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江戸時代に俳諧、発句といわれていたのを明治になって正岡子規が「俳句」と呼ぶようになったという説をききました。
これは本当でしょうか?
江戸時代にも俳句という言葉があったと思うのですが。

よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

以下、日国オンライン(日本国語大辞典のWeb版)の


俳句の項を引用しておきます。

はい‐く【俳句】
〔名〕(「俳諧の句」の略)

もと俳諧連歌の第一句(発句)が独立してできたもの。元来は俳諧連歌の発句および連句の句をさしていっていたが、明治にはいって正岡子規が発句のみを意味する語として使うようになってから一般化されるようになった。五七五の三句一七文字で完結する日本独特の短詩で、季(き)を入れるならわしであるが、季語の撤廃や定型を破った自由律の主張などもみられる。

*俳諧・虚栗〔1683〕序「翻手作雲覆手雨 粉々俳句何須数」
*浮世草子・新竹斎〔1687〕一・一「さいつ比富尾何がし此所にて俳句(ハイク)あり 浄蔵ありや昼にかたぶく八坂の花」
*随筆・胆大小心録〔1808〕六一「唐人を二度見た事をとし忘れといふ俳句があったが」
*筆まかせ〔1884~92〕〈正岡子規〉一・哲学の発足「俳句を作るは明治二十年大原其戎宗匠の許に行きしを始めとす」
*吾輩は猫である〔1905~06〕〈夏目漱石〉一「俳句をやってほととぎすへ投書をしたり」

日本国語大辞典はかなり信用に足る辞書なので
概ね上記のような事情なのだと思います。
ちなみに日本国語大辞典は、
用例を最も古いものから載せるという方針なので、
俳諧・虚栗〔1683〕序が、一番古い例となるようです。
この頃から意味は違えど、俳句という語が使用されていたようですね。
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しろうとですが、ご参考までに手許の情報をご紹介します。


「世界大百科事典」 の 「俳句」 (坪内稔典) の項目をみると、なるほど、

[以下引用] 〈俳諧の句〉を縮約した〈俳句〉という語は,俳諧集《尾蠅 (おばえ) 集》 (1663),上田秋成の《胆大小心録》 (1808) などに用例がある。 [以上引用 http://www.kn-concierge.com/netencyhome/

と書かれています。
さらに、『近代俳論史』 (松井利彦 桜楓社 俳句シリーズ人と作品別巻1973年) によれば、つぎのとおりです。

[以下引用] 明治十年八月の「香風夜話」「緒言」(柳北)の中に「歌ヲ録シ俳句ヲ録シ」、明治十三年十二月の「明倫雑誌」、幹雄の「緒言」中に「俳句を首唱する者は・・・・・・」「和歌と俳句と各姿状を異にして・・・・・・」の文字が見え、十四年三月の「社説」の中にも「祖翁以前の俳句の解」と題する文がある他、「明倫雑誌」には随所に見えている。
 部立てとして「俳句」の名称を用いたものとしては、「風雅新誌」(明13・2)、同じ扱いは明治十六年の「浮気の友」で「誹句」の部を設け(七月)たこと、十六年八月からは「俳句」の字を用いた事をとり出すことが出来る。[以上引用,71ページ]

[以下引用] 子規が俳句の文字を始めて用いたのは、明21年の「哲学の発足」(「筆まかせ」所収) [以上引用,73ページ]

つまり、俳句という言葉は、江戸時代に一般化こそしなかったが既に存在しており、明治時代には発句を指す言葉として正岡子規以前に一般的に用いられるようになっていました。これに子規が 「近代文学」 としての新しい定義をあたえたということになるようです。
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