プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

僕は自分自身に憤りを感じています。
自分に何一つとして自信がありません。生きる勇気と死ぬ覚悟がありません。2~3年の欝病や自律神経を患ったりするほど心は強くないです。
自分の目標・目的などほとんどないですが、強いていれば何か創る仕事に携わりたいです。

かつて受験の時に誰よりも一心不乱に頑張って第一志望校に合格し、
今も己の夢を追っている彼が死ぬほどうらやましく、自分も強くなりたいのだけはあります。僕も彼も美術系で、社会でも生きていく度胸がありました。
彼はリーダーシップもあり、カリスマ的に輝いていました。
僕はここ4年、一つしか成功体験がありません。
目標なしだけど死ぬほど頑張り、かっこよくなりたいです。

ただ今は、バイトするにしろ学業にしろ、自分の一挙一動が怖く、人とコミュニケーションを諮ることも怖く、
怯えて自分の殻に引きこもったり無気力状態で空気になったりします。
行動がものすごく空回りしたり(;ある企画の班長をなのりでたが、自分の発言も行動もみんなの蚊帳の外状態になっている しかも2度目)、
とにかく集団での行動に上げ足をとります。

ホントはこんなことになりたくないです。
死ぬほど凛々しく自信満々になんでもかんでもやりたいです。彼みたくなりたいです、このままでは年を取る一方です。
今僕を動かす原動力は、なにもしないまま死ぬ恐怖です。
でも、ここまで苦しくもがくことになるとは思っていませんでした。

僕は彼にあこがれています。熱く強靭な人間になりたいです。
その為にも、キャリアデザインは五里霧中ですが、
今、集団行動で前に立つ人間になる修練を行っています。
でも、2度目の班長を名乗りでてもうまく波に乗れません。
まだこの手の企画は大学で行っていますが、僕はもう一度それをやるべきでしょうか?

僕自身はやりたいです。班長としてやりたいです。
しかし、行動も責任感も空回り集中力も欠け揚げ足を取る僕がそういう目標を立てたら、
みなさんはどう思いますか。個人では済まされない部分が非常に重いのであえて質問しました。
踏まえて回答お願いします。

A 回答 (9件)

こんばんは。

この班長って仕事ですか?大学ですか?それもよく分からない文章を書かれている事自体班長の素質低そうって感じますが(キツい言い方ですみません)
まずその魅力的で憧れている彼の行動をよく観察されたらいかがですか?その人は能力も高いでしょうけど、人のためになるような事をしているのではないですか?自分の事ばかりを考えて行動されていないと思います。
反対にこの文章を見ると、周りのことはともかくご自分の事しかかかれてないように感じます。自分の事しか考えない人に周りの人はついてこないと思います。まずは班長にならなくてもその場でしっかり意見を言えたり行動できたり周りにとけ込めるように努力なさってはいかがでしょうか?
それから笑いのつっこみならともかく人の揚げ足をとる人なんて、うっとうしいです。短所も長所になるとは言いますが、これは欠点と言えるでしょう。それを治さない限りはリーダーシップはとれないと思います。
リーダーになる人の素質とはまず批判しない、意見はきちんと聞く、理解する、違う意見はみんなが納得いくような結論が出るよう調整する、ことが大事だと思います。
まずは自分自分、のご自身から見つめ直された方がよいと思います。
全体的に厳しい意見になって申し訳ありません。ただそこが一番重要な部分でそこを乗り越えれば少しずつうまくいくのではないかと思います。

この回答への補足

文章が長くなってしまったので二つに分けます。



厳しいお言葉ありがとうございます。
まさにその通りで、体裁も問わずあとは野となれ山となれ状態で打ちまくった文章です。
感情に任せて打っていました。あなたの回答をもらってやっと自分が何を打ったのか読み直しました。
非常に恥ずかしいです。

この企画は大学と市で運営され、僕は運営もとの制作専攻の大学生です(何の制作専攻かは身元が明かされる可能性があるので言えません)。
企画は市の観光名所の夜間公開で、8~10人で3グループを組み、当日の運営及び野山の自然の材料のみを元に照明や一つのオブジェを制作するです。
班とはその中の1班です。





その彼は将来日本を代表する現代平面作家になる目標を持ち、
その為に大学でのコネクション、バイヤーが求める次世代作品とは何かの模索、30?代には結婚等、
少なくとも大学教授になるところまでのキャリアデザインを既にもっていましいた。
事細かに説明してくれた人生プランとそのための怒涛の努力が、たとえ不安が襲ってきても上り続けられる螺旋階段のようでした。
生きていく過程での明確なビジョンを持っていました。
彼が直接人をまとめあげる機会は特にありませんでした。
が、
予備校のクラスのみんなと時に肩を組み、時に非常に厳しい苦言も吐き、互いの受験絵画を涙ありの喧嘩をしながら批評しあい、
同じクラスの受験生の為にも意気を上げる努力をしていた精神的リーダーでした。
この年のクラスの進学成績は他クラスより成績がよく、その結果で見ても人のためになっていたと思います。受験を団体行動として意識できた視野の広さに圧巻しました。
確か、「みんなが良くなれば、俺も良くなる」と言ってました。

対照的に、僕は人を見ているようで見ていなかったんだと思います。
だから半疎外感に溢れました。
一番悪かったことは、「あ、自分外れてる」と思ったところで話に溶け込む努力をしなかったことです。
それなしで「何とかまとめあげなければ!」と考えて発言や行動を起こし、空回りしました。
これこそ自分と仲間とのズレの始まりだったと思います。
かわりに他の仲間が班を取り仕切ってくれました。



グループの一員としての、そしてリーダーとしての今考えられる改善策です。

・僕は話を聞く力が弱い。しかし出来るだけ一回で意見を聞けるように集中し、解らなければ理解するまで尋ねる。それこそ嫌がられるけどそれでも理解する努力をする。
 理解するのに必要な行動は怖気づかない。解らないまま進めることのほうが危険と今回わかったからです。

・納得いく結論をだすまでには、自分の意見を主張しすぎて相手の意見を批判的に捉えないようにする。
 自他問わずあくまで一意見は一意見であることを自覚する。
 目的は「俺のプラン」ではなく、あくまで自分もみんなも納得できる結論にたどりつくことである。

・何をするか、何が必要かを慎重に噛み砕き、みんなが同じ目的で落ち着いたところで初めて行動する。

・そしてある程度の理解が、臨機応変の決めるのが難しい選択肢や五里霧中のこの先の行動決めにも裏付けられる自信と指針になり、(やはりある程度)挑める。

・重要事項とその日の行動はメモしてストックし、一日の終わりに整理する。
 そこから生まれた結論、あるいは結論にたどりつかない現状をしっかりもみほぐし、そしてもう一度みんなに伝達する。



……しかし、特に良い実行を取れたわけではないので、まだまだ机上の空論のように思えます。
もう一度、死ぬ気で人の話を理解できるように努めます。
意見を言う力は少しはついたけど、周りが見えていないせいでその力はまったく生きてません。
今回の企画は経験にはなったけれど、全くスキルにはなっていません。達成感はとくにありませんでした。

補足日時:2008/03/15 17:50
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この回答へのお礼

このズレ自体は、特にオブジェ制作で生まれました。



企画・制作系の大学に所属し、僕も制作するもののポリシーを持つ以上、自分の意図をオブジェに盛り込むことだけは誰に言われようとも曲げれない必須条項です。
それを踏まえての考えです。
そういう思いは企画を立ち上げた段階で、その意図を徹夜してでも練るに練ってオブジェの原案に叩きつけ、次の集会でプレゼンテーションを行い、
周りの意見を聞いて、納得いくまで修正と調整をかけるべきでした。
もし他の人の原案の方が日程と魅力で帳尻が合うのなら、それを認め、それこそいちメンバーとしてどこが良くてどこが嫌か中途半端な合点に落ちないように意見し合いながら調整するべきでした。

何より周りのみんなも同じ“作る人”であり、「みんなよりも作る人としての自覚はあるんだ!」とひどく自惚れていました。
他の人の原案が採用されても作った人には僕もいて、みんながいます。作者は自分も含めた班の全員です。
意気込はあってもよいけど、そんなことも分からず終始一人で作っている感じのままで、全く愚かなことをしました。
「みんなで作る」はこの企画自体の目的の一つでもあり、それをわかっているようでわかっていませんでした。
「僕も作者の一人です」と、言えるようにならなければなりませんでした。
最悪のミスの一つでした。

結局は駄々をこね、制作者としての立場と、リーダーとしての立場を何も考えずに一緒にしてしまいました。

お礼日時:2008/03/15 18:10

質問者様が客観的に彼なる人物に憧れるのは分かります。

それはそれで良いでしょう。しかし彼は本当にカリスマ性があり、自信があり、リーダーシップがあり輝いているのでしょうか。
人間誰しも失敗が付き物です。それを成功に結びつけるために大変な努力を影でしているのです。本当の天才は稀であり、大体の人が影での努力を怠りません。そして成功と言うものを掴むのです。
一握りの人がそれを成し遂げるのには努力、集中力、運(運も実力のうちと言います)が必要なのです。彼もそこまで行くには相当の失敗から教訓を学び努力したことでしょう。
班長は人から慕われた結果としてなれるものです。時期を間違わないように。焦りは禁物です。

集中力が欠けて焦りがある、客観的にしか他人を見れないようではリーダー力が低いと思われます。もし上に立てば誰も自分の言うことを聞いてくれない可能性もあります。
焦らずに人を観察する観察眼を養ってください。人を束ねるには人の心を良く読むことです。(社会人になっても同じことが言えます)
これなくしては行動を起こしても賛同する人が少なく、リーダーシップを取れません。まずは苦手とするコミュニケーション能力をあげることから始めてください。集中力を持って人の話を聞き誠心誠意応えることから人は集まってくるのではないでしょうか。全てはそれからです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
思わず「ああ、」うなずきました。
彼は、努力の天才です。
カリスマ性についてはguguku2さんへの回答と、1年中高いレベルで持続できた集中力とメンタルから来ます。
もう中学の内から目標に向けて走り続けたと聞きます。
一つの場所へ向けて努力の積み重ねをしていただけなのに、
何故こんなことに気付かないんだと思ったからです。
落ちた大学もありましたが、第一志望には受かりました。運もちゃんと味方していました。

失敗はあったと思います。現役時代の成績は中~下位ラインを泳いでいたようです。この経験も間違いなく糧となったでしょう。
目の前での失敗もありましたが、常にひとつひとつに全力を注ぐ(それができるように関係ないことはバッサリ捨てる)姿勢が功も人徳も生みました。



企画に応募した目的は、
(1)社会で生きていける能力を持つ。
(2)今後は、集団を使わなければ決してできない制作活動も考えている。
 その為の人を使うスキルを身につけよう。
(3)この先の人生にはやりたくなくてもやらなければならないことも出てくる、それに対応できる力をつける。
(4)なんでもいいから自信をつけたい。
です。



正直ものすごく焦っています。人生怖いからです。目標がないからです。
勝手に焦り疲れている感じもあります。
集中力の欠如はここに起因しているかもしれません。

時期もそうですがこのままでは生きていく力がありません。
以前は何もやらなかった時期もありました。
去年は一年間誰一人として交流を断ち、今回でコミュニケーション能力がひどく欠如してるのもわかりました。
なんとか現状回復とスキルアップを計り、あえて一番負荷のかかるポションに挑みました。

焦りつつも、自分のいけないところが表れてきました。
hirarno36さんに関わらず、皆さんのキーワードとして「コミュニケーション能力」があります。
まずはもっと全身全霊を込め人の話を聞き、理解し、その上でより良い状態にするために意見を出せるよう人と交わります。
あと、期間内に目的地に着くために時間の意識も加えます。
リーダーになってもならなくても、人としてこれらを強く意識します。



誠心誠意。僕には心も意も抜けたまま我田引水を振る舞っていました。
ものすごく遠い言葉のように聞こえてしまったのが、今の僕です。

お礼日時:2008/03/15 20:29

 キャリアデザインを目標に、頑張っておられることは、すばらしいことですね。

その目標をどくに置かれるのか、また、その達成への過程と許容力は、生き方や人とのまじわりの過程で、何をどのように吸収して、自分のものにして、創造力を発揮しつづけられるかでは。目標とする人の存在は大切かも分かりませんが、競争する必要はないのでは。それぞれの道を歩むことが、とても大切なのでは。
 人には、万事に要領のよい早成型と多くの経験の後に自己表現をする晩成型の人が存在します。どちらがどうと比較の問題ではなくて、活動期の終点の段階までに、どんな目標を持ち続け、どれだけ多くの人と出会い、学び取り、信頼を受けた量の多さによって、真価は決まってくるものかも。まわりの人を大切にされて、多くのヒントを吸収され、師と仰げる人物と出会われることを祈念いたします。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
キャリアデザインはそうとう薄いですけど、そう言ってもらえてうれしいです。



競争しようとは思いません。
彼は彼で、僕は僕でなければなりません。でもときどき、彼そのものになろうとしている自分に気が付きます。

吸収ですが、
自分の吸収には極めて疑問を持ち続けています。
順調に事がすすんでも、ちらりと「これは自分には意味があるのか……?」と不安が襲います。
自分で打っててなんとくだらない不安なんだ、と思います。
今日までの焦りながらの行動が変に体に染みつき、自分の行動に定めが付きにくくなっているからです。
前述したとおり、成功体験をここ数年、生活レベルですらほとんど消失しました。
上手くいっても自分で勝手にブレーキをかける癖がついてしまいました。
成長することになんでこうも恐れてしまうんだ、勇気は必要なんだろうと泣きたいくらいひしひしと感じます。
このブレーキで、一度は師と仰ぎたい人の心を裏切ってしまいました。あれほど悔しいことはありません。

目標への達成の過程は、どうも3歩進んで2歩下がる状態です。
恐れず頑張れる人間になるならば、やはり一つ、まっすぐ極めてみれば何かわかる気がします。
その地道でしぶとい積み重ねは彼だけでなく、幾多の人々が行ってきたことでもあるはずなので。

僕の当面の目標は、就職です。この数年で制作や企画でどれだけ人に物事を伝えられるかを基に、それを根っこに少し頑張ってみます。
吸収も、そのためならば少しは怖くはなくなってほしいです。
伝達のスタイルを作り、それを認めてもらうように、試行錯誤を積み重ねば、必ず転機は来ると信じます。

僕自身の制作のコンセプトにコミュニケーションがあったので、今回そのコミュニケーションを損ねたことは大きなミスです。
人のことを想っていませんでした。

企画自体はまたあります。こちらも積み重ねを行うつもりで、もう一度、コミュニケーションを意識して臨みます。

お礼日時:2008/03/15 21:55

リーダーシップも、ひとつのタイプだけじゃありません。

その彼がカッコよくみえたって、それをシュミレーションして組み立てて真似ようっていうんじゃ、見る人から見れば余計にカッコ悪いですよ。あなたのライバルを直接知らなくても、わかる人にはわかりますから。素でやってるのと、巧妙だが偽者の間には、結構差があって、例えば女性の勘のような「何かが不自然だな?ああ、きっとマネだからだ」という風に。

リーダーシップの形もさまざまと書きましたが、いくら発言が雄雄しく聞こえても、人に対する尊敬や優しさのない人と、そういうものを持った上での強さもまた、わかる人には差がわかり、求心力の差になります。私も、質問者さんの質問文がわかりにくいほうだと思うし、頭がいいかどうかは別として、コミュニケーションは苦手そうだなとわかります。

多くの人を動かせる人って、実はかなり腰が低く、心の中では上から目線どころか「下から目線」であることが多いです。夫は学生時代も社会人になっても「リーダー」「長」とつくものに推されることが多い人ですが、キャラは非常に温和です。

つきあいの初期のころ、どこで食事しても、食べあとが非常にきれいで、最低限のマナーの粋を超えて、なにか特別に心遣いがあるように感じられたので聞いてみました。私「そこまでは普通綺麗にしないよね。」夫「そうかな?でも片付ける人だってより綺麗なほうがうれしいでしょ」 私「仕事の人なんていちいち見ないでしょ」 夫「そうかもしれない。でも偶然気づく人もいる、かもしれないでしょ。いいの、それで。自分のためなんだよ^^」 この件だけではないのだけど、人が見ていようが見ていまいが、自然に周りの人に有形無形の気配りをできて、それでいてぜんぜん人に恩着せがましくないところが、「人間の大きな人だなーっ」と感心しました。

質問者さんは人とのコミュニケーションも怖いとか仰ってますよね。人の上に立てる人って、何気ない会話でもガッシリ人の心を掴めることが多いです。壇上に上がったときにカッコつけるのなんて、わかりやすくて二流三流の人でも思いつくことですが(その差が余計にカッコ悪い)、一般人に「この人になら着いて行きたい!」と思わせる人は、普段の言動から格が違います。

コピー取りの人が、何かちょっとした気遣いで、工夫してくれたとしますよね。綴じ方でも、なんでもいい。そういう時サラッと「ありがとう。こんな風に気が利くから、君と仕事組むと、楽なんだよなぁ^^ みんな見て?頭のいいやり方だよね」と相手に花を持たせてあげられる人、とかもそうですよね。「俺様はこんな偉い」というパフォーマンスに熱中してる社長より、「僕はこんな優秀な社員に囲まれて、楽ばっかりさせてもらって、どうしよう?ってくらいだよ」ってサラリと言える社長の下で働きたいものです。自分が下手に出ても、中身は口でいうよりずっと上のことをやってれば、人は「あの人は度量が小さいから下手に出るのではない。あまりにも度量が大きいからこそ、さらりと下手に出られるんだ」とわかるので、余計に尊敬して、決して軽んじられることはありません。

でも人の心がわからない人は「なんだ、腰が低いじゃないか。社長の癖にスケール小さいな(笑)カッコ悪ぃ」とピントがズレて気がつけません。

質問者さんの文章で一番強く感じたのは「僕は、僕は、僕は!」という自意識過剰さです。どんなに派手なパフォーマンスをして、どんなに斬新な提案をしても、視点が自己中というか、ナルシストだから(辛口失礼)、多分人の心を動かせないんだと思いますよ。

きっと質問者さんだと、仮に一時的にうまく仕事が運んでも「人にこんな指示をできた自分」「人を引っ張ってる自分」「人をほめてうまくのせた自分」など、何でも自分のことと結びつけてしまう癖が、表情や言葉や声に出てしまい、どこかが本物と違うはずです。
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この回答へのお礼

辛口結構です、旦那さんの貴重な情報を元にしたご回答ありがとうございました。



あの強さを手に入れたかったのに、猿真似に終わり途方に暮れています。
強さの中にあった人との関わりを見出せず、
ただとにかく周りを見ず、見ようともしませんでした。

旦那さんの 自分のため がみんなの為になるという行動自体、彼の行動と酷似しています。
性格はおそらく180°逆で、彼は「オレ、オレ」してました。でも彼も人間が大きかったです。
性格が違うのにこの共通項には驚きました。

僕が意見を言ったことも、みんなの為と思ったことも、
周りからすればただのパフォーマンスだったことでしょう。
発言するに至っては(いったいみんな何考えてるんだ……)といちいち考えていましたし。

僕の中身は、随分努力不足でした。完全にお客様でした。
なぜこうなったか学ぼうともせず意思疎通できてないので行動も空回りし、できる事は無くなり度量は小さいままでした。
それなのに「みんなよく動くなー」「考えが追い付かない」。
もっと仲間の心を理解し、その為に動くべきでした。
コピー取りとのやりとりを見て、今思えばこういうことは確かにありました。しかし、ロクに感動しませんでした。
腰どころか気持ちすらすっごく小さかったです。

>どんなに派手なパフォーマンスをして、どんなに斬新な提案をしても、視点が自己中というか、ナルシストだから(辛口失礼)、多分人の心を動かせないんだと思いますよ。
そうとしか言いようがないです。視野は狭いと思います。
ちなみにこの「僕は、僕は」は自覚して使います。
よく「あなたは何がしたいのかまったくわからない」「いくらなんでも自分がなさ過ぎ」と
たびたび言われ続けました。それは今回の企画を含めて毎回言われます。
なんとか、皆とどう行動するか、先の見えない自身ゼロの決断力でも自分の意思を注入するために、おまじないのように主語に繰り返しました。
このことは仕事以外に日常生活的なものも含まれていますが、dorce0000さんのこのコメントと併せて、
・人の心を考える
・状況を把握する努力をする
をすれば、やはり両方ある程度は解決すると思いました。

まだディスプレイに著しただけです。
ロールプレイングしなければさらに頭でっかちなままで終わるので、もう一度反省して集団のアクションに臨みます。

お礼日時:2008/03/15 23:48

「人を動かす」=「人の心を動かす」



「北風と太陽」の童話の「太陽」

このヒントで解るなら、リーダーの資質を持てる可能性あり。

これがピンと来ないなら、サポート役が向いている場合もある。

言葉と態度を含めた、人とのコミュニケーションを大事にしろよな。
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この回答へのお礼

なんだか美術・デザインの話のようにも聞こえて、とても考えさせられました。



日本でかつて、
「俺のエネルギーをぶつけました!!!」や「とにかくはっちゃけてみました!!!」の作品が量産された時代がありました。
結局、日本以外のほとんどの国で売れませんでした。
外国人の心に何も伝わらないし、大衆の家にもセレブや企業にも置けないビジュアルで、
完全に作者の心の中で完結してしまったからです。

対象的に売れている作品は、
世界中の誰が見ても感じるこの世の普遍的な哀愁とか、(世界中の)誰が見ても「カワイイ☆」とか「大変厳かです」とか「ええっ、ちょっと見方をかえるだけでそーなるの!?」
と思えるような作品が主流です。

前者は、人の心とついにキャッチボールできませんでした。
後者は、人と何らかのコミュニケーションを果たしています。
作者が何を伝えようとしているかがどれだけ言葉のわからない人々に共感してもらい、生きる意味を考えてもらったりもう単純に楽しんでもらったりできるか、
たった一つのアクションと同じように、たった一枚の絵でも大きな影響を与えます。



同じように、
北風は「俺の吐息でコートで今すぐ吹き飛ばす!!!」
太陽は「『旅人』は暑くてコートを脱ぐだろう だから少しづつ照らしてやろう」
北風がたとえコートを脱がしても、そこには旅人の意思が一切ありません。
太陽は、この行為で旅人がどう考えるのかを考えました。脱いだ行為は太陽も旅人も納得してのことです。



美術専攻としての私見も含めて、自分なりに解釈しました。
僕の横柄な態度はすでに企画の結果として表れています。自分の専攻に泥を塗った感じでとてもショックを受けています(acunaさんの回答の批判ではありません)。
僕の専攻に恥じないように、そして人を大切にします。
リーダー以前に、ものすごく原点を損なった感じがしてならないです。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/03/15 19:05

リーダーとなる人間に必要なものは何なのかをもっと考えた方がいいでしょう。


カリスマ性がある人。
確かにリーダーに向いているように思われます。
しかし、カリスマ性しかなく中身がない人が組織を誤った方向に導き多くの人間に大迷惑をかけた例など山のようにあります。

自信がある人間。
これも確かにリーダーに向いているようにいわれがちです。
しかし自信を持っているが根拠のない自信では意味ないです。
短期的には人を騙せてもすぐに中身のない人間とわかり切り捨てられます。
また本当の自信を持っている人間もまた危うく、自分の自信の強さから他人の意見を聞けずに独善的になり、簡単な躓きを馬鹿にしながら躓き奈落の底に落ちてしまうことは良くあります。

本当のリーダーに必要なのは周りの意見を聞き、周りの人間の苦労を知り、周りの人間の亀裂を埋め、組織がいかに円滑に動くかの手助けをすること。
組織がどの方向性に進むのかをまとめ、何かあったときの決断と責任を取ることの出来るもの。
です。

これには実はカリスマ性も自信も関係ありません。
自信がないから他人の言葉を良く聞き、さまざまな角度から物事を見て、失敗した場合の状況も考えることが出来ます。
特別なカリスマ性がないから、組織のすみまで目を行き届かせ、周りに気を使うことが出来る。
そういうこともあります。

カリスマ性しかない、自身が強すぎて周りの意見が聞けない。
このような人は組織の立ち上げや短期間の組織では確かに有能に見えますが、長く続く組織を作る。特にそのリーダーがいなくなり次のリーダーに受け継いだあとも続くような組織を作る。
これにはカリスマ性も強すぎる自信必要ないですよ。

リーダーになる人間はリーダーになる前は失敗が多い方がいいです。
その方が失敗した場合の対処もうまくなるし、失敗に対する諦めと次のアクションを早くできるし、何事も失敗することを考えて行動できます。
大事なのは今までの失敗から何を学んでいるかですよ。

最後にあこがれた人になろうとするのは辞めた方がいいです。
あこがれた人を模倣してもコピーでしかないです。
コピーはどうしてもオリジナルより劣化するものです。
それよりも自分の性格や考えにあったオリジナルを作ってください。

この回答への補足

ここで一度、全体の回答にお礼を言います。
肉厚の回答をありがとうございます。

補足日時:2008/03/14 19:42
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この回答へのお礼

リーダーのあり方、そして自身に対するひとつのあり方を回答していただき、
ありがとうございます。
やはり自分のリーダー観が少し引っかかっていました。
方向性を決めることも、リーダーとしての立派な「アシスト」ですね。
それを踏まえて僕の回答は、
・グループの一員として、仲間の為に動く
・根拠のない自信に実態を持たせる
です。
あるいは実態を持たせる行動を繰り返すことです。



>自信がないから他人の言葉を良く聞き、さまざまな角度から物事を見て、失敗した場合の状況も考えることが出来ます。
自信無しの処方で、そういう実感がありました。
自身のなさはその考察を基にした自分の考えがなかったからです。
自分でわかってないので、何を言うも不安で、橋渡しが出来ませんし、しようとも考えませんでした。
更に、自分の生き方の不安を公私混合させ、現場では自分のことしか考えてなかったこと自体、いけませんでした。

リーダーシップの話ではないのですが、リーダーにしろ生き方にしろ、自分の考えを持つことは自信を持つことの共通項でした。
自分の生き方の不安に対する処方を決めきれないもどかしさが類似したのも過言ではないです。



あこがれの人になるのではなく、
あこがれの人のように強くなり、結果を残したいです。

なぜ彼が上手くゆき、どれほどのエネルギーを結果の為に費やしたか。
よく「上手くいった人を見習え」と先輩や教師から言われました。
賛同できるし、それで上手くいったことは以前ありました。
奔走の姿勢こそ真似するべきで、しかし彼の性格・考え方まで移そうとして、過去に自分の行動が矛盾することが多々ありました。
彼に酔っているだけです。

彼は目標の為に頑張っただけで、
自分も目標の為に頑張る。

そこで目標があやふやなのが、僕が上手くいかない証拠です。
行動の矛盾は、虚実の目標に対しもがいているからです。
自分の目標があやふやならば、同じあやふやから目標を定めて辿り着いた人を研究し、己の内で消化することもできました(オリジナルの「僕」としての行動であることを意識して)。
ここに決着をつけなければ空回りはずっと続く気がしてなりません。



最後に、
リーダーとして行動している時ではなく、オリジナルを自覚する瞬間にこそ、自分の希望や欲や性格との兼ね合いをぶつけるべきでした。
見事に履き違えました。

お礼日時:2008/03/16 14:10

No,4さんが的を得た回答をしてらっしゃいますね。

常に他人より自分をよく見せたいという願望がある限り、たとえリーダーとなっても肩書きだけの存在となるでしょう。

しっかりした自我とヴィジョンを持ち、豊富な経験から先を読め、常に他人の存在を尊敬できる方こそリーダーとなる資格があると思います。

最後に…質問者さまが、各回答者さま達にお礼を返す方であれば望はありますよ!
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

向上心と、他人より自分をよく見せたい気持ちが雑ざってしまいました。
もはや仲間に、仲間の心に一切相談をしませんでした。
大きな企画は1人では決して成し遂げられません。「そんなことは当たり前じゃないか」とのほほんと当然のように考えていました。
みんなを舐めていました。

みなさんの回答にお礼を打ちながら、やはり自我はなくてはならないという気持ちがふつふつと芽生えてきました。
さっきから「彼」とばかり言っていますが、欲しいのは彼の持ってた強さです。
自我、ヴィジョンがあれば自分の行動にも生き方にも自信がつくでしょうし、みんなを不安にさせません。

学生どうしなので経験こそありませんが、今回のこの大ミスこそ僕にとっては唯一の経験です。
これこそ、僕が生かさなければならない事実として残りました。
肩書状態は今となっては痛々しい傷です。
間違いなく、次の集団行動に生かすよう努めます。気持ちの悪いまったりを締め出します。

お礼日時:2008/03/16 00:03

こんばんは。

No1のguguku2です。
No.7さんが書かれているように、ここに回答されている人は、moremottoさんが悩まれている事に対して少しでも解決になれば、と自分の時間を使い考え、回答を書いていらっしゃる方ばかりだと思います。そのような方々に、まとめてお礼を言ってしまえばいい、その考え方自体が他人の事を考えていないことのあらわれでしょう。リーダーシップ以前の問題です。もっとご自分の事を真剣にみつめなおされた方がよいと思います。
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この回答へのお礼

大変申し訳ありません。
上の補足に書かれていることはそうではなく、全体にそれぞれお礼を書いているのですがまとまりきれず時間がかかってしまっているので、
まずは一度ここで回答してくださった皆さんにお礼を言い、「少しの間だけ待ってください」と言いたかったのです。

中途半端な文章で、貴重な時間を割いてまで回答してくださった皆さんの意に反してしまい重ねて申し訳ありませんでした。

お礼日時:2008/03/15 17:05

No,7です。



ご自分を客観的にじっくりしっかり見定めてらっしゃる姿勢が素晴らしいです。No,8さんのご意見は尤もなことですが、「後でお礼をするつもりなのに!」と普通の人なら気分を害すであろう所を謙虚に受け止めてらっしゃいますね。この「謙虚」さ。大切だと思います。

失敗しない人はいません。しかしそれを後の糧にできるか否かが、その人の人生に大きく影響するでしょう。言い訳は簡単です。しかし進歩は絶たれます。

~失敗の数だけ自信がつきます~
入社した時は完全無能のヒラでした。なのでトイレ掃除や雑用、どんな仕事も率先して行いました。失敗し悩み、何度か正座の説教も受けました。数年後リーダーとなりました。以前の失敗談を話す度、周囲との緊張感(壁)がなくなり、何でも話せる環境ができあがりました。それがよかったのか業績も過去最高。

リーダーになれたのは、決して人として大きい?からではなく、失敗をバネに積み重ねた経験、積極的な行動から得た小~大まで解決できる力、そして各人の役割内容を実感し、共感できる故の信頼という絆を作ることができたからだと思います。

失敗した時は本当につらいですよね。何年経っても忘れられません。しかしそれをも笑って話せるようになればどうでしょう。きっと理想の自分に近づくことができるはずです。

最後の最後に…「感謝」の気持ちを心にいつも!
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この回答へのお礼

まさか2度も助言を頂けるとは思ってもいませんでした。ありがとうございます!

現状で僕が易々とトライアンドエラーを口にだせませんが、
糧にしなければ、そもそもコミュニケ―ションと僕自身の成長の否定をしていることになり、人も自分も信じられない人間になってしまいます。
小学校から言われた失敗の数だけの自信は、人間の成長には普遍の栄養だと思っています。
1回2回の失敗or成功で自分を決めるのではなく、作っていきたいです。
後悔ではなく、人と喜びを分かち合える人間にもなりたいです。

もう一度、挑戦してみます。

お礼日時:2008/03/16 14:34

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