見学に行くとしたら【天国】と【地獄】どっち?

2週間ほど前から、ふとした拍子から過去の不安な記憶が雑念として湧いてくるようになりました。始めは他の事に集中してると気にならなくなってたのが徐々にコントロールできなくなり、最近では一度起こり始めると雑念に捉われ他の事に集中することが困難になっています。
捉われ始めると気持ちがそわそわして落ち着かず不安にかられる状態が続くのが苦痛です。

昨日までは単なる雑念で神経質になってるだけだと思いましたが
もしかしたらこの症状は強迫性障害に近いものなのでしょうか。
(手を何回も洗わないと気がすまないといった症状は全くありません)

A 回答 (5件)

私は強迫性障害で質問者様と同じく「雑念恐怖」です。


しかし私の場合「不安に襲われた時に頭に浮かんできた事が本当になってしまう」と強く不安が込み上げ頭に浮かんだ事が本当にならない様に「おまじない」みたいな事をしなくては安心しません。その「おまじない」は「やりたくなくてもやらなくてはいけない」と強く迫られます。質問者様はこの「おまじない」を迫られますか?質問内容を見ていると私は質問者様のこの先が少し心配です。強迫性障害は脳の機能障害であり「神経症」ではないと立証されています。が、神経質な人は強迫性障害になりやすいそうです。私もかなりの神経質でした。ちなみに私もデプロメールを飲んでいますが効きません。色々、有効な薬がありますが人によって効く薬と効かない薬があります。日本ではここ10年位で日本の精神科医に認知され始めた為、詳しくない医師もいます。ネットで「強迫性障害」を含んだ文字で医者を探し、専門の先生に診ていただければ「強迫性障害」か違うかわかると思います。
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神経症を卒業した者です。

その経験から、今の貴方にお話をします。貴方の今の状態は、不安を感じていて、それを「違和感」として、心に感じてはならないものとして、処理しようとしています。その事に精神を集中させて「意識」上に挙げて「大問題」として取り扱っています。

問題は「意識」上に挙げて、殊更、問題にしている事が「本当の問題」です。「心の停滞」している事が「問題」なのです。「心の停滞」が「不安」です。貴方はしてはいけないことをしています。或いはしても「出来ない」事をしています。心に対しての無知からかと思います。

心は本来、本人の意思では自由にならないものです。心は本人の意思で「今日は、安心して生きよう」と思っても、本人の意思とは違う、環境に反応するように出来ているからです。本人の意思とは違う「環境」に左右されているものです。

今まで、気にならなかったのは「無意識」下で「不安」の処理が出来ていました。たまたま「何か」を意識しただけです。その「意識」したものが「対人」の時は「対人恐怖」と言う事になります。元から「意識性」が強い事もあったかと思います。

それで、貴方の考え方の事ですが、「不安」の時にどうするか?と言う事を言います。「不安の時は不安」だけという生き方にして下さい。「不安」はどうしようもない事と諦める事です。「不安」をことさら、加工しようとしない事です。「不安」を悪いものとして心から追い出そう、とする時には「元は小さな不安」だったものが「大きな不安」に変わります。それでもまだ追い出したいと思えば「もっと大きくなって、今度は、パニック、或いは恐怖」に近くなります。パニック障害という「症状」に固定されてしまいます。不安は雑念として処理する事です。

雑念は自然と湧いてきて、間もなく、自然と解消されてゆきます。心の本質を知って対処していかないと「苦しみ」が多くなります。「意識の固着」が「人間苦」というものです。意識している間中が苦しいという想いが「一切皆苦」という世界です。それの反対の言葉があります「平常心是道」という言葉ですが、常に流れている心と言ってもいいかと思います。キリスト教では幼子が天国に一番近い、と言う事です。仏教では、子供の心で、と言うことです。

ものを、二つにして見ないと言うことです。良いものと、悪いものと。心で分別するな、と言う事です。良い感情だけ肯定して、悪い感情のみ要らない、その事が分からないと、貴方はその「意識性」から卒業できないかもしれません。不安だけは受け取れない。安心だけ受け取りたい。そういう、貴方の分別心が貴方の「不安」という「妄想」を大きくしています。
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この回答へのお礼

大変遅くなりましたが、ご回答いただきありがたく思います。
これを読んだ時に本質をつかれたような気がしつつも、
不安から逃げまわってますます執着を強め問題を意識化
してしまいました。
今までの一日の大半をびくびくしながら消極的に生きてし
まいました。
しかし、ここにきていい加減もう疲れたというか延々と際限
がないなと思いはじめるに至りました。
やはり何回も記憶が気になってしまうのは受け入れられないせい
だと思います。
不安から逃げるとますますとらわれてしまうので、不安が浮かん
でもそのままに放っておくことをこれからしていこうと思います。

出口を教示くださって非常に感謝しています。

お礼日時:2008/03/15 00:09

強迫性障害は、「強迫観念」というある特定の「観念」(考え・思考)が


思い浮かんで頭から離れなくなり、その観念にとらわれ過ぎて
日常生活が普通におくれなくなる状態です。
観念は記憶とはちょっと違います。「家の物が盗まれたらどうしよう」
「菌に汚染されて病気になったらどうしよう」といった思考です。

もしかして、こちらの「フラッシュバック」のほうが近いのでは
ありませんか? 過去の記憶の中でも、自分が特に忘れたいと
強く願うほどのようなもの、思い出したくないようなつらい記憶、
こころが傷ついたものではありませんか?
治療法は下記のとおりです。精神科でお悩みを聴いてもらうほか、
薬を飲んで苦痛を減らしている間に記憶を受け止め直す努力をしたり、
受け止め直す努力の手助けとして、カウンセリングや何らかの
心理療法を受けるといった感じですね。カウンセリングも行うと
称している心療内科・精神科がいいかもしれません。

http://profile.allabout.co.jp/ask/qa_detail.php/ …
http://www8.plala.or.jp/sea-la/tower/didfile/pts …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。返事が遅くなり申し訳ありません。
仰るように強迫観念とはちがうようです。
PTSDほどではないにせよ、今は一日の大半をその記憶に
とらわれて200回ほど思い出してしまいます。
やはり、カウンセリングを受けようかとおもいます。
どうもありがとうございます。

お礼日時:2008/03/14 23:10

>他の事に集中することが困難になっています


そわそわして落ち着かず不安にかられる状態が続くのが苦痛

どの程度困難になるか、どのくらいの時間続くのか、その程度が重要です。誰でもいやなことを思い出すとイライラします。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
遅い返事となり申し訳ありません(この期間もずっととらわれている
状態でした)。
今は恐怖の記憶に自ら執着してしまい、思い出す度に恐怖を
感じます。常にその記憶が気になり一日のほぼ大半をその記憶を
考えてしまったり、記憶をいつ自分が考えてしまうかと予期不安に
なっている状態です。
苦痛なら考えなければいいではないか、一度思えば何回も
おもう必要はないではないか、とも思うのですが、完璧主義な
性格のせいか、考えなくても気持ち悪いというかきっちりしないと
気がすまない性格で、自分にとって嫌な記憶があってしかも考える
気になればいくらでも考えられるという状況自体が脅威に思います。

嫌な記憶があるということ自体を認められずに、何とかそのことを
イメージして慣れて乗り越えて不快を感じないようにしたいと何回も
反芻してしまうのかもしれません。

どうにかしてこの記憶を無毒化しようと躍起になるのがそもそもの
誤りで、ますますその記憶とそれへの関心が強化されているような
気がします。(現在は学生なので一日中暇なのでそのことを考えられる
環境にあります)

重ねてですが、ご回答いただきありがとうございました。

お礼日時:2008/03/14 23:30

年齢、性別、よくそういう状態になる所(専業主婦で家庭とか、サラリーマンの職場など)がもう少し具体的にかいてあれば、わかりよいです。


強迫性障害か?と一言にいわれても、3行ほどの文章では判断できません。

30代~50代にかけて(男女関係なく)更年期障害も殆んどの人が経験します。もし、心配なら、症状を説明して、薬をだしてもらうか(安定剤)クリニックみたいな所で判定などしてもらうのはいかかがでしょ
うか。
強迫性障害とはいっても、症状で判断するものではなく、ある程度の検査やクリニックなどでのカウンセリング・アドバイスなどと、薬をだされたり(単なる一般的な安定剤など)が多いと思います。

多分、先に書かれたようなことを、はっきり覚えていらっしゃるのなら、あまり問題はないと思いますよ。無意識(認識なく)で、後から気づいたら・・などが、少し注意する対象になるようなものです。

あなたが、これだけ自分の行動に違和感をいだき、強迫性障害か?と心配するような心の持ち主であれば、多分大丈夫でしょう。
よく言う「神経質になりすぎ」いではと思います。

はっきり、過呼吸困難症でもおこれば、はっきりすると思うのですが、私も経験が無いので○×はっきりとお答えできなくてすみません。

>(手を何回も洗わないと)~などとよく説明に載っているのは100あるうちの、ほんの一例ですよ。一番わかりやすい、有名な書き方ですけど、手を何回も洗わないと気がすまない人が必ず強迫性障害だといえないのと、おなじようなものでしょうから。

このような状態はよくあることなので、よく判る専門の方に相談に行き、教えてもらう事がよいのではないでしょうか。自己判断では、誤って自分自身を「絶対強迫性障害なんだ!」と強く思い込ませるような(偽装)にもなりかねますので、早めの専門家への相談をお奨めします。

 

参考URL:http://utsu.jp/10e.html
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この回答へのお礼

長文での回答ありがとうございました。
返事が遅くなり申し訳ありません。

質問投稿後にデプロメールを処方されましたが効き目がないので
強迫性障害とはどうやら違うように思います。

嫌な記憶を持ったまま生きていくことを受け入れらないために
このような状態に陥ってしまったのかもしれません。
PTSDのようなレベルの恐怖ではなく、記憶も自発的に
反芻しているので病気とはいえないかもしれません。

ただ、従来から神経症に近い性格であるとは自覚しています。
現在は20代前半ですが受験期の頃に教科書を完璧に理解しようと
執着するあまり、活字をリラックスして読むことができずに
苦しい思いをしたこともありました。

不快な記憶を排除して完璧に思い出すことなく、完全なる安心を
手にしたいという思いが禍根なのかもしれません。

お礼日時:2008/03/14 23:55

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