性格いい人が優勝

この世には有るという事しかないのではないか。というのも何をどこまで分解しようが分解されたものが有るからである。(物質の無限)
無は考えられない。何故なら無は想定出来ない。想定されたものが有るからだ。(意識の無限)
だから、世には無限しかない。無など存在しない。

それでも、無が存在するという方、それはどういう事でしょうか?
存在しないという意見でもいいです。

A 回答 (22件中21~22件)

上手く説明できるか自信ないですが…



存在しないことを無というのだと思います。
「無の境地」を求めて坐禅など組んで瞑想しても、無に至ることはないと思います。
けれど無になろうとすることを諦め、無になることを忘れてしまった時、それはまさに無の状態なのです。
それを無と呼ぶとしても、まあそう呼んだ時点で無ではなくなりますが。
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この回答へのお礼

或ることを意識していない時、その或ることを意識するという部分が無いという事が存在するのかも知れません。
否、それは無いのではなく、意識の状態が変化した、その変化であり、意識という存在はずっと有る、そんな風にも思われます。
しかし変化する前の意識はもう無いではないか、それは部分的無というのではないのか。
存在自体の無はない、状態の無は有る、それはそうでした。
ではテーマを存在自体の無であると認識した方が良いかも知れません。
ご回答有難うございました。

お礼日時:2008/03/16 16:47

ものは考えようですね!


哲学になっちゃいますよ!!

現実的には有無は問われますが、
無はその名の通り
誰にも分からないですから
うちは肯定も否定もし難いです。
現実的には存在しないに肯定します。
うまく説明できなくてすみません。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございました。

お礼日時:2008/03/16 16:30

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