの問題ではありません。

 でもう一つの問題は、機体の頑丈さがあります。日本の機体の場合40ミリはおろか20ミリでも、エンジンに食らったりすると一発で落ちたりします。防弾の充実したアメリカの機体なら、日本の20ミリをくらっても、結構生きて帰ってきたりします。
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この回答へのお礼

護衛艦や攻撃機数の差、以外に機体の頑丈さ。。なかなか撃墜されにくいという事ですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/14 21:48

対空砲火の威力については既に大勢の方が指摘されておられますので、弾幕について述べますと、少なくとも昭和19年以降の日本海軍艦艇の弾幕はかなり激しいもので、米艦載機乗員からは「弾幕の上に乗って歩く事が出来る」などと評価されています。


また命中精度も決して悪くはなく、日本海軍もレーダー照準を実用化しているに違いない、とする声が戦時中にあります。
このように米海軍の評価では日本海軍も激しい弾幕を張る事が可能で、命中精度も悪くなかったのですが、結局のところ威力不足が大きく響いたと思われます。
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この回答へのお礼

戦争も終盤になるとパイロットや状況によっては”激しい弾幕”という印象を与えていたのですね。
初めてこのうようなコメントを教授いただき、なんだか嬉しく?なりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/14 21:35

日本軍の悪い所は、口径は大きいが威力が劣る点です。



97式戦車の57ミリ砲は貫徹力が低く、(18.5口径)
長砲身化せず、47ミリ(47~48口径)(2説あり)に換装します。
18.5口径はあまりに馬鹿げています。

赤城に関しては初期、
20センチ対水上砲10門
対空砲は、12.7センチ連装高角速射砲(45口径)6基(12門)
しか保有していません。

改装後、
20センチ対水上砲を4基削減。
25ミリ連装機銃14基(28門)を増設します。

45口径では、初速に問題があり、未来位置に時限信管を動作させ、撃墜させる方式では無理があったようです。

問題は、#6様のご指摘通りで、12.7センチから、いきなり25ミリ機関銃になった事です。

1センチ1キロ射程としても、3000mの射程では、雷撃機はその外から魚雷を投下してしまいます。

12.7センチ/7インチ/40ミリ/25ミリ
の段階的な掃除が出来ません。

また、駆逐艦の搭載する多くは、12.7センチ45口径砲で、対空射撃では満足が得られませんでした。
(史実で、複葉機の偵察機に当たらず逃げられた。)
12.7センチ、50口径砲搭載駆逐艦でも、高速化する敵機には難儀していたそうです。

高速化する機体には、60口径以上が不可欠であったようです。
秋月の10センチ65口径砲では、初速が高く、命中率が格段に向上したようです。
ここでも、威力を増す為に口径を落とすと言う方式です。
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この回答へのお礼

門数はそろっていたとしても、性能的に満足出来ないシロモノだったのですね。
”12.7センチから、いきなり25ミリ機関銃・・・”と中間的な砲が無く、これも基礎工業力などが影響しているのでしょうね。
秋月型・・・大量建造されていたら・・と期待してしまいます。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/14 21:00

質問者様ご指摘の通り


「日本軍の飛行機が現れると、米軍艦船から一斉に対空砲火が放たれ、空が暗くなった」
といった描写を良く見ます。

それに対して日本軍の対空砲火は遥かに密度が薄く、効果が少なかったようです。レイテ沖海戦で武蔵が落伍・沈没するに至った時のシブヤン海の栗田艦隊の対空戦、あるいは小沢艦隊の対空戦
※ 日本側にかなりの艦艇があり、組織的な対空戦闘が可能だった最後の機会
でも、米軍攻撃機の損失は思いのほか少なかったようです。

戦艦大和が沈んだ菊水作戦では、米軍飛行機の損失は僅か10機程度に留まりました。日本の艦艇が少なく、大和以外は「オマケ」程度の対空砲火しかなかったとはいえ、日米であまりに落差が激しいといえます。

この理由としては下記が考えられます。

1. 米軍の高角砲(高射砲)は、日本機が近くに来たら自動的に炸裂し、発射から一定時間後に自動的に炸裂するVT信管を使用しており、日本軍の高角砲とは威力に大差がありました。

時限信管しか持たない日本軍の高角砲は
「敵の前方で炸裂させて恐怖感を与える」
「有効弾を与えればラッキー」
程度です。対空砲火の主力は、25ミリ機銃でした。

2. 高角砲というのは、高初速で弾丸を打ち出すので砲身命数(砲身の寿命)が多くありません。詳しいデータが手元にありませんが、200発程度を撃てば交換しなければならなかったはずです。
対空戦闘で、弾薬の供給や発射速度に問題がなかったとしても、上空を暗くするほどの弾幕を張るほど高角砲を撃ちまくれば、すぐに砲身命数が尽きて交換が必要になります。ところが、12.7センチや10センチの高角砲の砲身は、日本の工業力では簡単に量産できる代物ではありませんでした。
10センチ以上の大砲は、陸軍であれば「野戦重砲」です。日本陸軍は、10センチ以上の口径の重砲を「月に数門」製造する能力しか持っていませんでした。
日本海軍の高角砲の交換用砲身製造能力はもう少しましだったとは思いますが(詳細は分かりません)、軍鑑や輸送船に交換用の12.7センチ、10センチ砲身を豊富にストックし、戦闘終了後に迅速に交換したという話は全く聞きません。
高角砲の低い有効性(脅しくらいにしかならない)、弾薬供給のことから考えても「砲身の命数を考えてセーブして発砲していた」と思われます。

3. 日本海軍の主力対空砲火である25ミリ機銃は、米軍によると「日本陸海軍の対空火器の中で一番脅威であった」そうです。
しかし、有効射程が大きくありません。「敵の雷撃機への水平射撃で、有効弾を与えうるのは3000メートル以内」だったそうです。これは、海の上ではそんなに長い距離ではありません。
この有効射程は、上から来る爆撃機を迎撃する場合は、より短くなります。撃った弾丸が地球の引力で減速しますから。
また、25ミリ機銃は兵員を防御する防楯すらない、剥き出しの状態で装備されています。いくら
「日本軍も対空兵装を強化して、「これ以上はもう搭載するスキマが無い。」という位、全艦針鼠のような状態」
であっても、激しい戦闘が始まると、機銃を操作する兵、あるいは機銃そのものが急激に減って行きます。
* 敵飛行機の投下した爆弾や魚雷による被害。爆弾を至近弾で回避したとしても、爆弾が水面で炸裂すると断片が機銃員を殺傷し、機銃を吹き飛ばしたそうです。菊水作戦で大和は左舷に集中的に攻撃を受けて沈没しましたが、左舷の機銃員や高角砲員で生還した者はほぼ皆無と聞いています。
* 爆撃や雷撃を行った米軍飛行機は、主に機銃員を機銃掃射します。日本軍の戦闘機がなければ、米軍の爆撃機や雷撃機に同伴してきた戦闘機は、軍鑑の上を飛び回って機銃掃射を執拗に行い、兵員は10人単位で倒れて行きます。レイテ沖海戦、菊水作戦に参加して生還した人の手記、あるいはしばらく前の映画「男たちの大和」を見れば分かりますが、対空戦闘が一段落した後の日本軍鑑の艦上には、機銃員の死体が至る所に散乱し、血が滝のように流れている惨状でした。
* レイテ沖海戦の武蔵ですが、主砲射撃指揮装置が早期に破壊され、「各主砲は随時三式弾で対空射撃せよ」という状態になりました。その結果、機銃に兵員が取り付いている状態で、何の警告もせずに主砲が突然三式弾を発砲し、機銃や兵員が次々に吹っ飛ぶ惨状になったそうです。武蔵の対空機銃指揮官で生還した人が激しい怒りと共に書き残しています。18インチ砲の爆風は、兵員どころか機銃それ自体を吹き飛ばすくらいの破壊力を持っていました。

整理しますと
「日本海軍の高角砲は有効な対空火器ではなかった。一方、米軍の高角砲は、VT信管・実質無制限の弾薬と交換砲身のおかげで、日本軍の飛行機の大半を撃墜する極めて有効な火器であった」
「日本海軍の対空火力の主力である25ミリ機銃は、威力はそれなりにあったが、敵機の接近を防ぐことが出来ない。接近した敵機の爆弾や魚雷が命中し、至近弾の被害を受け、米軍機の機銃掃射を受けて兵員が死傷すると威力が急速に衰えた」
となるでしょうか。

「日本軍機の接近を許さなかった米軍高角砲」

「ほとんど実効性のなかった日本軍高角砲」
のギャップがキーと思われます。
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この回答へのお礼

25mm機銃はそれなりに効果があったようですが射程が短いようですので、”恐るべし”という程ではなかったのでしょうね。
砲身寿命も200発と、以外と少ないのですね。
「男たちの大和」見ました。敵第一波の攻撃では全砲門で応戦出来ても、第二・第三波になると機銃員の方の消耗もあり対空砲火の威力が下がるという事ですね。
詳細なご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/14 20:55

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Q戦艦の対空砲火

こんにちは。
戦艦の対空砲火の威力について教えて下さい。
太平洋戦争において、大和、武蔵をはじめとするわが国の戦艦のほとんどが米軍機によって沈没させられましたが、

1.わが国の戦艦は対空砲火(高射砲・機銃)によって具体的にどの程度の米軍機を撃墜できたのでしょうか(○○作戦において大和は米軍機○機を撃墜した等)

2.かりにわが国戦艦が、マリアナ沖海戦で米軍が使用したVT信管(砲弾が外れても目標物が近くにあれば自動的に炸裂する)を使用していれば、様相はかなり変わったのでしょうか。

3.わが国戦艦が使用した三式段によって実際に米軍機が撃墜された戦闘はあるのでしょうか。あるとすると実際に何機を撃墜したのでしょうか。

4.大和、武蔵などほとんどの戦艦が魚雷によって沈没させられていますが、接近する魚雷を戦艦からの機銃掃射によって爆破させることはできなかったのでしょうか。

軍事には素人ですので、どうぞ教えて下さい。

Aベストアンサー

1) 戦艦大和他の第二艦隊が撃滅された「坊の岬沖海戦」の場合、米軍の損害は「艦載機10機」であるようです。
この海戦の場合「母艦への着艦が夜になったため多数の飛行機が着艦に失敗して失われた」といった事情がありませんので、
米軍の損害10機=第二艦隊が対空砲火で撃墜した機数
となるでしょう。

2) 様相はあまり変わらなかったとする論者がいます。
なぜ敗れたか日本海軍 光人社NF文庫
http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/31828766
に「VT信管は化け物か?」と題して、質問者さんの疑問(2)を考察し、結論として「否」としています。
主な理由は
「対空射撃式装置の性能がアメリカは桁違いに優れていた」
ということで詳細に説明されています。
筆者は、防衛大学校を卒業して護衛艦に乗り組んでいる際に、米軍が第二次大戦中に主用していたのより性能の劣る米国製対空射撃式装置で対空射撃訓練を行い、5インチ速射砲(第二次大戦時の高角砲に相当)に「時限信管」を使用した対空砲弾を使用して、飛行機が曳く吹流しに名中断を与えているとのことです。

なお、筆者によりますと、5インチ(12.7センチ)高角砲の命中率は
アメリカ 30%~50%
日本 0.3%
と、100倍以上の差があったと言います。

また、VT信管は「高角砲弾が目標の20メートル以内を通過した時に炸裂する」ものでしたが、日本の対空射撃式装置の性能があまりに悪いため、実戦では「どこを撃っているのか分からない」状態であり、そもそも米軍機の20メートル以内に高角砲弾を通過させることができず、VT信管があってもなくても同じだったろう、と筆者は言っています。

上記の本は質問者さんの疑問の多くを解いてくれると思いますので、ぜひお読み下さい。

3) 日本側では、マリアナ沖海戦やレイテ沖海戦で、戦艦の三式弾射撃で何機かの米軍を撃墜している、と言っています。
一方、ウィキペディアには
「米軍側の資料には『パンパンと破裂するがまるで花火のようで、実際の被害は少なかった』との記述も存在し、対空射撃での確実な戦果は、ほとんど確認が無いとされる」
と書かれています。

米軍の飛行機が日本の飛行機より工作精度が良く頑丈で、燃料タンクや乗員の防御も優れていたことを考えますと、
「三式弾の焼夷弾子は、日本機には有効だったが、米軍機には威力不足だった」
ことがあったことは有り得ます。

4) 軍艦の対空機銃は、水面に向かって射撃することも出来ました。
太平洋の戦闘、大西洋の戦闘で、「自艦に向かって来る魚雷の航跡を発見して機銃で射撃した」という話はいくつか聞いた記憶がありますが、その射撃で魚雷を破壊できたという話は聞きません。
ただ
「飛行機が、敵の潜水艦が発射した魚雷を上空から発見し、魚雷に体当たりして魚雷を破壊した」
という話はあります。

そもそも、魚雷を発見した軍艦は急転舵して魚雷に艦首を向ける運動をし、魚雷の命中を避けようとします。魚雷に艦首を向ければ、艦首を左右に分ける波ができますので、そこに敵の魚雷が来てもどちらかに流れてしまい、命中しません。戦史でも「敵の魚雷を発見して急転舵して艦首を向けたが、艦首に魚雷が命中した」例はありません。

急転陀する軍艦から、自艦に向かってくる魚雷を狙い撃ちして命中させるのは不可能と思われます。
「水中の物体は海水という分厚い盾に守られていますから、撃てたとしてもなかなか破壊はできなかったでしょう」
ということもありますが、それ以上に
「魚雷が自艦に迫っているという状況下で、物理的・心理的に、魚雷に機銃弾を命中させることは難しい」
ということではないでしょうか。

1) 戦艦大和他の第二艦隊が撃滅された「坊の岬沖海戦」の場合、米軍の損害は「艦載機10機」であるようです。
この海戦の場合「母艦への着艦が夜になったため多数の飛行機が着艦に失敗して失われた」といった事情がありませんので、
米軍の損害10機=第二艦隊が対空砲火で撃墜した機数
となるでしょう。

2) 様相はあまり変わらなかったとする論者がいます。
なぜ敗れたか日本海軍 光人社NF文庫
http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/31828766
に「VT信管は化け物か?」と題して、質問者さんの疑問...続きを読む

Q旧日本軍はどうして潜水艦を強化しなかったのでしょうか?

第二次世界大戦もののDVDを観て思ったのですが、
潜水艦の役割は重要です。
攻撃にしろ、防御にしろ威力絶大と感じました。
とくに太平洋に飛び飛びにある島の防衛などは、潜水艦を配備していれば強化できたと思います。
日本の潜水艦のことはあまり聞きませんが、
海軍は、どうして潜水艦の開発に力を注がなかったのでしょうか?
海を制したかったら潜水艦が不可欠ではないでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

日本海軍は、甲標的艦を完成。実戦に投入しました。
2人乗りの水中高速型の潜水艦の開発に成功していたのです。

この事実に米軍は驚愕しました。

時の水上機母艦は、甲標的艦母艦として即座に改装可能なように設計、建造されていました。

潜水艦に対し相当力を注ぎ込んでいたようです。

日本軍では潜水艦とは、
隠密行動を取り、単独で侵入し、敵艦船を攻撃する為の兵器でした。(特攻に近い思想)

艦隊戦では、艦隊の前で哨戒に当たらせ、
平時は、敵の基地付近の哨戒任務に付かせました。

一方、米軍の潜水艦は日本軍のそれよりはるかに劣ります。
酸素魚雷の開発もまだでした。

米軍は、
潜水艦を3隻一組とする狼狽戦法で弱い輸送船団を襲う事に専念します。
彼らは、日本軍の海防艦が、殆ど使い物にならない木造船である事を知っていました。

日本軍は
駆逐艦を重雷装する事により重巡洋艦と匹敵する戦力としようとします。
重巡洋艦は、重雷装させ、戦艦と互角で戦える事を目標としました。

その結果、被弾に対しては極めて脆く火災、誘爆が多かったのです。

米軍は、無理な雷装や、無理な作戦より、
より効果的な運用方法を目指しました。

追い詰められ、
潜水艦に戦艦が沈められるようになると、
日本海軍も、もう終わりだな。
こう言う空気が流れます。

潜水艦に対する防御、発見方法、攻撃方法などが確定していないと言う、根本的な問題でした。

>とくに太平洋に飛び飛びにある島の防衛などは、潜水艦を配備していれば強化できたと思います。

潜水艦は、常に最前線に投入され、後方は無視されました。

>日本の潜水艦のことはあまり聞きませんが、
海軍は、どうして潜水艦の開発に力を注がなかったのでしょうか?
海を制したかったら潜水艦が不可欠ではないでしょうか?

上層部は、敵艦隊を攻撃する事しか頭にありませんでした。後方、補給よりも、最前線でした。
援護の無い、単独攻撃は、犠牲も大きかったようです。

日本海軍は、甲標的艦を完成。実戦に投入しました。
2人乗りの水中高速型の潜水艦の開発に成功していたのです。

この事実に米軍は驚愕しました。

時の水上機母艦は、甲標的艦母艦として即座に改装可能なように設計、建造されていました。

潜水艦に対し相当力を注ぎ込んでいたようです。

日本軍では潜水艦とは、
隠密行動を取り、単独で侵入し、敵艦船を攻撃する為の兵器でした。(特攻に近い思想)

艦隊戦では、艦隊の前で哨戒に当たらせ、
平時は、敵の基地付近の哨戒任務に付かせました。

...続きを読む

QB29の迎撃に活躍した戦闘機

B29の迎撃に活躍して
最も多くのB29を撃墜破した戦闘機は何でしょうか?
月光ですか?
屠龍ですか?
それとも雷電でしょうか?
またどのような性能がB29の迎撃に適していたかも
教えて下さい

Aベストアンサー

普通に考えたら陸軍の三式戦飛燕だと思います。
 
 飛燕は稼働率も低く、不慣れな水冷エンジンのためもてる性能を発揮できず、速度では一式戦より速いですが格闘戦では一式戦の方が優れているため、米軍のパイロットから見ると一式戦の方が三式戦より手強い相手だったそうです。初の三式戦装備の68、78両戦隊はニューギニアでほぼ全滅で解隊するというかなり厳しい戦歴でした。
 B29が本土に飛来するようになると、日本機の中では高高度の性能が比較的良く、速度も日本機の中では速い飛燕が活躍するようになります。小林照彦戦隊長率いる244戦隊は部品の補給、整備も行き届いていたため他隊に比べ稼働率も高く、また攻撃精神旺盛なためB29の迎撃に活躍しました。震天制空隊による体当たりをはじめ、通常の攻撃でもB29を撃墜しています。小林戦隊長自らB29に体当たりで撃墜し、生還するなど244戦隊は敗戦までに撃墜84機(うちB29 73機)撃破94機(同92機)と言う戦果を上げました。
 
 水冷エンジンについては工業力が追いついていないのを無理して使ったというのが一般的ですが、ただ単に今までの日本機のほとんどが空冷エンジンであったため整備員が不慣れであったと言う話も聞きます。同じく水冷エンジンの彗星を装備した芙蓉部隊は整備員の努力により高い稼働率を維持していました。
 
 B29の迎撃に必要な性能は高高度での飛行性能、速度、高い上昇力、加速性、火力など格闘戦性能より一撃離脱に適した機体が良かったと思います。

普通に考えたら陸軍の三式戦飛燕だと思います。
 
 飛燕は稼働率も低く、不慣れな水冷エンジンのためもてる性能を発揮できず、速度では一式戦より速いですが格闘戦では一式戦の方が優れているため、米軍のパイロットから見ると一式戦の方が三式戦より手強い相手だったそうです。初の三式戦装備の68、78両戦隊はニューギニアでほぼ全滅で解隊するというかなり厳しい戦歴でした。
 B29が本土に飛来するようになると、日本機の中では高高度の性能が比較的良く、速度も日本機の中では速い飛燕が活躍するよう...続きを読む

Q太平洋戦争当時日本軍が三八式銃を使用していた理由は

三八式銃とは、明治38年 に発明された旧式の銃らしいですが、
これを太平洋戦争当時でも使用していたそうです。
戦争中の兵器の進歩は日進月歩なのが普通なので、
これは不思議なことです。
使用し続けた理由は何でしょうか?

大量に余っていたとしても新式に鋳直せばよいだけのことです。
現に戦闘機などはどんどん改良を重ねています。
なにか特別なことがあったのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られていますね。
新しいともいえませんが、それほど古いともいえません。つまり、ボルトアクション式では、すでに三八式は「決定版」ともいえる代物だったのです(No12の方が言っているように日本人にとって扱いやすいのも大きい)。
決定版なので、それ以上のものは戦術的転換がないかぎりは不要です。現在でもピストル、小銃などは50年以上前の設計の物だって十分現役で使っている国もあります。これらは現代の戦術では決定版足りえる代物だからです。

さて、先ほどから「戦術」という言葉を使っていますが、これが、三八式におきた一つ目の悲劇です。
時代は第1次大戦、火器は「小銃による打ち合い(砲は補助的)」から「重砲と機関銃(小銃は補助的)」による戦術に「転換」しました。

つまり三八式の作られた時代の戦術概念と第2次大戦では大きく様相が変わったのです。
基本的に新しく作られた戦術というのは、前に使われていた戦術よりも優れています(優れているから採用される)。
つまり、三八は世界的な戦術である、火砲、機関銃の大量使用による弾幕戦と戦うようには対応していません。
諸外国のようにそれらの「補助兵器」として使うならば十二分の性能だったでしょう。

当時の戦術において勝利を決めるのは火砲、機関銃、戦車といった兵器で、小銃はすでに勝利を左右する兵器ではなくなっていました。
しかし、日本軍にはそれらで力のある兵器はありません。

勝利を左右する兵器を持っていない軍隊と、勝利を左右する兵器を大量保有している国が戦えば・・・どうなるかはわかりますね?

日本軍が、(あくまでボルトアクションから進歩した存在であり、補助兵器の域を出ない自動小銃はともかくとして、です。諸外国がこれの更新を遅らせたのは、他に国力を注いでいたためです)火砲や機関銃の大量配備を嫌ったのは、塹壕戦による経験が薄かったために有効性を信用しきっていなかったのもありますが、最大の理由は、工業力がこれらの兵器を「全軍にいきわたらせて、かつ戦えるだけ」の力を持ち合わせていなかったことです。
国力と軍事力の兼ね合いが著しく悪いとも見れます。海軍でもいえますが、国力以上の軍事費は維持費や更新費用の面で国家を破綻させます。弾薬についてもそうです。自国の国力でまかなえる以上の弾薬を使う軍隊を持てば、補給にひずみが生じて、供給が追いつかなくなります。
かといって軍隊を減らすわけにもいかない状態ですし、そのおかげで更新(つまり戦術転換)に使う国力もない。新しい戦術では弾薬を多く使うので、転換したところで維持できるだけの国力もない(諸外国は生産量を増やしたのですが、日本ではそれができるだけの国力すら残っていなかった)。
日本軍が抱えていたひずみとかゆがみが、小銃にも現れているのです。

もう一つの悲劇が、1つ目の後半とかぶりますが日本の工業力の低さです。
当時、日本の技術力はとにかく欧米に追いつけということでタッチアップを図っていましたが、まだまだ追いついていません。
よく「日本の技術力は世界一だった。アメリカに物量で負けた」なんていう人がいますがこれは大間違いです(空技廠から上がってきた航空機の図面で、「この部分は鋳型をつかった鋳造で」となっていても金型が作れずに削り込み部品にしたというのはよく聞く話です。つまり当時の技術はその程度)。
中でも惨憺たる分野が重工業全般の中でも最重要分野の鉄鋼業でして、製鉄も自国では補完できない、鋳型技術も低い状態です。
さらには、精密機械技術が発展途上でして、とにかく精度が悪い(戦前の日本兵器において「統一規格」はありません。というより作れなかったのです。精度が維持できないのですね)。そのため小銃ですら調整しないと命中精度が維持できない上、部品の互換性がない。これは前線において問題です。
別々の箇所が壊れた銃をばらして一つの壊れていない銃にするというのは、軍隊ではある程度普通ですが、日本ではこれが出来ない。つまり不経済な状態です。
また、弾薬の製造精度も悪いため、弾詰まりが多い。これは自動小銃のほうで批判されますが、こちらについては「吐き出す量が多いためハズレに当たる確率が高い」だけなのです(まあ、自動小銃のほうが若干弾詰まりを起こしやすいというのはありますが・・・)。

ながくなりましたが、結局は日本と日本軍の構造上の問題なのです。
日本において三八式が評判が悪いのは、本来的に責任はない三八式に、日本の抱える問題を添付してしまっているからです。結局問題は日本自体にあるのです・・・
というわけで、三八自体の設計は優秀ですし、ボルトアクション式小銃の決定版でもあります。

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られてい...続きを読む

Q第二次大戦中に現代の自衛隊を投入したら

くだらない質問ですが、気になったので書いてみます。

第二次世界大戦末期の1945年1月1日時点に、現在の最新鋭の自衛隊(航空・海上・陸上)の全戦力を日本本土に投入したら、日本軍は勝てるのでしょうか?兵器の生産設備などは投入しないものとします。

いくら最新鋭の戦力を持っていても核と資源がないのでアメリカが多大な犠牲を出しながらも勝つだろうという見方もできるし、当時の日本はインドネシアを占領していたので資源不足を克服し日本の勝利という考え方もあると思います。

Aベストアンサー

戦争に「絶対」は無いですから必ず勝てるとは言いませんが、面白い勝負にはなるでしょう。

近代軍では補給が重要な要素を占めるので、どれだけの弾薬や燃料、整備、補給品を保持しているかで、戦い方も変わってきます。自衛隊のそうした物資の正確な保有量が不明なので、推測するのは困難なのですが、とりあえず・・・

1945年1月の時点なら、できるかどうかは分かりませんが、まずは自衛隊の戦力を秘匿します。
2月の米軍による硫黄島攻略あたりで航空自衛隊の全力出撃です。
この次期、米艦隊は正規空母12隻、護衛空母17隻を含む大艦隊を出撃させてきており、このうちの正規空母12隻、護衛空母4隻が日本近海に現れ本土空襲を行っています。これを狙います。ちなみに、この当時の米艦隊の正規空母の数は14隻ですから全部撃沈できれば、後がかなり楽になります。
F2攻撃機、約80機を中心とする対艦ミサイル攻撃で、空母を撃破します。現代の対艦ミサイルを当時の米軍艦艇がそれほど迎撃できるとは思えないので、うまくいけばかなりの空母を撃破できるのではないかと・・・
また、B29への迎撃にもF15を出撃させます。最大で4発のミサイルを別々の目標に連続発射できるF15の戦闘力に、B29の部隊は大打撃を受けるのではないかと・・・
さらに海上自衛隊の潜水艦部隊によるハワイの真珠湾攻撃を行います。ハープーン対艦ミサイルは対地攻撃にも転用可能とという事なので、ハープーンで真珠湾の燃料施設や艦艇補修設備などに攻撃を行い、打撃を加えます。
要は自衛隊の進んでいる兵器を一挙に出して大打撃を加えるとともに、米軍にショックを与えます。
これでうまくいけば、アメリカは空母艦隊とB29の部隊とハワイの後方施設に大打撃を受け、直ぐには大きな作戦をできなくなるのではないかと思います。

その後は、まずシーレーンの確保です。九州から中国沿岸、そして台湾海峡を通ってシンガポールへの海上交通路の守備に海上自衛隊のP3C対潜哨戒機の部隊や、一部航空自衛隊の戦闘機部隊を派遣します。輸送船団には海上自衛隊の護衛艦隊も付けます。航空部隊の根拠地の設営は大変でしょうが、部隊が稼動すれば米潜水艦隊の脅威へ大きな力になると思います。日本の輸送船の撃沈された半数は、米潜水艦隊の通商破壊戦によるものだそうですが、当時の旧式な潜水艦なら現代の対潜哨戒機と護衛艦でかなりの確率で防ぎ、逆に戦果をあげられるのではないかと思います。
日本本土の防空は航空自衛隊の戦闘機とPAC3ミサイル部隊と、陸上自衛隊の高射特科団(改良ホーク地対空ミサイル部隊)が守ります。
攻撃には海上自衛隊の16隻の潜水艦部隊を使います。潜水艦隊で通商破壊戦を行います。第二次大戦末期のドイツで建造されたUボート21型は連合軍の対戦哨戒部隊にも察知されにくかったそうです。それよりさらに技術の発展している現代の潜水艦なら数は少なくとも大きな戦果を期待できると思います。
未だフィリピンの日本軍の抵抗は続いており、米陸軍20万人が投入されている時点で、米空母艦隊が大打撃を受け、さらに通商破壊戦を仕掛けられたら・・・米軍は楽勝とはいかなくなるでしょう。

米軍としてはこうした進んだ技術の兵器対策に苦慮する筈です。簡単には有効な対抗策は出てこないのではないかと思います。まずは打撃を受けた艦隊の再編と、戦略爆撃部隊の戦術の見直し、フィリピンへの海上補給路の守備を固め、真珠湾の設備の再建をしなければなりません。
建造中のエセックス級空母の建造を急いでも、半年以内に戦闘に参加させる事ができるのは5隻です。
大西洋から部隊を回す必要も出てくるかもしれません。

一方、自衛隊を除く日本の連合艦隊の状態はよくありません。
戦闘可能な空母は小型の鳳翔1隻ですし、戦艦は2隻、巡洋艦も数隻、駆逐艦も二十数隻というありさまです。
南方から資源が入ってきたら、まずは艦隊の増強が急務でしょう。まずは空母で建造途中の伊吹、天城や損傷状態の龍鳳、準鷹、葛城を戦闘可能な状態にしなければなりません。
他にも損傷を受けている戦闘艦艇があるので、大至急修理が必要です。
また、輸送艦の建造も急務です。1945年1月から終戦時までに約180隻の輸送船が建造されています。
しかし、同じ期間に実に700隻が沈められているのです。
まあ、自衛隊の参戦で、その数は減るでしょうが、しかし、1944年だけでも約970隻の輸送船が撃沈されています。
日本の造船所はとにかくフル稼働しなくてはならないでしょう。
また、航空機パイロットの育成や、戦闘機などの生産も必要でしょう。
時間は幾らあっても足りないくらいです。

こうした中で、日本の潜水艦隊がどれだけアメリカに打撃を加えられるかが重要だと思います。
そしてフィリピンの米軍を孤立させ、ハワイを孤立させる事ができれば、新たな展望が開けるかもしれません。
時間が立てば、連合艦隊の戦力もある程度は回復してきます。そうなれば、新たな作戦を立てる事も可能となるでしょう。

なお、そのうち満州にソ連軍が侵攻してくるでしょうが、これについては航空自衛隊の支援を受け、東満山地で持久戦を行えば、かなりの機間、持ち堪える事ができるのではないかと思います。

戦争に「絶対」は無いですから必ず勝てるとは言いませんが、面白い勝負にはなるでしょう。

近代軍では補給が重要な要素を占めるので、どれだけの弾薬や燃料、整備、補給品を保持しているかで、戦い方も変わってきます。自衛隊のそうした物資の正確な保有量が不明なので、推測するのは困難なのですが、とりあえず・・・

1945年1月の時点なら、できるかどうかは分かりませんが、まずは自衛隊の戦力を秘匿します。
2月の米軍による硫黄島攻略あたりで航空自衛隊の全力出撃です。
この次期、米艦隊は正規空母12隻、...続きを読む

Q第2次世界大戦のソ連の戦死者が多い理由は?

先日、池上彰さんのテレビ番組で「第2次世界大戦のソ連の戦死者は2000万人を超えている」「その恐怖からスターリンは、隣国を共産国にした」ということを知りました。

日本の太平洋戦争での戦死者は300万人くらいと聞いてますが、日本の戦死者と単純に比較できるのかどうかわからないのですが、日本の7倍の戦死者の数には、とても驚きました。

第2次世界大戦のソ連の戦死者が多い理由をお教えいただけましたら助かります。

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

まあ、漫談です。

ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。
また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。
T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。
最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。

もちろん精鋭であり戦略予備といえるシベリアの部隊はありましたが、ノモンハンのときに日本の帝国陸軍と正面衝突を初めてして大損害をうけた経験から、軽々しく欧州戦線に移動させるつもりに、ソ連軍指導部はなれなかったのです。
そのノモンハンのソ連軍総司令官が、スターリン直々に任じられたジューコフでした。

ジューコフは、

1 ソ連軍は弱い

2 だから勝つためには、敵より多くの兵器と兵士を前線に惜しみなく投入し、その重みで押しつぶすしかない

3 だから、兵士も戦車も大砲も、とにかく数をあつめる

ということを、理解していたので、必要なだけの兵力を敵がつぶれるまで投入しました。当然ながら自分より強い相手を数でつぶすのですから、犠牲はふえます。
さらに、この考えをスターリンも支持したので、党、治安組織、軍事思考、動員体制、といったソ連という国家の戦争体制そのものが、勝てるまで人命も装備も前線に突っ込むように構築され、上から下まで人命軽視というより、人命より目的達成、のドクトリンが徹底しました。目的達成が勝利なら、なおよし、です。

そのような体制のもとで運用されたソ連軍の基本的ドクトリンは、

最低でも幅50kmの線に分厚く、最低でも敵の3倍、普通なら5倍、理想は7倍の二陣の部隊を結集させ、

まず砲撃と航空攻撃だけで相手の6割に損害をあたえ、

そして第一陣が弱った敵に突っ込みその第一陣が自分の損害を省みず敵をなぐるだけなぐったら、

味方第一陣の残骸を乗り越えて無傷の第二陣が第一陣と戦ってボロボロになった敵を蹂躙する、というものでした。

装備は更新されたし、戦車・武器も疎開した工場と米英のレンドリースでそろえてはいるが、兵士の教育が低い軍隊にむずかしいことはあまりできません。字の読めない兵士が珍しくないどころか、ロシア語がわからない兵士も珍しくありません。
なので、時には下級将校は選挙で選び出され、そのような将校には反抗するものを軍法会議抜きで「処分」する権利はあたえられました。戦争をしている国家と党に異を唱える者はいらない世界です。
また、女性が前線で銃をとったり、戦車兵をやったり、戦闘機・爆撃機パイロットをしたりしたのも、ソ連軍だけでした。

この残酷な単純化となりふりかまわなさが、精鋭のドイツ軍相手に血を流しつつも、ソ連軍を勝たせたのです。

まあ、漫談です。

ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。
また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。
T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。
最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。

もちろん精鋭...続きを読む

Q日本の戦闘機の機銃

1)日本軍戦闘機が戦争全期にわたって20ミリ、12.7ミリ、7.7ミリの3種類があり、しかも1機に異口径機銃を装備しているのはなぜですか。米軍はF4F,F6F,P40,P47,P51といった量産主力戦闘機はみんな12.7ミリ機銃6ないし8です。前線では同口径の機銃にした方が汎用性があって補修、交換、銃弾の補給も容易なはずです。
2)同様に全期で胴体銃が多いのはなぜですか。米軍も初期や大戦前は胴体銃がありましたが、中期以降は1)のとおり翼内12.7ミリ機銃6です。一方の日本は後期の3式戦、4式戦、零戦52型でも翼内銃、胴体銃の混合です。4式戦なんて2000馬力エンジンなんだから米軍並みの12.7ミリ機銃6でもパワーが出ないなんてことはないと思いますが。
3)日本機はエンジン、フラップなどの機体の技術は高いようですが、武装は後進国だったんでしょうか。

Aベストアンサー

日本軍の「こだわり」と、アメリカ軍の「合理性の追求」という、両者の基本的な考え方の違いがそのまま現われているのだと思います。

日本軍の戦闘機では、弾道の直進性が良く命中させやすい小口径の胴体銃と、命中させにくいが当れば破壊力の大きい翼内砲の両方を装備して、戦闘の状況に応じて切り替えて使っていました。零式艦上戦闘機の場合、左手で操作するスロットルレバーに発射ボタンが付いており、7.7ミリだけ発射と、7.7ミリと20ミリの両方発射と、20ミリだけ発射の3通りを切り替えるようになっていました。

一方、アメリカ軍の戦闘機では、まさに質問者さんご指摘の通り、規格を統一することで生産・補給・運用を最大限合理化するという方針を貫いていました。

また、装填する弾数も多く、狙って命中させるよりもとにかく湯水のごとくバラまいてどれか当れば良いんだという戦い方をしていましたが、それができたのは、恐ろしい程の大量生産・大量輸送が可能な国力があったればこそです。逆に言えば、生産力こそがアメリカの最大の武器だから、規格を統一することで生産力と輸送力を最大限に発揮できる態勢を整備したと言うこともできそうです。

生産力に於いて劣勢な日本は、どうしても少数精鋭で勝ちに行かないといけない。機関銃や機関砲も少ない弾丸数で戦果をあげることが求められましたから、いきおい性能に「こだわる」ことになりました。

規格の統一など意図せず、それぞれの戦闘機が性能を追求しましたから、例えば陸軍一式戦闘機「隼」のように機首の機銃だけで、翼内には銃を装備しない機体もあれば、海軍の紫電改のように翼内の機関砲だけの機体もあり、形式はまちまちでした。

陸軍4式戦闘機「疾風」のパワーの問題ですが、2000馬力もあるから少しくらい重い武装を積んでもかまわないとは当時の陸軍は考えなかったようで、さらなる重量の軽減に努めていました。

日本は武装に関して後進国だったかという点ですが、トップの技術は高かったけれども底辺の技術が低かったという事だと思います。たとえば、航空機メーカーで戦闘機の設計に当る技術者は欧米と比較してもひけを取らない高い技術を持っていましたが、その一方で部品の材質や仕上げ加工は誠にお粗末でした。先の4式戦闘機「疾風」など、空中戦ではアメリカのP-51ムスタング戦闘機を上回る性能を発揮しましたが、着陸した後はエンジンの下から大量のオイルがポタポタと漏れていました。

その他、航空燃料の品質も悪かったし、量も不足していたし、20ミリの機関砲弾も品質にバラツキがあって、不発や暴発で事故もあったようです。基礎技術の不備が先端技術の足を引っぱって戦に負けたという側面は否定できません。その反省から、戦後になって工業規格(JIS)の重要性が認識され、精力的に整備されたと言われています。

日本軍の「こだわり」と、アメリカ軍の「合理性の追求」という、両者の基本的な考え方の違いがそのまま現われているのだと思います。

日本軍の戦闘機では、弾道の直進性が良く命中させやすい小口径の胴体銃と、命中させにくいが当れば破壊力の大きい翼内砲の両方を装備して、戦闘の状況に応じて切り替えて使っていました。零式艦上戦闘機の場合、左手で操作するスロットルレバーに発射ボタンが付いており、7.7ミリだけ発射と、7.7ミリと20ミリの両方発射と、20ミリだけ発射の3通りを切り替えるようになってい...続きを読む

Q戦闘機や航空基地 : どうして陸軍と海軍でバラバラだった?

先の大戦における歴史書を読んで気がついたのですが、当時の陸軍と海軍では、それぞれ独自の戦闘機を保有したり、各地に専用の航空基地を構えていましたよね?

調べると、たとえば有名なゼロ戦や紫電改は海軍、隼や飛燕は陸軍の所属になっていました。

シロウトなので教えて頂きたいのですが、もし海軍所属の戦闘機が空母艦載を目的とするなら、折畳み式主翼にするとかの特徴があるかなと思うのですが、海軍所属の全ての戦闘機はそうなっていますか?

それと海軍が各地に航空基地を構えたのにはどんな理由があったのでしょうか? 陸軍がまとめて防空の構えをすれば事足りるように感じたのですが ・・・

それと、海軍と陸軍でどうして戦闘機の機種を統一しなかったのでしょうか? 

もちろん、戦闘内容が違うので両軍が求める性能を統一するのは難しいのは理解できるのですが、すごく不経済だし合理的ではないように思いました。

たとえばゼロ戦を陸軍も使用するとか、逆に隼を海軍も使用するとか出来なかったのでしょうか?

歴史書を読んでいて、ふと感じたので質問させて頂きました。

先の大戦における歴史書を読んで気がついたのですが、当時の陸軍と海軍では、それぞれ独自の戦闘機を保有したり、各地に専用の航空基地を構えていましたよね?

調べると、たとえば有名なゼロ戦や紫電改は海軍、隼や飛燕は陸軍の所属になっていました。

シロウトなので教えて頂きたいのですが、もし海軍所属の戦闘機が空母艦載を目的とするなら、折畳み式主翼にするとかの特徴があるかなと思うのですが、海軍所属の全ての戦闘機はそうなっていますか?

それと海軍が各地に航空基地を構えたのにはどんな理...続きを読む

Aベストアンサー

そもそも航空部隊の設立の経緯を考えればよろしいかと思います。第一次世界大戦のときに「空の戦い」が始まります。このときは、航空部隊は陸軍所属でした。そもそも、航空部隊は陸軍の偵察隊として生まれました。
やがて海軍でも偵察機があると便利だなとなります。そのとき陸軍の飛行機を借りるより、自前で航空部隊を作ったほうが手っ取り早いし便利です。かくして「海軍航空隊」が誕生します。

日本に限らず、世界中で海軍と陸軍というのは対抗意識を持っています。例えば、アメリカとイギリスの陸軍では「イエス・サー」といいますが、海軍では「アイ・アイ・サー」といいます。かように「はい」という答えひとつでも違う言い方をしたがるほど陸軍と海軍はときに対抗します。いわんや航空機の仕様については他の方も回答されているように陸軍と海軍では要求するスペックが違いますから自ずと機種が違ってきます。
それは現在でもそうで、例えばアメリカ空軍が使うF-16と海軍/海兵隊が使うF-18は大きさといい性能といいよく似ています。大きな違いは、F-16が単発エンジン、F-18が双発エンジンという点です。一時期、海軍でもF-16を採用してはどうか、という声も上がったのですが、海上で活動することが多い海軍機はエンジンがひとつ故障(あるいは損害)を受けてももうひとつのエンジンで基地や空母までたどり着ける可能性がある双発機のほうがふさわしいとのことで海軍/海兵隊はF-18を採用しました。しかし実際は長年米海軍とお付き合いのあるノースロップ社の「ロビー活動」のたまものです。

合理的精神の塊であるアメリカ人でさえ空軍(陸軍)機と海軍機の統一ができません。ロバート・マクナマラが機種を統一しようとしてF-111という戦闘爆撃機を作りましたが、これは海軍と空軍の猛反対を押し切って強引に進められたものでした。海軍はよっぽど気に食わなかったのか、何かと理由をつけてちゃっちゃとF-111を退役させました。

今でも、ゼロ戦と隼とどっちが優れているか議論させたら答えは出ませんよ。カタログスペックではゼロ戦が優れていますが、ゼロ戦はかなりクセの強い戦闘機だったようです。じゃじゃ馬だったんですね。それに比べると隼のほうがはるかにマイルドで乗りこなしやすかったそうです。ゼロ戦はホンダ車、隼はトヨタ車みたいなもんだったのかもしれません。

そもそも航空部隊の設立の経緯を考えればよろしいかと思います。第一次世界大戦のときに「空の戦い」が始まります。このときは、航空部隊は陸軍所属でした。そもそも、航空部隊は陸軍の偵察隊として生まれました。
やがて海軍でも偵察機があると便利だなとなります。そのとき陸軍の飛行機を借りるより、自前で航空部隊を作ったほうが手っ取り早いし便利です。かくして「海軍航空隊」が誕生します。

日本に限らず、世界中で海軍と陸軍というのは対抗意識を持っています。例えば、アメリカとイギリスの陸軍では...続きを読む

Q第二次世界大戦時で最も優秀な戦車は?

ドイツのタイガー戦車が強力で有名ですが、
ソ連軍のT-34という戦車がそれを打ち負かしたということを知りました。
さらにタイガー戦車より最新のパンター戦車というのもあるらしいです。
総合的に見て最優秀の戦車(一対一で勝てる)は何だったのでしょうか?

又日本は戦車の開発には関心が薄かったようですが、
それはどうしてでしょうか?
中国戦線では大活躍すると思うのですが。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

兵器の優秀さというのは、1対1で強いかとかカタログデータで決まるものではないのですね。別に兵器に限った話ではないのですけれど。
1対1で単純に強いといったらドイツのタイガー2(キングタイガー)だったと思いますが、じゃあキングタイガーは無敵で前線の兵士から歓迎されたかというと、前線の兵士の評判はあまりよろしくないのですね。なぜかというと、これはまあドイツ軍重戦車の宿命でもあるのですが故障しやすくて部品ひとつひとつがやたらと重い。つまり整備が大変だったからです。

1対1で強い戦車があれば戦争に勝つかというとそうでもないのです。例えば1940年のフランス電撃戦のとき、ドイツ軍の持つ戦車は3号戦車と4号戦車(前期型)が中心で、武器としては機関銃しか持っていない2号戦車の数もまだまだありました。
一方のフランス軍にはシャールB1という重戦車があり、イギリス軍にもマチルダ2という戦車がありました。カタログスペックだけ見たら、B1戦車もマチルダ2も3号戦車や4号戦車より優れているのです。しかも、その数はドイツ軍に比べると英仏連合軍のほうが多くの戦車を持っていたのです。
しかし、戦争にはドイツ軍が勝ちました。その勝因は、戦車を集中して運用したからです。

プロ野球でも、ものすごい4番バッターがいたら優勝するかというとそうではないですよね。チームとしての全体のバランスが重要です。サッカーもそう。軍隊(戦争)もそうなんです。
第二次大戦のときのアメリカ軍の主力戦車はM4シャーマンです。カタログスペックだけ見ると、ドイツ軍の4号戦車よりちょっと優れている程度です。だからドイツ軍のタイガーやらパンターやらには直接対決では勝てなかった。でも、アメリカ軍はそれでよかったのです。アメリカ軍にとってM4戦車は歩兵支援用です。だから、それ用のための性能を重視しました。そして、ドイツ軍の強力な戦車には、航空機などの戦車の苦手な手段で当たればいいと考えていたのです。これぞアメリカ人の超合理主義。「戦車の相手は戦車がしなきゃいけないと誰が決めたのだ」というわけです。

戦車というのはですね、基本的に消耗品なのです。いくら優れた戦車でも1両だけじゃどうしようもない。それなら平凡な性能の戦車が10両あったほうがいいのです。
これが基本的に理解できなかったのが日本軍。理解できなかったというか、受け入れられなかったというべきでしょうかね。基本的に貧乏な日本軍では、お金のかかる戦車を大量に用意して消費しながら戦うなんて贅沢な戦い方はやりたくてもできなかったのです。

日本軍悲劇の戦車チハタンこと九七式中戦車は、カタログスペックだけを見ると同時代の戦車、例えばドイツの3号戦車初期型とほぼ同等の性能を持っています。3号戦車初期型が37ミリ砲を搭載していたのに対して、チハタンは57ミリ砲を搭載していたので、カタログ上は上です。
しかしこの、「カタログ上は」ってのがネックで、実はチハタンの57ミリ砲、初速が遅くて徹甲弾の性能が低かったので対戦車砲としては使い物にならなかったのです。これは日本工業力の限界。
そしてなによりエンジンの性能が低かった。3号戦車が300馬力のエンジンを持っていたのに対してたった170馬力しかなかった。だから、改良を加えたくても性能に余裕がなかったのです。

日本軍は戦車の開発に関心がなかったわけではないです。ただ中国軍にはほとんど戦車はなかったし、アメリカ軍も第二次大戦前にはほとんど戦車を持っていませんでした。しかしソ連軍は戦車を大量に持っていたので、ソ連軍への対抗上戦車への関心は持っていました。
しかし、ソ連軍が戦車を「大量に動員する」という戦い方をしてきたノモンハン事変を目の当たりにして、「あんな戦い方は(貧乏で戦車を揃えられない日本には)とてもムリ」となったのです。
戦車は戦車単独で存在しているわけじゃなくて、修理をする整備兵や、補給をするトラックなども必要ですよね。ところが当時の日本人にはそもそも車の運転ができる人がいなかった。自動車運転は「特殊技能」扱いです。ましてやそれの整備ができる人となるともっといない。だから運用にも限界があるのです。国に車が行き渡っていて、当然自動車修理工がいっぱいいたアメリカとの違いです。

兵器の優秀さというのは、1対1で強いかとかカタログデータで決まるものではないのですね。別に兵器に限った話ではないのですけれど。
1対1で単純に強いといったらドイツのタイガー2(キングタイガー)だったと思いますが、じゃあキングタイガーは無敵で前線の兵士から歓迎されたかというと、前線の兵士の評判はあまりよろしくないのですね。なぜかというと、これはまあドイツ軍重戦車の宿命でもあるのですが故障しやすくて部品ひとつひとつがやたらと重い。つまり整備が大変だったからです。

1対1で強い戦車があ...続きを読む

Q97式中戦車チハについて

なんかやられメカというか、弱いというイメージが定着してしまい…近年ではへっぽことかドジッ子とかかわいいとかチハたんとか擬人化までされてる97式中戦車チハですが、
本当にそんなに何の役にも立たなかったのですか?

まがりなりにも帝国陸軍主力戦車でしょ?
そんな使えないなら生産する必要すらないじゃないですか。


とあるサイトで、
「チハを撃破しても戦車一両撃破とはカウントせず、戦車砲がもったいないので、戦車砲は使わず機銃のみで撃破し、それももったいないので、塩酸をかけてドロドロに溶かしてしまおうという研究までされてた」
と書いてありました。

更にチハは歩兵の小銃でも撃破可能と書いてあり、本当なら
下手すると歩兵1人にやられるかもしれない戦車ということになります。だって戦車が照準する前に小銃撃ちまくれば勝てますやん、そんなの。
本当にそんな弱かったのですか?
弱かったとしたら、なぜそんな意味のない物作ったのですか?
チハが出現したら、敵兵は小躍りして喜んだのですか?
チハだっ!って戦々恐々したり、潰走したりしなかったのですか?

教えてください。
宜しくお願いします。

なんかやられメカというか、弱いというイメージが定着してしまい…近年ではへっぽことかドジッ子とかかわいいとかチハたんとか擬人化までされてる97式中戦車チハですが、
本当にそんなに何の役にも立たなかったのですか?

まがりなりにも帝国陸軍主力戦車でしょ?
そんな使えないなら生産する必要すらないじゃないですか。


とあるサイトで、
「チハを撃破しても戦車一両撃破とはカウントせず、戦車砲がもったいないので、戦車砲は使わず機銃のみで撃破し、それももったいないので、塩酸をかけてドロド...続きを読む

Aベストアンサー

>まがりなりにも帝国陸軍主力戦車でしょ?

主力戦車っつー概念は第二次大戦当時はなかったのですが、主に生産された戦車であることは間違いないです。
ただ、他の帝国陸軍戦車となると、ハ号こと九五式軽戦車となってしまうので、ますます絶望するほかありません・笑。

>そんな使えないなら生産する必要すらないじゃないですか。

お気持ちは分からんでもないですが、他にまともなものが作れないんだからしょうがない。
ただ開発された1937年当時のカタログスペックから見ると、実はそんなに悪くないんです。あのドイツのIII号戦車と似たようなカタログスペックです。III号A型と比べるなら、あっちは37ミリ砲でこっちは57ミリ砲とスペック上は勝っているのだァ!
・・・ただし、他の人も指摘していますが、あの短砲身57ミリ砲は対戦車戦闘を考えていなかったので、初速が遅く何よりかにより徹甲弾の質が悪くて対戦車戦闘では使い物になりませんでした。
ただ、対戦車戦闘があまり考慮されなかったのには日本軍ならではの事情もあります。何しろ主に相手になっていた中国軍はゲリラ兵の集まりみたいなもので、戦車なんてほとんど持っていませんでした。敵が持ってない兵器への対処法は後回しになるのは仕方がない面はあります。

>戦車砲は使わず機銃のみで撃破し

さすがにそれはあんまりないです。そりゃ場合によっては重機関銃で撃破できたときもあるかもしれないけど、なんせ敵のアメリカ軍にはバズーカ砲っつー威力がありかつ携行性に優れた対戦車兵器がありますので、それで主に対処できたようですよ。

>下手すると歩兵1人にやられるかもしれない戦車

それはないですね。まあちょっとウケ狙いのオーバーな表現をしたのでしょう。

それでね、チハたんが低性能で終わってしまったのはエンジンの馬力が小さいせいだということは私も以前から指摘していました。何しろ、180馬力程度しかない。III号戦車が300馬力、T-34が500馬力、M4の400馬力と比べるといかにも貧弱です。
エンジンの馬力が低ければ、重い車体は動かせない。自ずと、砲は小さく、装甲は薄く、となります。トラックのボディに軽自動車のエンジンを積んだら使い物にならない車にしかなりません。

ところがですね、最近、元日本戦車兵の手記を読んで「あーしまった。それがあったかあ」と初めて知ったもっと切実な内情を知ったんです。
その本に、「チハの重さに耐えられずに、デリックのビームがひん曲がった」と書いてあったんです。調べてみると、陸軍が戦前に助成金を出していた大型船には25トンのデリック能力を求めていたようですが、すべての船がそれだけの性能を持っていたわけではありません。
日本はご存知の通り島国でございますので、どこへ運ぶにも一旦船に載せなければなりません。例え朝鮮半島でもね。それこそ、北海道や九州にさえ船で運ばなければならない。そうである以上、デリックの積載能力の縛りは考慮して設計しなければなりません。
だから仮にもっと高性能なエンジンが開発できたとしても、デリック能力の縛りを受けて重戦車は作れなかったのではないかと思います。

また実際問題としては、太平洋戦線では無敵のキングタイガーの如くに思われているM4シャーマン戦車もいうほど大活躍ではありませんでした。アメリカ海兵隊員の手記には、「戦車は使い物にならない」とはっきり書かれています。日本軍の対戦車砲の偽装が巧みで、「いつも戦車がやられてから対戦車砲があることに気づいた」とあります。
だから米軍戦車も常に歩兵の「護衛」がないと前進できませんでした。なんと、意外にも米軍戦車は米兵に守られながらおっかなびっくり静々歩兵の後ろから前進していたのです。
沖縄戦では、戦車中隊が歩兵の支援なしに単独突入をしましたが、なんとこれまた意外にも一方的にやられて攻撃は失敗。以降米軍は決して戦車を単独で投入することはありませんでした。
日本軍の野戦指揮官そのものが戦車の使い方がよく分からなかったというのも、チハの悲劇を重ねた部分もあったかと思います。サイパンでは、戦車隊が夜襲を命じられて全滅しています。

このあたりの経緯は光人社NF文庫の「サイパン戦車戦」に出ています。文庫本で手に入りやすいし、読みやすいので一読をお奨めしますよ。

>まがりなりにも帝国陸軍主力戦車でしょ?

主力戦車っつー概念は第二次大戦当時はなかったのですが、主に生産された戦車であることは間違いないです。
ただ、他の帝国陸軍戦車となると、ハ号こと九五式軽戦車となってしまうので、ますます絶望するほかありません・笑。

>そんな使えないなら生産する必要すらないじゃないですか。

お気持ちは分からんでもないですが、他にまともなものが作れないんだからしょうがない。
ただ開発された1937年当時のカタログスペックから見ると、実はそんなに悪くないんです。...続きを読む


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