プロが教えるわが家の防犯対策術!

イエス・キリストの教えや行動によって影響を受けた歴史上の人物や出来事を教えてください。

A 回答 (19件中1~10件)

歴史から神の名の下に人間がしてきたことを観れば


人間にとって恐ろしいものは神なのではなく
宗教に染まった人とその集団が最も恐ろしいものになりうると知っている
微視的な
個には宗教は善良に作用しているかに見えても
宗教という組織それに結びついた国家という大枠においては
歴史的に観ても現代においても手に負えないほどの巨悪として働くことが多いことを

現代において個の内面的にはイエスキリストの影響を受けていないと思っていたとしても社会的に関わる以上その影響を受けていない人はいないといえるのではないでしょうか
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/03/17 19:45

私はジャンヌダルクだと思います。

神の子という発言からキリストの影響は大きいと思いますよ
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/03/17 19:46

 kyudoushaさん こんにちは。


 淵田美津雄(ふちだ・みつお)を紹介します。
 《真珠湾攻撃における第1次攻撃隊(及び隷下の水平爆撃隊)を指揮し、「ト・ト・ト」(全軍突撃せよ)及び「トラトラトラ」(奇襲ニ成功セリ)が淵田機から打電されたことで知られる。当時、海軍中佐》(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%B5%E7%94%B0% …
です。かれが キリスト・イエスの十字架上でのことば――《父よ、彼らを赦したまえ、その為す所を知らざればなり》に影響を受けました。

 《淵田美津雄 元真珠湾攻撃隊長 の証し》より抜粋
http://www.being-nagasaki.jp/genbakutaikenki/hut …

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ・・・戦犯裁判は、国際正義の名において人道に反した者を裁くのだと言っていましたが、私はこれを勝者が敗者に対して行う、法に名を借りた復讐であると見て、反感と憎悪で胸を燃やしていたのです。
 するとそこへアメリカに捕らわれていた日本軍捕虜が送還されて、浦賀に帰って来ました。
 私は浦賀に出向いて、帰りついた日本軍捕虜からアメリカ側の取り扱いぶりを聞きただしました。ところが、いろいろと話を聞き回っているうちに、あるキャンプにいた捕虜たちから次のような美しい話を聞き、心を打たれました。

 この人々が捕らわれていたキャンプに、いつのころからか、一人のアメリカのお嬢さんが現れるようになって、いろいろと日本軍捕虜に親切を尽くしてくれるのです。まず病人への看護から始まりました。やがて二週間たち、三週間と経過しても、このお嬢さんのサービスには一点の邪意も認められなかったのです。

 やがて全員はしだいに心を打たれて、「お嬢さん、どうしてそんなに親切にしてくださるのですか」と尋ねました。お嬢さんは、初め返事をしぶっていましたが、皆があまり問いつめるので、やがて返事をなさいました。その返事はなんと意外でした。「私の両親が日本軍隊によって殺されましたから」

 両親が日本軍隊によって殺されたから日本軍捕虜に親切にしてやるというのでは、話は逆です。「詳しく聞かせてくれ」と私は膝(ひざ)を乗り出しました。
・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 あとは そのサイトにてごらんください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/03/17 19:47

回答の中心事項である近世近代の奴隷制度についての補足



「また、奴隷の女性は、たいてい15歳くらいで母親になったという。所有者が自分の女奴隷に子供を生ませたとき、その混血児は普通の黒人よりも高い値段で売れたのだ。母は奴隷で、父はその奴隷の所有者だったダグラスは、こういう関係について次のように書いている。

「まったくおかしなことに、奴隷女の子供は必ず母親の境遇どおりになるというおきてが奴隷所有者によって定められ、法律によってもきめられていたので、このおきてが主人たちの情欲に役立つように実行され、またこのよこしまな欲望の満足が快楽ばかりか利益となるように実行されていることは、かくれもない事実である。というのは、このような狡猾なとりきめによって奴隷所有者が奴隷に対し、主人と父親という二重の関係をもつようになることが珍しくないからである。

……主人はこうゆう種類の奴隷を、自分の妻に対する気がねから、売らなければならないことがしばしばある。自分の本当の子供を人買い(奴隷取引商人)に売りとばすなんて、人間にあるまじき残酷な行為と思われるかもしれないが、そうするほうが人情味のある場合も多いのだ。というのは、こうでもしなければ、主人自ら自分の子供を鞭うたねばならないばかりでなく、ときには白人の自分の子供が肌の色が少しばかり黒い異母兄弟をしばりあげて、その背中に血がほとばしり出るまで鞭をくわえるのをそばに立って見ていなければならないからである。」」P82、83

「さてそのヘンソンが書いた手記がある。(中略)家族が競売に出されて、他の所有者のもとに売られていく情景を描いた部分がある。

「マクファーレン一家所有の財産がばらばらに売られていったときの記憶は、私の心のなかに今もなお細かな点まではっきりと残っている。競売の台のまわりに集まってきた群集、隅の方におしやられた黒人たちの群れ、筋肉、歯、それに敏捷さなどの検査、競売人の表情、私の母の死にもの狂いの顔つき―私はいま眼を閉じても、そのすべてをはっきりと見ることができるほどなのだ。

私の兄弟たちや姉妹たちは、最初に競売に出され、一人、一人と売られていった。その間、悲しみで茫然となった母は、しっかりと私の手を掴んでいた。とうとう、母の番がやってきた。そして母は、モントゴメリー郡のアイザック・ライリーという男にせりおとされた。それから今度は私が、大勢の買い手の前にひき出された。私が競売にかけられている間、母は子供たちみんなともう永久に会えないのだという思いに半狂乱のようになって、群集をおしわけ、ライリーの立っている場所へ進んでいった。

母は、身を投げ出すようにして、彼の足もとにひざまずいた。そして、どんな母にとってもこれだけは、というような哀願をした。自分ばかりでなく、まだ小さな子供も一緒に買ってください、と。ところがどうだろうか。この男は母の哀願に耳をふさいだばかりか、なぐったり、蹴ったりという乱暴をして母をひき離し、自分の届かない所へ這って行かせたのだ。母は、心も張り裂けそうな泣き声を漏らし、身体の苦痛に呻きながら、這っていかなければならなかった。こんなことがあっていいのだろうか。こんなことが信じられるだろうか。

母が這ってこの野蛮な男から離れながら、涙を流してこうつぶやいたのを私は聞いた。”お お、神様、一体いつまで、いつまで私はこんな目に合わなければならないのでしょう。

私はそのとき、たしかまだ5歳か6歳だった。今でも私は、そのときの泣き叫んでいる母の姿を、ありありと思い出すほどだ。これが、人間として幼い頃に経験したことの一つであり、しかもこれは、私と同じ人種の人たちの何千という経験とまったく同じものなのである。……」」P83、84

以上引用 猿谷要『北米大陸に生きる』河出書房新社
縦書から横書きにしたため、一部漢数字を算数字にしました。

合衆国憲法修正第13条1865年成立
明治維新の2年前です。
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この回答へのお礼

回答と補足ありがとうございます。

お礼日時:2008/03/17 19:48

聖書を否定してるのに、聖書を引用する不可解なことを


する人が世の中に多いので

もう、イエスと直接会った人々でしょう。

影響を受けたのは同時代の人々ですよ。

イエスがいたのならね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
直接的、間接的に「イエス・キリスト」というものからなんらかの影響を受けていない人はいないが故にBefore Christ(BC)紀元前、AD(anno Domini)紀元後で時代が分かれているのだと思いました。

お礼日時:2008/03/17 19:53

補足



例えばイエスの死後生まれた人はイエスに直接会ったわけでもなく、イエスの著作を読んだわけでもないので、イエスの直接の影響を受けることは出来ないと思います。しかし、聖書をイエスの言葉として受け止めれば事情は違いますが。パウロはイエスの言葉を受け止めより詳細に語ったと考えます。回答では、とくにパウロを取り上げたというより、その一行上の言葉を、より具体化しており分かりやすいと考えたためです。

奴隷制度は、聖書の中で、ご本人が肯定的に用いられたとする記載があると考え、ANO9に書き込みました。

聖書の中には、他の文章にも、

ペテロ手紙第一2.18
「召し使いたち、心からおそれ敬って主人に従いなさい。善良で寛大な主人にだけでなく、無慈悲な主人にもそうしなさい。」
テモテへの手紙第一6.1
「軛の下にある奴隷の身分の人は皆、自分の主人を十分尊敬すべきものと考えなければなりません。それは、神の御名とわたしたちの教えが冒涜されないようにするためです」
テトスへの手紙2.9
「奴隷には、あらゆる点で自分の主人に服従して、喜ばれるようにし、反抗したり、」
2.10
「盗んだりせず、常に忠実で善良であることを示すように勧めなさい。そうすれば、わたしたちの救い主である神の教えを、あらゆる点で輝かすことになります。」
コロサイの信徒への手紙3.22
「奴隷たち、どんなことについても肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとしてうわべだけで仕えず、主を畏れつつ、真心を込めて従いなさい。」
エフェソの信徒への手紙6.5
「奴隷たち、キリストに従うように、恐れおののき、真心を込めて、肉による主人に従いなさい。」
6.6
「人にへつらおうとして、うわべだけで仕えるのではなく、キリストの奴隷として、心から神の御心を行い、」
6.7
「人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。」
6.8
「あなたがたも知っているとおり、奴隷であっても自由な身分の者であっても、善いことを行えば、だれでも主から報いを受けるのです。」
出エジプト記21.2
「あなたがヘブライ人である奴隷を買うならば、彼は六年間奴隷として働かねばならないが、七年目には無償で自由の身となることができる。」
21.4
「もし、主人が彼に妻を与えて、その妻が彼との間に息子あるいは娘を産んだ場合は、その妻と子供は主人に属し、彼は独身で去らねばならない。」
21.5
「もし、その奴隷が、「わたしは主人と妻子とを愛しており、自由の身になる意志はありません」と明言する場合は、」
21.6
「主人は彼を神のもとに連れて行く。入り口もしくは入り口の柱のところに連れて行き、彼の耳を錐で刺し通すならば、彼を生涯、奴隷とすることができる。」
21.7
「人が自分の娘を女奴隷として売るならば、彼女は、男奴隷が去るときと同じように去ることはできない。」
21.20
「人が自分の男奴隷あるいは女奴隷を棒で打ち、その場で死なせた場合は、必ず罰せられる。」
21.21
「ただし、一両日でも生きていた場合は、罰せられない。それは自分の財産だからである。」
申命記20.11
「もしその町がそれを受諾し、城門を開くならば、その全住民を強制労働に服させ、あなたに仕えさせねばならない。」
20.13
「あなたの神、主はその町をあなたの手に渡されるから、あなたは男子をことごとく剣にかけて撃たねばならない。」
20.14
「ただし、女、子供、家畜、および町にあるものはすべてあなたの分捕り品として奪い取ることができる。あなたは、あなたの神、主が与えられた敵の分捕り品を自由に用いることができる。」
20.15
「このようになしうるのは、遠く離れた町々に対してであって、次に挙げる国々に属する町々に対してではない。」
レビ記25.44
「しかし、あなたの男女の奴隷が、周辺の国々から得た者である場合は、それを奴隷として買うことができる。」
25.45
「あなたたちのもとに宿る滞在者の子供や、この国で彼らに生まれた家族を奴隷として買い、それを財産とすることもできる。」

など多数の記載があり、この文書の編者が誰かは分かりませんが、奴隷制度を積極的に肯定していると読めます。聖書をイエスの言葉ではないという受け止め方もあろうかとは思いますが。

以下引用です。

この「おなぐさみ」というのは、天然痘で死んだ患者の病菌で汚れた着物を病院でもらい受け、それを他の贈物と一緒に、インディオの諸部族がよく通りかかる道端に吊るしておくのである。このお陰で、次のような目覚しい結果が得られた。フランスと同じくらいの広さを持つサン・パウロ州は、1918年の地図によると、その3分の2が、「インディオのみのよって居住されている未開発の土地」であったが、1935年に私がそこへ着いた時には、海岸に押し込められた数家族から成る一団を除けば、もはや唯ひとりのインディオもいなかったのである。これらの数家族は日曜になると、サントスの海浜に、骨董品と称するものを売りに来ていた。しかし、サン・パウロの近郊ではなかったが3千キロ内陸に入ったところには、幸いインディオがまだいたのである。

以上引用、縦書から横書に変更したため、一部漢数字を算数字に変更しました。
レビ=ストロース 『悲しき熱帯I』 川田順造訳 中央公論新社

自覚なしに病気を持ち込んだとばかり思っていましたが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/03/17 19:54

難しいご質問ですね・・・文人・哲学者・政治家・宗教家・軍人など無数の人が国籍や職業に関係なく影響を受けていますから。



まぁ、私たちが通常使っている西暦も今年は2008年ですけど、この2008という数字も(計算間違いではあるけれど)イエス・キリストが誕生した年を紀元元年として数えていますので、他のどんな思想家や宗教家もここまでの影響は持っていません、と言えるかもしれません。

さて、割と最近の人でイエス・キリストに影響を受けた人として、コルベ神父とマザー・テレサはご存知でしょうか?
コルベ神父は、アウシュビッツで他人の身代わりになり餓死刑を受けました。(そして獄死しました)
マザー・テレサは、宗教に関係なく貧民の最期を看取る行為を長年にわたり続けました。
この人々の行為は、宗教や国籍などを超越して多くの人に感動を与えています。この人々は、イエス・キリストに生涯を奉げていますから、影響を受けた人物と言ってよろしいでしょう。

あるいは、今ここに集っている、質問者さんも、他の回答者さんも、閲覧している人も、イエス・キリストの名に惹かれているのですから、これもイエスの影響と言えるでしょうね。(まぁ歴史に名が残るかどうかは知りませんが)

と、言う訳で数え切れない、というのが私の回答になります。時代や地域を限定すれば、質問者さんが知りたい情報を得られるかもしれませんね。

<以下余談>
ところで、キリスト教徒の方からの回答と、他に一風変わった・・・キグルミ教とでも言うのでしょうか?一般常識とは異なった歴史や聖書をお持ちの方の回答が寄せられていますね。まぁ、主張が正しいか否かは過去の回答も併せて読んでみると良いと思います。日本史の土師(はじ)が聖書に書かれていると主張したり(聖書には士師(しし)記はありますけどね)、フランシスコ・ザビエル来日の2か月前に桶狭間の合戦があったと主張したり(ザビエルの来日は1549年・桶狭間の合戦は1560年)と、私たちが知っている聖書や歴史とは異なる記述を得意とする方ですから読んでいて楽しいですけど。お時間がある時には、是非過去回答もお読みになる事をお勧めします。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>あるいは、今ここに集っている、質問者さんも、他の回答者さんも、閲覧している人も、イエス・キリストの名に惹かれているのですから、これもイエスの影響と言えるでしょうね。(まぁ歴史に名が残るかどうかは知りませんが)と、言う訳で数え切れない、というのが私の回答になります。

こんな質問をしたり、回答をしている我々は影響を受けているということになりますよね。

お礼日時:2008/03/17 19:42

 No.10です。


 《イエス・キリストの教えや行動によって影響を受けた歴史上の人物や出来事》として パウロとともに ペテロら弟子たちを挙げておくべきでしょう。あえてパウロから引きます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
コリントの信徒への第一の手紙

 (15:3) 最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも〔*ペテロらのエルサレム教会からおそわって*〕受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、
 (15:4) 葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、
 (15:5) ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。
 (15:6) 次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。
 (15:7) 次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、
 (15:8) そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。

 (15:9) わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。
 (15:10) 神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
《15:9-10》の文章を見れば 最終的に《働いたのは キリストである》という意味だと思われるからには 影響を受けていると考えられます。

 ペテロをはじめとする弟子たちについては ともかくイエスが逮捕されたときからは 逃げてしまったわけですから――つまり 自分は隠れてイエスの弟子でありつつづけるというよりも もうそれから離れて 逃亡したわけですから―― そのあと 死後にイエスが〔どういう形でにしろ〕かれらに現われたというその時から 大いに影響を受けたものと思われます。《復活》については わかりませんが この死後に 生前とはちがった影響を かれらは受けたということだと思います。

 内容にまでは触れず これだけにてですが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
イエス・キリストに弟子達やパウロが影響を受けたことの証しとして以上のような新約聖書の記述があり、教会が今もあることを考えるとき大きな「影響力」を見ることができると思います。

お礼日時:2008/03/17 19:36

No.8です。



>人に向かって「地獄に落ちろ」と言うクリスチャンはキリスト教なんて知りませんと自分で告白しているようなものですね。

いえいえ。クリスチャンはサタンは悪魔と同義語だと思っており、サタンとは悪魔のことだと思っており、聖書にサタンが登場してヨブを陥れる逸話を、神と悪魔がヨブを陥れてもてあそんだと思っているわけです。
(もてあそんだというのは、あたしの解釈で、クリスチャンからすれば、ヨブの信仰を試した ですが。)


つまり 神の存在を信じているクリスチャンは悪魔の存在も信じているんです。
で、悪魔の存在を信じている彼らからすれば、私はこの世に神と同様に存在する人間以外の生き物 悪魔だと信じており、(悪魔の存在を彼らは信じているから)、それで私は人間じゃないから、悪魔呼ばわりしたとしても、それは神が喜ぶことだ としているんです。

だって彼らからすれば、私は彼らと同じ人間じゃなく 何千年も生きている 悪魔ちゃんなんだから。

バカな?
いえ! バチカンは悪魔の存在を信じており、真剣に悪魔退散のやり方を信者の寄付金を使って研究しているんです。
嘘だと思ったら 調べてみてください。

なにより 神が人間の体にのりうつって、処刑されて死後硬直して腐乱しだした3日後に、臓器が再生して、生き返ったということを100%信じている人たちですよ。

その人たちを相手にしているわけですよ 我々は。

彼らが相手にしている私。
私は、アッシリアだったかアッカドだったかバビロニアだったか忘れましたが(オイ! 笑)、聖王に選ばれたものが、神の力を復活させるために、天と地に間に吊るされ槍で刺し殺されるという風習があったことを知っている者です。
そして3日後に神は復活するとその風習を持つ集団はしていることも、私は知っている。

その情報を知っている私と、それを知らない つまり イエスの作り話は多神教の神話からのパクリだと知らない者とが会話をすると、ズレズレになるわけです。

彼らは私をサタン 地獄に落ちろ と呪う。
彼らからすれば、私は人間じゃないから呪ってもいいわけです。
神は呪ってはいけないが、神の敵は呪ってもいいわけです。

ヨブをどうやって痛めつけようかと話をするほど、神とサタンは仲良しですが。笑


>クリスチャンもしょせんは不完全な人間の集団ですよね。

彼らはいいことを言ってます。
神の心は人間は知ることはできない。 と。
つまり 自分達が正義と思っていることが、神にとって正義だとは限らないことは知っているわけです。

でも、自分達は正しいとしないと不安でしょうがない。

で、どうするか?
自分の主張の正しさを補強するため、聖書の文章を書き並べるわけです。
つまり、自分が正しいと主張するために、聖書の言葉を利用するわけです。
自分のために。

こんな滑稽なことはない。
自分が神であることを証明しようとするようなもの。

そう、イエス話に影響を受け、それを自己満足のために利用している人たちは、全クリスチャンなんです。

彼らはイエスに影響を受けたというより、利用しているわけですが。
自分の利益のために。


>そんな人間は人を傷つけずにはいられないことを浮き彫りにした上で「許し合って」行きましょうよという救いのメッセージをイエス・キリストは投げかけたのに、弟子たちが敬遠して大犯罪という感じでしょうか?

ここがですねぇ・・・
私クリスチャンでもなんでもないんですが、何故か聖書 ちょっと知ってるんですね。
神話好きなので、聖書も神話として読んだから知っているわけですが。。。

私の理解だと、イエスというかイエスの作家がどういう思想を持ってイエス物語を作ったか を想像してみたんですね。
ファンタジーものを読むとき、作家の気持ちを推測しながら、 つまり 作家の思想を推測しながら読むと、その世界がきらめくわけなので、推測しつつ読むわけですが。


イエス作家はイエスに「この世が消えるまでヘブライ語の一文字も律法からから消えることはない」みたいなことを言わせているんですね。
恐らくイエス作家の思想だと思うんです。

律法にはつなぎ と ほどき が存在する。
別の語彙に直すと 禁止と 許し。

はい、律法には禁止事項と 罪とされたものを無罪とするものとが存在しているんです。

で、罪に問われた人が身の潔白を証明する方法も書いてあるんです。
それを証明できたら、罪が無い律法により つまり神により無罪ってなるんです。
許し というのは適切な語彙じゃなく、、、、 被疑者は無罪となり罪が無いとなる。
律法により許される つまり 罪だとされたものが罪じゃないと証明される。
つまり 律法により救われる って意味。

で、イエス作家は「あなたがそうされたいように、他人の罪も許しなさい」みたいなことを言わせていると記憶しています。

これは、、、、誰でもついとか不注意で とかで、他人に被害を与えてしまうことありますよね。
律法で害を与えた者への処遇が載っている。

で、起訴を取り下げたら、罪は消えるんです。
だから、もし過失で人に被害を与えた人が、誠心誠意謝ってきたら、許してあげないと、自分が逆の立場にたったとき許してもらえず 罪人になってしまう って事で、他人を何度でも許しなさい とイエス作家は説いていると思うんですね。

これ、ユダヤ教の仕来たり。
キリスト教の仕来たりになる前からユダヤ教にあったこと。

で、姦淫を犯したとされた女性が石打の処されるのも、罪を犯したことが無いものから石を投げなさいってイエスが諭したように作家描いていますよね。

あなたが許されるために、彼女も許しなさいってわけですが、これは何書だっけ、旧約聖書で、権威ある人が女性を誘惑しようとして、断られたので腹いせに、彼女は姦淫したと嘘の訴えをしたんです。
つまり 本当のところは彼女は姦淫をしてはいない。
にもかかわらず、処刑されようとしたのを、えっと えっと えっと、、、、ダニエルだったと思いますが、機転をきかせて救うくだりがある。

濡れ衣を着せられたものを殺すものは、逆の立場にたって濡れ衣を着せられた時、黙って殺されるしかなくなる。

彼女が本当に律法に違反していたら、石打です。
でも、恐らくですが冤罪なのに、人々は殺そうとしたので、そういうのは律法に則していない処罰だから、穢れだよ ということを表したかったんじゃないかなーって思います。

つまり、イエス作家は冤罪を着せられた女性を救ったのではなく、冤罪で殺そうとした人たちを救った ってのがこのエピソードのメインテーマ。

という風にキリスト教が教えていたら、世の中変わっていたかもしれないですね。
自分はメシアだって言う人たちって、私のような解釈でイエス像を捉えていない。

だからみんな自己中 ひとりよがりの自称メシアでしかない。

で、こうやって考えていくと、私の回答としては、イエス作家の思想に影響を受けた人は 一人もいない。です。

ジム・ジョーンズはキリスト教が作ったイエスの影響を受けた一人だと思います。
だから 影響を受けた人はジム・ジョーンズ。
あなたがダークサイドというこの人は、キリスト教直系の思想をひきついだ人。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
これだけいろいろなご意見をお持ちということはやはり、イエスは大きな影響を及ぼしているということですね。

お礼日時:2008/03/17 19:29

 《イエス・キリストに影響を受けた歴史上の人物》の筆頭は パウロであるかも知れません。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ローマの信徒への手紙
[12:1](略)
[12:2]あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。
[12:3]わたしに与えられた恵みによって、あなたがた一人一人に言います。自分を過大に評価してはなりません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべきです。
[12:4] というのは、わたしたちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きをしていないように、
[12:5] わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。
[12:6-8]・・・(中略:おのおの与えられた恵みによって その部分としての務めを果たすとき)・・・
[12:9] 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、
[12:10]兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。
[12:11] 怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。
[12:12-13]・・・(中略)・・・
[12:14]あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。
[12:15-16]・・・(中略)・・・
[12:17]だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。
[12:18]できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。
[12:19]愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。
[12:20]「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」
[12:21]悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。
         ***
[13:1]人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。
・・・(中略)・・・
[13:7]すべての人々に対して自分の義務を果たしなさい。貢を納めるべき人には貢を納め、税を納めるべき人には税を納め、恐るべき人は恐れ、敬うべき人は敬いなさい。
         ***
[13:8]互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。
[13:9]「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」、そのほかどんな掟があっても、「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます。
[13:10]愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 要点を整理してみます。
1.《この世に倣うな》
2.《日々わたしは変えられる》(努力しないことを意味しない)
3.《何が善いことで 神に喜ばれるか》 分からない。
4.それは 主観のうちにとどまる。
5.ただし 主観として確信を持つことはある。
6.つまり《わきまえるようになりなさい》と言うからには 経験合理性にもとづく妥当性を判断基準にしうる。
7.この主観に互いに差異がある。
8.その差異は 相対性のもとにあるのだから そして《[12:18]できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。》というからには この差異を互いに認容することが望ましい。
9.言いかえると 批評・批判も自由である。認容するゆえ 妥当性に欠ける部分について 同じく自由に批判しあう。
10.《批判する》ことと《権威に逆らう》こととは 別であろう。《実際、支配者は、善を行う者にはそうではないが、悪を行う者には恐ろしい存在です》。
11.批判し かつ 従うことは ふつうのことである。《[12:21]悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい》。 《[13:10]愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです》。
12.だからといって わたしたちが正しいというわけではなく この世で力があるということでもない。
13.《税を納めるべき人には税を納め》(13:7)るとき その税制のあり方について自由に批判し改革すべきは改革していこう。
14.《貢を納めるべき人には貢を納め》は 昔の話しだと言えるようにしよう。
15.《恐るべき人は恐れ、敬うべき人は敬》うのは 《何が善いことで 神に喜ばれるか また完全なことであるかをわきまえ》て行動してまいりましょう。
〔16.奴隷制は 過去の遺物であるとしましょう。それが分からない形でたとえに出すのは よくないと思います。〕
〔17.《カエサルのものはカエサルへ 神のものは神へ》(ローマ20:25)は 15項までに含まれていると考えます。カエサル論が おもな議題でしたが。〕
〔18.表現の中において 今では過去のものとなったというその内容をどうしようもなく引きずる古代人であるという部分は 考え直していってよいと思います。〕
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この回答へのお礼

 なるほど、パウロも間違いなく「影響を受けている」わけですね。
以下なんとなく感じたことを・・・。

>11.批判し かつ 従うことは ふつうのことである。《[12:21]悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい》。 《[13:10]愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです》。

 聖句を読んだだけでこういう解釈をするに至るのは私にとって非常に難しく感じます。しかし、こう解釈するのが健全そうですね。

>[12:14]あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。

 kigurumiさんをサタン呼ばわりした方々に呼んでいただきたい聖句ですね。

>[12:18]できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。
[12:19]愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。
[12:20]「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」

 キリスト教徒が大多数を占めているとされる国家がこういったことを実践してきたならば、世界(この世)はもっとよい方向へ・・・と考えるのは私の主観ということでしょうか・・・。
 でも、公民権運動やインド独立なんかはスピリチュアルに「燃える炭火を頭に積んだ」結果ですよね?ただ、最近実際に燃える炭火を積んでいる「クリスチャン」が多いような気がするのは私だけでしょうか?某国に対して、kigurumiさんに対してしたように・・・。

「悪魔も聖句を引く」ということわざがあるようですが、「クリスチャン」こそがこの「悪魔」になっているような気がしてなりません。

お礼日時:2008/03/06 00:41

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