【コナン30周年】嘘でしょ!?と思った○○周年を教えて【ハルヒ20周年】

漢字検定を受けるので部首を勉強しています。
問や酒は、一見、「もんがまえ」や「さんずい」が部首にみえそうで実
は「口」や「酉」が部首で、なんでやねん、と突っ込みたくなります
が、まだまぁそうなんやなぁと思い込めば思い込めます。(漢字自体に
部首が含まれていますから)
また、「胃」の部首が「月」ではなく「肉」というのもなんとなくです
が分かります。(肉体の部位を表す漢字に用いられていますし)
ただ、たとえば「内」、「才」、「舎」の部首はそれぞれ「入」、
「手」、「舌」らしいのですが、これらは漢字にも含まれておらず、
なんでやねん、と本当につっこみたくなります。
これらはどうして、それぞれの漢字の部首として選ばれたのでしょうか。
よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

部首みたいなものを問題に出すことが間違っています。


字書を引くときに知っていたら便利というだけのものです。
そもそも扱いが正しくないものが少なからずあります。
「碩」は「頁」が義符で「石」は声符 (発音記号) です。
「到」は「至」が義符で、リットウ (刀) は声符です。
「賊」は「戈」が義符で、[貝+] (則) は発音記号です。
「酒」は「水」部に入れるべき字です (最後に触れます)。
あと、どこにも入れられないものが一画、二画あたりの部にぶち込んであります。
「年」「幸」が「干」部、「午」が「十」部など、文字の成り立ちと何の関係もありません。

また漢和辞典によって違います。
「巡」は『康熙字典』『大漢和辭典』は「巛」の部に入れていましたが、『漢語林』は正しくシンニョウに移しています。
『漢語林』は「丼」を「丶」部から「二」部へ移しました。
「井」といっしょにしたほうが引きやすいというわけでしょう。
さらに言えば、そもそも「二」部は「五」「互」「亜」「亘」「亙」「亟」などの文字たちを収容するために設けられたものに過ぎません。
『新字源』は「百」を正しく「一」の部に移しましたが、ほとんどの字書は「白」部のままです。
「脩」は「肉」部に入れながら、「修」を「人」部に入れたままの字書もあります。もちろん正しくは「彡」部に入れるべき字です。

新字体で形が変わり、字の成り立ちと無関係な部に移されているものもあります。
『漢語林』は「及」を「丿」部に移しましたが、本来は「又」部の字です。

“「問」「悶」「聞」の[門]は発音記号なので、これらの字は「門」部ではない”とか、
“「務」「勝」は「力」部である”といった類にとどめるべきでしょう。
“「穀」は「禾」部で、「殻」は「殳」部である”なども出題すべきではありません。

また、会意字で、“「吠」は「口」部にあるが、「鳴」は「鳥」部にある”など、初めから分かる人はいないでしょう。

「舎」の正字は「舍」であり「舌」とは何の関係もありません。
旧時この「舍」と「舒」「舖」の左旁が[舌]を含んだようにデザインされた活字があったのは、「舌」部にぶちこむための変形で、本末顛倒です。

「酒」は「酉」がその原字ですが、後に義符[水]を加えた以上は「水」部に置くべきものです。
「網」は「网」が原字です。
これに声符[亡]を加えて「罔」が作られました。
この字が“ない”という意味に借用されたので、さらに義符「糸」を加えました。
このような場合は後で加えた義符を部首とします。
原字が「网」だからそれを部首とするということはないのです。
「原」は「源」のもとの字ですが、ほかの意味にも使われるので、義符の[水]を加えました。
このケースでは「原」部は存在しないので、「水」部以外に入れようがありませんでしたが、「酒」は「水」「酉」どちらも部首になりうるために紛れが生じ、「酢」などと同じ「酉」部のほうがよさそうに思えたのでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/06/19 22:06

漢字の部首は、旧字体を知らないとわからないものもあります。

旧字体から新字体になったあとで、部首が変わった漢字もたくさんありますが、形は変わっているのに、部首は以前のままにされているものも存在するのです。まったくもって不合理なことで、何の為の区別か!と言いたくなりますね。頑迷固陋な学者が多いということでしょうね。時代遅れでも意に介さない姿勢は見苦しくもあります。

辞書などで調べようとしてもシステマチックに配列されてなければなりませんが、漢字は、アルファベットや仮名と違って、膨大ですから、総角数ではすぐには探し出すことができません。そこで、「部首」というキーワードが必要になるのです。漢字はその成り立ちからも部首が意味を表す(すべてではない)ので、分類上も好ましいという事情もあります。
漢字も時代とともに、いろいろな意味が派生したり、元の意味合いが失われたり、薄れてきたりもしますので、昔の分類が将来に渡って合理的でありえることなどないと思います。その辺が、相当混乱してきているとも言えます。

「内」は旧字体では「人」が「入」であったことによる。
「才」は「手」であるが、偏を表す際は「才(てへん)」の形を使うことによる。現在では「手」と「手偏(才)」を別の部首として扱うことも多くなっています。
「舎」は旧字体では「吉」が「舌」であったことによりますが、辞書によっては「口(くち)偏」に分類されています。

漢字検定は、昔の中国の科挙試験などと同様に、決められたことをすべて把握してなければ正解できない仕組みです。合格するための参考書も、検定の本家から出版されており、その内容についてはすべて覚えなさいということなのです。ためになる部分もありますが、ほとんど無意味な部分もあります。試験を受けるのであれば、何で!といっていても仕方ありませんから、そう覚えるしかないと思いますよ。無駄だと思えば試験を受けなきゃいいだけです。誰も強制などしませんから。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/06/19 22:05

「内」は旧字体だと、「人」の部分が「入」ですね。


「舎」も同じく旧字体だと、中が「舌」になります。
「才」は申し訳ありませんがよく分かりません。
想像ですが、「才」と手編の形が同じだからではないでしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/06/19 22:06

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