No.1
- 回答日時:
月です。
夜空を見上げて月を見て、美しいと思いました。
実際空気が澄んでいて綺麗だったのですが、どうもそのときの状況。
人間の心も影響するみたいで、なんとなく気持ちが澄んでいるときとか、感慨にふけっている時にそう感じました。
生まれてからずっとお月様は見ておられるわけで、なにかしら言ってくれているような気がしました。
その時は良く頑張ったねと言ってくれたようでした。
あと夕陽ですね。
書き込み、ありがとうございます。
「月」と「夕陽」の方もそうなのかもしれませんが、
自分の心が影響していて、「気持ちが澄んでいるとき」、「感慨にふけっているとき」でないと、美しいなんて感じられないというのは、同感です。ハッピーな気分と共感しているのでしょうか。
殺伐とした心境では(実際はそこまでひどい心境では無くても)、美しいもの・ことを美しいと感じられない、気付けない状況って、確かにあると思いました。いろいろと参考になりました。ありがとうございました。
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
通勤時間帯とは異なる時間に乗った山手線の向かいの席に座っている
若い女性。
その容貌が、私にはこの上なく美しいものに思えた。いちどちらりと盗み見したら
もう一度見たくてたまらなくなった。ただ眺めているだけで、この上なく幸せな
気分に浸れるようなそういう美しさだった。
くっきりと見開いた双眸、細くたおやかな曲線を描く眉。小さく形のよい唇
それらのものを私は幾度かの盗み見で、シャッターを切るように瞼に焼き付けた。
綺麗だ。
こんな綺麗な女性が、昼間の平凡な電車の中に存在していいのだろうか。
私は、目の前の美しい存在が消えてしまわないように視覚の記憶を包み込むように
目を閉じ、しかしもう一度視たいという欲求に耐え切れず、幾度も目を開いて
彼女を見た。
相手も気付き、ときどき怪訝そうな顔つきで私を見た。気付かれたことが恥ずかしく
私は、また目を閉じた。眠ったふりをしたつもりが目をあけるとまた彼女を見て
しまう。
美しい。すばらしく美しい女性。非の打ちどころのない整った容姿。
そういうものが間近に存在すること自体、一幅の名画を鑑賞するような
心が洗われるような気持ちだった。
ここまで美しい女性には、日常のバックグラウンドなど想像する必要も無い。
女神が突然山手線の電車に舞い降りることなどないにしろ、そういう錯覚に
おそわれてもおかしくないほど綺麗だった。
美しい、綺麗だと脳裏でつぶやく意外に、なにもなすべきこともなく私は
自分の降りるべき駅につき。
電車の窓越しにもう一度女神の黒く潤んだ双眸を眺め、天国のような電車の
ひと時に別れを告げた。
なんで、あれほどの美人が世の中に存在するのだろう。
この世のものとも思えない、美の女神のような人
記載されたことから推察するイメージはこんな感じでしょう。
偶に、存在しますね。よく分かる気がします。
美しい容姿、綺麗、美意識の基本中の基本の例です。
完全なものに、憧れているのでしょう。
「非の打ち所のない」もので、理想的な姿を見て、
「この上なく幸せな」、「心が洗われるような気持ちだった」
ということなので、やはり心に大きな影響を与えているし、
また、心の方でも感受性が豊かでないとこのように表現できない
でしょうから、心とかなり密接なことを改めて実感しました。
ありがとうございました。
No.4
- 回答日時:
ANo.3
深山幽谷でも、人(ひと)気(け)ない岩石の砂浜に、老松でもそうでなくても、松が空間を劃している。
皓月が一つ、星は稀。
そこに何の思いもない、意図もない。モディファイするもの一つもない。ゆがめ、塵するものない。澄み切った世界。ということですが
「気持ちも欲望も意図もない」=「何の思いもない、意図もない」とか、「澄み切った」という部分がキーワードですから、
「無垢」な世界観で、美を感じている、自然美とでも言うべきものを表現していると思いました。
華美な装飾だらけの人工美とは、対極の手付かずの自然美、そしてそれは、ぼんやりと月明かりに満ちて静寂な夜の景色なのですね。
花鳥風月、水墨画的な美意識のことかと、推察しました。
ありがとうございました。
No.5
- 回答日時:
澄明な状況が「ぼんやりと月明かりに満ちて静寂な夜の景色なのですね。
」とはならないのですよ。全てにいきわたった、感覚なのですよ。何かしてやるぞとか、でかいことをとか、あのことが、とかの意識も心配もないが、抱いている気持ちも想念もないが、意識は、十里先で針一本が手元から落ちても知っています。ぼんやりという状況では、残念ですがまったく違います。完全に自己の意識であります。
感受性の豊かさのことを強調したいのだと推察しました。
横山大観の朦朧体のイメージを抱いていたのですが、「ぼんやり」だと感受性が鈍いような印象を与えますね。
重ね重ね、ありがとうございました。
No.6
- 回答日時:
和歌山県の熊野三山にある「那智の滝」です。
1.滝とその周辺という「自然」
2.修験道の信仰という「宗教的なものを求める前近代的な欲求」
3.観光地化という「経済的合理性という近代的な欲求」
「那智の滝」は以上の三つがせめぎあっている場であるため、僕の人生の経験の中では、ほかに見たことがないようなインパクトを受けました。それを何故「美しい」と感じたのか?と問われると、なかなか答えにくいのですが、一つには思想史というジャンルが好き、というのがあると思います。
以下は、蛇足ながら「上記三点のせめぎあい」に関する説明です。 「滝」を見た瞬間に下記のように考えていたわけではなく、「滝」を見たときに受けたインパクトは、こういう理由で受けたのかな?という程度の後付解釈です。言葉にすればするほど、インパクトそのものから遠ざかっていく気もしますが・・・
那智の滝は、修験道というやや原始的な宗教の聖地であり、滝の周辺には神社仏閣が建てられました。滝とその周辺の「自然」に対して、神社仏閣によって表される「宗教的なものを求める欲求」が侵略してきたわけです。
また、那智の滝は、世界遺産に指定されたこともあり、観光地化に拍車が掛かっています。観光地化とは、経済的合理性の追求という人間の欲求を象徴しているといえます。「自然」VS「宗教的欲求」の場であった「那智の滝」に対して、「経済的欲求」が攻めてきた形になります。
以上のように、「自然」と「宗教的欲求」と「経済的欲求」がせめぎあう場として、(それが間違っているかどうかは別として)僕は「那智の滝」を見ていました。
ご回答、ありがとうございます。
滝そのものではなく、周辺の状況を社会的な視点(特に「欲求」)も含めて、「後付解釈」したときに、どのように美意識に繋がるのか、正直言って、私の中では答えが見つかりません。
「命」=「生」=「動」=「欲求」であるとすれば、欲求の根源的な連想(類似性)は、「命」ではないかと推測します。
ですから、滝の「動」とともに、「命」を無意識に連想していたのではないかと推測できるかもしれません。「命との一体感」としての美意識ではないかと思いました。いかがでしょうか。
No.7
- 回答日時:
ANo.5
〔感受性の豊かさのことを強調したいのだと推察しました。〕
あわてて読解すると、誤解してし、自分の感受性の宣伝なんかしているかい、などと受け取るような、お言葉ですが。
いずれにしろ、そういう意味ではもちろんないし、私の拙い投稿は、私がいいと思う状況のお伝えであります。それは心身の澄みきりと明るさの中、何も心身にない状況での、造物主のご作景をいいなと、思うだけのことであります。私たちはそういうご作景からも自分を抜けていく必要があるのでしょうね。
感受性の「豊かさ」ではなく、「鋭さ」と言うべきでした。回答者であるあなた自身の感受性の宣伝という点を意図して書いたわけではありません。質問者である私の自己反省の視点で書いたものです。
最終的には、作景を見ている視点の主体(私)を解消・解体した境地の必要性についても言っておられると思いました。一体感に伴う美意識とでも言うべきものかもしれません。
よく分かりました。ありがとうございました。
No.8
- 回答日時:
ANo.5
〔感受性の豊かさのことを強調したいのだと推察しました。〕
というのは、ご質問者さんがあの大観のぼかしの手法の傑作をご連想されていた、〔ぼんやり〕というご表現を、私が伏線として知らなかった対応へのお話でありましたか。
あれはあれでいいですよ。
単なるぼんやりとも異なり、一つの深さ、遥かさがありますね。
>単なるぼんやりとも異なり、一つの深さ、遥かさがありますね。
同感です。「ぼんやり」だと軽すぎるようです。深さが伝わりませんから、不適切です。朦朧もよくありません。「深遠で人知の及ばない」と書くべきだったかもしれません。
いろいろと参考になりました。ありがとうございました。
No.9
- 回答日時:
ANo.8
まともに的確に受け取られた質問者の大きさと深さを味わいます。
何か深大植物園ってぇのがあって、ジュディオングってぇのがお利口な顔して、撮影していたことを急に思い出しました。あれはお利口な子です。もう45年ももっと前かな。私も28くらい。寝泊りしている原宿の大学から、自殺した作家の足跡を散歩しながら、めぐり合いました。
過去の景色はみな美しいけれども、なぜでしょうね。
このごろ年の故か、そういう昔の情景が眼前に現れてきて、涙します。もうすぐさようならでもなにのだがな。健康で山中の一人歩きを楽しんでいるし。
思い出す情景はきれいですね。人間ってそんなふうに都合よくできていますね。あっちへ行ったときにはここのことを懐かしく思い出せるようにきちんと生きるように心がけております。
>思い出す情景はきれいですね。
思い出の美意識も、なかなかの難問です。
思い出から連想する語は、「昔」、「過去」、「若い頃」、「懐かしさ」、「記憶」、「イメージ・印象・映像」、「内的な感覚」、「再現」かな
「昔」、「過去」、「若い頃」=『過去』
「懐かしさ」、「記憶」、「イメージ・印象・映像」、「内的な感覚」=『印象』
『過去』の『印象』は、「再現」された時点では現実体験ではない
「不完全な」現実ではなく、「完全な」「理想的な」「純粋な」イメージとなっている
だから、完全で理想的で純粋なものとの一体感かもしれませんね。
そんな風に、こじつけてみました。
No.10
- 回答日時:
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
だから 魂は 善き意志によって 私的なものとしてではなく 公共的なものとしてこのようなもの(*)を愛するすべての人によっていかなる偏狭や嫉みなく清らかな抱擁によって所有される 内的なもの 高みにあるものを捉えようと自分のためであれ 他者のためであれ 気遣うなら 時間的なるものの無知によって――魂はこのことを時間的に(* 相対的な判断によってその実践として)為すから――或る点で誤り そして為すべきようになさなくても それは 人間の試練に他ならない。私たちが いわば帰郷の道のように旅するこの人生を 人間にとって常なる試練が私たちを捕捉するように送ることは偉大なことである。
* 《このようなもの》とは 端的には 情欲です。一般化して
《理想のようなもの あるいは 理念とその美 これらのたぐいを
みづからに心地よい観念としての想像をとおして その表象に自分
から依り憑いていく心の片向き つまりは その弱さ》です。
それは身体の外にある罪であって姦淫とは見なされず したがってきわめて容易に許されるのである。
しかし 魂が身体の感覚をとおして知覚したものを得るために そしてそれらの中に自分の善の目的をおこうとして それらを経験し それらに卓越し それらに接触しようとする欲望のために或ることをなすなら 何を為そうとも恥ずべきことをなしているのである。
魂は自分自身の身体に対して罪を犯しつつ姦淫を行なう。また物体的なものの虚妄の像を内に曳き入れ 空虚な思弁によって それらを結合し その結果 魂にとってこのようなものが神的にさえ見えるようになる。
自己中心的に貪欲な魂は誤謬に満たされ 自己中心的に浪費する魂は無力にされる。しかも魂はこのように恥ずべき 惨めな姦淫に はじめから直ちにとびこむのではなく 《小さなものを軽蔑する人は次第に堕落する》(『集会の書=ベン・シラの知恵』19:1)と聖書に記されているようになるのである。
(アウグスティヌス:『三位一体論』中澤宣夫訳 12・10)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
まだ 読めたとは言えませんが 少しづつ咀嚼しています。つまり この文章(判断)は いまだにわたしは 自分の言葉で噛み砕いて表現するということが出来ません。それでも勝手に注釈をほどこしましたが。
抽象的に述べていますので 読み解き難いという意味でも なぞですが 志操を喚び起こされるという意味でも なぞです。いい意味でのなぞは うつくしいと思います。
ご回答、ありがとうございます。
これによって、今回の質問の意味を色々と自分自身で確認することができました。
1 現代日本における「美」の意味範囲を求めていた・・・中世とか欧州とかのものではない
2 視覚で捉えうる実例を期待していた・・・具体的な存在に張り付いた美、一体化している美であって、無形の思想に関わる美を想定していたわけではない
ということです。
また、謎が美という感覚も、かなり難解で、私の場合は、謎は美と無関係です。たとえば、宇宙は謎ですが、宇宙中どこでもが美しいというわけではなく、「ブラックホールが特に快く感じるとか美しいと思う」というようなことはないのです。パルサーとか虹色の星雲とかは美しいと思います。絶景は限られているという印象です。
切望するほどの希少性が大事ではないかと思いました。
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