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今日、ビルの工事現場で、周りの壁に殺風景を緩和しようというのか、たぶん近所の小学生の書いた絵とその標語をいっぱい飾っているのを見ました。標語というのは、なにか一般的に「明るい」「希望が持てる」「純粋」など、特に子供が発するのにふさわしいと思われるような言葉です。絵もそれにあわせたものです。
そこで、私は一般人がどう感じるかはわかりませんが、これを見て非常に寒い思いがしました(実際今日は冷えますが、体のそこから何かゾワッとする気色の悪いものが湧き上がってきました。

つまり、こんなものが子供の本心だとは思えないわけです。私が子供のころを思い出しても荘です。こういう試みに付き合わされて適当に要求されているようなものを書いてお茶を濁していましたが、心からの声と言うのはそんな奇麗事じゃないわけです。それはもっと具体的で個別的で、もしかしたら半モラルであったり残酷であったり、くだらなかったり、他愛もなかったりいろいろなはずです。

で、教育の場で、なにか「奇麗事を書きなさい」と暗に強制されるようなことは、果たして有効なものなのでしょうか。ただ単に子供を利用しているだけではないでしょうか、もしかしたら、子供に悪影響さえ残さないか?それとも、「こういう場では心にもないことを言うんだよ」という、心憎い処世術を教え込まれているんでしょうか?

いろいろ考えますに、とにかく、この種の標語が、表面的で心のこもらないものであろうし、そういう毒にも薬にもならないものしか、あるいは一般に認知されるという図式にあてはまるものしか、教育の場で処理する能力がないという皮相的状況に陥っていると感じます。これは最近始まったことでもないでしょうが、改まることはなく徐々に加速しているのではないでしょうか。

これらと比べると、私がまだ健全だと感じたのは、もっと昔の「暗記暗記」の教育の時代、自由意志なんていうものが教育の場になかった時代のほうがまだ、表裏のない潔さが合ったのではないかと感じています。

こういう問題をどう考えたらよいのでしょうか。

A 回答 (12件中11~12件)

 ちょっとシニカルではないですか。

小学生なんてそんなもんだと思います。
 小学校の卒業式で「卒業生の言葉」とか言って先生が決めたセリフを生徒が次々しゃべらされたことがあります。後で思い出して「くさいな」と思ったりするものですが、そのときは純粋に、真剣にそう語っていたように思います。ある程度きれいごと、お決まりごとをしゃべれせる、植えつける、育てるといった過程は必要と思います。
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この回答へのお礼

確かにそういう考えもあります。卒業式の言葉なんて、何十回もやらされているうちに、あながち本心のような気もしてきました。でも、所詮上から与えられたものです。

昔の教育勅語みたいなものはよく把握していませんが、まああれと似たことを現代も続けているのでしょう。個人的には、あれは格調高くて、たとえ理念が問題でも、文章自体の美しさで暗記する価値はあると感じます。また現代版のそれはそれで、心の肥やしになるのかもしれない。

しかし、やはり、「なにか押さえつけられている」という感覚は残りますね。

「思ったことを言ってみろ!」っていう教育があるでしょうか?もちろんそんな修羅場に耐えられるような教員がいるとも思えません。

お礼日時:2007/12/25 15:34

 あなたのほうが、子供はこーあるべきだ、という色眼鏡で見てますよ、決め付けてますよ。



思ったことを素直に書くのが子供です。
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この回答へのお礼

心理操作されて、思っていることがわからなくなっているのではないでしょうか?

お礼日時:2007/12/25 15:36

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