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共感覚を作るトレーニングをしたいのです。共感覚とは「ある感覚を別の感覚に置き換えてみる」とのことですが、いまいちわかりません。詳しくわかる人がいましたら教えてください。

A 回答 (2件)

こんにちわ、共感覚を持っているものです。



もっていない事がないのではっきりとしたことは、いえませんが、共感覚は脳の神経的な特殊構造でできています。

えっと、わかりやすくいいますと右脳と左脳が神経でまっすぐに繋がってるため、音を聞いたら視覚的現象が脳内で起こるのです。しかし、実際目に見えるわけではなく、感じ、理解できるというべきでしょうか?
情報が制御できないのでかなりきつい人はいます。


上にも書きましたが、脳の神経の特殊な構造ですので、完全に共感覚を持つことは出来ないでしょう。

共感覚というのは生まれた頃は全ての人間が持っています。ただ、残るのは10万の一といわれています。軽いのは2万の一ですね。共感覚の重さといいますのは、だいたい音を聞いて色が見えたりするあたりが軽いとすれば、においまで感じると増えていったり、日常生活で違和感が感じる感じないで判断されています。


ただ、近くまではいけます。簡単にいいますと右脳と左脳をほぼ同時に動くことさえ出来ればいいわけですから、訓練しだいで出来ると思います。

簡単な訓練を私なりに考えたので、参考になれば。

視覚的物が欲しい場合は、CDのジャケットと曲を一緒に覚える。
においが欲しい場合は、食べ物の色と味を覚える。酢=すっぱい=黄
見たいな感じです。そうすると自然と感覚に恵まれてくるので近くなるのではと思います。

ただ、人によっては限界がありますので、絶対できるとは思われないことです。あと、出来るようになったとしてもそのあと喜びだけではありません。雨の音ひとつひとつに色が見えて耐え切れないくらいの情報が入り込んでくるときもあります。注意してくださいね♪
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こんにちは。


実際の「共感覚」といいますのは幼児期における知覚系の発達に起因するものです。これは脳の通常の機能ではありませんから訓練をしても習得することはできません。
では、質問者さんの仰る「ある感覚を別の感覚に置き換えてみる」というのは、これは「共感覚的比喩表現」に当たります。これは自分が感じたものを別なメタファーで表現するということですから、実際に共感覚が発生しなくとも可能です。とは言いましても、ではトレーニングをすれば誰でも身に付けられるかというならば、これはそういった類のものではないように思います。

感覚を置き換えるにしましても、ただデタラメに置き換えてみたところで何の意味もありませんよね。
共感覚といいますのは共感覚者の意志によって発生するものではありません。そして、それは圧倒的に少数派であることに加え、その組み合わせが必ずしも芸術的であるという保証は何処にもありません。ですから、ただ共感覚が発生するというだけでは芸術家にも文学者にもなれないわけです。ならば、著名な芸術家の中に共感覚者がいるというのは、それを上手く利用して自分のイメージを増幅させることができたからです。

では、我々はどのようしてそれを身に付けたら良いでしょうか。
普通のひとの脳内には共感覚は発生しないのですから、まず、それがいったいどのようなものであるのかということを色々と知らなければなりません。例えば、松尾芭蕉の俳句なんてのは共感覚表現の良いお手本になるそうです。
次に、これで何が共感覚的表現であるかを理解できたならば、今度はそれに創造性を持たせるためには自分の感性を磨かなければなりません。これにより、質問者さんは初めて共感覚的表現を自分のものとして身に付けることができます。
共感覚そのものを訓練によって習得することはできません。このため、我々はそこに表現というキャンパスを使わなければならないわけですが、結局ここで感性というものが働かない限りただ置き換えてみただけでは何の意味もありません。従いまして、これは感性なのですからその先は鍛錬あるのみ、近道というのは何処にもないわけです。
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この回答へのお礼

ご丁寧に詳しく本当にありがとうございました。
とても参考になり感謝します。

お礼日時:2008/02/07 20:34

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