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小学生のときに授業で宮沢賢治を知って以来、
ずーーーーーっと疑問に思っていたことなのですが、
無駄な殺生はしてはいけないという理由での菜食主義者の方にとっては
植物というのは生物でない、少なくとも動物以下の生命だ、だから食べてOK
という認識なのでしょうか?
それとももう少し別の哲学が存在するのでしょうか。
よろしければお教えください。よろしくお願いいたします。

(純粋に疑問に思っているだけでけんかを売っているわけでは
決してございません。私自身はお肉はたくさん食べます。
また植物=動物(ただし人間除く)というスタンスです。)

A 回答 (13件中1~10件)

ベジタリアンと言いましても、色々な考え方からベジタリアンを通しています。



・健康のために動物性タンバク質をとらない人
・肉類を食べたくてもお金が無いために食べられずベジタリアンとなってしまった人
・宗教的理由からベジタリアンを通している人
・動物がかわいそうという理由からベジタリアンになった人
などなどです。

この中で特に宗教的理由からベジタリアンを通している場合についてですが、ベジタリアンを理想化する宗教のほとんどが、輪廻転生の考え方を持っている宗教になります。
ヒンズー教や仏教などが代表的ですが、中世ヨーロッパで広がったキリスト教の一派であるカタリ派にも同じ考え方がありました。
輪廻転生の考え方では、人間が死んだ場合、どこまでの動物に生まれ変わるかにより、どこまでの肉食が許されるかが決まります。
人が人として転生するのであれば、人以外の動物の肉を食べる事に問題はありませんが、牛や馬などにも転生するのであれば、そういった動物の肉を食べる事も忌避の対象となります。
さらに虫などにも転生すると考える場合、害虫であっても駆除はできなくなります。
過去の宗教において、植物までにも転生すると考えた宗派はありませんから、植物をも食べないとする宗教は無いでしょう。

カタリ派の場合、虫を殺す事も禁じていました。
そのため、カタリ派の出家者は、たとえどんな命でも奪わないように、必ず二人で行動し、相互に殺生を抑制しあったそうです。

多分世界で最も多いのは、お金が無いためにベジタリアンを通さざるをえない人達ではないでしょうか。(肉を買えない人達)
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肉食を否定する主張には大きく2種類あり、過剰な肉の摂取を戒める主張と肉食そのものを否定する主張があるそうで


また宗教によっても主張や思想はまちまちだそうです。

こちらに分類と思想が載っていますよ。
ベジタリアニズム - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%B8% …



日本でも明治時代までは肉食は盛んではありませんでしたからね。
- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%A2%E5%A4%9A
『延喜式』には猪鹿の肉を天皇に供する規定があったが、仏教の殺生禁止の決まりから肉食を穢れたものと見なす風がひろまり、屠者を蔑視する風もひろまり江戸時代で士農工商に含まれない屠者(エタ)は差別されました。
日本では殺生を嫌う仏教と、血を穢れとして嫌う神道の両方の影響から、動物の死体を扱う事を忌む思想があった

今は肉食は普及していますからなんともないですが。

肉食 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%82%89%E9%A3%9F
仏教
肉食は結局は殺生戒に触れるため、殺す所を見なかった肉、供養のために殺されたと聞かなかった肉、自分の為に殺された疑いの無い肉という“三種浄肉”であれば食しても問題はないとされた。その後、命終した鳥や獣の肉、鳥の食べ残した肉を加えて“五趣浄肉”、さらに“九種浄肉”であれば、肉食しても構わないという制限になった。

日本
『日本書紀』天武5年(675年)4月17日のいわゆる肉食禁止令で、4月1日から9月30日までの間、稚魚の保護と五畜(ウシ・ウマ・イヌ・ニホンザル・ニワトリ)の肉食を禁止と言うものであったが、仏教の影響もあり、たびたび改正がなされ、明治時代まで続いた。ただし、山で狩猟されたものは除外されていた。また常食ではないが肉食はされていた。

まあ菜食主義の思想をこれはいけないとかこれはおかしいというのは
各々の宗教の否定に繋がりますからね。
宗教文化や食文化の問題でしょう。

ご参考までに。
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この回答へのお礼

みなさん丁寧な回答ありがとうございます。感謝しております。
今までベジタリアンというのは偽善集団だと正直思っているところがありましたが
実際個人個人いろんな理由でなっているものだと知れました。
私がベジタリアンになるつもりは毛頭ありませんが
広い目で世界を見ようと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2008/06/09 23:20

植物=動物 同じ生物。


私も含め、動物を食べる人の理論だと思います。

別の観点から見ると
殺生=殺す と考えられます。
私の倫理観
動物→殺せない。殺した現場を見た動物は食べられない。
魚→殺せる。 自分で殺して刺身で食べられる。
(鯨はほ乳類だが、解体ショーを見て食べられる)
植物→殺せる。 自分で殺して食べられる。

動物を殺しているところを見て、ベジタリアンになった人がいます。
魚を調理できない人がいます。

ベジタリアン、懐石料理(魚はOK)などいろいろいますが、やはり生物を殺すという倫理観から来るものが多いと思います。
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実も蓋も無い言い方になるでしょうが、菜食主義者の方の自己満足だと思います。



私の通う寺(浄土真宗)の住職は、菜食主義に懐疑的な意見を持っています。
「その人が野菜だけを食べていたとしても、その人が食べる野菜を作ったり、運んだりする農家や運輸業者の人は、肉を食べている。その人のおかげを無視して、自分だけが世俗を超越しているつもりでいるのは、傲慢だ」と。

私は農村の育ちですが、実家は農家ではありません。しかし、父は花と野菜を作ることが趣味の人です。
父を手伝ったり、同級生の農家の話を聞くと、農産物を育てるにも、かなりの小動物の命を奪うことは必然だとわかります。

まず、作物に付く害虫を、駆除しなければなりません。放置すれば、自分の作物が枯れます。自分の所だけでなく、隣の人の畑まで虫が増殖します。
いくら自然食を主張しても、消費者は勝手なもので、虫の死骸や虫食い穴の残る野菜は買ってくれません。農業者や園芸を趣味とする人は、このような害虫を憎悪を持って殺さなければなりません。
今はどうか知りませんが、以前は夏の早朝に空から殺虫剤を撒いていました。そうすると、虫を食べてくれる野鳥まで飢え死にさせてしまいます。
また、殺す意図が無くても、鍬(クワ)や農機具で土を掘り返すと、土中の虫や小動物を刃物で切って殺してしまうのです。

農業者は、このような殺生の苦労に耐えて、農産物を出荷しているのです。そんな苦労も知らずに野菜を食べて、「自分は殺生していない」と宗教的な優越感に浸るのは、やはり傲慢でしょう。
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 単純に、動物は一部分だけ食べることはできないが、植物なら全体を殺さずとも一部だけ食する事も可だから、という解釈もできそうな気がします。

ただし、一部分だけ切除して再生可能な食物だけ選択して食べるというような習慣はあまり聞きませんが。

 あと、食物連鎖の最上位に立つ事に関する生理的拒否感があるかもしれません。食物連鎖の上位にある動物は、環境中の有害物質を蓄積する傾向があり、本能的にそれを感じ取って一部の人間は肉を避けるというような話があれば非常に面白いですが(この問題からいうと海中の有害物質を蓄積しまくっている鯨食のタブー等も合理的に説明できる)、研究でそういう事実を証明できた例は少ないと思います。
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あるナイーブな青年が「肉を食べることは殺生をすることだ」といって菜食主義になったそうです。

しかし、ある日植物も命あるじゃんてことに気づいて野菜すら食べなくなったそうです。
心配した両親が無理にでもご飯を食べさせようとしたところ青年は逆上して包丁で両親に襲い掛かったそうです。

殺生を嫌うあまり人を殺しそうになった青年の話でした。
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名前は忘れましたが、ベジタリアンの中には本当に植物の命も奪わない一派があるそうです。


食べるのは、自然に落下した果実の、果肉の部分のみだとか。
(もいで食べるのもダメ。)
このような人たちは、主義は違えど筋は通ってるので敬意を表します。

生きた植物を食べないと餓死してしまうような(殺生の観点からの)ベジタリアンは是非見習って欲しいですね。
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あなたのような人がいるのに驚きました。


あなたは菜食主義者に餓死しろと言いたいのですか??

現実問題として動物はおろか植物も一切食べるなというのであれば
死ねといっているのも同じなのは小学生でも分かることですよ。
他に食べるものがあるというのであれば、あなた挙げてみて下さいよ。

哲学とかそういう論法以前の問題ですよ。
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この回答へのお礼

というかむしろ何故ベジタリアンはベジタリアンなのだろうと思って
質問させていただきました。
>動物はおろか植物も一切食べるなというのであれば
むしろ私はなんで肉も野菜も両方食べないのだろうと
思っていたのです。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/06/06 23:39

哲学というか、健康のためではないでしょうか?


アメリカで、特に牛肉には、長期的な摂取でさまざまな癌を引き起こす確率を高めるといった研究結果が出ているそうです。そうすると魚を食べていい理由が分かりますね。

日本の菜食主義者に、サンプラザ中野さんがいます。
彼は野菜を、なるべく生で食べるようにしているそうです。
そうすると、野菜の酵素を取り入れることができ、栄養バランスが良くなるそうです。

狩猟時代、人間は肉食中心でしたし、今でも肉しか食べない民族もいます。(イヌイットなど)
しかし彼らは、生肉、あるいは内臓・血を摂取することで栄養バランスを整えています。

そうすると、精肉・加熱という行為が、不健康・発がん性につながってくる気がしませんか?もちろん、肉輸入国はこのような意見をおおっぴらに言える勇気は無いと思いますが。
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この回答へのお礼

みなさん多数の回答ありがとうございます。
単に命の重さ云々ではなく健康などの問題も含まれているのですね。
初めて知りました。
なんとなくベジタリアンがベジタリアンであることの多様性が
判った気がします。
ありがとうございました!

お礼日時:2008/06/06 23:37

 いわゆるベジタリアンには段階があります。



1)動物由来のものは一切食べない
2)サカナや卵は食べるが、肉は食べない→欧米人に多い

 ベジタリアンの理由にも複数あります。

A)宗教なり思想上の理由:無駄な殺生もこれに含まれる
B)動物だとなんか可哀想だからと言う観念的な理由
 →この手の人は、魚は食べることが多い
C)あくまで健康の一手段として
D)エコの実践といった、殺生とは関係ない思想

 ちなみに、私の友人には2Bの人がいました。だから
菜食“主義”ではなく、単なる嗜好だと思っています。

 実際のところ、1Aの人はマレです。キリスト教でも
イスラム教でも、神は地上に人間と、人間以外の生き物を
創造しています。だから、動物と植物で命の軽重を比較する
概念はほとんどないはずです。

 よって1Aの人は、そういう教義の宗教があるのではなく、
あくまで自分の判断で動物と植物を分けて考えているのでしょう。
おそらくは、植物には動物のような生死の概念がないことが
理由でしょうね。言葉の上でも、植物が枯れるとは言っても、
植物が死ぬとはあまり言いませんし。
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