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先日、2000本安打を達成した金本選手が、デイリースポーツの記念インタビューで「広島カープからFA宣言をした際、当時、阪神の監督だった星野さんからの(タイガース入りの)誘いを2回も断った」というようなことを明かしていました。阪神ファンの私としては、超ビックリ&ショックな新事実でしたが・・・金本選手が地元のカープからFA宣言して、本当に移籍したかった意中の球団はどこだったのか?・・・気になります。ご存知の方、教えてください。

A 回答 (4件)

希望球団はあくまでカープでした。


当時のカープが認めていなかった゛FA宣言し残留゛の事例をカープに作ろうと残留交渉を進めていたとき星野監督へ2回断ったのです。カープへの思いが強かったからです。甲子園の浜風はその口実に過ぎないと語っています。断った一番の理由はカープへの愛着です。
2002/11/12のFA選手公示日のあとに他球団は契約交渉に入りますが星野監督はそれまでに100回以上金本選手に電話をかけ、岡山のホテルでも二人は会っています。
もちろん星野監督は当時の山本カープ監督にはしっかり筋を通しています。
FA宣言=他球団移籍としていたカープに対しては、これが球界での暗黙でありました。
カープとのFA認識のズレと冷態度、そして星野監督の熱意が重なっての移籍です。
それ以外の球団へは選手としての評価を聞いただけで金本選手の中では殆ど選択肢になかったと思われます。
では何故気持ちが阪神へ動いたか?
決定的な理由は星野監督です。

FA公示期限前日まで金本選手は悩んでいました。夜中まで4、5時間電話で話をし星野監督は最後の説得に入ります
「俺も阪神来る時はむちゃくちゃ悩んだんや。悩んでるってことは決断できるってことやないか。今、前にでないと後で後悔する。
前に出て何かあった時の後悔はええけど後ろに退いての後悔はあかん。だから俺は前にでて阪神に来たんや。
俺とお前は黄色い糸で結ばれてるんや!
一緒にやる運命なんや!一緒にプロ野球を盛り上げよう!
力を貸してくれ!」
一度電話を切り30分後
「すみません、星野さん、宜しくお願い致します」
「よっしゃ、わかった!」
星野監督は涙声だったようです。
第1交渉日11/13(この日初めて阪神は金額を提示)を得て11/15に入団会見となりました。
いつのタイミングかは不明ですが巨人中日も獲得を目指し金額は阪神の提示額より遥か上でしたが金本選手は「移籍するなら阪神にします。」と早々に断っています。

他球団の高額な金額を知っていた星野監督は契約書を申し訳ない気持ちで出したそうです。
しかし金本選手は「監督が決めてくれたらそれでいいです」と契約書をその場で一切見ずに持ち帰り、金額の事は何も言わず11/15に第2回交渉後入団会見が行われました。
金額まで関与できない星野監督は気持ちだけで獲得をしたのですが、移籍後の金本選手の活躍を見ながら、複数年契約ゆえ年俸が上がらない事と移籍の恩から申し訳ない気持ちをずっと抱え‥2006年金本選手FA再取得時には球団へ最大限の配慮を促しました。
(以上、本人談、本人著書、記事より)

おそらく金本選手は星野監督のもとで野球をしたくなったのでしょう。阪神球団の熱意も感じたと著書には載っています。
男と男の絆には金額を超えたものがあるのでしょう。星野監督に脅かされたというのは金本選手なりのジョークです。それぐらい熱意を感じたという事で、信頼関係を築けた上での話です。

のちに星野監督はこう語っています。
「チームの勝利の為の犠牲の精神、勝利への執念、練習への取り組み、プロ意識‥金本を見れば阪神にこれまで足りなかったものは全て分かる」

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この回答へのお礼

ありがとうございます。長いこと腑に落ちない一件でしたが、おかげさまで、納得できました。「二度、断った」のは、FA宣言前のウラ交渉で・・・だったのですね。しかも、それは「阪神入り」を断ったというよりも「カープからFA宣言する」のを断っていたということだったんですね?それだったら、合点がいきます。当時のオモテ舞台では、FA宣言後、即、すんなりと阪神に入団が決まったような印象だったので、「断った」という告白が、どうも解せず「ひょっとしたら、巨人に行きたかったのでは?」なんて、邪推してしまいました。FA宣言前の交渉は違反だと思いますが、当時、暗黙の了解が成り立っていたことや、今やもう時効ということで?その告白になったのでしょう・・・か。
金本くんは、最近また「選手だけで優勝する」なんてことを言って、私の「タイガースファン心」を掻き乱していますが(笑)、これも、いつか日が経過すれば、その真意があきらかにされるのでしょう・・・ね。

お礼日時:2010/02/05 10:29

(1)甲子園球場独特の「浜風」を、金本選手は懸念しておりました。

つま り、「左打者の俺が甲子園でホームランを期待されても、難しい」と
 星野監督に陳情したのです。すると星野監督は、「近年の異常気象の 影響で、浜風は弱くなった」と言い返したそうです。もちろんこれは 星野監督発の大ウソですが、金本選手は結構本気で浜風の事が悩まし かったのではないでしょうか。
(2)金本選手は「俺は名古屋(だったと思います)より東の球団には行か ん」と、FA行使の前後の期間に明言しておりました。
(3)金本選手は意外にノミ心なところがありますから、「阪神入団はよほ ど覚悟しないと決断できないぞ」という思いがあったのかも知れませ ん。
(4)この頃、当時近鉄の中村紀洋や当時ヤクルトのペタジーニを阪神球団 が獲得を目指していたという話がありましたから、それに遠慮したと も考えられます。ちなみに金本選手入団決定時、中村の阪神獲得がま だ持ち上がっていましたので、金本選手は希望していた背番号である 5番を遠慮し、6番を選びました。(中村が近鉄で5番だったため)
 今思い出しましたが、金本選手は阪神入団記者会見の時、「僕は広島 の田舎者だけど、中村は関西のスターだから、ぜひ阪神に来てほし  い。背番号6は藤田平さんや和田豊さんの番号を受け継げて幸せで  す。」なんて事を言ってたように記憶しています。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。FA当時の金本選手が「二つ返事」で阪神入りできなかった理由は解りました。でも、現実「二回も断った」ということは、阪神入りに「二の足を踏んだ」というよりも、むしろ「阪神に入る気は無く、他の球団の誘いを待つ姿勢だった」ということじゃないですかねぇ?FA残留を認めない方針のカープからFA宣言をして、阪神の誘いを2回も断った以上、カープと阪神以外の、西側球団ならどこでもよかったということなのかな~?金本選手にとって「カープ以外、意中の球団というのは特別ない」というのが真意だったのかもしれませんね・・・。

お礼日時:2008/11/09 15:01

 カープファンの者です。



 FA宣言して、カープとのFA残留の交渉の最中ということじゃないでしょうか?FA残留の前例を作るためには金本のような実力者が他球団に移籍するぐらいの危機感がカープ球団にないと球団はその問題にまともにとりあおうとしないでしょうから、金本はFA宣言したのでしょう。
 おそらく意中の球団はカープだったのでしょう。広島出身ですしね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。カープに「FA残留の道」を開くために、あえて「FA宣言」をしたというのは解ります。「カープ残留」が金本選手の一番の希望だったというコトも解ります。ただ、FA宣言後に、阪神(星野監督)との2回の交渉を「2回とも断った」というのが、どうしても腑に落ちないのです。FA宣言後も「カープ残留」を100%信じていた・・・ということですかねぇ? 当時の金本選手は「FA宣言」した時点で既に「FA残留に応じてくれないカープとキッパリ決別した」という、私の印象でしたが・・・。

お礼日時:2008/05/15 11:01

希望球団は阪神でしたが、長年広島でプレーしたこと、出身地の球団もあって愛着が生まれた結果です。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%9C%AC% …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。カープへの愛着からFA権行使が苦渋の決断だったことは重々承知しております。・・・が、FA宣言後、星野監督からの誘いを「2回、断った」というのが「え~っ!?」なのです。希望が阪神だったのなら、何故2回も断ったのでしょうか? 阪神以外の球団から(阪神以上の)好条件を提示されていたそうですが、その「好条件提示の球団(=意中の球団?)」に行きたかったけど、星野さんに「脅迫されて・・・」ということでしょうか? その「脅迫されて・・・」というのが金本ジョークなのは解ってますけど・・・「実は、2回、断った」という、あの最近のインタビューでの告白は、私には作り事と思えないのですが・・・。

お礼日時:2008/05/14 19:28

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