歩いた自慢大会

先日こちらのカテゴリーで質問させていただいた悩みについて、カウンセリングを受けようと考えています。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=359511

実はカウンセリングは初めてではなく、以前結婚をしていたときに受けたことがありました。(その時は『漫然とした不安感』で)

カウンセラーには女性の年配の方をお願いしました。男性だとカウンセリングの途中で恋愛感情のようなものがわいてくるのが面倒な気がしたのです。治療の途中で患者がカウンセラーに想いを寄せるというのは珍しいことではないと聞いていたので。
そのときは結婚している身だったし、カウンセラーに恋でもして毎回の治療が辛くなってしまっては本末転倒だと思ったのです。(私の性格からして、実らない恋を楽しむ余裕はないと判断)

その女性カウンセラーの方はとても大らかで素敵な女性でしたが、とても残念なことがありました。それは私が唯一『希望』として持っていた『夢』に対して、自分の世代はどうしてもそれに拒絶感を感じる・・とおっしゃったのです。それだけならまだしも、個人的感情で『それを私は嫌いだ』とも。

そのとき私は患者として、カウンセリングにカウンセラーの個人的感情は必要ないように感じました。それを口にするそのカウンセラーを、私はプロとして信用できなくなってしまったので、治療を中止することにしました。その理由をはっきりさせずに止めることを伝えたのですが、きちんと気持ちを伝えた方がよかったのかも、と今になっては思います。

どんなカウンセラーも自分を救ってくれる・・なんて他力本願なことは考えていないつもりですが、カウンセリングにかかるときというのは、どんなカウンセラーに当たるか、結構不安だったりします。

何かよいアドバイスがありましたらお願いします。
体験談でも結構です。お待ちしています。

A 回答 (7件)

だいぶ前に心理学を専攻したものです。


まず、こちらから質問者の方の抱えているものがどのようなものなのか?がわからないので、適切ではないことを発言するかもしれませんが、その点おゆるしください。
>どんなカウンセラーに当たるか、結構不安だったりします。

というのもカウンセラーといっても、いろいろあります。それにカウンセラーには本人の資質も大きく左右するので、今回のように、ちょっとありえないんじゃないかなぁという対応もあったりするわけです。たぶん、夢の話をするのはどうなのかっと判断したのか?夢の提示の仕方に拒絶反応を、その場で示すっということがあるのかどうか?または、カウンセラーの表現が適切でなかった様に思います。
 密室でのことではあるので、その場面が実際にあるものかっと驚いています。
 とにかく、どんなカウンセラーなのか知ることは大切です。どんな薬か知らずに飲む人はいませんよね。
 まず、カウンセラーは学会に入ってます。どんな学会に入っているのか?これはかなり重要というか手がかりになるのではないでしょうか?
 また、カウンセラーの属する機関のグループがあり、スーパーバイザーが誰なのか?その人はどんなことをしてきたか?など、意外と知らないと大変なことになりかねません。
 また、カウンセラー自身が性格分析(名称はいろいろあるかとは思いますが)を受けているどうかなど、これは直接聞いてもいいのかな。ちょっと、わかりませんが。
 とにかく書物や知識だけでは、どーにもならないものですので、資格はあるけどという場合もあるのかな、今は。資格制度がたぶん変わってしまっていると思うので、なんともいえませんが。
 一ついえる事は組織だっているところを選んだ方が良いと思います。スーパーバイザーがいて、カウンセラーを含めてしっかりミーティングというか、話合いの場を定期的に持ってるところでないと、しっかりしたカウンセリングは実現しません。
 よほどの実績をもった方がいないといけないということです。その実績も、どのようなものなかを了解していないといけないです。
 とにかく自分が受けるもので、内面的で繊細な心理過程についてのことになりますので、気になったことは、お調べになった方が得策だと思いますよ。
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どうも、カプリコーンです。



他力本願>
songbookさんの最後の言葉にもあるように
答えは自分の中に眠っているはずなんです。
カウンセラーを頼ることは他力本願ではありません、
カウンセラーを選ぶのはあなたですし、
カウンセラーの言葉にどう反応するのかもあなた自身なのです。

否定的心情を言うカウンセラー>
信頼関係を組み立てる前に心情を吐露してしまったカウンセラーの失敗は明らかですが、
不安よりも何よりも、自分の行動や心理状態は自分自身が生み出していることを確認してみてください。

どんなカウンセラーに当るか>
どなたかの言葉にもありましたが、「必要なときに必要な人とめぐり合う」
この言葉を胸の片隅にそっと忍ばせて置いて下さい。
では。
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この回答へのお礼

カプリコーンさん、私の投稿に目を留めて回答くださって、ありがとうございます。

>「必要なときに必要な人とめぐり合う」
私もこのちょっと神秘的な言葉を信じたいと思っています。
今まで生きてきた過程を振り返っても、確かにそういうことがあると思うから。
今自分が問題解決のための長い道のりを歩き始めたということに、自信と希望を持って、これからがんばってみようと思います。

温かいお言葉をありがとうございました。

お礼日時:2002/10/25 11:11

お体の調子はいかがでしょうか。



前回の質問で回答したときに(No.5)、思いもよらない丁寧なお礼の文をいただき、何かお返しのひとことでも…と思っている間に時が過ぎてしまいました。幸いまだ締め切っていないようですので、この場を借りてお礼がてら。

カウンセリングについては、私も何度か講習を受けたことがあります。

そこで知ったこととしては、
・カウンセリングは、必ずしも答えを求めるものではない。
・カウンセラーとひとことに言っても、本当に十人十色である。合うか合わないか、がある。
・カウンセラーの立場は、基本的には「待つ」立場にあり、どちらかといえば、患者が思うことをとことん話してくれるほうが、効果的な対応をしやすい。無理にとは言わないが、できる限り、「ぶっちゃけ」てほしい。

などです。

今までの回答にもあるように、合わなければ、どんどんカウンセラーを変える、または病院を変える、などしていけばいいのです。まずは、それぐらいの気軽さをもって病院などを利用することです。

意外に、自分の中に眠っていた意外なひとことが、自分を救ってくれるかもしれませんよ。
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この回答へのお礼

songbookさん、私の方もお礼が遅くなってしまってごめんなさい。
その後週一のペースでカウンセリングを受けています。
もう4回ほど受けたことになりますが、その間は「誰かに話を聞いてもらえる日がある」というのが心の支えになっているからでしょうか、とてつもなく落ち込むということがありませんでした。

相談のとっかかりは兄とのことでした。でもいろんな話をするうちに、だんだんと話の焦点がシフトしつつあります。それはごく自然なこととカウンセラーの方に言われました。私には兄とのこと以外にもいろんな生きにくさを感じており、多岐に渡って悩みをぶちまけられるというのはとても意義のあることです。

ただ、ここまで自分の話をしてしまうと、ここらで一旦他のカウンセラーを・・というのが何となくしにくいことになりつつありますね、正直なところ。私自身もう少しこの点に関してドライでもよいかなと思ってはいます。

私は話すことはあまり得意ではないので、自分のことを話すとき少しまだためらいがあるかも知れません。カウンセラーの方が理解しにくい話し方をしているのではないかと少し心配でもあります。
でもあまりそういうことは気にしないで、できるだけぶっちゃけて話そうと思っています。

週一のカウンセリングが頻度としては最低のペースなのかも知れませんが、少し経済的にきつくなってきたので、2週間おきのベースに変更してもらいました。(保険の利かないタイプのカウンセリングなので)気持ち的に安定しているのでいいかと思いますが、それではまた具合が悪いとなったら、ペースを元に戻そうと思います。

カウンセラー、カウンセリングについてのアドバイス、本当に参考になります。
意外性に期待をしつつ、カウンセリングを通して、自分で出口を見つけられるようなれるといいと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2002/10/25 11:08

先ず、あなたは少し勘違いをしておられるように思います。


男性のカウンセラーだと恋愛感情のようなものが生まれそうで不安になるので、女性をと。

あなたのその感情は、心理学上の「転移」と呼ばれるものと思われます。
過去に満たされず引きずっている葛藤、本来過去の重要な人物に向けられるべきものが、カウンセラーに転移したものです。

例えば、父または母親に愛情欲求を拒否されるとか。
つまり、その対象を、受容的があるゆえにカウンセラーにすり替えて過去を再体験しているのです。

現在でも精神分析では、「転移」を治療上の重要な要素と考えていて、転移を起こすこと自体が、問題と関わろうとする前向きな姿勢でもあり、逆に一歩前進と考えられているくらいです。

その点、カウンセラーを女性に替えられたのが、あなたのために良かったのかどうか。
分析医、カウンセラーにとって、「転移」は「逆転移」や「抵抗」などとともに避けてとれないことなのです。
そのことを書いた本だけでも沢山あります。
信頼できそうなカウンセラーなら、黙って任せてみた方がいいと思います。
熟練したカウンセラーなら、それをうまく処理できるはずです。

自分に合うカウンセラーは、男性でも、女性でもいいですが、自分の足で出向いて決めるべきです。
そして合わなければ、医師や病院もそうですが、どんどん替えてみるべきです。
自分の足で探そうとすることが(その積極性が)、治療の第一歩なんですよ。

フォーカシングで有名なジェンドリンは、カウンセリングの成否はクライエントのある種の感覚(フェルト・センス)によるところ大で、そう言う人は2度も面接を受ければ、自分に合うかどうか分かるといっています。

電話で無料でやっているところもあるようですので、いろいろ試されたらいいと思います。。
報酬を払うのはあなたなんだから、何の遠慮がいりますか。

話し好きのただのおじさんより。

この回答への補足

先日はお礼の欄に補足を書いてしまいました。そして、回答をいただいていたのに、からだの調子があまりよかったのと、家事や仕事でなかなかまとまった時間が取れなかったせいで、お礼をするのが随分遅くなってしまいまして、大変申し訳ありませんでした。私の投稿に目を留めてくださって、回答をいただいたこと、本当にありがとうございます。

お話とても興味深く拝見しました。そうですか、優秀なカウンセラーはクライアントの微妙な心の変化にちゃんと対応してくれるのですね。それは安心です。ただ、そういうカウンセラーに出会えるかどうかが鍵ですね。

実は2回ほど電話のカウンセリングを受けてみたところです。下の方の回答にも書きましたが、2回ほどでは手ごたえとしてはあまり感じるところはないのですが、気兼ねせずに自分の現状や過去のこと、自分の心配事などを話せるというのはとても嬉しい気持ちがします。電話をかける前は、緊張するというよりもリラックスしています。随分長く友人とも長電話をしていないので、嬉しいというのもあるのかも知れません。カウンセラーは友人とは違いますけれども。

今回のことで、人の心というのは本当に難しいものなんだなということを実感しています。自分の気持ちの中に、隠された別の気持ちがあって、本当はそっちの気持ちによって自分が突き動かされている・・・そういうこともあるんだなぁと驚いています。簡単に済ませることもできるのかも知れないけれど、真剣に深く掘り下げようとすればするほど、複雑なものが自分の心の奥に眠っているのを感じたりもします。

自分の子どもの頃の体験というのが、やはり自分が今度子どもを育てる身になったときに出てくるような気もします。それがまっすぐ出てしまえばいいのかも知れないけれど、曲がって出てきてしまうこともあると思います。そうしたときにその出所は一体どこだろう・・・と探すのが、ある意味『自分探し』ではないかと思います。なんだか難しく考えすぎでしょうか。
でもその謎が解けるようになると、自然と自分の心のあり方もわかってきて、落ち着いて対処できるように思うのです。自分の中のどろどろとした思いが、冷静に見られるということはあると思います。

今回のことがきっかけとなって、私はある意味、子ども離れの準備に入っているのかも知れません。子どもは自分の所有物ではなく、子どもの人格と才能や可能性をもって生まれてきています。自分が育って大人になったとき生きにくいと感じる部分を分析することで、私はできるだけ母と同じ過ちを繰り返さないことが大切だと思うし、子どもを甘やかしたり、逆に精神的なダメージを与えたりすることで、自分の欲望を満足させるようなことをしないためにも、自分の心のあり方とじっくり向き合う、子どもの頃のしこりを解くこと役に立つと思います。

長くなってしまいました。カウンセリラーについて、いろいろと参考になりました。これからも前向きにゆっくりとがんばっていけたらと思います。

お話をありがとうございました。

補足日時:2002/10/07 10:04
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。他の方へのお礼もまだ書き込んでいないので恐縮ですが、今少し体調を崩しておりまして、パソコンの前に座るのが少々しんどいのです。もう少しよくなってから、他の方へのお礼も含め、きちんと書き込みをさせていただきますので、宜しくお願いいたします。

お礼日時:2002/09/27 17:23

SA-KURAさん、初めまして。



私は現在、心理カウンセラーになる為に勉強をしている者です。

SA-KURAさんが書かれているようにカウンセラーの個人的な感情を持って、クライエントの方(相談者)と接するのは、よくありません。

カウンセラーも人間です。
そして、クライエントの方も人間です。
お互いに、今まで育ってきた環境・価値観・物事のとらえかた・物事の考え方・個人的感情・固定観念などなど・・・すべて違っています。
なのに、カウンセラーが個人的な価値観を持ち出すと、絶対にクライエントと話しが合わなくなってきます。
そうすると、何だかクライエントの方は否定されてたような思いを持ちますよね。
カウンセリングルームは、基本的にクライエントの方が主体の場所です。
カウンセラーも完全に、自分自身を捨ててお話を聴くのは無理ですが、できるだけ真っ白な状態で話を聴いて行くのが基本です。
(つまり個人的価値観などを横に除けてという意味です)

それに、そのカウンセラーの方は『私は嫌い』とおっしゃられたのですよね。
それは、クライエントの方にとってとても否定的な物の伝え方ですよね。
これは、例えそのカウンセラーの方が『嫌い』に思っていても、クライエントであった、SA-KURAさんに伝える必要性はなかったと思います。
カウンセラーも意見を伝える時があります。
しかし、それはクライエントにとっての必要性が感じられる時なのです。
この場合は、その必要性が感じられませんよね。
そのことも原因の一部としてあったから、SA-KURAさんも、カウンセリングを中止されることになさったのですよね。

カウンセラーは10人いれば、10通りのカウンセリングがあるといっても過言ではないと思います。
それぞれが、違う人間ですから・・・。
ですから、良いカウンセラーに出会うのは、結構難しいのです。
相性の問題なんかも、ありますからね。
でも、ゆっくりでも探していけば良いのではないでしょうか・・・?
カウンセラーは、みんながみんなそのカウンセラーの方のような訳ではないのです。

あまりたいしたことは書けませんでしたが、少しでも参考になれば嬉しく思います。

この回答への補足

回答をいただきありがとうございます。今立て込んでおりますので、後ほどゆっくりお礼をさせてください。よろしくお願いいたします。

補足日時:2002/09/24 12:14
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SA-KURAさん、こんにちは。

度々失礼します。

◆カウンセラーの件に限らず、人の助力を求める=他力本願とあまり厳しく考えなくていいかと思います。
私が思うに、人それぞれ出来る事や使命があってこの世にこれだけの人が存在しているので、自分の出来る範疇以外の事は、それが出来る人に教わったり、もらったりするのが自然な姿ではないでしょうか。
それによって、その人は世に貢献できると言う仕組みです。
そしてその人もまた誰かに自分の出来ない事、知らない事をお願いしているはずです。

ただ、友人に何かをというのと違ってカウンセラーはおっしゃる通り、果たして自分の望みに沿う人かどうかは、事前には分かりませんよね。

途中からだんだん合わないなと気付いたり、質問・要求が生まれたのにきちんと伝えられずにそのうち通うのをやめた…という経験が私にもあります。
『自己主張が出来ない人の為のプログラム』があったので出ようかと一瞬思いましたが、それはやめましたけど…(^^;
やはり、思った時に溜めて時間をおいたりしないで、気楽にポン!と言ってしまった方が良いんだ、これからは絶対そうしよう、とお陰で決心がつきました。
そのカウンセラーと無二の親友にならなきゃいけない訳でも、腕をへしまげられる訳でもないのだから、と何遍も意識に刻む練習をしましたね。

◆No.1さんの
>「必要な時に必要な人と出会う」ということを最近強く感じています。
はまさにその通りですね。

以前 私の書いた『疑問・質問が浮かんだ時、解答も同時に存在している』に対し、SA-KURAさんが
>これが私の場合何をさすのか、
とお答えになってましたが、このNo.1さんの言葉とつながった内容の意味で書きました。

(参照:
 >30代も終わりに近づいた今、もしかしたら少し遅かったかも知れないけれど
  ……何をするのにも遅いという事は全くありません。
  物事は時宜に所宜で起こります。今が、早過ぎす且つ遅すぎない一番パーフェクトな時・場所に御自分がいる事を信
  じ、安心してみては如何でしょうか。(信じた者勝ち(笑)。 )

上記の私の「物事は時宜に所宜で起こります。」と言う言葉が、ちょうどNo.1さんの『必要な時に必要な人と出会う』をもう少し広めて表現したものです。

だから
>今更ながらこだわるのには、何か理由があるのでしょうか?
>もう終わったこと・・・と片付けたがる人もいるかも知れない。
>それなのに私がこだわるのは・・・。
というのは、SA-KURAさんにとって、ある過去が、まだ過去になっていなくて現在のままになっている=過去のものにする為には向き合わなければならない
  ↓
その時が“今”だ/今までは準備が出来ていなかったが“今”なら&今こそ大丈夫だから向き合いましょう…と言う時が来た、そういう意味だと思います。

(勿論「過去にする」とは、忘れて、無かった事にする…ではないのはお分かりだと思います。)

遭うべく人と遭う、するべき事をする時が来る、そのために起こるべき事が起こる、そう言いたかったのです。
その流れに身を委ねた時、物事がもっと楽になってきますよ。No.1さんの言葉もその意味だと私は解釈しました。

◆それで、以前最後のシメに
【『疑問・質問が浮かんだ時、解答も同時に存在している』の言葉を信じてお互いゆっくり参りましょう。】
と書きました。
質問が浮かんだという事は、それを考えてみる時期のしるし、つまり答えが用意されていて、しかもその答えを受け入れられる準備がSA-KURAさんに出来ているしるし。
起こるべき事が起こるとは、『必要のある事しか起こらない』ということですから、関係ない考えや質問がむやみやたらと頭に浮かぶ訳がないですもんね。解決するんだ、この問題は。ラッキー!…ということです。

---------------------------------------------------------
きれいにまとめられず、上手く伝えられたか自信がありませんが、
相変わらずでスミマセン。(^^ゞ
歩み出したのなら、その道はゴールにつながっている道に他なりません。
安心して自分を信じていいのだ、と。そうお考えになってみるのは如何でしょうか。

この回答への補足

回答をいただきありがとうございます。今立て込んでおりますので、後ほどゆっくりお礼をさせてください。よろしくお願いいたします。

補足日時:2002/09/24 12:06
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この回答へのお礼

こんにちは。しばらくの間からだの調子が芳しくなかったのと、仕事・家事でなかなか時間が取れず、お礼をするのが大変遅くなってしまったことを、まずはじめにお詫びさせてください。申し訳ありませんでした。

長い回答をくださって、本当にありがとうございます。
実はその後、二度ほど電話のカウンセリングを受けてみました。電話での1時間は思ったよりも時間が早く過ぎ、2回ほどでは自分の過去・現在をどの程度カウンセラーの方にわかっていただけているのか、手ごたえとしてはまだまだないのが現状です。私のことを全く知らない一人の人に把握してもらうのですから、無理もありませんね。

話をしていると、現在と過去の話が入り混じってしまいますね。過去を順に話していくのがよいのかも知れませんが、途中で現在の気持ちが入ったり、現在を語るには過去を語らないと始まらなかったり・・。話がなんだか支離滅裂になってしまって、あっという間の1時間です。

それでも電話をする前は緊張することなく、これからは自分のことを思い切り話してもいいんだ・・と嬉しい気持ちがします。私たちの年代になると特にそうですが、友人や知人とはいえ、皆自分の生活の時間を持って生きているので、なかなか自分の悩みのために時間をとってもらえないのが現実です。その点自分でお金を払っているという意識でカウンセリングを受けるのは、気兼ねする必要がなくてよいと思います。自分の悩み解決のために出費は痛いですが、それも致し方ないでしょう。

この先このカウンセリングがどう展開していくのか、私にはよくわかりませんが、一度様子を見たいと思います。
アドバイスいただいたこと、ときおり思い返して参考にさせていただきます。
私の悩みのために時間を割いてくださって、本当にありがとうございました。

お礼日時:2002/10/07 09:46

こんにちは。

SA-KURAさんと同世代の男です。

前の質問、読ませていただきました。
あまりに深い問題なので、「ぼくがアドバイスなんかしていいんだろうか?」って考えました。しかも、男のぼくが答えることで心の傷に触れはしないかと・・・。

ただ、傷の深さ、悩みの重さは違っても、ぼくが立ち直るきっかけをくれたのは、やはりカウンセラー(その人は、ヒーラー=癒す人、という呼び方を使っていましたが。)に出会ったおかげなので書かせてもらいました。
今もたまに相談に行ってます。(会いに行くのが楽しみになってますよ。)

カウンセラーも人間なので、それぞれの感情やポリシーもあるでしょうから相性は重要ですね。
ぼくの場合は、いい相性のカウンセラーに出会えたってことが言えます。
このカウンセラーは友人から教えてもらいました。
その友人が3年間お世話になってきて、「信用できるし、死ぬ寸前まで行った自分の苦しみも癒すことができた。いつも適切なアドバイスをくれる」ということで、ぼくに紹介してくれたんです。

決して相談者(クライアント)の気持ちを否定しないで、「何故そう思うの?」「○○ってどういうことなの?」って、ぼく自身が気づいていなかった心の中をまるで見透かしているかのように引き出してくれたんです。
カウンセラーの意見ではなく、ぼくの気持ちをぼく自身でわかるために最善の努力をしてくれました。

長くなりましたが、ひとつだけお伝えしたいことは「カウンセラーを探すには、口コミがいい」のではないかということです。
もちろん、他の人にはよかったからといっても、あなたに合うかどうかはわかりませんが、少なくともカウンセリングの基本をわきまえてるカウンセラーであるという参考にはなると思います。

ここまで、ぼくのことを一方的に書いてきました。
こういうケースもあったということだけでも気に留めていただけたらいいのですが。
最後に・・・「必要な時に必要な人と出会う」ということを最近強く感じています。
SA-KURAさんの苦しみを癒す人は現れますよ。
今こそ、最良のカウンセラーとの出会いが必要な時だと思いますから。
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この回答へのお礼

nazcaさん、私の投稿に目を留めてくださって本当にありがとうございます。
nazcaさんのお話、とても心にしみました。ご自分に合ったカウンセラーの方に出会われてよかったですね。
読んでいる私まで幸せな気持ちになりました。

そしてnazcaさんもご自分でカウンセリングを受けられた経験がnazcaさんの優しい言葉にちゃんと出ていると感じました。苦しんだ人は人の苦しい気持ちもわかるようになれるのですね。うまく言えないけれど、そんなことを感じました。

カウンセラーとクライアントと言っても人間同士、どこかウマが合わないなということがあるかも知れないですよね。それにいつも同じ温度で接することができるとも限らない。でも自分の心の内を変形させることなく飾ることなく、正直に話せたら・・・それだけで楽になれるかも知れないなと思います。

その点で私の元カウンセラーの私情というのは、私に彼女に対する配慮を生んでしまうことになったので結果的に正直に話をすることができなくなり、残念な結果になってしまいました。あくまでそれは私が将来に唯一希望として頑張っているものであって、彼女の気持ちを害するのを恐れて話すことに躊躇するようではカウンセリングの意味がなくなってしまいます。
カウンセラーの方がなぜそこで自分の気持ちを表することで、結果自分の自尊心を守るようなことをされたのか、理解に苦しみます。いまだにしつこいようですが、カウンセリングにカウンセラーの私情は必要ない・・・と思ってしまうのです。これは私の傲慢さでしょうか・・・。

それにしても『必要な時に必要な人と出会う』という言葉は素敵ですね。
私もこの言葉を信じて、がんばってみようと思います。
nazcaさんにアドバイスをいただいてよかったです。
ありがとうございました。

お礼日時:2002/09/19 20:09

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