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北海道内の鉄道は今でも電化されていない区間が多く、そこには「電車」ではなく
軽油を燃料として走る「気動車」が走ります。
北海道の電化区間は、列車本数の多い繁忙区間に限られますが、なぜか
札幌-東室蘭-室蘭の区間も電化されています。
(ちなみにこの区間を走る「特急すずらん」は電車です)

室蘭は製鉄業が盛んであり港もあるので、貨物需要が高そうですが、
実際のところ、だからと言って貨物列車がそんなにたくさん走ってるわけでも無い感じです。
室蘭のようなたいした大都市でもない地方都市が、他地方よりも優先されて
電化された理由はなんでしょうか?

A 回答 (4件)

もし図書館に行くことがあり、古い時刻表を見る機会があれば読んでみて下さい。


昔は東室蘭~室蘭の列車本数が旅客列車だけで今の倍以上、3倍近くはあったのです。
室蘭から東室蘭への終列車が24時以降に設定されていた時代もあります。
函館行き「すずらん」に接続する目的でしたが、夜遅くまで飲み歩いた人も多く利用したと
考えられます。人口も今では10万人を切りましたが、昭和40年頃には16万人いたんです。
さらに空知地方から発車した石炭列車の着地で、高架桟橋まであったんです。

列車基地が室蘭駅に隣接していたから列車本数が多かったと言うのもあります。
(時間帯によっては室蘭から10分間隔で長万部・苫小牧(岩見沢)・登別行きが発車するほど)
また当時の列車で東室蘭行きは殆ど存在せず、大半が室蘭行きでした。だからこそ電化したんだと思います。

ちなみに、室蘭本線・千歳線で貨物列車で電化を活用(電気機関車牽引)の事例はありません。
計画時は貨物輸送も電化の理由でしたが、実際に近づくと札幌~室蘭(鷲別)という比較的短距離で
電気機関車をつかうのは効率が悪いと判断したのか、国鉄斜陽化の時代で電気機関車の増備は
もってのほかと判断したのか、たぶん両方ともが理由でしょう。
実際に国鉄からJRになると電気機関車はJR北海道が全て引き継ぎ、貨物をひくことは無くなりました。
ただし20年以上経った今でも札幌貨物ターミナル構内には架線が残ってます。
饋電されていることはないでしょうけど。架線が老朽化しているでしょうから、切れて感電事故となったら
大変ですからね。
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北海道民です



北海道の鉄道はもともと、内陸の石炭を港まで運び出すために
発展してきたものです。なので、幌内~小樽や、岩見沢~室蘭は
北海道でも一番早く(明治時代)から鉄道ができたところなんですよ。

それで高度成長時代に石炭を港(小樽や室蘭)まで効率よく輸送する必要があった。

ところが、その後にきた石炭の斜陽化で、電化計画も中断。沼ノ端~岩見沢などの電化が中止されたのも、炭坑地の閉山と関係があります。

北海道で現在電化されているところは主に、石炭輸送のため、重要な路線になるはずだったところです。

動力近代化計画の資料
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%95%E5%8A%9B% …
に「石炭の斜陽化」と「電化中断」のことが書いてあります。
要するに、北海道の電化は、日本国政府のかつての国策だったんですよ。
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電化されてから寂れたのです


電化されたときは北海道最大の工業地帯でした
製鉄が縮小されてから寂れたのです
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今でこそ、室蘭はかなり寂れてきていますが、電化が決定された当時は、気動車急行が多数走る、幹線の名に恥じない区間でした。

寂れているのに電化されたのではなくて、電化したのに寂れた区間と言う方が正しいような気がします。

電化後の方が輸送実績が落ちた線区と言えば、山陰本線の京都口もそうですね。ここは、電化と自動車専用道路の延長がほぼ同時期になり、電化後の方が輸送実績が少ないというまことに恥ずかしいことになりましたが、かといって電化しなければもっと落ち込んだでしょうね。

室蘭本線は、将来、函館まで電化する見込みであったのも、電化に踏み切った動機のひとつでしょう。その当時の技術では、電車と遜色のない気動車や高性能なディーゼル機関車が登場する具体的な目途がたたなかったので、青函トンネルと函館電化はセットというような構想が一般的でした。国鉄の長期計画では電化予定線区だったはずです。

磐越西線や日豊本線南部(特に南宮崎~鹿児島)などと比べれば、今の室蘭本線でも、かなり輸送実績は多いと思いますよ。
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