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1 手元の新約聖書は「マタイによる福音書」に始まって「ヨハネの黙示録」で終わっています。多分、世界共通なのだと推測しますが、この配列順は何を意味していますか。
2 最初に成立したのは何で、何時頃のことですか。
3 「福音書」と「手紙」はどう違いますか。

よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

まずイエスの生涯のお話(福音書)


次にイエス死後の初期教会の対応の歴史(使徒言行録)
そしてその初期教会の重要人物による手紙類
最後に一風変わった黙示録
この順番は必然というか当然だろうと思います。
詳しくはウィキペディアで、、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%B4%84% …

ただし、マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの福音書の順番の意味は意図的だと言われることがあります。前者3つ、つまり共観福音書について、同じ内容なのですが、しいていえば、
まず、成立年代が一番古く、簡潔に書かいてあるので、マルコを一番にすえるのが客観的にいいのではと思うのですが、実際はマタイが一番です。それは、マルコだと、使徒ペトロの告白的なところがあり(名前の由来はペトロの弟子マルコ)、当時の疑問的、批判的そして恥ずべき部分が書いてあります。それに比べマタイは旧約聖書を読んだ人への続編として、宗教的で情緒的です。ですからこのマタイを読んだ後、マルコを読めばマタイを読んだあとの思考のフィルターを通して読むことになるので、批判的部分はすんなりスルーすることになります。そして思考を理論的に書かれたルカで補強する。
スルーさせて、初めて読んだ人に変な疑心を抱かせないわけです。
こう言われることがあります。ただしかなり微妙だと思います。
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この回答へのお礼

成立順ならば「マタイによる福音書」と「マルコによる福音書」が逆転しているほうが自然に思えて質問しました。一つの説として「マルコ」を先頭にすると、不都合が懸念されるのが分かりました。この点を含めて、全ての疑問が解けました。
有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。1日(日)までは締め切らないでおきます。

お礼日時:2008/05/31 07:20

2ですが、何百とあった話の中から、真実は4つだけ としたのが、テルトゥリアヌス、エイレナイオス、エウセピオス。



彼らが聖書の編集者だったんですね。

キリスト教は多様性を極め、自分達の話こそ正しいと、今とは比べ物にならないほど、多種多様な話があり、分裂していたんです。

それでは、エイレナイオスなど、4つの話しですべてが説明つくとして、他の話しが存在することを許せなかったんです。
それで、他の話をこの世から抹殺し、自分が押す話しだけを真実として人々に信じさせようとして、それで聖書を作ったんです。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A4% …
130年頃から202年なので、この間に作ったわけですね。


3.は 福音書は昔はイエスと生活を共にした使徒たちが実際あったできごとを語っていると信じられていたんです。
今では使徒じゃないとわかっていますが。

で、手紙というのは、主にキリスト教の教祖パウロが、他の教会に指示を出したり、他の協会にどういう意味か解説をしたり、などなど各教会のリーダー宛てに出したもの。

パウロは生前中のイエスに会ったこともないんですね。
むしろ、エルサレムで、ナザレ派を捕まえては殺していた。

で、ある時 突如 彼の消息が不明になり2年後にひょっこり現れ、ナザレ派を迫害するどころか、ナザレ派支持にまわったんです。


それまではセックス中毒で、セックス無しにはいられない絶倫男で、あっちの女 こっちの女と 手当たり次第関係をもっていて、自分でも性欲のすごさに苦しんでいたらしいんです。
誰でもいい 女であれば と売春宿めぐりをしていたそうです。
もちろん 早くから結婚したようですが、妻だけのセックスイではぜんぜん足りなかったようです。

そんな自分の性欲に苦しんだいたパウロにイエスは救いの手を差し伸べ、 というか、信仰心に溺れてことで、やっと不能になれたんじゃないかと。

それから、セックスのときはセックスオンリーでしたが、信仰に興味が沸くと、今度は信仰に猪突猛進。
情熱が女から男に鞍替えしたわけです。

で、それからは、信仰一筋になったので、ナザレ派の話を聞いて、自分なりに神学を作り、派閥をつくって、布教活動をローマ帝国各地でやったわけです。

チェーン店作っては、また開拓 と営業活動を展開したんです。
で、距離がありますので、質問されても今のように飛行機でひとっとびとはいきませんので、手紙でチェーン店のリーダーに指示を出したんです。

どういう信仰の仕方をしなさい とか 見本を書いて そうやるように と指示を手紙で出している。
で、バチカンはパウロ派なので、パウロの作った宗教を信仰し、それで教祖パウロの手紙も残しているです。

現代のキリスト教の多くはパウロ派なんです。
ナザレ派は消滅しているようです。
ユダヤ戦争の勃発直前にリーダーを殺されたナザレ派は、エルサレムを脱出し、ペラに集合したのは確認できているそうですが、その後、消息を絶ったそうです。


それと、パウロ派以外の派閥は残っており、そっちの聖書というか教科書の内容は、主流派とは違うようです。
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この回答へのお礼

現存する形の骨格ができたのは200年前らしいのですね。聖書の編纂にはテルトゥリアヌス、エイレナイオス、エウセピオス等の労があったことが分かりました。
聖書には固有名詞が冠として被さっていても、他者の加筆・訂正があったであろうと想像はしていました。どうやら思っていた以上に他者の参画があったらしいと考え直しました。

パウロは教団の評価が一段と高そうな印象です。布教という観点からは異教徒を改宗させることが重要なので、この点からパウロを買っているのだと思っていました。前半生の悔い改めもさることながら教団への貢献も実際に著しかったのだと思い直しました。

有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。
締め切り予告・・・1日(日)24時以降は締め切る可能性があります。

お礼日時:2008/06/01 07:20

配列順の意味。


これは教会が伝統的に考えてきた、4つの福音書の書かれた順番を意味しています。

成立した時期については、研究者の間では決着がついていません。
一応、大多数の見解としては「マルコによる福音書」が一番最初に、「ヨハネによる福音書」が一番最後に書かれたとされています。
マルコによる福音書と、これ書いた時に使われた資料を基にマタイ・ルカが書かれたようです。
なぜなら、マタイ・マルコ・ルカの記述には多くの共通性が見られ。
それぞれの記述の依存関係を調べていくと、マルコが最初でなければ説明がつかないからです。
この3つの書は「共観福音書」と呼ばれています。
ちなみに福音書の名前は著者の名前ではありません。
どういうわけか著者は名前を記さなかったため、後でつけられたものです。

ヨハネによる福音書を例にあげると。
発見されている一番古い写本の断片を鑑定した結果。
オリジナルは紀元120年より前には存在してたことになります。

手紙と福音書の違い。
4つの福音書はイエスの生涯を記録した物語で。
手紙は使徒たちがエルサレムを離れ、それぞれの場所で布教活動をしていくなかでやりとりされたものというふうになります。
指導者から最近改宗したばかりの者へ、信仰を深るために書き送ったり。異教の地で困難な活動をする仲間を、励ますために書かれています。

この回答への補足

>>マルコが最初でなければ説明がつかないからです。
これだけだと実際には「マタイによる福音書」が初めにきている説明がつかないように思えます。質問の大半はここから生じました。
マルコとマタイが逆転している経緯はANo.2で述べられていますので、特に異論がなければご返事は要りません。ANo.2とは別に知っておいた方がよいことがあれば、ご面倒ですがご返事を希望します。1日(日)までは締め切らないでおきます。

その他は全てよく分かりました。有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。

補足日時:2008/05/31 07:17
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