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ふと、デジャブ(既視感)について、こう考えたら説明できるんではないかと思ったので、ご意見伺いたいです。

私は映画好きで、昔見たものも繰り返してみるのですが、10年以上前見た映画で「確かこういう場面があったな」と感じていたものを最近見たところ、そんな場面は実際にはなく、心の捏造であったことがわかりました。自分の関心ごととか悩み事が、その映画の登場人物の有様とダブっらせていたり、勝手な脚本を頭でこしらえたりしていました。

これは、自分の頭の中について、非常に不思議であいまいなものだなという驚きを感じました。

こう考えると、おそらく、「あの時こうだった」「あの時こんなことしただろ」「あの時こんな事言っただろ」っていう記憶というものも、後に頭の中で勝手な解釈で帰られていて、勝手な筋書きで信じてしまっているものもかなりあると思われます。「確かだ!」と思っているのに。日記でも付けておけばいいんですが、そういう気の利いたことはしていなかったのでしょうがないですが、映画でそういう事例が確かめられました。

こういう心の可塑体験があって、では不可思議といわれている「デジャブ」に関してはどうかと思いました。これはもしかすると、

今初めて遭遇するこの場面を昔体験したという感覚は、実はまったく関連のない場面が、「今」の感覚によって変成され勝手に結び付けられているのではないか?実は何か核や実体があるのかもしれないが、それはなにか似ているものを心の底から勝手に「今」に関連付けて錯覚しているだけなのではないか?そんな気がしますがどうなのでしょうか。

しかし、以前「予言」「予知」とかにかんしては、説明不能な気もします。特に客観性が取れるもの(あの時確かお前こう言ってたよな、それが今実際起こったな!)そんな「予知」というのに立ち会ったことがないのでこちらはあまり信じられませんが、この場合でも、複数の人間が同時に意識混沌可塑状態になったのでしょうか?

A 回答 (4件)

推測に終始しますが面白そうなので参加させてもらいます。



視覚のシステムと比べてみたいと思います。
乱暴なたとえかもしれませんが、チェック模様の服を見た場合、その縦糸と横糸の一本一本を認識する視覚細胞は別物で(隣り合ったりはしているみたいですが)それぞれ独立している。
詳しいことは知りませんが、つまり、「チェック模様」という一括した認識をすることはできないような仕組みになっているらしいです。

記憶もおそらく似ていて、映画の例をとってみれば、「正義の味方が悪漢を倒す」といった場面の場合、大分類的には人物・背景・武器(手にしているもの)・バックグラウンドミュージック。
小分類では人物ならば目つき・顔の輪郭・声等々、武器ならば拳銃・ライフル・ナイフ等々。
その他数多の要素が「時系列的にも空間的にも、重層的に関連付けられながらも独立した細胞に記憶される」のではないか、という気がします。
無論、「似ている要素」は関連付けが強い(拳銃は、武器という要素において林檎よりもナイフに近い位置の細胞に記憶される、など)と推測できるように思います。

そうすると、「テンガロンハットを被った正義の味方Aが悪漢Bを拳銃で倒す」という【映画の記憶】を引きずり出す際に、「正義の味方Cが悪漢Dをナイフで倒した」時の【小説の場面の断片】が「悪漢を倒す」という共通要素において紛れ込んでしまうこともあるような気がします。
さらに、正義の味方Aとイメージが良く似た別の俳優Eがいつもかぶっていたシルクハットが紛れ込む可能性もあるでしょう。
そうすると、
「テンガロンハットを被った正義の味方Aが悪漢Bを拳銃で倒す」映画は、
「シルクハットを被った正義の味方Aが悪漢Dをナイフで倒す」という映画になって記憶から浮かび上がってくることになる。(のではないかと思う)

「進化しすぎた脳」で池谷裕二が講義していますが、記憶は完璧だと意味をなさない。
「あ」というゴシック体の文字を「あ」として完璧に記憶してしまったら、明朝体の「あ」や、人間が手書きした「あ」は読めなくなる。
つまり、曖昧性があるからこそ記憶は記憶として意味を為す、ということらしいです。
逆に言うと、「本質的な類似点」は間違いなく記憶しようとするらしい。
上の映画の場合でいうと「正義が悪を倒す、という映画だった」ということになるでしょうか。
全てが曖昧であっては困るでしょうが、全てが完璧であるのもおそらく困ることが出てくるのかもしれません。


デジャブについても似たような神経回路が働くからだと思いますが、『>「今」の感覚によって変成され勝手に結び付けられているのではないか』というのは面白い視点で、記憶の蘇りという神経作用に現在の無意識が影響を及ぼすという可能性は大いにあり得るように思われます。
この点において、夢にも通底する要素という気がします。


予言予知に関しては、全くの偶然と私は考えています。
【偶然】出現率が高くなる場合もあるわけで、それだけを取り上げて「当たった」と判断するのは思い込みと呼んでいいのではないかという気がするわけです。


>複数の人間が同時に意識混沌可塑状態になったのでしょうか?
:今の世の中、今の日常、これ自体がそうじゃないでしょうか(^^;)
 
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この回答へのお礼

どうもご丁寧にありがとうございます。
たいへんわかりやすいですね。

なにか、物語性を勝手に構築してしまって、そこで記憶の整理をしている、なにか動機の究明みたいなことでもありますね。実際はもっと衝動的で無意味な行動なのに、思い出すために物語性を付加する。それが無意識的に行われ定着してしまう。社会的にも同じことが起こっています。これは個人的にも社会的にも迷惑なことが多い。はなはだしい場合は被害妄想とかで顰蹙を買う。ゲシュタルト心理学の本領なのか?予言予知に関しての考察も納得できますね。、

お礼日時:2007/12/11 09:11

心理学的に言うと、あなたが記憶を捏造したのは深層心理に


よるものです。つまり、あなたの推論は正しい。
このゆがみは心理に基づくもので、アメリカの犯罪心理学で
はよく知られいることです。目撃者の証言がいかに当てにで
きないかという実験結果もあります。
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この回答へのお礼

目撃者って、そう考えると怖いですよね。でも、本気でそうだそうだといって偽証する気なんて毛頭ないかもしれないところが、さらに怖いですね。

お礼日時:2007/12/11 09:13

デ・ジャ・ビュの特徴として、どよーんと白昼夢に近い状態の時に起こるそうです。



大喧嘩して脳がかっかかっかして活発に活動している時には起こらない。

だから、大喧嘩しているときに、「あ、、前体験したことある、この次相手はこう言う」ってはっとなることは無い。


短期記憶とか長期記憶ってありますよね。
電話番号など、数秒しか記憶しませんが、何度も記憶を繰り返していると、長期記憶をする部分に移動する。

パソコンのデフラグみたいに、アイドル状態の時に特に脳のデフラグが起こっていると考えてみると、結構納得いくと思うんですね。


脳がどよーーんとして省エネモードのとき、現在起こっていることを、過去に起こったことと錯覚してしまう。
これが、デジャビュ。


私も何度かあり、「あ これ前同じことが起こった」と思うのですが、それじゃあ その先知っているか というと、今起こったことと同じことが「前にも起こった」と認識することはできますが、現在から先の過去、、、といったらいいのでしょうか、 それを知らない。
それからどうなるって知らない。 わからない。 思い出せない。

イコール 実は体験したと錯覚しているにしかすぎない。


人間はそのものをそっくりできない。
人間の記憶の構造上無理なんですね。
バラバラの部品に分解して紐でリンクして各関連のところに貯蔵し、再度キーワードによりひっぱりだされる。
その時、それが他のものとリンクされていたら、そっちもひっぱりだされ、再構築されると、実体験のものと、リンクを元に再構築された過去が違うこともある。


ただ、そうなると大混乱ですから、人間はリンクの強い部分を主に見て、過去どういった体験をしたか、イメージをすることができる。
だから 呼び出される記憶が めちゃくちゃでぐちゃぐちゃってことは無い。
引っ張り出されても現実ありえないものは姿が薄くなり、濃い部分を現実の過去だとするんですね。


でもですね。
いたんです。 ものすごく再現能力の低い人。
これじゃ 到底社会で生活できないというくらい ものすごい記憶のエラーを発生させる人。
自分の記憶に確信というか100%間違いないと思っている人がいて、それが現実考えてもありえないと小学生でもわかることすら、判断できず、ぶっとんでいる人でした。

そしてその人は自分は小さい頃から、記憶や認識において問題があると指摘され続けた人だと言っていたんです。

だったら もうちょっと 注意深くなり、人を非難する前に、自分の記憶が本当に正しいか疑い、おそるおそる相手に聞いたほうがいいんじゃないの?  いきなりいいがかりをつけて声を荒げて人を非難する前に、自分の頭に描いたイメージは、本当は現実起こっておらず、記憶ミス 夢 白昼夢 妄想じゃないかと疑ってはどうか って思うんですね。

最初 何言われているのかわからず、「私が? え? 言った覚えないけど」というと、「しゃーしゃーとよく嘘がつけるわね あんた 言ったじゃん! けっ すーぐ忘れるんだから けっ!」って毎回言ってたんですね。

で、周りが騒ぎをききつけ「それ言ったの私だけど その人じゃないよ」って言うと、本人は「あれ~ そうだっけ やだ わたしったら~ あはははは」なんです。

統合失調症じゃない。
マンモス記憶エラーの常習者で、かつ思い込みが激しく 自分の感覚・記憶の正当性を疑わない稀に見る。。。。 なんて言うのか、、、 こういう特徴の人。。。

一応 天然さん って周りは影で呼んでいました。
しかし天然ボケというかわいいものじゃない ちょっとしたミスではすまされない失態をやらかし、周りに多大なる被害をこうむらせ、金銭的に償わなければならない自体にまで発展する勘違い度で「あなたそれじゃあ 社会で一人では絶対生きていけないよ。後見人たてて行動を監視してもらわないと、勘違いから人に恨まれ殺されうよ」くらいのエラー率と他人への攻撃性。

いや デ・ジャ・ビュもここまでくると、もう・・・・。
小さい頃からそうだったというので、恐らく脳に障害があるのだと思います。

この場合は特殊な例ですが、普通 誰でもデ・ジャ・ビュは体験すると思います。
それを思い込みで超能力が私にはあるとか言う人もいますが、デ・ジャ・ビュ体験は誰でもあると思うので、超 能力 じゃなく普通能力ってことですね。

この回答への補足

考えてみると、痴呆とか統合失調とか被害妄想とか、そういう他人に迷惑をかけるような状況は、正常人でもある記憶の錯綜というものが、はなはだしく起こった場合なのかもしれないですね。

補足日時:2007/12/11 09:05
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この回答へのお礼

脳が明確でないとき、あるいは、性格的に明晰さが乏しいという状態のとき、記憶の混乱錯綜が起こり、はなはだしい場合は一般認識を得られなくなるんでしょうね。ご回答の文章で、問題の雰囲気がよくわかってきました。

お礼日時:2007/12/11 09:05

映画の例ですが、これは『デジャヴ』ではなく『勘違い』だと思います。



デジャヴは例えば…
初めて来たところなのに、前にも来たような感じがする
初めて会った人なのに、前にも会ったような感じがする
という感じです。

理由はいくつかあると思いますが、「本当に来たことがある・会ったことがある(幼い記憶であったり、本人が忘れた=来たことがない、会ったことがないと思い込んでる)」や「テレビや映画で見たことがある」、「小説を読んだときに創りあげたイメージとたまたま合致していた」などが挙げられると思います。

つまり「今」の感覚によって変形されたものではなく、「過去」の情報が不足している故に「今」とうまく結びついていない…という感じだと思います。

「予知」などに関しては、無意識に集められた情報とのこじ付けが主な理由だと思います。

例:上司が胃が痛いといっていた。そのときは単なるストレスだろうと思い、気に留めず聞き流した。2ヵ月後、上司が入院、胃がんらしい→曖昧な情報から「胃が痛い」ことのみ引き出す(情報源が思い出せない)→僕はなぜか前から上司が胃が痛いことを知っていた→予知だ
ということもありえます。
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この回答へのお礼

今と上手く結びついていない、ということはあります。もっと情報を明確にしないとだめでしょうね。それができれば、解決する問題だと感じてます。

お礼日時:2007/12/11 09:02

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