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立川のビラ配布事件、最高裁で有罪が確定しました。
判決が妥当かどうか個人的には、大変、迷っています。
表現の自由は当然守られなければなりません。
ただ、この事件の場合、自衛隊官舎の管理者には、立ち入りを断られています。
自衛隊官舎を狙ってビラを配布した(この狙いは悪くないと思います)したんでしょうが、たとえ自衛隊員、自衛官の家族であっても平穏な生活を犯されたくないのは当然だと思います。
この事件を個人的に考える上で、参考にしたいのでお尋ねします。
平穏に生活するということは、憲法上認められた権利と考えていいのでしょうか。
お暇なときに回答いただければ幸いです。

A 回答 (4件)

判決は妥当だと思います。



権利を振りかざすならば、相手の権利を尊重しなければならないと思う。
表現の自由という権利を振りかざすならば、平穏に暮らすという権利を尊重すべし。

管理者から配布禁止を言い渡された(平穏に暮らす権利を行使)のであれば
それを侵害しない範囲で表現の自由という権利を行使すればいい。

自分は仕事柄、商業チラシをポストに投函する事もありますが、
チラシ投函禁止と貼り紙がされている建物やポストには投函しませんし、
管理者がいる建物であれば投函して良いか確認した上で行います。
禁止とされていなくても、後刻連絡されれば回収した上で以後禁止とします。
それは、「ゴミになるから」「集合ポスト周辺に捨てられ散らかるから」
といった様な、相手(受け取る側)の意思を尊重しての事です。

今回の判例を良く読まず、ポスティング行為全てを違法と考えている人がいますが、
ポスティング行為自体に違法性は全くないと考えています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

節度あるポスティングをされている方からの回答をいただけてラッキーでした。
私はポスティングをいけないものとは思っていません。

お礼日時:2008/04/19 14:00

 互いに真正面から争うことをどこかで斥ける工夫が欲しかった。


 最高裁までいったら、判決理由の変てこなすり替えをしたって、まぁ相するより仕方ないが、憲法が予定し、保障する表現の自由の外のことだという判決をだすよりしかたないのではないかなと、存じました。
 そこまで、今の最高権力は開明はされていないし、現今の日本社会はその辺は双方の綱の引き合いなのでしょう。
 だから、地裁の判決辺りで何かうまく取り繕う仕方が、政治的になされなかったか、マスコミや世論の誘導ができなかったか。
 決して勝ち誇る段階や状況ではないことをよく知っていただろうに。
 このこと以外に何かの目的など、世論や意識の喚起など、のためならば、これから地道な、文化向上の活動をしていくより仕方ない。
 平和と民主主義、文化のために奉仕的に活動する方々のご苦労には感謝と尊敬はするが、これからが問題なのでしょうね。
 最高裁での判事さんたちの多分論議も実際はそれほど、そういう活動に反動しているのとは違うのではないかと存じます。
 結論を出さなければ成らなかったのではないですか。
 国民と国情にあまりずれのない結論を。理由のすり替えはその辺りの配慮もあると存じます。まともに出せるものではありませんから。
 今後は野の方も、官との阿吽の呼吸などではなく、いい指導の中で活動がほしいですね。どうもその辺が問題だと存じます。
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 マスメディアなどの発表や広報の手段がない、或は制限されている人の、人たちの、同じにかかわりあってもらいたい、考えてもらいたい人への呼びかけ、語りかけの手段は何があるでしょうか。


 ポスティングや街路などでのマイク。集会。そういうことは保障され、且つ、その趣旨に従って、合目的に行使される。これが健全な近代社会・国家ですよね。
 受ける側は、不快だからとか、自分と異質だからということ。胡散臭いし、体制や大勢とは違うし、批判的だから。という理由で排除するのは狭量であり、相手を激越な方に差し向ける要因と造るし、お互いにいい社会を作ろうとする立場を否定することになりますよね。
 そういうことを十分理解し、お互い不十分なもの同士が一生懸命、そりゃいろいろな要素もありますが、やっているのだという同情が欲しいですよね。
 そういうことがあって、平穏な生活がどうのこうのではないでしょうか。行使する方も十分その辺を理解し、いやだという人の耳に口を押し当ててまで、怒鳴るようなことはしないで済む、社会レベルが期待されます。
 そういう社会だという前提であれば、法律の最高権威の最高裁の今度の判決も誰も異議はないのでしょうね。
 警察や自衛隊などというのは、国の統治のための物理的機構ですから、ここが国の方針と異なる考えの人もいいですよ。とは権力維持としては無理ですから、けじめをどこでつけるか。のことではないですか。
 住民の平穏な生活の問題次元ではなく、どう忠誠にして穏健な、そしていうことに素直な警察と自衛隊であることを確保しようか、ということでしょう。市民の普通の平穏生活の問題ではないでしょう。
 もっと真正面から、最高裁もいうべきですよ。
 てんでんばらばらな警察や自衛隊では困りますから。
 そういう意味で判決の理由は屁理屈です。
 採用の方針と結果はやむをえないものです。
 国政批判の意見はそこらを掻い潜りながら、やっていく以外にないではないですか。それがどんなに美辞麗句で法律条文を作っても、反体制は許容限界があるという統治の本質でしょう。
 最高裁の論点はそこをきちんとださなければなりませんよ。
 統治とはそういうものです。住民の平穏な生活がポスティングで乱されますか。ちょいと玄関に入ってポストしてどうして平穏がみだされますか。入ってはいけない施設だと、いうべきです。そして入るべきではないのです。強制の権力の執行者の居住場所なのだから。
 と存じます。双方に論点のすり替えがあります。どちらもそうする方がいいからにすぎません。でも自衛隊の官舎でもそのくらいの自由があってほしいですね。それは理想です、すくなくても今は。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>双方に論点のすり替えがあります。

そうなんです、だから迷っています。

お礼日時:2008/04/19 14:03

以下のURLを参考にしてください。



http://www.toonippo.co.jp/shasetsu/sha2006/sha20 …

http://kitanomizu.exblog.jp/8643220/

「平穏に生活する」ということをどう定義し、境界はどこなのかは、絶対的なものがなく、判決でもゆれがみられるようです。国家権力が恣意的に解釈を押しつける(政治活動・市民活動など)ことについては、よくよくチェックし、国民のコンセンサスがえられるかどうかが、評価につながります。いいものはいい、わるいものはわるいとはっきり声をあげることが必要ですし、マスコミや政治家は権力におもねることなく正義と思える道を邁進してもらいたいと思います。

http://list.room.ne.jp/~lawtext/1946C.html
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>平穏に生活する」ということをどう定義し、境界はどこなのかは、絶対的なものがなく、

確かにそうですね、勉強になりました。

お礼日時:2008/04/19 13:58

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