古代ローマの「道」について記された書籍を、教えていただけるとありがたいです。「道」の文化史とか、「道」と何かの関係を論じたような感じで。
ローマの「道」についてなら何でもかまいませんので、よろしくお願いします。
それと、ハンニバルがどうしてローマを攻め立てなかったかを「道」を用いて論じた書籍はないでしょうか?
あつかましいようですが、お知恵を借りることができれば助かります。

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A 回答 (3件)

フェリーニの“道”という映画はいかがですか

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ちょうどぴったりの書籍が原書房発行の藤原 武著「ローマの道の物語」とおもいます。



ハンニバルのポエニ戦争については「道」を用いて論じた書籍はないとおもいます。
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ローマ人の物語


すべての道はローマに通ず ローマ人の物語X (2001年) ISBN 978-4103096191

ハンニバル戦記 ローマ人の物語II (1993年) ISBN 978-4103096115
などは いかがでしょう
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Q古代ローマの百人隊長ってどのくらいの強さ?

百人隊長ってどのくらいの強さだったのでしょうか?

めちゃくちゃ強かったんだとは思いますが、
例えばK-1優勝レベルですか?
ボクシング世界チャンピオンレベルでしょうか?

現代に変換してどのくらいの強だだったかイメージを知りたいです。

よく古代ローマの映画で、敵が5人まとめてかかってきても
一人でやっつけちゃうことがありますが
あういうのってほんとに可能なんですかね、一人で5人やっつけるってだけでも
かなり能力高いですよね。

あと、百人隊長って何人くらいいたんですかね。
たとえばローマの基幹部隊が2万人だとしたら、百人隊長は200人ってことですよね。

もちろん正確な回答なんてムリだと思いますが、
百人隊長の強さのイメージを知りたいです。

Aベストアンサー

> たとえばローマの基幹部隊が2万人だとしたら、百人隊長は200人ってことですよね。
> 百人隊長ってどのくらいの強さだったのでしょうか? めちゃくちゃ強かったんだとは思いますが、例えばK-1優勝レベルですか? ボクシング世界チャンピオンレベルでしょうか?

K-1優勝レベル、ボクシング世界チャンピオンレベルが、数十人も同時に活躍しているということはないでしょう。
強くなければ、ケントゥリアのポジションを失うし、早々と殺されてしまうでしょうから、並の強さではないことは確かでしょう。
同時代の中で格段に強いことは確かでも、その時代のNo1レベルが、一時に数十人もいるわけないです。 どんな状況であるにしても、No1レベルは、世界で10人を超えることはないです。
別の問題は、時代を数百年以上変えての比較をどうするかです。
相撲の場合、現在の横綱を、過去の横綱や名力士と強さで比べるのは無理じゃないですか。
格闘技、刀術、槍術でも、過去の強さを誇ったヒトが、現在のヒトとどう強いのかを述べるのは難しいでしょう。
100m走、5000m走のような数値で記録を残せるものだと、世界記録が伸びているので、過去の世界一よりも速いヒトが多く出現しているのがはっきりします。
判定価値、TKO、KOなどの基準ではなくて、戦いに勝つ・やっつけることを大事にし、ルールなし、禁じ手なしという戦いの場合でも、生死を懸けていた昔よりも、特訓と科学的肉体作りをしている現代の方が、実際に生死を懸けて戦わなければならない状況を理解し、納得して、実際に生死を懸けて戦う場数さえ踏めば、現代のヒトの方が勝つんじゃないでしょうか。 ローマ時代の百人隊は、当時の武装、当時の武器での戦いを身につけてしまっているので、相手の状況や武器が変わっても対応が出来ない可能性もあります。

> たとえばローマの基幹部隊が2万人だとしたら、百人隊長は200人ってことですよね。
> 百人隊長ってどのくらいの強さだったのでしょうか? めちゃくちゃ強かったんだとは思いますが、例えばK-1優勝レベルですか? ボクシング世界チャンピオンレベルでしょうか?

K-1優勝レベル、ボクシング世界チャンピオンレベルが、数十人も同時に活躍しているということはないでしょう。
強くなければ、ケントゥリアのポジションを失うし、早々と殺されてしまうでしょうから、並の強さではないことは確かでしょう。
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Q【古代ローマのサバジオスの手は】当時、どういう目的で使用されていたんですか?

【古代ローマのサバジオスの手は】当時、どういう目的で使用されていたんですか?

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イコンと同じ目的で使われていたのだと思います。イコンは平面の絵ですが、これはイコンを立体で表したものだと思います。

Qカルタゴのハンニバルの奥さん

カルタゴのハンニバル将軍に奥さんはいたんでしょうか?

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Q妹に男の子が産まれるのですが、~助か~丸がつく名前にしたいと言っていて、母は丸の方が位が高いと言って

妹に男の子が産まれるのですが、~助か~丸がつく名前にしたいと言っていて、母は丸の方が位が高いと言っているのですが歴史上では、助と丸、どっちが位が高いのでしょうか?

Aベストアンサー

特に上下はありません。

丸は確かに幼名としてよくある名前です。
牛若丸、長福丸(水戸徳川家)とかね。
でも、例えば豊臣秀吉の幼名は「日吉丸」とされていますが、
事実だとすると出自は足軽(または農民)の秀吉ですから、
決して高貴な名前ではありません。

郎もまた幼名で使われることがあり、
室町幕府初代将軍である足利尊氏の幼名が「又太郎」だったりします。

というか、位を気にするのなら幼名のような名前ではなく、
元服後の名前からヒントを貰ったほうが良いんじゃないですかね、と思ったりもします。

Q中世欧州から見た古代

タイトルのとおりなんですが古代ローマやギリシャは中世の欧州の人々にはどのように見えていたのでしょうか。やはり宗教上の理由であまり良く思われてなかったのでしょうか。

Aベストアンサー

よく思われていなかった、ということはありません。
むしろ中世ヨーロッパの人々はローマやギリシャを崇敬していました。

西ローマ帝国は5世紀にゲルマン人の流入や権力闘争で弱体化し、最終的には中央政府のクーデターによって滅亡します。
そこから始まる中世の時代というのは、端的に言えば「ローマ時代からの衰退」にほかなりません。経済の停滞や略奪によってローマ帝国が築いた数々の都市はかつての繁栄を失い、それまで培われた技術や学問、文化が破壊され、西ヨーロッパの文明は大きく退化してしまいました。詳しい記録さえ残っていないこの時代は「暗黒時代」とも称されます。
そのため、中世の人々は、ラテン人もゲルマン人も地中海で隆盛を極めたローマ帝国に憧憬を抱いていました。

ヨーロッパの王族や貴族の中には鷲の紋章を掲げる人々がいました。西ヨーロッパで有名なのはハプスブルク家ですね。
そもそも鷲というのはローマ帝国の象徴であり、彼らの中には「ローマ帝国の後継者」を自負する者たちもいました。
神聖ローマ帝国なる国がドイツやオーストリアを中心とした地域に勃興するのですが、彼らも西ローマ帝国の後継であることを謳い、鷲の紋章を掲げました。
神聖ローマ帝国の皇帝たちも、シャルルマーニュもナポレオンも、皆、西ヨーロッパで皇帝になった者は「西ローマ帝国の皇帝」を十数世紀にわたって名乗ったわけです。

また、「ルネサンス」という言葉は「文芸復興」と訳されますが、やはりローマ帝国の文化を復興させようという運動だったのです。
政治のみならず文化面でも大きな影響力を持っていました。

ギリシャに関しては、ローマ帝国が手本にしていた地域です。そもそも「ローマ」という都市は、イタリアにやってきたギリシャ人が造った都市を模倣して形成されたものです。
都市も文化も統治体制も、果ては人の名前までギリシャっぽくしました。ラテン人はギリシャ人の先進的なヘレニズム文化をどんどん取り入れ、帝政期に入ってなおヘレニズム文化は手本であり続けました。
ギリシャなくしてローマはなく、中世においてもその思想や学術は少なからず尊重されていました。

ヨーロッパの歴史を語る上でローマとギリシャは欠かすことのできない存在です。今日のヨーロッパを形作ったと言っても過言ではありません。
帝政期にはたびたびキリスト教徒の迫害もありましたが、キリスト教を国教に定めて、地中海全ての人々をキリスト教徒にしたのもローマです。

ローマ時代=キリスト教徒が最も繁栄した時代

と、本を読む限りでは中世の、それも最初期の人々はそう思っていたように思われます。


蛇足・・・ではありますが、現代のアメリカ合衆国も「ローマ帝国の後継」を自負しています。
西ローマ帝国の滅亡から1500年、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の滅亡から500年。いまだに世界に大きな影響を与え続けているのがローマ帝国であり、その種を蒔いたのがギリシャのヘレニズム文化だったのです。

よく思われていなかった、ということはありません。
むしろ中世ヨーロッパの人々はローマやギリシャを崇敬していました。

西ローマ帝国は5世紀にゲルマン人の流入や権力闘争で弱体化し、最終的には中央政府のクーデターによって滅亡します。
そこから始まる中世の時代というのは、端的に言えば「ローマ時代からの衰退」にほかなりません。経済の停滞や略奪によってローマ帝国が築いた数々の都市はかつての繁栄を失い、それまで培われた技術や学問、文化が破壊され、西ヨーロッパの文明は大きく退化してしまいまし...続きを読む


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