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「これは、死ぬかな・・・?」という経験をしたことありますか?

私の場合、チャーターした小型船のエンジントラブルで
約2時間、地中海を漂流したことです。
(そのころ携帯電話なんてなかった・・・)

A 回答 (40件中1~10件)

こんばんは。



15歳の頃、山の中を歩いていて、いきなり現れたイノシシに突き飛ばされ、浅い谷に落ちて脚をざっくり行きました。

…なんか、熊に襲われた!とかよりずっと大した事ないケガとか相手なのですが、なんとなくショックが強いんですよね。イノシシに突き飛ばされちゃったよ~っていう…。

結局、血だって動脈をやられてないのでタラタラ流れるくらいで…歩いて帰りました、泣いてましたけど(笑)

ではでは~。
お互い、生きてて良かった!
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祝! ご生還!!

お礼日時:2002/09/17 15:14

こんばんは。


ちょっと面白そうなので、気軽に回答します。
3年前、北海道・十勝岳をお盆過ぎに登山したときのこと。
クマのふん発見。数時間後、さらに新しいのを発見。
15分後、ホヤホヤのブツ!!!
天候も悪く、視界も利かない中、あわてて下山しました。
平日だったので他のグループにも会わず・・・。
下山後、温泉で生きててよかったと感激。

大したことないような気がしてきましたが、
30年の人生の中で一番死を意識した瞬間でした。
#1の方も登山の経験談ですが、登山って危険ですよね

おしまい
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祝! ご生還!!

お礼日時:2002/09/17 15:14

1.子供の頃、三輪車に乗っていて、バックしてきたオート三輪にひかれた。

(オート三輪って歳がばれますね。プローフィールに書いてるけど)

かすり傷ですみました。三輪車はグチャグチャでしたが。

2.スキー初心者の頃、上級者用こぶ斜面に迷い込み、コケながら降りているところに、上の方から玉砕した人が降って来て私の腰のところに当たりました。
その人もろとも50メートルほど滑落。

あの時は「死ぬな」と思いましたが、お尻にでっかい青あざができただけですみました。1週間ほど、椅子に座れなかったけど・・・。まあ、スキーでは大怪我したり、いろいろあるのですが、まだ、やってます。

3.30歳すぎてから風疹にかかりました。
大人になってから罹るとツライですよ~!40度の高熱が続き、頭ガンガン、足はふらつき、体中ボツボツ。
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祝! ご生還!!

お礼日時:2002/09/17 15:14

小学生の頃、みんなと別れて帰る時に、空き地に置いてあった土管にハマって抜けられなくなった事があります。


横置きだったら「死」までは考えなかったでしょうが、縦置きで、もがけばもがく程下にズリ落ちていくし、外はだんだん暗くなってくるし、というわけで、こりゃこのまま誰にも発見されなかったら死ぬな、って思いましたよ。
ぎゃーぎゃー泣いてたら、誰か大人の人が来てくれて、土管を倒して救出してくれたので、今生きてます。

社会人になって、ディーゼルのポンコツ営業車で高速道路を走行中、アホみたいに限界速度に挑戦して死ぬ目にあいました。ゆるやかなカーブで、いきなりフロントがグニャリって感じになって、踏ん張りを失って、完全にパニクりました。左後方には今抜いたばかりの大型トラックがいるというのに、私の車は路肩を含めた道幅一杯を使って右へ左へと蛇行を始めてしまいました。
運転技術がどうこう、といった事はまるで頭になく、ただただ幸運の神様が力を貸してくれたので、今生きてます。

ある日突然、無気味な皮膚の隆起を身体の各所に見つけてしまった時には、これはとんでもない病気にかかってしまった、と死を覚悟しました。感染症なら、彼女や家族の命も危ないぞ、と恐ろしくなりましたが、サバにあたったジンマシンだったので、薬であっさり治って、今生きてます。
でも、ほんとにビビったんですよー。
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祝! ご生還!!

お礼日時:2002/09/17 15:15

こんばんは~。


大した話じゃないですが・・・ぼくにとっては結構、怖かったんで。

数年前、4WD好きの友人に「雪が降ったから山(林道)に行こう!」と言われ、二台で出掛けた時のことです。
林道はもちろん未舗装の道ですが、入り口付近は楽勝でした。
「ノーマルタイヤで行けるとこまで行こう」ということで、どんどん奥に進みました。やがて道も氷結が目立ち始めて、緩い上り坂でとうとう先へ進めなくなりストップしました。

前の友人の車がUターンするというので、安全のために、ぼくはサイドブレーキをゆるめて少しだけバックしたんです。
そして、止めようとしてブレーキを踏んだんですが止まりません。
(背筋に冷たいものが走りました。頭の中も真っ白です。)
緩やかな斜面をガードレールのない崖に向かって、ぼくを載せたまま車はじわじわ下がって行きます。
ブレーキペダルを思いきり踏んでももちろん止まりません。
タイヤがロックしたままで滑っていくんです。

崖から転落する車の様子が目に浮かびましたよ。
「止まってくれ~」って祈りましたもん。
まぁ、こうやって書いてると言うことは助かったということですが、「ダメかも」と思った経験は、それが最初で最後だったでしょうか。

おそまつさまでした。<(__)>
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お礼日時:2002/09/17 15:15

今思い返せば、死ぬほどのことではなかったのでしょうけど、


その当時は、死ぬかと思いました。笑

それは、十代後半の頃、
バイトでやっと買った、大好きなヤマハRD50SPに乗って、
東京から、上高地まで一泊の旅行に出かけた時のことでした。

地元のタクシーの運ちゃん達の静止も振りきって、
上高地へ向かう『釜トンネル』をゼロハンで、トロトロ、
ダンプの跡をついて登って行ったのですが、
途中、ギアチェンジミスでエンストしてしまいました。

「ま、いっか。のんびり登れば。。。」と道端にバイクを止めて、
のん気に構えていたところ、そのトンネルは、時間差交互通行。
そう、今は登りでも、しばらくすると、下りオンリー。

ほとんど、トンネル内ギリギリに、ダンプやバスが下りてくると思うと、
血の気が引きました。

あわてて、一速で、登り切りましたが、
その時に得た教訓。

「本当に大変な時は、泣いてなんかいられない」

失敗して泣いてる奴を見ると、ふと、思い出しますね。笑

参考サイト
釜トンネル

参考URL:http://www.alpico.co.jp/shinshu/kamikouchi/point …
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お礼日時:2002/09/17 15:16

こんばんは。



小学生低学年の頃でしたが、まるイス(普通のイスで)を揺らして遊んでいたら、
突然、まるイスが傾いて倒れました。

倒れた先に「さつま白波」の一升瓶が置いてあり、一升瓶の口めがけて、
倒れていまい、後頭部に激突するスレスレで難を逃れました。

家には誰もいなかったので、頭が激突すると死んでいたのでは?と当時思いました。
多分、初めて死の恐怖?みたいなのを意識した時であったように思います。

今でもリアルに思い出せます。怖かったなあ。。。

それでは~。
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お礼日時:2002/09/17 15:16

生まれてはじめてそう思ったのは、保育園児くらいのとき、お盆か何かで行った親戚の家(かなりの旧家)のトイレに閉じ込められた時でした。

なぜか外にも鍵があり、風か何かでその鍵が下りて掛かってしまったようでしたが、その時本とに、[私の一生は終わった]って思いました。

ホーチミン市内で、友達のバイクの後ろの乗っている時は、しょっちゅう、うわっ今日こそもうダメかもと思います。
朝夕のラッシュ時は、もう隙間なく道中バイクで埋め尽され、隣や車や歩行者との接触など数え切れず、ぶつかって倒れてる人、(死んでしまった人も)良く見かけます。
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お礼日時:2002/09/17 15:16

こんばんは~。

面白そうなので、私も参加させて下さい。

今から15年くらい前の話ですが、当時20歳の私は富士スピードウェイでレースを始めて2年目でした。
念願の自分専用の競技車(SAというマツダのサバンナRX-7。。。若い人だと知らないかも、汗)を購入してから、2戦目の真夏のレースの時の事です。

慢性金穴状態で、テクニックも無く、完全な「下手の横好き」でしたが「継続は力なり」の言葉だけを信じて、その日のレースも参加しました。
当然、専属メカニック等いるわけもなく、仲間と一緒に直前まで徹夜で出来るだけ車を仕上げ、思いっきり寝不足アンド疲労状態で参戦するわけです。

そして、決勝レース。
私たちの様な、クラスの低いレースは、メインレースの前座なので、大抵午前中に行われます。とは言え、真夏の炎天下のサーキットですから、気温が30度を超える直射日光の下では、路面温度や車内の温度は想像を絶するものがあります。もちろん、エアコンなんて装備していません(笑)

で、いよいよスタート。
寝不足とは言え、まだまだ若かった私の心のエンジンは全開!です。しかし、徹夜続きのメンテナンスと、費用捻出の為のアルバイトの疲労、更に車内温度の上昇で、ついに限界が来たらしく、本番のレース中だと言うのに目がかすんできてしまいました。

忘れもしない、5周目の下りの100R(と言うコーナーです)で、使い古しスリックタイヤがタレて滑りだし、みるみるうちにコースアウト。
推定速度ですが、だいたい時速120キロ前後で、ガードレールにクラッシュ。

ぶつかった瞬間は何がなんだか分かりませんでしたが、視界が回復し出すと、車内が煙りで真っ白になってる事と、足下からエンジンの炎が回ってきて、レーシングスーツを焦がしてる事に気づきました。もちろん、熱い、というか「苦しい」と言うことにも気づきました。

結局は意識を失ってしまいましたが、失う直前に「あ~、苦しいな~。あれ?な~んだ、レーシングスーツも燃えるんだ~。俺死ぬんだな~」と感じた事だけは、何故か鮮明に覚えています。
気がつけば、病院のベッドの上にいて、仲間が心配そうに私を見ていました。

後で聞いた話ですが、私の車はほぼ全焼。炎上してる車の中から、助け出されるまでに、約3分を経過していたらしく、見ていた人たちは、割とあきらめムードだったそうです(って、無責任な、怒)

その後も、懲りずに4年ほど活動していましたが、一向に上がらない成績と、増える一方の借金に負けて、あえなく引退を決意。今ではしがないサラリーマンをやっております。

あ、でも、初心者よりは運転上手ですからね~(笑)
長々と、失礼しました。
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祝! ご生還!!

お礼日時:2002/09/17 15:17

<1番>


酒には弱いにも関らずなぜかウイスキー1本(約700cc)ほど飲んだ時
結果、呼吸するのもやっとの状態に…マジで死にかけた
おかげでそれから数年たった今もウイスキーはNG(他はOK)
<2番>
車ごと数mほど下の田んぼに落ちかけた
田んぼと道路の間には工事用のトタン製?柵があり柵を10mほどなぎ倒しながら突っ込んで行った…これも一歩間違えば死ぬところだった
<3番>
運動会の準備でテントの設営をしていたらフレームが脳天直撃→脳天割れた
フレームを持ち上げる段階になった時に組が甘かったのか手が滑ったのかフレームが倒れそれが私の脳天に…死ぬ事は考えかなったが今までで一番痛かった
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この回答へのお礼

祝! ご生還!!

お礼日時:2002/09/17 15:17
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